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『Dear Butterfly』考察 ~逢坂壮五の変化について

 

わたしはMEZZO”の曲が大好きだ。

純粋に曲だけで言えばアイナナ楽曲ワンツースリー独占する勢いで好き。

 

現在リリースされているMEZZO”の楽曲は6曲。

 

・miss you...

・恋のかけら

・Dear Butterfly

・月明りイルミネイト

・雨

・甘さひかえめ

 

である。

MEZZO”の曲はほとんどが恋愛のことを歌っている。

『miss you...』や『恋のかけら』はめちゃくちゃキュンとするし、『雨』は不倫を想起させる、大人の恋愛の歌になっている。

 

 

 

しかしこの中で唯一、恋愛についての歌詞ではないのが、『Dear Butterfly』という曲だ。

 

この歌詞がどんな内容か端的に言うと、

【壮五は音楽が好き。環は王様プリンが好き。好きなものは好きって、他人の目を気にせず言おうぜ】

です。

 

 

 

この曲は第3部で登場するが、同時期のMEZZO“、特に逢坂壮五の心情を描いている。

今回は、逢坂壮五のバックグラウンドについて踏まえた上で、『Dear Butterfly』の歌詞を考えていく。

 

 

  

 

ストーリー3部における逢坂壮五の変化

3部の壮五は何が大きく変わったのかというと、【音楽という「好きなもの」に対する意識】である。ここでは順を追って 壮五の変化について見ていく。

 

壮五の承認欲求

3部中盤の山場は、壮五の存在が父親に認めてもらえるかどうか、であった。

 

壮五は自分の好きな「音楽」と「叔父である逢坂聡」を逢坂壮志に認めてもらうことで、「自分の存在」そのものを認めてもらおうとした。(16章5話~17章2話)。

 

壮五は【自分の好きなものを他人に認めさせ、自分の存在そのものを肯定させたい】という、ある種の承認欲求を強く持っていた。

 

ナギの言葉を借りれば「好きなものにイエスを求め、ノーと言われれば傷つく。愛するものを否定されれば、傷ついた相手は名誉を守るために戦います。」

壮五は幼い頃、叔父が亡くなった時からずっと、音楽に「ノー」と言われ続け、傷ついていた。だから、逢坂壮志からの「イエス」を求めて、家を飛び出して戦っていた。

 

 

 

環のメッセージ

壮五が持つ、例のある種の承認欲求に壮五自身が気付いたのは、環との会話の中でのことだった。

環「あんた、みんなに俺を褒めてほしいんじゃんな。叔父さんを褒めてほしかったみたいに」

壮五「初めて気づいた。僕はずっと、自分の好きなものを褒めてほしかったんだ。」

環「あんたがどんなに立派でも、あんたの好きなもん、笑うやつは笑うよ。遠慮しないで好きなものは好きって、大声で言えばいい。いいとか悪いとか、正しいとか間違ってるじゃなくて、あんたが好きなもん好きでいいんだよ。」(10章3話)

 

この「褒めてほしい」っていうのは、「壮志も音楽や聡を好きになる」とか「壮志も音楽をやるようになる」とかのニュアンスが入るのだと思う。

つまり、壮五は他の人にも音楽を好きになってほしくて、音楽を受容させたかった。

環が言ったことはその逆。「皆が皆、音楽を好きだとは限らない。だったら他人の目を気にして、自分の好きなものを抑圧する必要なんてない」と。

 

壮五は、この環の言葉がきっかけとなって、他人の目を気にせず「音楽が好きだ」と、「作曲がしてみたい」と主張できるようになった。

「好きなものを褒めてほしい」という、例の承認欲求に囚われなくなった。

 

 

 

友人になる努力

この環の言葉以降の壮五は、壮志に音楽を受容させることよりも、壮志と「同じテーブルについて友人になる努力」をすることにシフトしていった。

好きなものを褒めてもらうための戦いなど、意味がないと分かったからだ。

 

では、友人になるということは、具体的にどういうことか?

