消えていく星の流線を

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デフォで重め

【in bloom シリーズ】斉藤壮馬さん『ペトリコール』考察

 

このたび6月27日、斉藤壮馬さんの配信シングル『ペトリコール』がリリースされました!

おめでとうございます!

この曲は斉藤壮馬さんのアーティスト活動第2章と表する「in bloom」シリーズ 第1弾

今回はこのシングル『ペトリコール』について、ワクワクバクバク(心臓が)しながら書いていきたいと思います。

 

また、「in bloom」シリーズ始動にあたり所感を書いたので、そちらも併せてどうぞ。

 

 

※ この記事はいち個人の考察によるものであり、曲や作者本人に対して正解を求めるものではありません。

 

 

 

 

◆ 壮馬さんと雨

『ペトリコール』は「雨」をテーマとした楽曲である。

「雨」と浅からぬ縁のある斉藤壮馬さん。まずは過去の楽曲や文章から、壮馬さんの「雨」観をまとめてみる。

 

 

▼楽曲

・あの日もこんなふうに 雨粒がおれの頬を濡らしていた

にはのかたちが

・こので 満たしてよ ねえ

──『レミニセンス』 

 

がしとしと降ってるね

──『ペンギン・サナトリウム』 

 

・しめやかに が肌を濡らしたんだ

・しめやかに が肌を包み込んでいく

──『エピローグ』 

 

 

▼エッセイ集『健康で文化的な最低限度の生活』

雨が降っていて、だから引きこもることにした。……これは、もうずっと昔、叔父に貰ったレインブーツだ。……

 

──「レインブーツを履いた日」より 

 

雨のにおいがして、その通りになった。……もうほとんど人気はなくて、まるでぼくらだけが永遠に雨の校舎に閉じ込められてしまったかのように思われた。……もうしばらく、この雨が続けばいい。そう思った。

 

──「雨、校舎、永遠について」より 

 

 

こうして見ると、壮馬さんは雨に対してある種の心地よさを覚えていることが感じとれる。

そして『レミニセンス』では、主人公は雨をきっかけに「あの日」の記憶を思い起こしている。

エッセイから引用した2つの章においては、「雨」が壮馬さんの幼少期の記憶と結びついている。

 

壮馬さんにとって雨というものは、いつかの記憶を呼び起こす、ノスタルジックでエモーショナルな存在なのではないか、とわたしは感じている。

 

 

 

◆ シングル『ペトリコール』について

さて、いよいよ『ペトリコール』という楽曲についてです。

 

>ダークでポップ、そしてどこかサイケデリックな楽曲

と、事前に紹介されていたこの曲。

 

自分としては不思議な曲。アレンジャーさんとかにも「意味わからなかった」って言われた。転調とかがめちゃくちゃらしい。

リフが特徴的。

低くてウィスパーで歌いにくい。

聴く人によってはホラーみがある。いろんなイメージをもってもらえる。

2章への橋渡し的な内容。今までにないような味わいもある。

(ダメラジ 2020/6/17放送) 

 

Twitterを見る限り、本当に聴く人によって感じ方が分かれているようである。

わたしははじめのうち終始ポップにしか聴こえなかったが、聴いていくにつれじわじわと不穏さも覚えるように……。スルメ曲おそるべし。

 

 

 

タイトルについて

【ペトリコール】雨が降った時に、地面から上がってくる匂いを指す。ギリシャ語で「石のエッセンス」を意味する。

 

 

わたしたちが「雨の匂い」と聞くと、独特のツンとする匂いをイメージすると思う。ちょっとくさい。

現代におけるこの雨の匂いは、アスファルトの隙間に入り込んだホコリやカビが雨で融けたものといわれている。

 

一方で、「ペトリコール」という言葉が生まれたのは1960年代とされる。雨の匂いの原因物質を追究した論文で使用されたそうだ。

ここでいわれる雨の匂いの成分は植物に由来し、岩石などに蓄積される。そこに雨が当たることで、成分の粒子が空気中に放出され、匂いとして感じられる。そのほか、土壌細菌などもペトリコールの成分とされている。

 

つまり、わたしたちが普段かいでいる雨の匂いと、「ペトリコール」という言葉が生まれた時代の雨の匂いは全然違うものらしい。

 

