消えていく星の流線を

消えていく星の流線を

デフォで重め

担降りします。 〜伊野尾慧くんについて考える

 
はじめましての方もそうでない方も、どうもです。どうも、という挨拶は時間帯に関係なく使えて便利です。
はてなブログを始めてみました。ヲタクといえばはてなブログ!憧れてたんですよ!ちなみにブログを書くのは高校生ぶりです。黒歴史
 
早速ですが担降りブログ書きます。憧れてたんですよ(2回目)!担降りブログ!
普通はなんか、1発目の記事って自己紹介的なことをやるもんじゃねーか的な認識はわたしにもあります。
でも真っ先に書きたかった。担降りブログを。残しておきたかった。今この時しか感じられないこの気持ちを。それに尽きる。
自己紹介はプロフィールページをみてね。
 
これを書く理由は憧れてたから、だけではありません。担降りをしたからです。当然ですね。
 
私は今、A.B.C-Z戸塚祥太くんの担当です。が、少し前までHey!Say!JUMP伊野尾慧くんの担当もしていました。掛け持ちというやつです。
そして最近、伊野尾くんの担当を降りました。いや、降ります。いや、どっちが正しいんだろう。自分でも自分の気持ちが微妙すぎてよく分かりません。
 
なので、整理する意味も込めてわたしの伊野尾くん観を順を追って見ていきたいと思います。おお、担降りブログっぽくないですか、これ。
 
 
 
 
 

最初に注意書き

※まず、わたしはデビュー時やそれ以前からのJUMPファンの方からすればド新規もいいとこです。ド新規ですが降ります。それを不快に感じる方はどうぞこの記事を閉じてください。
 
以下に書き進めることわたし個人の感じ方です。
わたしが個人的に思ったことを、表現の自由に甘んじてここに残すだけです。
伊野尾くんに対して辛口なこともこれから書くと思います。好きだったところも、今なぜ好きじゃないかも、感じたことを書きます。今、伊野尾くんが好きな方は共感しかねる部分があるかもしれません。
そういったものを不快に思われる可能性のある方は、どうかバックキーを押すかブラウザを閉じてください。今伊野尾くんを好きな方は、いち弱輩ヲタクの愚痴なんか気にせず、そのままの伊野尾くんを好きでいてください。
 
 
 
 
 

 わたしと伊野尾慧

わたしが伊野尾くんの担当になったのは、……これもはっきりとしたきっかけがあったわけじゃないんですが、……2013年始め頃、Hey!Say!JUMPがデビュー6年目あたりでした。
『理想の息子』あたりから母親が山田くんにハマり、必然的にわたしもJUMPが出ている番組を見たり、雑誌を見るようになりました。
その前は嵐の二宮くんの担当をしていたというなんとも典型的ジャニヲタ。しかしその頃の嵐は、出すシングルはタイアップ用の作品に寄せたものばかりになり、嵐らしさってなんだったかな?と、彼らの音楽に違和感を感じ始めていました。あとKinKiも好きでコンサートとかSHOCKとか入ってた。今も好き。
 
初めてJUMP目当てで行った公演は「JOHNNY'S WORLDの感謝祭」でした。山田さんが愛かた歌い始めて脚の震えが止まらなかった。泣いてた。くっそ楽しかった戻りたい。ここがわたしにとってHey!Say!JUMPとA.B.C-Z、二つの明確な入り口でした。
そこで気持ちいいくらいスパーン!と嵐担は降りました。
 
最初はJUMP担になるとか意識せずに見ていて、だーれーにーしーよーうーかーなーとかそういう風に担当を選んだわけでもなくて、吸い寄せられるように伊野尾慧を好きになった。
顔立ちがきれいで、麗しくて、勉強を頑張ってて(伊野尾担になった頃ちょうど大学を卒業した)、けど少し口が悪くて、へにゃへにゃしてて何考えてるのか分からなくて、でもこれだけは分かる。彼は売れたいという熱意を持ってたこと。表には見せない情熱がすごく好きだった。と記憶している。
 
伊野尾慧への気持ちがあまりに雑多なのでここから、ちょっと年号振って整理していこうと思います。
 
 
 