 

先述のナギの「好きなものにイエスを求め、ノーと言われれば傷つく。愛するものを否定されれば、傷ついた相手は名誉を守るために戦います」というセリフは、こう続く。

「好きなものを否定されても戦わないためには、友人になることです。愛する友人の言葉なら、否定も肯定も、理解しようと努力します。ワタシたちは生まれた国や性別、言語、愛するもの、憎むものが違っていても、友人になることで解決していける、社会性の高い幸福な生き物です。」

 

友人になるということは、相手と同じものを好きになり、同じものを憎むことではない。

それは友情ではなく、宗教や洗脳という。

友人になるということは、相手のありのままを認め、違う人間として受け入れることだ。

違う人間とは当然、完全に理解し、分かり合うことはできない。

だが、分かり合うことはできなくても、認め合うことはできる。

つまり、「わたしはこう思うけど、あなたはこう思うんだね。違う考え方だけど否定しないよ」ということ。

 

友人になるということとは、完全に分かり合おうとすることではなく、「分かり合えない」ことを受け入れ、ありのままの相手を認めることだ。

 

環も壮志に言っていた。

「なんで違う人間を認めてやらねーんだ」って。

これは「壮五と友人になってやれ」と同義。

 

 

 

壮五の意識の変化をまとめると

・「好きなもの(=音楽と叔父)を褒めてもらいたい」という承認欲求を満たすため、家を出て家族と戦っていた。

・環からの「いいとか悪いとか、正しいとか間違ってるじゃなくて、あんたが好きなもん好きでいいんだよ」という言葉で、例の承認欲求から解放された。

・そして、壮志と同じテーブルについて話し合い、「友人になる」努力をした。

 

壮志が壮五という人間を認めたかというと……微妙である。

結果として、TRIGGERのライブのためにFSCホールと7000万円という費用を貸してはくれたが、壮五の勘当が解けたわけではない。

しかしここから分かるのは、壮志が「音楽を否定しなくなった」ことだ。

 

壮志が、壮五の好きなものを認めた…とまでは行かないまでも、否定はしなくなった。

これから逢坂家は話し合いを重ねていき、(音楽を手放しで肯定まではしないが)壮五自身を認める、という風になっていくだろう。

 

 

  

壮五が自分を好きになるために

父親である逢坂壮志の策略により、1人でラジオに出演した壮五はこう語った。

「自分のことも、自分がいる環境も、自分の性格も、僕は好きじゃなかった。間違えるのが怖くて、いつも不安で、人の顔色を窺って……だけど好きな音楽を聴いている時は自分を好きでいられたし、好きなアーティストを応援している時は自分に自信を持っていられた。僕はずっと、自分のことが好きになりたかった」(17章1話)

 

壮五が自分を好きになれなかった原因は、壮五の家庭にあることは、言わずもがな。

壮五「僕の家は否定の繰り返しだった。父は叔父を否定して、叔父が好きだった音楽を憎んで…僕は叔父を否定した家族を好きになることができなかった。家族を否定し続けていた。」(13章3話)

 

壮五は、家族を否定し続けた自分自身も、好きになることができなかった。

それは家族が壮五の好きな音楽を否定したのと、同じことだったから。

 

壮五は「ずっと自分を好きになりたかった」。

そのためには次のような段階を踏む必要があった。

 

父親に音楽、逢坂聡、壮五自身の存在を認めさせる

壮五が父親をはじめとする家族を許す

壮五が家族を否定していた自分自身を許す

壮五が自分を好きになる

 

壮五が自分を許し、自分を好きになる。

そのための段階として、壮志に「音楽」を認めさせる必要があった。

 

 

 

 『Dear Butterfly』は、ナギの解説によれば「みんなの好きを大切にする歌」。

壮五は音楽が好きで、環は王様プリンが好き。それを理解してくれる人も否定する人もいる。

だが、たとえ理解できなくても、愛するもの、憎むものが違っていても、お互いが友人になり、相手を理解しようと努力することで解決できる。

 

