消えていく星の流線を

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デフォで重め

ひび割れたアスファルトに花は咲く ~斉藤壮馬さん「in bloom」シリーズ始動

 

配信シングル『ペトリコール』発売と同時に、斉藤壮馬さんアーティスト活動第2章が「in bloom」シリーズから始動しました!

おめでとうございます!!

 

いや2章。はやっ!

始動が早いんじゃあ~~~(〇鳥ノブ)

 

第2章始動にあたり、今までのアーティスト活動について、そして「in bloom」シリーズとのつながりについてまとめてみます。

これまでリリースされた曲を聴きなおし、改めて咀嚼してみると、新章もさらに楽しめるのではないでしょうか。

 

シリーズ1曲目の『ペトリコール』についても別記事でアップしているので、こちらもどうぞ。

 

 

 

 

◆ アーティスト・斉藤壮馬 1~1.5章について

 

>3月に配信したデジタルシングル「エピローグ」でアーティスト活動第1章の幕を降ろした斉藤壮馬の第2章が、

"季節のうつろい"、"世界の終わりのその先"をテーマとした『in bloom』シリーズで動き出します。

 

Information | 斉藤壮馬(SOMA SAITO) OFFICIAL WEBSITE

 

 

章分けについて

ここで一旦、斉藤壮馬さんから語られている「章分け」について整理しておく。

 

第1章

・デビューシングル『フィッシュストーリー』(2017/6/7)

・2ndシングル『夜明けはまだ/ヒカリ断ツ雨』(2017/9/6)

・3rdシングル『デート』(2018/6/20)

・1stフルアルバム『quantum stranger』(2018/12/19)

 

1.5章

・1st EP『my blue vacation』(2019/12/18)

・配信シングル『エピローグ』(2020/3/22)

 

「in bloom」シリーズはこれらに続く第2章と位置づけられている。

 

 

このうち、壮馬さん本人が初めて楽曲制作まで携わったのが、2ndシングル『夜明けはまだ/ヒカリ断ツ雨』のカップリングスプートニクの作詞であった。

 

その後の3rdシングル『デート』では、収録3曲すべての作詞・作曲を手がける。

彼はこのシングルから、シンガーソングライターとして本格的に始動したといえるだろう。この頃から歌詞や世界観については、「内省的」「箱庭的」「ぶっとんでる」などと本人から語られていた。

  

1stアルバム『quantum stranger』では、「世界の終わり」というテーマの片鱗がすでに見えていた。詳しくは後述。

 

アルバムからちょうど1年開いたリリースとなったのが、1st EP『my blue vacation』

これについては「ファーストアルバムで第1章がまとまって、第2章に行くかなと思ってたけど今回は1.5章。OVA的な感じ」(ダメラジ 2019/11/21)とのことだった。

このEPでは、そのもの「世界の終わり」を軸にストーリーを展開していた。

 

この1.5章は、配信シングル『エピローグ』にて終幕。こちらも後ほど詳述する。

  

 

そしてここから繋がる第2章が、今回の「in bloom」シリーズから幕を開けた。

事前に告知されていたこのシリーズのテーマは "季節のうつろい"、"世界の終わりのその先"

 

この2点は、今までの活動においてもたびたび見られた概念である。

具体的に挙げてみよう。

 

 

これまでにおける"季節のうつろい"と"世界の終わりのその先"

 

"季節のうつろい"

『エピローグ』考察 などでも述べたが、壮馬さんのつくる曲は円環的であると感じることが多々ある。

 

その記事でも引用した、エッセイ集『健康で文化的な最低限度の生活』、その最後の文章がわたしは大好きだ。

夏のかおりを吸い込んだら、秋を羽織ろう。冬になったら熱燗を飲もう。そういう円環の中にたぶんぼくはいて、これからもそれが続いていくのだろう。

そんな、健康で文化的な、最低限度の生活がね。

 