【2013】

わたしが伊野尾くんに降りた頃はまだギリギリ干されてた時期で、もちろんシングルにソロパートはなかったしBESTの『スクランブル』にさえ唯一ソロパートがなくてへこんだ。
コンサートでは『アイ☆スクリーム』の「見たことなぁ〜い」と『Thank you〜僕たちから君へ〜』の「色んな思〜い出〜」に命賭けてた。そのくらいしかなかったからねソロが。
 
そうそう、この時期はJUMP自体も絶望的に落ち込んでて、矢印コン東京ドームが埋まらなくてJOHNNY'S WORLDの同窓会を開催してましたね。なぜかJUMPコンでえびの新曲を宇宙一早く聴けるという謎の事態。
今考えるとなんであんなに売れてなかったのか本当に謎。裕翔くんが「僕たちから離れないでください…」って挨拶しててすごい悲痛で衝撃的だった。
 
しかしここからHey!Say!JUMPは変貌を遂げていく。
 
 
Ride With Meで、シングルA面で伊野尾慧が初めてソロパートをもらう。
JUMP全員のソロパートがある初めてのシングルになった。これはもう本当に嬉しくて飛び跳ねた。リアルに飛び跳ねてた。ここがいわゆる「伊野尾革命」の始まりだったのではないかと、個人的には思う。
 
 
100秒博士アカデミーっていうダウンタウンさんの番組で、伊野尾慧が地上波レギュラーを獲得する。
薮くんも一緒だった。この頃は大学生組ってことでいのやぶが色んな番組にセットで出てました。Qさまとかネプリーグとか。いのやぶ厨だったわたしは心底楽しかったですね…………!
100アカは伊野尾くんに超!レア!だった地上波ロケを与えてくださった番組でもある。伝説の洞窟ロケである。あの日はまじで放送10分前に身の回りのこと全て済ませて、テレビの前に正座して見てた。最終的には土下座になった。TBS様!!
 
 
「山田涼介と仲間たち」から9人横並びに変わろうとしている、それも意識的に。そんな時期だったように感じる。
 
 
 

【2014】

ほんとーーーーーにJUMP担楽しかったのが2014年前半。いま下書きとかなしで思い出したことダーッと書いてるんだけど、これは物凄く鮮明。ここが一番楽しかった。
 
 
○伊野尾慧、ドラマ出演が決まる。
ダークシステム〜恋の王者決定戦〜!に!伊野尾慧が!盲目ピアニスト役!インドでオフショルダー着て修行!
これはすごかったよ。ツイッターTLの盛り上がりが尋常じゃなかったよね。みんな赤飯炊いてたよ。確か10年ぶりくらい?だったんだよね…伊野尾がドラマに出るのが…苦節かよ…
 
 
○そして主題歌Aino Arika
これはさあ、わたしはさあ先日のMステのリクエスト回で迷わずこれを入れるくらいに好きな曲。ちょうどJUMPが「ダンスを揃えて大人数を武器にしていこう」っていう方向性の頃で、ザッ、ザッ、ザッて足音が聴こえてきそうなくらい揃ったダンスを見るのが好きだった。音楽番組に出たときに「Hey!Say!JUMPめっちゃダンス揃ってるスゲー!」っていう一般のかたの呟きを見るのも好きだった。揃ってるでしょすごいでしょHey!Say!JUMP!
山田センターを保ちつつ、ドラマ出てる八乙女と伊野尾が両端を支える絶妙なバランスが良かった。9人横並びJUMPを象徴する曲のひとつじゃないかな。
 
 
○ドラマ出演と同じくらい衝撃だったのがスギルセツナ
これ以前って伊野尾ソロパートが少なすぎて文字数で数えてたんですけど、1コンサート15文字くらいだったと思うんです…
そこからの『スギルセツナ』は、まず「繋がらない携帯電話」で、え???ってなる。え?ソロパ?ってなる。既に9文字。そっかーついに伊野尾くんにソロパかーと感傷に浸っていると、襲いかかる「全部夢と知るだけ」。
畳み掛ける「感情ばかり」「No more lonely night」。怒涛のソロパート。なんと22文字と4単語。伊野尾担にとってはこれでも怒涛だった。輪廻転生……風林火山……アーメン……
当時、伊野尾担の友達と、やばくない?ソロパート多すぎない?おかしいよね?って、今度はなぜか逆の心配をしていた。
 
