消えていく星の流線を

消えていく星の流線を

デフォで重め

斉藤壮馬さん「in bloom」シリーズに寄せて

 

ひやっとした風を感じると、徐々に冬のワードローブを思い出す。

そういえば、去年、カーキのトレンチコートを買ったな。

そういえば、マフラーはタータンチェックとブルーの無地の2枚を着回していたな。

押し入れから冬服を引っ張り出しながら、今年の精鋭を選抜する。もう着なそうな色のニットは売るか捨てるかして、新しいものを買う。

 

そうしているうちに、夏のワンピースはどんなものを持っていたか、だんだん忘れてしまう。

だけど半年後、春から夏になろうとする頃に、やはり夏のワードローブを思い出す。

 

そうして、いろんなものを忘れながら、変わりながら、季節はまわっていく。

 

 

斉藤壮馬さんの「in bloom」シリーズは、季節に合わせた3曲を連続配信リリースするという、コンセプチュアルな試みだった。

 

>1曲ずつリリースできる利点といえば、リアルな季節に合わせた楽曲をリリースできること。

>聴いてくださった方も、「今の曲だ」と感じてくださったのがうれしかったです。

 

斉藤壮馬インタビュー 第2章からは「自分を解き放つ」ことにした理由 & 『Summerholic!』・9月新曲『パレット』の楽しみ方 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

 

6月の『ぺトリコール』

8月の『Summerholic!』

そして9月の『パレット』

この3作は、どれも全く異なる世界観と味わいを見せていた。

 

そして今回はわたし自身も、1.5章までとはまた違った感覚に触れられた気がしている。

今回はそんな「in bloom」シリーズに寄せて、ちょっとだけ文章をのこしてみることにした。

 

 

  

 

◆季節はグラデーションを描く

突然だが、わたしは和菓子や和スイーツが好きである。

みつまめや抹茶パフェなどの甘味は、たぶん、そんじょそこらの人よりはかなり食べていると自負している。

学生時代には和菓子屋さんでバイトをしていた。そこで、季節ごとに入れ替わっていくお菓子を見るのが好きだった。たとえば、

春は桜道明寺。こどもの日には柏餅。

初夏は若あゆ。夏は水ようかんやわらび餅。

お彼岸にはおはぎ。秋はさつまいも饅頭。

冬はいちご大福、新年には花びら餅。

ものすごく楽しみにしていたわけではないけれど、新しいお菓子が入ってくるたびに、「もうそんな季節か」と感じられる、心地よい空気がそこにはあった。

 

 

壮馬さんはこの和菓子と同じことを、音楽によって試みていたように思う。

清少納言が「春はあけぼの、夏は夜……」と綴ったような。ヴィヴァルディが『四季』を作曲したような。それは多分、とても普遍的なテーマだった。

 

だけど壮馬さんは、清少納言やヴィヴァルディと違って、季節を4つのカラーにぱきっと分けることはしなかった。

 

>梅雨とか、夏と秋の間のあの一瞬とか、そういう感覚を曲にしていきたいな、と。名前がないものに、単に名前をつけるのではなくて、その概念自体を曲にしていくというような作業が好きなんです。

 

声優、斉藤壮馬が語る3曲連続リリース『in bloom』と、最新第一弾デジタルシングル「ペトリコール」について。 | HARAJUKU POP WEB

 

ああ、そうか。「四季」とはいうけれど、きっと季節は4つだけではないのだ。

白と黒のその間に、無限の色が広がっているように。一日ずつ、一瞬ずつ、空気や時間は移り変わっていく。

一瞬たりとも、同じ状態でいるものなんて存在しないんだ。

 

これはきっと当たり前で、だけど当たり前すぎて見えていなかったもの。眼鏡をかけている人が、その眼鏡自体を見ることはできないような。

壮馬さんはいつも、こうして新しい視点をくれるのだ。

 

 

 

◆かなしいだけではないのだと思う

 

子どもの頃から、ある感覚をもっていた。

「生きることは死に向かっていること」だという感覚。

生物は生まれたその瞬間から、「生きる」のではなく、「死に向かって歩きはじめる」のではないか?