 

また、この粒子は雨が降りすぎても放出されにくく、だから土砂降りのときはペトリコールを感じにくい。

ペトリコールはしとしと降りのときにのみ、感じられるものである。

 

壮馬さんはこの曲のプロモーションにあたって、たしかに「しとしと降り」という表現を使っていた。

>しとしとぴっちゃんな雰囲気

  

 

先のエッセイにおける「雨、校舎、永遠について」にも、「雨のにおいがして、その通りになった。」という一節があった。

 

そして、壮馬さんのなかで雨は何らかの記憶と結びついていることが多い。

 

香りは五感のなかで記憶と一番密接に関係しているといわれ、これは「プルースト効果」と呼ばれている。

脳は「匂い」に逆らえない。匂いで記憶をコントロールする方法。 - STUDY HACKER

 

壮馬さんが雨によって記憶を呼び起こされるのは、実は雨の匂い──すなわちペトリコール──によるものであると考えると、科学的にも辻褄が合う。

 

 

 

音楽面について

 

雨音の表現

この曲を再生してまず耳に入ってくるのは、雨の降る音である。

これはイントロのメロディーが入る前から始まり、最後まで鳴り続ける。

まずこれが、かなり直接的な雨の表現だといえる。

 

また、終始ジャズっぽいピアノが高音で響いている。

雨とピアノの音は相性がいい。

ピアノは鍵盤楽器であると同時に打楽器である。内部に張られた弦をハンマーで打つことにより音を出す。そのため、弦を打ったあと音は持続せず、先細りし、消えていく。

雨もこれと似ている。地面を打ったあと、跳ねては消えていく。

 

そしてピアノの音は、弦楽器などと比べて丸みを帯びている。

これも弦を「はじく」や「こする」のではなく、「叩く」ことによる効果だ。

その儚さ・丸さがどこか似ているため、雨とピアノは相性がいいのでは? というのがわたしの見解である。

 

壮馬さんで「雨とピアノ」といえば、アルバムに収録の『レミニセンス -unplugged-』でもピアノの高音が印象的に使用されていた。

 

 

 

「雨」のリズム?

イントロから印象的に使用されている、アルトサックスのリフ。

譜面に起こすとこのようになる。

f:id:me_msc_u:20200629154453j:plain

 

この4分音符・付点8分音符・16分音符の組み合わせは、「たったーら、たったーら……」というリズムとなる。

『ペトリコール』を初めて聴いたとき、わたしは往年の「雨」の名曲と似ていると感じた。それが以下の2曲である。

 

・雨にぬれても

 

雨に唄えば

 

 

こちらもそれぞれ譜面に起こすとこのようになる。

f:id:me_msc_u:20200629154627j:plain

f:id:me_msc_u:20200629154653j:plain

 

これを見ると、この2曲にも『ペトリコール』のリフと同じ「たったーら、たったーら……」のリズムが含まれることがわかる。

このリズムは雨の表現でよく用いられるものなのだろうか?

これはおもしろい発見だったと思う。

 

ちなみに、『ペンギン・サナトリウムのギターストロークにもこのリズムが入っている。

(間奏 00:51~00:58・「病室するっと~」・「ペンギンの気持ち~」)

じゃっじゃっ、じゃっじゃーじゃ、じゃっじゃっじゃっ……の真ん中の部分。

 

 

 

※ 2020/7 追記

雨に唄えば』について

上でも触れた『雨に唄えば』について、壮馬さん本人も語ってくれた。

なにそれ。うれしみ。

この曲は『雨に唄えば』っぽいニュアンスがありますが、それそのものというよりもむしろ、『時計じかけのオレンジ』なんですよね、ぼくとしては。
多分この人物本人はすごくいい気分なのかもしれないですけど、はたから見るとどうなのか? という。

 

声優、斉藤壮馬が語る3曲連続リリース『in bloom』と、最新第一弾デジタルシングル「ペトリコール」について。 | HARAJUKU POP WEB


時計じかけのオレンジスタンリー・キューブリック監督による映画。
かなり直接的な暴力表現、エロ表現が出てくる。R-18指定です。

 