 
あの頃、両手より少し少ないくらいの伊野尾担のフォロワーがいて、伊野尾くんに仕事が決まる度にきゃあきゃあ言い合って赤飯炊いて(エア赤飯)、本気で嬉しくて本気で祝福していた。
多くの知り合いは降りたり別ジャンルに行ったりして、すっかりいなくなってしまった。
 
 
○そして突然の金髪。美容師がTwitterに匂わせ書いて叩かれていた印象が強い。
『なるようになるさ。』通称なるなるは伊野尾くんの染髪童貞を奪ったドラマだった。演技ヘタすぎたけど橋田壽賀子だしいっか、ってなっちゃう橋田壽賀子マジックの力を存分に借りていた。「('A`)きょーこちゃんきょーこちゃん」は全伊野尾担がモノマネして遊んだ(かどうか定かではないがわたしはモノマネした)。
 
 
『Live with me』東京ドーム。このコンサートがJUMPで一番好きなコンサートになった。
『FOREVER』初披露のときの鳥肌が忘れられない。
ちゃんと天井最後列までJUMPだけで埋められたこと(ワンコインチケットとかあったけど)、JUMPを見に来た人たちだけの会場の一体感、RWMの「れっつ(れっつ!)らい(らい!)」のコールが活気に満ちていたこと、「Surviveするため誰か蹴落とす?No Way!」の箇所を薮くんが超力強く訴えてたこと、覚えてる。覚えていようと思って必死で焼き付けた。
ちなみにあれだけ推してたあいありは、1日目はMC前に踊ってくれたけど、2日目には無事お手振り曲に転生しました。ダンスバージョンが映像に残らなかったことは根に持ってます。1日目が完璧だった。
 
 
○伊野尾慧、茶髪でMステに登場。
『smart』発売時のMステにて、伊野尾慧が人生初の茶髪を解禁。ちょーーーぜつ似合ってた。可愛かった。可愛さの中に麗しさもちゃんと残してた。なんであの茶髪は良くて今の髪は受け入れられないんだろう。
 
 
『smart』はより横並びJUMPを感じられた1枚だったと思う。
3・3・3のグループは確かじゃんけんで分けたと言ってたような。
愛追I隊は控えめに神だったし(主にオカモトケイトが)、単純にコールが楽しかった(主にオカモトケイトが)。怪盗イエローボイスはやたら山田がエロくしたいエロくしたい言ってて、欲求不満かコイツってなった。スパナイは衣装作ってもらえなくてなんか可哀想だった。しかしああいう手振りは個人的にとても好きです。
 
 
待って、2014年の情報量すごくない?長くない?2014年楽しすぎだな?
 
この年はリトラのクリスマスSPが楽しかった。JUMPとジャニーズWESTがバーチャル彼氏みたいになってディズニーデートするやつ。ちなみにこの頃レコーダーがお亡くなりになりましてこれは消えました。泣き。
 
 

【2015】

○2月、舞台『カラフト伯父さん』主演が発表される。
決定のメールは、確か演習が終わった直後の教室で見た。友達にヲタバレしていなかったわたしは歯茎あたりまで出かけた悲鳴を必死で飲み込んだ。
 
この年の5月は大変忙しくて(ヲタク現場が)、GWはカラフト→滝沢歌舞伎→カラフト、次の週はえびのテレ東フェス?の生放送を見に行き、最終週はえびのアーリーサマーコンサートに行った。
 
初めてグローブ座内部に入った。客席は約700席で、マイクなしでも俳優の声がよく聞こえる。
初めて最前列というものが当たった。近くで見た舞台上の伊野尾くんは、動かない場面では指先が常に震えていて、肩まで力が入っているのが見て分かった。
伊野尾くんが関西弁を頑張っていた。変な関西弁ではあったし、正直芝居が上手いとは言えないものだったけど、伊野尾くんは舞台の上でたしかに頑張っていた。
物語の山場、伊野尾くんが泣きながら独白するシーン(じーちゃんが死んで、仮説住宅でばーちゃんが死んで…のところ)、わたしの母親が泣いていた。
 