誰に言うでも、言われるでもなく、そんなことをよく考えていた気がする。我ながらいやな子どもだ。

 

要するに、人生は真っ直ぐな一本道で、生まれたとき──すなわちスタート地点から、死ぬとき──ゴール地点まで、一直線に歩き続けるだけなんだ、と感じていた。

今思えば、これが「直線的時間」という考え方だった。

 しかし、世界はそんなに単純じゃない、と気づいたのも、恥ずかしながらわりと最近だ。

 

日本を含む仏教圏は、もともと時間を円環的にとらえる傾向がある。

 

>世界全体に関しては、我々日本人は、円環的な時間の観念を抱いている。

世界は永遠に流転するというのが、我々日本人の基本的な考えなのだ。

 

直線的時間と円環的時間:時間と精神病理

 

直線と違って、円のかたちには始まりも終わりも存在しない。

円環的時間は途切れることがない。これは「永遠」といってもいいだろう。

 

 

このブログでも何度か述べたように、壮馬さんの作る楽曲には「円環的時間」の概念がたびたび含まれていた。

 

*『C』は、タイトル自体に途切れた円環の意味が含まれている。

>「C」という文字はビジュアル的に円が欠けているように見えて……

 

斉藤壮馬3rdシングルインタビュー後編|音楽的考察から見えた音楽作りを楽しむ探求心 | アニメイトタイムズ

 

*『quantum stranger』は、シークレット・トラックの『ペンギン・サナトリウム』から1曲目の『フィッシュストーリー』につながり、アルバム全体が円環構造になっている。

*『エピローグ』では、「エピローグのその先」には「新しいプロローグ」があるとされていた。

 

「in bloom」シリーズは、このように少しずつ張られてきた「円環的時間」の伏線を、集大成的に回収していた気がしてならない。

季節は円環にそって繰り返す、その象徴的なものではないだろうか?

 

 

また、「in bloom」のテーマのひとつである「世界の終わりのその先」。

「世界の終わり」は、もともと直線的時間的考え方である。

だが壮馬さんにいわせれば、世界の終わりには「その先」がある。これはまごうことなき、円環的時間的考え方だ。

 

世界が終わったとしても、その先がある。木々も凍える冬を超えれば、春がきて満開の花を咲かせるように。

だから終わりは絶望じゃない。

 

失うもの、失われるもの。

忘れていくもの、忘れられていくもの。

壮馬さんの言葉を借りるのであれば、「それはきっと、かなしいだけではないのだと思う」。*1

 

 

 

◆ミニマル化する世界観

 

ここでちょっとですね、『パレット』の記事だけ公開していないことについて、言い訳(?)させてください。

今回、『パレット』の歌詞やMVがあまり読み取れず。ピンとこない感じで……。

というのも、歌詞がシンプルすぎて、カギというか取っ掛かりがつかめなかったからだ。

 

たとえば『結晶世界』なら「ドーナツの穴」、『エピローグ』なら「永めに眠る」といった歌詞を取っ掛かりに、そこから曲全体を読んでいくことができた。

今までの曲は、このようなワードや文によって意図的に「違和感」や「ゆがみ」が仕込まれていた。

「ん? なんだこの変な言葉は?」と感じることがあらかじめ想定され、キーワードが分かりやすく提示されていたのだ。

 

しかし、『ぺトリコール』はともかく、『Summerholic!』と『パレット』の歌詞はとにかくシンプルだった。サマホリについてはブログを書いたが、歌詞考察はほとんどできなかった。

 

それが、本当に一瞬だけだったけどへこんだ。

今まで(自分なりに)気持ちよくするする曲を読めていたのが、急にできなくなり(あくまでも個人的な解釈という意味で)。

軸がつかめていない状態で想像をめぐらせても、それは考察ではなく、ただの「妄想」になってしまう。だから書けなかった。

 

でも、そこでまたヒントをくれたのも壮馬さん本人だった。

「CUT」2020年10月号のインタビューは、とても大事な気づきを与えてくれたように思う。ロキノンまじでありがとう。

 

>難しいことを難しいまま言うのって結構簡単なんですよ。だから、今回は逆に単語自体が持つイメージに頼らないように歌詞を書きました。でも、実はその分抽象度があがっていて。