『Dear Butterfly』に表されるメッセージは、この

【人それぞれの「好きなモノ」を否定せず認める】

ということだ。

誰が認めようが、けなそうが、他人の目なんて気にせず、好きなもんは好きだと大声で言えばいい。

この環の言葉が『Dear Butterfly』のテーマだ。

 

 

  

 

『Dear Butterfly』歌詞について

以上、逢坂壮五というキャラクター……特に「音楽」という、好きなものに対する意識をよく把握した上で、歌詞を読んでいく。

歌詞からの引用は赤字で示す。辞書的な言葉の意味は〈〉でくくる。

 

Dear Butterfly

作詞:真崎エリカ

作曲:渡邊俊彦

 

(環)そんな眉寄せた 顔をしないでさ

(環)心配するよりも 目と耳 澄ましてみようよ

(壮五)ほら流れ出す Music スピーカーから

(壮五)憧憬 あの頃と変わらない 恋したメロディ

1番は「壮五と音楽」の歌詞。

憧憬=〈憧れる気持ち〉。叔父の音楽に憧れたあの頃と変わらずに、壮五は音楽に恋している。

 

(環)小さなざわめきは

(壮五)ココロが羽ばたく音

Ah いつも僕らのなかにいるよ

この曲では「ざわめき」は何か嬉しいことが起きた時に心が揺れることを表す。

この「ざわめき」は、壮五が「作曲をしたい」と初めてやりたいことを言った時のものじゃないかな。やりたいことを言えた壮五の「ココロ」は、嬉しくて「羽ばたこう」としている。

また、「」という「壮五と音楽」を表す語が入る。

 

Maybe Maybe 今気付いたんだ

大切にしたいモノって

当たり前で かけがえない形をしてるね(Only)

Maybe Maybe 今伝えようよ

好きなモノを好きだよって

「遠慮しないで好きなものは好きって、大声で言えばいい」という環から壮五へのメッセージそのまま。

 

その瞬間こぼれてく

笑顔をシアワセと呼ぶから

(環)Understand?

(壮五)Very Good!

環「好きなモノは好きって伝えようよ」

環「わかった?」

壮五「いいね!」

環のメッセージを壮五が受け入れた瞬間がここ。

 

(壮五)なんか憂鬱で 倒れそうでもね

(壮五)結構浮上する理由は 些細なことだよ

(環)ほら舌先で Happy 溶けたとき

(環)単純かもだけど 嬉しい そんな出来事とか

2番は「環と王様プリン」の歌詞。舌先で溶けたものはプリンである。

 

(壮五)小さなざわめきは

(環)日常の隅っこで

Ah 目立たないけどそこにいるよ

ざわめき」=嬉しいことは、僕らの日常のどこか隅っこの方にあって、とても些細で目立たない。あまりにありふれていて、当たり前すぎて、気付かないかもしれない。

そんな「当たり前」にある「好きなモノ」に気付けることこそ、「シアワセ」なのだ。

失くなって初めてその大切さに気付く…とはよく言ったものだが、失くす前にちゃんと気付けたMEZZO“は偉い!偉いよ!

 

Daily Daily 素直になって

大切にしたい人と

気持ち語り 笑いあえる そんな今日がいいな(We Wish)

Daily Daily 素敵なことさ

ありふれた日々愛しいって

痛みを知るからこそ

尊いと分かっているんだ

ここは、最初は理解し合えず掴み合いになったMEZZO“だからこそ、痛みを知っているからこそ、歌えるんじゃないかな。

 

(壮五)Understand?

(環)Dear Friends.

