【ネタバレ】映画『リスタートはただいまのあとで』感想 ~居場所があるから、生きられる
9月4日に公開された映画『リスタートはただいまのあとで』を鑑賞しました。
竜 星 涼 く ん が カ ワ イ イ 。
みんな……みんなお願い……『ぐらんぶる』からこの映画はしごして……竜星涼くんの落差を見て……お金払うから
はい。
竜星涼くんの可愛さはともかく、今回は ネタバレあり で『リスタートはただいまのあとで』の感想を書いていきます。
未見の方はブラウザバック推奨。
セリフの引用はうろ覚えです。
◆映画『リスタートはただいまのあとで』とは
小さな田舎町で出会った正反対の二人。あったかくて大切な宝物に変わってゆく
ストーリーはこんな感じ。
10年前に上京したものの(おそらく高卒で就職)、就職した会社でうまくいかず、故郷に帰ってきた光臣。
そこで、近所で農園を営む熊井家に養子としてとられた大和と出会う。
自暴自棄のように、家業の家具店を継ぐと父親に言うも、「どうせすぐ逃げ出すに決まってる。お前には継がせん」と一蹴されてしまう。
仕事も探さずだらだらと過ごしていた光臣だが、ひょんなことから熊井農園を手伝うことに。
そして光臣は、大和の明るさや、その裏に抱える心の闇を知り、大和に惹かれていく……。
BLコミックの実写化。
ホリプロ配給。東京では3館しか上映してないですね。
以下、ネタバレありです!
◆『リスタートはただいまのあとで』感想
たしかに知っている、ノスタルジー
本作は長野県が舞台。ロケも長野県上田市でおこなわれている。
畑と民家しかない風景に、農家のトラックが走る。
働くおじいさんおばあさんたち、話題の中心は町の住人のこと。とりわけ、跡継ぎについて。
「国道の向こうにイオンできたんよ!」と、楽しそうに言う大和。
ファースト・ショットで、路面電車に揺られて故郷に帰ってくる光臣。
そのBGMに流れる『ロンドンデリーの歌』が、エモみを助長する。
『君の名は。』で三葉とさやちんがボヤいていた、「本屋はないし、嫁は来ないし、日照時間は短いし……」といった雰囲気だ。
『君の名は。』の舞台は長野のお隣の岐阜県だったので、風景としても似ているだろう。
そこには、たしかに知っているのだと錯覚してしまうような、強烈なノスタルジーがあった。
わたしの親の実家が東北なんだが、たしかに遊ぶ場所といえばイオンしかなかった。
正確にいうと、わたしが子どもの頃は「ジャスコ」だったので、今でもジャスコと呼んでしまうことがある。
たまに走るトラックの走行音以外に、BGMのない世界。
澄んだ空気と、遠くに見える山々。
娯楽は少ないけれど、幼いながらに、わたしはその場所が好きだった。
この映画はその親と観たのだが、「田舎の風景に癒やされちゃったね」と、上映後に語り合ったものだ。
たんすのバトン
光臣の父が経営する「狐塚家具店」で修理したたんすを、光臣と大和で届けることになる。
その家で、こんな会話があった。
母「この子(長女)今度結婚するから、このたんすを持たせようと思って」
祖母「このたんすは私がお嫁に来たときからあるのよ」
祖父「あんた(光臣)のじいさんが直してくれたんだ。次はあんたが直すかもしれないな」
たんすに込められたこの家族の想いに触れて、光臣は家具店を継ぐことを決める。
──わたしは、ある写真館のことを思い出していた。
それはわたしがいざ就職活動を始めるぞというときに、履歴書用の写真を撮ったところだ。
地元にある、古い写真館だった。
わたしはとにかくやりたいことがなくて、就活が心底億劫だった。
わたしにも家業があればよかったのに、なんて思っていた。継げば、就活をせずに済んで楽なのに……。
そんな気持ちのまま、撮影の日を迎えたわけだ。
お兄さんと二人で写真館を切り盛りしているおじさん(もうお爺さんに近い)が、シャッターをきってくださった。
撮影が終わると、おじさんはふと口にした。
「就職活動っていいなあ、と思うね。」
思いもよらない言葉だったので、わたしは返事に詰まった。
「それって、世界が広がるってことだもんね。
ぼくは高校を出たらここを継ぐって決めてたから、就活する同級生を羨ましく思ったりして。」
それを聞いて、自分を恥じた。
この人に対して、わたしは、なんて失礼なことを考えていたのだろう。
家業がある家庭にも、その人たちにしかわからない想いや葛藤があるのだ、と知った。
そう、そんなことを思い出した。──
このたんすのお話は、純粋に素敵だなと思った。
わたしが光臣の立場でも、店を継ぎたいと思うだろう。
たんすは祖母から母、結婚を控えた娘をつなぐだけでなく、光臣と父という、もうひとつの家族も結んだのだった。
アイデンティティーと居場所について
上で語ったように、この映画は「光臣」と「光臣の父」の絆が大きなテーマのひとつである。
そしてこれは、もうひとりの主人公「大和」と対比になっているのだ。
大和は親に捨てられ、施設で育った。
ここから以下の構造が読み取れる。
・父親と和解した「光臣」
・親がいない「大和」
光臣が店を継ぐと決めた直後に、大和の家庭事情が明らかになることから、2人の対比が浮き彫りになっている。
思うに、親の存在というものは、子どもにとって、人生で最初に与えられる分岐点である。
しかもそれは、生まれながらに義務づけられた避けられないものであり、かつ、途方もなく大きな分岐なのだ。
親はまず子どもに、大きく2つのものを与える、とわたしは思う。
・自分がどこから生まれた何者なのか、という「アイデンティティー」
・家族という「居場所」
大和は、この2つともを持っていなかった。
熊井の爺ちゃんに養子にとられ、家を得たが、それも仮初のものでしかない。
「アイデンティティー」を探す大和は、東京・葛飾区──赤ちゃんだった大和が拾われた場所──まで出てきて、戸籍謄本を発行する。
親が誰なのかを知るために。
結局、戸籍謄本に両親の名前は記されていなかった。
だが、そこで大和は、自分の名前が施設の人につけられたのではなく、親からつけられたものだったと知る。
光臣は大和に言う。
「名前は、親が最初にくれるプレゼントなんだよ」
こうして大和は、たったの片鱗かもしれないが、「アイデンティティー」を手にした。
残るは「居場所」である。
大和は居場所を持たないだけでなく、それを自ら作り出すことを怖がっている節があった。
「俺、結婚はしないって決めてるから」
「怖いんだ……。人を好きになれる自信、ないんだ」
光臣は、大和と同じ施設で育った涼子から、ヒントを教えられていた。
「親がいない子どもってさ、愛し方がわからないんだって。
愛された記憶がないから、愛された時の返し方がわからない」
人の愛し方がわからない大和に、真っ直ぐ「好きだ」と伝えた光臣。
そして映画のラストでは、大和も光臣の想いに応える。
大和は光臣という「居場所」を得て、愛し方を知っていくのだろう。
◆総評
東京に出たものの、納得いく仕事ができず、故郷に帰ってきた光臣。
施設で育ち、どこか心のシャッターを下ろしていた大和。
自分が何者かわからない──そんな苦しみは、だれもが一度は味わったことがあるかもしれない。
居るべき場所を探す2人が、ある田舎で出会った。
そして光臣は心からやりたい仕事を見つけ、大和は愛を見つける。
これは、根無し草だった人たちが、居場所を見つけていく映画なのである。
◆映画『リスタートはただいまのあとで』:公式サイト
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