 季節は、春から夏、秋、冬……そしてまた新しい春へとめぐっていく。

そうして円環を描きながら、螺旋のように、時間は前に進む。

壮馬さんの季節観、時間観は、先の文章におおよそ結集されている気がしてならない。

 

 

過去の楽曲では、このあたりから「うつろい」が読みとれる。

うつろいでいる世界から

次にさすらえる季節(とき)までは そう おやすみ

──『デラシネ

 

いつから時代は過ぎ去って

──『Paper Tigers』

 

 

 季節そのものについての表現も、多くはないが用いられていた。

にはまだすこし早いが

──『デラシネ

 

の朝って綺麗ね

──『結晶世界』 

 

・薄紅にけぶるかな

・光が 花になっていく

──『エピローグ』 

この「薄紅」の「花」は、ジャケットにも描かれていた「」だと考えられる。

 

 

また、やや話がそれるが、すこし前に「秋がなくなってしまった世界をテーマに小説を書いている」と語っていた壮馬さん。

各位ーーーーーー!!

関係者各位ーーーーーーっっ!!!!!

読みたいんですけど!

どこに要望出せばいいですか!?

 

 

 

"世界の終わりのその先"

「世界の終わり」というテーマについては、実は壮馬さんが学生時代から意識していたものだったようだ。

そのころのぼくには、小説や曲を書く際、自分に課している共通のテーマが3つあった。それは、

〈(過剰な)センチメンタリズム〉

〈世界の終わり〉

そしてもうひとつは……

おっと、忘れてしまった。

 

──『健康で文化的な最低限度の生活』「我が愛しのバードランド」より P.79

 

「世界の終わり」のテーマは『quantum stranger』以降に多く見受けられた。アルバム以降についてはこの項で補足する。

 

 

『quantum stranger』には、「世界の終わり」や「退廃」、また「時間の移ろい」といったテーマが見える曲が含まれる。

 

カタストロフィ 素敵だね

──『sunday morning(catastrophe)』 

【カタストロフィ】大きな破滅。物語における悲劇的な結末。

 

クトゥルフ神話と世界の終わり

 

ああこんな素晴らしい世界の果てに来たのならば

──『レミング、愛、オベリスク』 

 

輪廻の果て見たって

──『光は水のよう』 

 

 

『結晶世界』の元ネタである同名の小説では、やがてすべてのものが融けあい、美しい結晶と化し、世界は滅亡へと向かってゆく。この世界観は楽曲のなかでも踏襲されている。

>退廃的かつ内省的なこの曲

 

 

細かい歌詞についてなど、詳しくは以前の記事へ。

──「◆世界観について」を参照

 

 

 

 

▼記憶に新しい1st EP『my blue vacation』では、「世界の終わり」というコンセプトをさらに色濃く打ち出していた。

 

>アルバムタイトルを『my blue vacation』にしたのも、“もしも世界が終わるなら、それまでの時間って最後のバケーションじゃない?”というニュアンスなんです。

 

斉藤壮馬、音楽への偏愛を語る「ピート・ドハーティの言葉には魔法がある」 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)

  

>世界の終わり、おやすみ、センチメンタリズムなどをテーマにした物語たち

 

 

──「◆『my blue vacation』楽曲について──全体的所感」を参照

 

 

 

 

▼そして、この1~1.5章の一連の物語のしめくくりとされたのが、配信シングル『エピローグ』である。

『エピローグ』は「in bloom」シリーズと直結している可能性が高いので、押さえておきたい。

 

・エピローグのその先へ

・幕が下りた芝居ならば 新しいプロローグへ

──『エピローグ』 

 

──「◆円環と再生につながる『終わり』」を参照

 

 

この「エピローグのその先」は、「in bloom」シリーズのテーマ "世界の終わりのその先" とまさに言い換えることができる。

 

 

つまり「in bloom」シリーズは、今までの音楽活動の流れをくんだうえで、直接的に繋がっているはずである。

『エピローグ』の歌詞にあったとおり、壮馬さんは第2章の「新しいプロローグ」を提示してくれたのだ。約束は守る男、それが斉藤壮馬

 