いや本当にその通りだった。シンプルだからこそ難しい。

これは壮馬さんの中でも新たなチャレンジだったのかもしれない。

 

上で感じたことが意図的なものだったと知り、すとんと腑に落ちた感じがした。

今までとアプローチを変えていることを明言してくれて、実際違うなと感じられたことは良かった。それは壮馬さんの意図がこちらに伝わった証拠でもあると思うので。

 

>(今までは)1曲のなかに複数の曲のアイディアを詰め込むっていうかたちでやってました。(略)それはそれで作っていて楽しかったんですけど、やっぱり毎回そういう世界観だと聴いていて疲れますよね。(略)

今回の3曲は、今までのゴージャスで全部盛り的な考え方というよりは、基本的にワンアイディアに近い作り方をしています。(略)いい意味で肩の力を抜いて、シンプルな発想になってきている

そういえば結構前のダメラジで、「ミニマリストを目指している」と言っていたのを思い出した。

 

それこそ『my blue vacation』は惑星ごと滅びたりしてるわけで、かなり壮大な物語を編んでいた。

しかし今回の3曲は、どれも主人公視点から、主人公の見える範囲のものや、内面の吐露だけが描かれる。

音楽が、詞が、ミニマル化している。

太陽系外に飛び出したボイジャーの話をした直後に、自分の呼吸の音に耳を澄ますような。*2

わたしたちの身近にある、ささやかで何気ない日常、あるいはわたしたち自身の内面。

 

マイブルまでの曲は、辞書を引かないとわからないような言葉で理論武装しているイメージが強かった。だから、こちらも脳みそフル回転で考えながら聴いていたわけだ。それもものすごく楽しかったけど。

でも今回はそうじゃなかった。

『デート』で自作曲を発表するようになって、2年とちょっと。斉藤壮馬は今、「シンプル」という場所に帰結している。

 

人は全力で走り続けることはできない。

全力疾走した後、また走り出すためにはインターバルが必要である。

今は減速する時期なのかもしれない。たくさんの壮大な物語を作ってきた壮馬さんも、それを読んできたリスナーも。

それならわたしも、もっと頭を柔らかくして、肩の力を抜いてみたい。

壮馬さんの音楽が変わり始めている今、こちらとしても「聴き方」を変えてみるかな、とぼんやり思う。

 

 

壮馬さん自身も、この変化について率直に語っている。

 

>1.5章まで、自分で自分の音楽に制限をかけていたことに気づいたので、そういうルールづけから、自分を解き放って、より良いものをお届けしていけたらと思っています。

 

斉藤壮馬インタビュー 第2章からは「自分を解き放つ」ことにした理由 & 『Summerholic!』・9月新曲『パレット』の楽しみ方 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

 

季節は変わりゆくものの象徴。

「in bloom」は、壮馬さん自身の変化をメタ的に描きだしたもの、ととらえることもできる。

より自由に、柔軟に。

 

 

……とはいえ、この人はどこまでも考えて書く人だな、というのも同時に思った。

いろんなインタビューで「制限を設けないようにした」とおっしゃっていたが、「制限を設けない」こと自体がひとつの制限じゃん、と思うんだよね。ひねくれたリスナーで本当ごめん(笑)

だから、基本的には今までの「考えていく」受け方からは変えないと思う。多分。

 

 

 

 

今回はこんな垂れ流しというか、内省的な感じになってしまいさっそく影響されてる感が否めない……。

 

「in bloom」シリーズからは、壮馬さんの音楽がこれから、今までと大きく変わっていくだろうと感じとれた。

その変化は全然嫌なものではなくて。

むしろそれを音楽で、言葉で伝えてくれる壮馬さんは素敵だな、と純粋に思う。

 

しょうじき今はこれまでで一番、次にどんな曲がくるんだろう? とドキドキしている。未知数だから。

どんな曲が手渡されたとしても、しっかり受け取って、何かを感じられるといいな。

そんな秋のはじまり。

 

 

 

 

 

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*1:『健康で文化的な最低限度の生活』「ヒラエス、ヒラエス」より、KADOKAWA、P.86

*2:話がしたいよ/BUMP OF CHICKEN