Friends」が複数形である。MEZZO”がお互いに向けて言うだけなら「Dear Friend」でいいはず。

この歌詞は実はMEZZO”がお互いに歌っているだけではなく、i7メンバー全員に向けた歌なのだと気付くことができる。

 

(壮五)笑顔という (環)Butterfly Effect

(壮五)起こしてみよう (環)君と

(壮五)ここで (環)いつか

(壮五)願おう (環)いつか

大きな未来を――

バタフライエフェクトとは、〈非常に小さな事象が様々な影響の末、大きな結果に繋がるという考え方〉。蝶の羽ばたきが遠くの竜巻発生に影響しているのか?という、気象学での議論が元になっている。

ここでは(誰かの)笑顔が(誰かの)大きな未来に影響を及ぼす、と言っている。

歌詞中で、笑顔は「好きなモノを好きだよって伝えた瞬間にこぼれるもの」。

さらに歌詞中で、環からのメッセージにより「好きなモノを好きだよって」伝えることができるようになったのは、壮五である。

壮五は環の言葉によって、笑顔を獲得した。

ということで、この「笑顔」とは「壮五の笑顔」である、と考えられる。

 

では、誰の未来に影響を及ぼすのかと言うと、直前の箇所でこの歌詞はi7メンバー全員に向けたものだと分かったので、シンプルに「i7の未来」だろう。

【壮五の笑顔がバタフライエフェクトとなり、i7の大きな未来に繋がる。】

 

壮五が堂々と「音楽を好きだ」と言えるようになったこと……イコール「作曲をしたい」と言えたことが、i7の未来を大きくする。

(この考えは今後の物語展開でも重要になってきそう。千が壮五に作曲を勧めた理由が「桜春樹の曲は有限だから」だったからだ。【桜春樹を失った後のi7に未来を与えるのは、壮五の曲】ということになる。)

 

(壮五)涙拭いて見上げたら

(環)見守っている虹のように

(壮五)当たり前で (環)かけがえない

ピースを集めて…(Ah…)

=【i7の7人】を指す。*1

 

MEZZO”にとってi7は「当たり前でかけがえない」「大切にしたいモノ」なのだ。

 

Maybe Maybe 今羽ばたくんだ

ささやかに 日々を 謳って

そして大事な人たちと 分かち合いたいな(Future)

「大事な人」ではなく「大事な人たち」と複数形になっている。「Friends」が複数形だったのと同じ。

MEZZO”は相方だけではなく、i7全員と未来を分かち合いたいと思っている。

 

Maybe Maybe 今伝えたいよ

好きなモノを好きだよって

この瞬間こぼれてく

笑顔をシアワセと呼ぼうよ

Understand?

Very Good!

 

 

 

考察というより、萌えポイントを書き連ねただけになってしまった感が否めない。

 

が、もう少し萌えポイントを語らせてくれ。

 

 

 

IDOLiSH7前提のMEZZO

MEZZO“はご存知の通り、やむを得ない理由によってi7よりも先に、しかも、もう7人ではデビューできないかもしれないという状況の中、デビューした。

 

その2人が「7人で未来を分かち合いたい」と歌っているのだ。

MEZZO”2人だけの未来など考えていない。

あくまでIDOLiSH7の7人が前提としてあってこそ成立する、それがMEZZO“の2人なのだ。

 

 

 

これは実は「MEZZO“」という名前にも言えることだ。

 

音楽用語で「mezzo」は「少し」という意味。

「mp(メッゾピアノ)は「少し弱く」。「mf(メッゾフォルテ)」は「少し強く」である。

 

あるものの量が「少し」だと分かるためには比較対象が必要だ。

つまり、何と比べて「少し」なのか?

 

それは「IDOLiSH7の7人」と比べて、である。

2人だと少しのパワー。7人なら大きなパワー。

 

IDOLiSH7という7人グループが大前提として先にあるからこそ、MEZZO”は活動できる。

IDOLiSH7が無ければ成立しない。

MEZZO“」はそういうユニット名なのだ。

 

とわたしは考えているんですが、本当にこうだったら熱いよね。泣ける。

  

 

 

 

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