桜が舞う中、伊野尾くん、升毅さん、松永玲子さんを乗せたトラックは走り出す。終わりだと思っていた場所が始まりになる。幸せなラストシーンだった。
 
拍手をしすぎて手が痛くなって、掌が腫れるんじゃないかと思った。それでも拍手をやめたくなかった。この荒削りだけども素晴らしい舞台と俳優に、観客ができる精一杯の称賛を。いつまでもいつまでも拍手をし続けたいと思った。そんな舞台は初めてだった。
拍手が止んだ後も、客席にはラストシーンの優しいBGMが流れたままになっている。そのせいでなかなか余韻から抜け出せなくなる。あの劇場の空気感を思い出すと、今でも涙が出てきそうになる。
 
 
 
しかし
 
このあたりからわたしは伊野尾担であることに違和感を覚えはじめる。
伊野尾慧自身に、なのか、自分が伊野尾担であることに、なのか分からない。が確かに違和感が出始めた。
 
 
○夏。伊野尾慧の知名度はうなぎ登りでアップしていく。詳しくは割愛するが、嵐のバーターをたくさん貰っていたためと思われる。
同時に、世間的に「伊野尾慧=可愛い」の方程式が浸透する。
なんか……何がスイッチだったんだろう……事務所の方針?あと岡田J一さんの発言の影響力?明らかにそれまでからはシフトチェンジしているのが分かった。
 
 
『Chau#』はなんであの衣装になってしまったんやろか…20代後半でふわふわ売りは、個人的には受け入れ難かった。知念ちゃん可愛かった。
そんな自分と反比例するように、Twitter上には「Chau#のいのちゃん可愛い😂」の呟きが散乱していた。Chau#はツイートする時気をつけないと「#」以降が全部ハッシュタグ扱いになって読みづらいから注意しろ。
 
そこからの伊野尾慧かわいい売りは『ペットショップ・ラブモーション』『キミアトラクション』「志村どうぶつ園」というように繋がっていていった。伊野尾慧かわいい売りというより、「Hey!Say!JUMPかわいい売り」だったかもしれない。
 
 
「志村どうぶつ園」での猫好きキャラはすごく嫌だった。
伊野尾くんは「じゃむ」と「あん」という2匹の犬を飼っていたはず。猫好きを全面に出して番組に出たことで(本当はそれだけが理由ではないかもしれないけど)、じゃむとあんの話を一切しなくなったことが本当に嫌で悲しかった。
 
茶髪も最初は好きだったのに、マッシュにしてからだんだん受け入れられなくなっていった。不思議だった。相手は同じ人のはずなのに、向ける感情がつい数ヶ月前とは全く違うものになっていた。
世間からは茶髪マッシュの伊野尾慧がすごい勢いで浸透していったことも肌で感じていた。「伊野尾くんのファンなんです」と言うと十中八九「ああ、あの茶髪でマッシュの」と返ってきた。
 
 
○人気(と推し方)に比例して曲中のソロパートも以前とは桁違いに増えた。
そこ、山田くんじゃないの?と思うことがあったりもした。
暗殺教室』のCMが流れる度に、『殺せんせーションズ』の伊野尾くんのソロパート「未来に繋ぐこの地球(こころ)を守れるよ」が聴こえてきた。むしろCMでここを流すことを踏まえての伊野尾ソロパートだったんじゃないだろうか。
「その唇奪っちゃっていいですか?」は『我 I Need You』の中でも一番美味しいパートだろう。
 
正直、ソロパートの増え方には戸惑った。
わたしには、伊野尾くんが今にも離陸しようとエンジンを暖めている飛行機のように思えて、その翼にしがみついていたわたしは振り落とされそうになっていた。
 
ついて行けなかったんだ。
『スギルセツナ』の22文字と4単語のソロパートで大ハシャギしていた自分が馬鹿らしくなった。
 
この頃のわたしは相当歪んでいたもので、「ああ、茶髪マッシュの」と言われるたびに「この人はあの美しい黒髪の伊野尾慧を知らないんだ」とよく分からない優越感のようなものを心の中に作り出した。
わかっていた。無い物ねだりであることは充分わかっていた。わかっていたけれど、黒髪に戻してくれたら何かが変わるんじゃないかとか考えてた。実際には何も変わらなかったかもしれないけど。
たかが髪型ごときで、と思うかもしれないがアイドルヲタクにとって自担の髪型は1コマ講義ができそうなくらい重要な議題なのです。
 
本当はわかっていた。
「伊野尾くんのファンだ」と名乗りたくない自分に気付いていた。
降りる予感に気付いていた。
 
 