 

 

◆「in bloom」シリーズについて

さて、本題の「in bloom」シリーズについて。相変わらず前置きが長えな。

 

※ 2020/7 追記

太宰治の『ろまん灯籠』を読んでたら、「皆ハッピーエンドめでたしめでたし、っていうけど知りたいのはその先どうなったかでしょ?」っていうセリフがあって、これだ!と。じゃあ世界の終わりのその後ってどうなるんだ?って思ってた。‬


‪「in bloom」は「満開で、咲き誇って」という意味だが、そのシリーズを始めるにあたってはちょっと雨降らしときたいなと。もともと雨も好きだし。‬
‪そこから後付けですけど「季節のうつろい」、夏と秋の間とかすごく好きなんですけど、でもそれってあまり名前がないもの。名前がない感覚とか感情とかに、名前をつけるんじゃなくて、曲をつけていけたら楽しいんじゃないかなと。‬

ミューコミプラス 2020/7/2 放送)

 

実際の文章が以下。

恋愛の舞踏の終ったところから、つねに、真の物語がはじまります。めでたく結ばれたところで、たいていの映画は、the end になるようでありますが、私たちの知りたいのは、さて、それからどんな生活をはじめたかという一事であります。

 

太宰治 ろまん燈籠青空文庫

 

 

 

「in bloom」シリーズ──"季節のうつろい"

今シリーズは「この夏3曲連続リリース」と発表されている。

『ペトリコール』は「雨」がテーマの楽曲。

 

日本には四季がありますけど、梅雨とか、夏のような秋のような時季とか、そういう曖昧な季節を感じられればいいなと思って。

(ダメラジ 2020/6/17放送) 

 

梅雨時期である6月に雨の曲をあてたということは、のこり2曲もその月・季節に合わせた楽曲をリリースしていくのだろう。

 

このように楽曲と現実世界の季節をリアルタイムで連動させることによって、リスナーは"季節のうつろい"を味わうことができる。

「in bloom」シリーズは恐らく、そういう一連のプロジェクトになっていくのだと思う。

 

 

「in bloom」シリーズ──"世界の終わりのその先"

"世界の終わりのその先"については、破滅したあとの世界の在り方がまず大きなポイントになるだろう。すなわち、この2択である。

・荒廃した状態をそのまま保っている

・再生する 

 

ここで、表題されている「in bloom」について考える。

【(be)in bloom】英:(花が)咲いて、真っ盛りの

 

某劇団員育成ゲームみがある。

 

世界が破滅してしまったにもかかわらず、花が咲き誇っているということは、世界は「再生する」ほうの解釈でよいのだろう。

 

 

壮馬さんがいうところの「世界の終わり」は、少なからず「浄化」の意味を含んでいる、とわたしは感じている。

これは『レミング、愛、オベリスク』や『memento』でも感じとれた設定だ。

 

「in bloom」シリーズの世界観としては、人間が駆逐されて植物が蔓延るようになった……みたいな感じだろうか?

この「"季節のうつろい"と"世界の終わりのその先"」という世界観が、3曲、あるいはその先までどう繋がっていくのか、楽しみである。

 

 

 

メモ:視点について

「世界の終わりのその先」について──

世界が終わっているにもかかわらず、その先が見られるってどういう状態なのだろう。

その歌を書く人(=壮馬さん)は世界の一員ではないの?

神なの? 神的視点から客観視しているの?

三人称なの?

 

この疑問はのちに回収されるかもしれないので、メモしておく。

 

 

 

 

 

以上、斉藤壮馬さんのこれまでのアーティスト活動まとめと、第2章のはじまりである「in bloom」シリーズについてでした。

 

今は紫陽花の季節ですが、これから向日葵や朝顔などが咲く季節になっていきますね。

壮馬さんの音楽の物語第2章がどんな花を咲かせていくのか、今から非常に楽しみです。

 

 

 

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