この映画には、殺人鬼の主人公・アレックスが『雨に唄えば』を口ずさみながら、ある婦人を全裸にし、辱めたのちに殺すというシーンがある。

このシーンは、映画ファンにとって明るいイメージしかなかった『雨に唄えば』という曲に、狂気的で衝撃的な新しいイメージを植えつけた、映画史に刻まれるべきオマージュといえる。

 

『ペトリコール』から『雨に唄えば』っぽさが感じられることは前述。
しかし実際にイメージされていたのは、『雨に唄えば』そのものではなく、それを狂気的に引用した『時計じかけのオレンジ』のほうだった。

 

『ペトリコール』の主人公はどうやら、たんに雨が好きで、ジーン・ケリーのようにるんるんとスキップを踏んでいるわけではない。なにか裏がある。もしかしたら、アレックスのような殺人鬼かもしれないわけだ。

これが「ホラーみがある」と意図を語っていた所以なのだと思う。

 

次に述べるような、調性について違和感・不穏さがあることもここにつながる。

 

 

 

キーについて

『ペトリコール』はD♭メジャーキー(変ニ長調)である。

♭は5つ、シミラレソ。

 

しかし先ほどの譜面を見てもわかるとおり、イントロのサックスは「ソ」の音がずっとナチュラルしており、キーとしてはA♭メジャーで鳴っている。

それがバックで鳴る「ソ♭」と不協和音を起こす。

そのため、サックスが浮いて聴こえるような、違和感を覚えるのである。

 

 

また、2:23辺りで鳴るピアノの「ラ♮」も大きなポイントだと思う。

これもD♭メジャーキーからは逸脱した不協和音であり、それが高音でかなり強く鳴る。しかもエコー?により音が揺れているため、一気に不穏な空気が出ている。

 

 

 

オクターブユニゾン、ダブルトラックによる効果

今回もオクターブユニゾンが用いられてますね。

・メランコリー しらんぷり みたいです

・この季節のなかに 閉じ込められたの

・(Rap部分)シャボン玉~どうかこのまま踊らせて 

 

オクターブユニゾンには、倍音による独特の浮遊感や、揺らぎを得られる効果がある……という持論。

 

そして、サビではハモリに加え、同じ音程のボーカル2トラックを重ねている(ダブルトラック)。

そうすると同じメロディーではあるが、若干ズレて聞こえる。これによって、音の輪郭がダブって感じたり、空間に広がりが出たりといった効果が得られるようだ。個人的には色収差しているような印象も受ける。

 

『ペトリコール』曲全体のファジーで掴みどころのない雰囲気は、このダブルトラックによる効果もある。

 

ポップミュージックにおける、“ボーカル多重録音”の効果 ジャスティン・ビーバー『Changes』を機に紐解く - Real Sound|リアルサウンド

>異なる時間、空間で捉えられたサウンドを、あたかもひとつの時空にあるかのように上手にうそをつくのがポップミュージックである。

 

↑いろいろ調べてて出てきたんだけど、これ良くないですか?

 

 

 

Rap

前回のEPにおける『林檎』には、印象的なRapパートが挿入されていた。

今回も引き続きRapが入るが、がなるように発声していた『林檎』とは異なり、テイストとしてはかなりポップ、ファジーで、発声もウィスパーである。

 

壮馬さんとラップといえば(n万回目だが)、ヒプノシスマイク」と切り離して考えることはできない。

壮馬さんが演じるのは「Fling Posse」に属する夢野幻太郎。ラップの特徴としては、声帯開き気味でポエトリーリーディングに近い。

 

しかもFling Posseはポップな楽曲と得意としており、『ペトリコール』はどことなく似ているところがある。

例としてこの2曲。

 

・Shibuya Marble Texture -PCCS-

 

・蕚(うてな)

夢野ソロ曲。

 

 

今回、壮馬さんはブログでも「ベースとキックの音をかなり強く出していて、ヒップホップみたいにハードなリズム隊」と言っている。

 

さらに「2章への橋渡し的な内容で、今までにないような味わいもある」とも語っていた。

これがRap部分のことだとすると、今後さらに変化球のRapが仕込まれていくのだろうか?