【2016】

○2016年度始めから、伊野尾くんはめざましテレビ』『メレンゲの気持ち』と立て続けにレギュラー出演が決まった。『めざまし』はもはや伊野尾慧の代名詞とも言えるかもしれない。
 
Twitter上のたくさんの伊野尾担の子たちが盛り上がっているのを、わたしは横目で見て、自分はほとんど何も呟かなかったように記憶している。「すごいなあ」とは思うものの、「楽しみ」だとか「おめでとう」だとかそういう事は思っていなかったと、記憶している。
 
 
あのですね正直ここから特記すべきことが見つからない。
ツアー「DEAR.」も年末年始のドームを含めて5回くらい入ったけど、一番楽しみにしてたのはありやまの『My Girl』だったくらいだ。
 
伊野尾慧への興味が薄れていくのを自覚しながら、それでも仲が良いHey!Say!JUMPは好きで、何より母親が山田担だったこともあり、JUMP担は辞めたくないなあと思っていた。
『UNION』とか『Come Back...?』の八乙女光くんの書く詞とか、バカさとのギャップとか、細マッチョ加減とかが好きだったので、八乙女光に降りることも一時期本気で考えてた。JUMP担を辞めたくなくて。
でも結局、伊野尾担以外にはなれないなあってなって、伊野尾担というよりHey!Say!JUMPの仲良いところ担みたいな変な時期だった。
 
 

【2017】

伊野尾くんにほとんど興味がなくなった。つまり不満も言わなければ沸きもしない。「好きの反対は無関心」という言葉がやけに説得力を持って感じられた。
でもわたしは悪いことじゃないと思っていて、Twitterや現実世界でマイナスの感情を吐き出すよりは、今はずっと良い状況なんじゃないかと思っています。
 
ピーチガール』は結局見に行かなかった。去年はエキストラに応募までしたのに。外れたけど。
 
I/Oツアーは全滅しました。JUMP担になって今回初めて全滅というものを経験しました。チケットの神様が「こんなモチベ低いやつに当選させるわけにいかん」って言ってるのかもしれない。相場やばくないですか今回……みんな冷静になって……
チケットを探す気もなくて、一回も入らないツアーはJUMP担になって初めて。
 
本当は横アリ入って、それで伊野尾担は降りようと思ってた。今までズルズル担当を続けて、ケジメみたいな、編集点みたいなタイミングが欲しくて、そこで降りようと考えてた。ちょうど10周年なのでここで降りようと決めた。理由はキリがいいから。
 
ツアーは入らないけど、きっと秋冬に東京ドームがあるんじゃないかと踏んで、そこでさよならかな?
だから、タイトルを「担降りしました」ではなく「担降りします」にしました一応。
 
 
 
 
 
 
 
わたし自身の伊野尾慧年表はざっとこんな感じです。印象深いところだけを抜粋しましたので、抜けている仕事などもあるかと思いますが大目に見てください。
日本でトップ10に入るんじゃないかと思うくらいクソ長いこんな愚痴を最後まで読んでくださった方は、きっといないとは思いますが、もしいらっしゃったら、ありがとうございます。
 
母親から「あんたってマイナーな人が好きなんだよ」と言われたことがある。そうかもしれない。少し売れてない人を応援して、その人が売れていく過程が好きなのかもしれない。頑張った人が成果を出していく、というのはとても希望がある。
 
伊野尾くんが売れた(=応援の必要がなくなった)からなのか、茶髪だからなのか、薮くんとあまり絡まなくなったからなのか、あるいはその全部が少しずつ重なって、伊野尾慧担当であることに楽しさを見出だせなくなった。
 
でも楽しかったことは書き出したら止まらないくらいあるし、良いものたくさん見せてもらった。結論としては伊野尾担やってて良かった。そこに行き着くのだ。
 
楽しい思い出をありがとう。陰ながら活躍を見守ります。またいつか会いに行くかもしれません。それまでさようなら。
 
 
 
 
2018年1月 追記
 
年末の東京ドーム入ることができました!
つきましては、無事に、と言ってはなんですが担降りしました。
セトリも演出も最高でした。このコンサートでお別れできて幸せです。
 
とは言ってもコンサートは当たればまた行くかもしれません。
なのでさようなら………もとい、またね!伊野尾くん!!
 
 
 

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美しくないですか…!黒髪の伊野尾くん…!