 

 

 

歌詞について

 

今回は(執筆時点で)公式から歌詞がリリースされていないので、耳コピに準拠して考えていきます。

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ふらふらり 歩きながら

口ずさむ雨だれ らら

街を歩いている主人公。

口ずさむということは、「雨だれ」は音楽?

ここから、ショパンのプレリュード『雨だれ』が思い当たる。

 

 

ちなみに偶然か意図的かは不明だが、『雨だれ』は『ペトリコール』と同じ変ニ長調(D♭メジャー)である。

 

※ 追記

時計じかけのオレンジ』について言及があった。

この劇中のシーンになぞらえているならば、ここで主人公が口ずさんでいるのは『雨に唄えば』ということになるだろう。

 

ちょうどいい曇り空だ

ああ、メランコリイ しらんぷり みたいです 

曇り空」なのでまだ雨は降っていない?

 

【メランコリイ】melancholy(英):憂鬱、哀愁

デラシネにも「メランコリック」と出てきていた。

 

ふつうは、曇ってくると憂鬱な気分になる。

しかし、主人公はメランコリイを忘れており(=しらんぷり)、雨を望んでいるようすである。

 

「メランコリイ・しらんぷり」で韻。

 

石畳をゆく

蝸牛はきっと 流し目

この季節の中に

閉じ込められたの 

「石畳をゆく蝸牛はきっと この季節の中に閉じ込められたの」

という文章に、「流し目」という単語が挿入されたもの。

流し目」は、主人公がかたつむりを横目に見ながら通り過ぎていく、という状況だろうか。

 

石畳、おしゃれ。日本じゃなさそう。パリとか?(思考が単純)

 

かたつむりは梅雨時季に見かけることが多いが、それ以外の季節はというと、冬は冬眠、夏は夏眠をとるそうだ。暑くも寒くもなく、乾燥しない梅雨しか行動できないらしい。デリケートな生き物なんだね。

 

梅雨にしか見かけないかたつむりは、主人公からは「この季節の中に閉じ込められた」ように見えている。

そして明言されていないが、主人公は恐らくこのかたつむりにシンパシーを覚えている。

 

灰色の雨街

レインコート 透けた ほほえみ

透けた」は「レインコート」と「ほほえみ」のどちらにかかるのか?

レインコート」にかかるとすると、レインコートの中からそれを着る人の微笑みが透けて見える、というまあ普通の文脈になる。

しかし「ほほえみ」にかかるのであれば、「微笑みが透けている」……つまり霊的な何かが微笑んでいる、ようにもとれる。

 

「ホラーみがある」と言っていたことから、このセンも考えられるのではないか。

 

狂い咲くような

6月のフレイバー

「ペトリコール」は雨の匂いのことなので、「フレイバー」でタイトルを回収。

 

 

いつまでも かげろうの中

かげろう」(陽炎)は、よく晴れた日に強い日射で地面が熱せられ不規則な上昇気流を生じることで、地面から炎のような揺らめきが立ちのぼる現象である。

 

曇り空」であるこの曲中で、陽炎が見えるはずはない。

 

とすると、これは主人公の記憶のなかの話ではないか。

そう考えると「いつまでも」とも上手くつながる。

いつまでもある夏の記憶のなかにとらわれている主人公……。

 

この季節の中に閉じ込められた」かたつむりに、主人公が恐らくシンパシーを覚えていると述べた。

それは、記憶のなかにとらわれている主人公と、梅雨にとらわれているかたつむりの状況がよく似ていたからだ。

 

陽炎は一般的に夏に起こる現象。

今後リリースされる2曲は、夏~初秋をテーマとした曲になると考えられる。

『ペトリコール』とこの2曲がつながっており、「かげろう」の伏線が回収される可能性もある。

 

※2021/2 ここから追記!忘れてたごめん

思い通りにいかない足取り

ここからRap。

主人公にはやはり、足取りを重くさせる原因が何かありそうだ。

 

・気取り屋さん よりどりみどり

・風に唱えた千変万化

気取った気分で、雨の中を「るる しゃらら」とるんるんしている主人公。

ハイな状態なので、「よりどりみどり」何でもできるように感じて、気持ちが大きくなっている。

 

だから主人公が「風に唱え」さえすれば、世界を「千変万化」、どんなふうにも変えることができる。そういう万能感を覚えている。

 

恐らく、ここでは防衛機制が働いているのでは?

主人公は「メランコリイ」=憂鬱な気分で、足取りが「思い通りにいかない」。そこでわざと気分を上げて躁状態に持ち込むことで、不安感・抑鬱感情を無意識化する。

これは「躁的防衛」という防衛機制の一種。

躁的防衛とは何? Weblio辞書

 

ちなみに、躁的防衛は妄想性障害にともなって起こることもあるそう……。

それを踏まえるとアルバム『in bloom』ともつながってしまいますね!おもしろすぎる!(アルバムのテーマの1つが「妄想」だった)

躁的防衛 (manic defense)

 

鳥のように寄り添い 酔いどりーみん

酔い」について、酒を飲んでるのか飲んでないのかはわからない。

が、たとえシラフでも酔っているような気分で、「どりーみん」=夢見心地である。

 

大路抜けたら しゃぼん玉

【大路】は広くて大きい道のこと。

ここまでは恐らく路地をるんるんしていて、大通りに出た主人公。

しかし、「しゃぼん玉」も本当に飛んでいるわけではなく、主人公にしか見えない幻覚ではないかと思う。

だって、ここでは「」が降っているのだ。雨の状態で、しゃぼん玉を割らずに飛ばせるはずがない。

しゃぼん玉は七色に光ながらふわふわただよう、まさに「どりーみん」な存在。

七色というかユニコーンカラーと言ったほうがいいかもしれない。ゆめかわ、というやつである。

 

雨に唄えば るる しゃらら

これは……先にもリンクを貼った映画『雨に唄えば』ですか?

わたしの大好きな映画だよ。これのことだったら狂喜乱舞しちゃうよ……。

ちなみに映画『雨に唄えば』の中でジーン・ケリーが恋に浮かれて『Singin' in the rain』を歌う有名なシーンでも、ジーン・ケリーは警察官に注意されたりして、ちょっとヤバイ奴という感じで描かれている。

 

晴れはまだこなくていいから

どうかこのまま 踊らせて 

単に、主人公は雨が好きだから「晴れはまだこなくていい」と言っている可能性ももちろんある。

 

だがDメロで、主人公は「ある夏の記憶のなかにとらわれている」と考えた。

主人公の「足取り」を「思い通りにいかなく」させている記憶である。

晴れていると、このときの出来事を思い出してつらくなってしまう。

だから「晴れはまだこなくていい」と思っている……という可能性を推したい。

 

そしてたぶん、雨の強さと主人公の気分は比例している。

雨が降れば降るほど、そして降り続けば続くほど、主人公はハイになっていく。

 

 

体言止めの多さ

今回は今までの曲のなかでも、体言止めがかなり多いと思う。

 

・流し目

・灰色の雨 まち(街)

・レインコート 透けた微笑み

・6月のフレイバー

・シャボン玉 

 

このあたりの箇所が体言止めになっている。

これによって名詞が強調され、写真を1枚1枚撮るように、対象のイメージが強く焼きつけられる。

詩的、写真的であるといえる。

 

ほかに、デラシネ『memento』でも体言止めの表現が見られた。

 

・ゆりかご

・繭

ミーム

・虹

──『デラシネ』 

 

・塔 絡みついた 緑の指

・打ち捨てられた都市

・ひび割れているアスファルト

・まるでそうアースガルド

──『memento』 

 

反対に、『エピローグ』にはほとんど体言止めが用いられず、「きみはもう気配だけ」のみ……というのも今回気づいたことだ。

『エピローグ』は対照的に、小説的、映像的である。

 

 

 

 

 

今回は以上です!

また意外と長くなっちゃいましたね……!

 

ここまでつらつら書いてきましたが!

なんと今回は、ご本人がブログで詳細に解説してくださってます!!

ので、皆さんこちらのライナーノーツを読みましょう(結局)

 

今後リリースが予告されている2曲も、そしてその先も、壮馬さんによる2回目の旅がどんなものになるのか楽しみです。

 

ブログネタがいっぱいだなあ!(笑)

というわけで、近いうちにまた更新します! では!

 

 

 

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