消えていく星の流線を

消えていく星の流線を

デフォで重め

タナトスとブールドネージュを食べれば ~斉藤壮馬さんアルバム『in bloom』考察&雑記

 

カチョ・エ・ぺぺというパスタを食べた。オリーブオイルと塩で味付けし、ペコリーノチーズと黒胡椒をのせたパスタである。具はない。これぞシンプル・オブ・シンプル。

そんなパスタが、大袈裟なくらい美味しいと思った。良い夜だった。

そう、わたしが今欲しているもの。それはきっと「シンプル」だった。

 

これ↑は、先行配信された『carpool』を聴いたときに感じたことだ。

 

6月『ぺトリコール』~8月『Summerholic!』~9月『パレット』の「in bloom」シリーズ。それに今回のリード・トラック『carpool』。

この4曲(特にぺトリコール以外)は比較的わかりやすい言葉で綴られていたし、王道のバンド・サウンドだった。

「in bloom」シリーズ配信後、シンプルさはもっとも感じたところだった。

 

そして今作も、音数の少なさやミニマリズムは踏襲しつつ、しかし、そこだけに留まることもなかった。

わたしは同時にこうも感じた。

おかえりなさい! と。

 

あるじゃん。

あるじゃん。

わけわからん曲!

ヤバい曲!

哲学用語、サイコパスみ、メタファーにまみれた物語!

 

ひねくれていて、突飛で、どこか普通じゃない。それが斉藤壮馬の最大の妙味なのではないか、とわたしは思う。

『in bloom』はそんなそまみを再び爆発させながら、なんだか泣きたくなるような心地よさもある、音楽とことばで心臓を鷲づかみにされる、ああもう最終的に「好き」しか言えなくなってしまう、そんなアルバムだった。

 

挨拶が遅れました。

斉藤壮馬さん 2ndフルアルバム『in bloom』リリースおめでとうございます!

やっぱり斉藤壮馬さんは信頼できる。最高。

ここでは、そんなことやこんなことを綴っていければと思います。

 

 この記事はいち個人の感想・考察・(in bloom的に言うなら)妄想によるものであり、正解を追求する意図はありません。

 リリースイベント(オンライントーク会)についてはレポを参考にさせていただきました。ありがとうございます。

 追記:全曲考察記事アップしました。こちらも併せてどうぞ~

 

 

 

 

◆世界観について

 

最小の混沌からはじまっていく

まず『in bloom』が内省的であるということは、本人からもよく語られていたし、実際に強く感じた。

>今までの作品は、世界の終わり的な、ちょっと退廃的なモチーフが一貫してあったんですけど、その先というか、世界が終わったあとのそれぞれの生活みたいなものを歌っていければいいなと思って。これまではアレンジとかも壮大な楽曲が多かったんですけど、今後はもうちょっと内省的な曲が増えてくるのかなと、なんとなく思っていますね。

──「CUT」2020年10月号 

 

第2章のテーマは「世界の終わりのその先」。

『quantum stranger』~『my blue vacation』までで、壮馬さんは「世界の終わり」を軸に据え、とことんまで退廃的な世界観を描き出してきた。

そんな終末を経て、世界はどうなったのだろうか。

そう考えたとき、「最小から始まるだろう」と想像できた。

ノアの方舟に乗せられた動物は1つがいずつだった。そんな風に、もっともミニマルな核の部分から、世界はまた始まる。

 

ちなみにこのミニマルさについては、『my blue vacation』リリース直後から意識していたようである。

>今度は“引き算”の作業が中心になっていくんじゃないかなと予想しています。“全部盛り”はさんざんやってきましたし(笑)、今度は隙間のグルーヴをみんなで追求していきたいです。

──「声優グランプリ」2020年2月 

 

 

王道の編成・音数の少なさ

典型的なバンド編成の曲はシンプルさ、音数の少ない曲はミニマルさを、それぞれ体現している。

 

①王道のバンド編成のもの

carpool

リードギター・バックギター・シンセ・ベース・ドラム

 

シュレディンガー・ガール

リードギター・バックギター・ベース・ドラム 

 

最後の花火

エレキギター・アコギ・シンセ・ベース・ドラム・ストリングス

『最後の花火』はゴリゴリのハンドサウンドではないけど、よく聴く売れ筋J-POPって感じで耳馴染みが良い。

 

②アコースティック、音数が少ないもの

キッチン

クラシックギター・アコギ・シンセ・ドラム

ミル・はさみ等キッチン用品

 

カナリア

アコギ・チェロ・ピアノ・メロトロン?

 

逢瀬

ウクレレ・アコギ・グロッケン・ギロなど打楽器

鳥のさえずり・風など環境音 

 

Ani-PASSのインタビュアーさんは「オーガニックな香りがする」と例えていた。これは恐らく『キッチン』や『カナリア』の印象が強いためでは?

 

 

シンプルな構造

『my blue vacation』では『Tonight』以外、J-POPの枠から外れた変則的な構造をもっていた。

し、壮馬さん本人も意図してそうしていたようである。

>今後は、第1期で試していない音楽を提示できたら。

たとえば、今までは「AメロがあってBメロがあって、サビが来る」みたいなオーソドックスな曲を意図的に書いてきたのですが、そうじゃない曲のほうがもともと好きなんです。

テンプレを理解しつつ、そこから脱却した表現もお届けしたいですし、可能であればそれを受け入れていただける存在になれたらいいなと思います。いびつだけど、耳と身体に馴染むような音楽を追求していきたいです。

 

【インタビュー】サブカル男子から、ひとりの表現者へ。斉藤壮馬に見えている世界は何色か? - ライブドアニュース 

 

比べて今回は、【A・B・サビ・A・B・サビ・D・落ちサビ・大サビ】のような、典型的な構造の曲が多かった。

また、メロの展開が少ないミニマルなものも見られる。全体的にBメロがないものが多いかな。

 

 carpool

A:まだ暗いうちにこっそり~

A:サイダーみたいな空気で~

サビ:運転席はいつだって~

A:あのころのきみには~

サビ:数年先はいつだって~

C:さざなみのあいだから~

落ちサビ:水平線の先なんて~

大サビ:運転席はいつだって~  

王道の構造。

 

シュレディンガー・ガール

A:彼女はまるで蝶のよう~

B:欲望という名の~

サビ:袖振り合って~

A:彼は幻想の虜~

B:交わるはずなかった~

サビ:異空間へ行って~

落ちサビ:ユーレカ 狂ったように笑って~

大サビ:ああ 本当は シャングリラ~ 

王道の構造。

 

キッチン

A:あー 今日は~

B:世界を救うのは~

A:ああ そうだ~

B:世界を救うのは~

C:神さまのレシピを盗んで~

A:あー 今日は~ 

サビがない? ミニマル。

 

パレット

A:どんな声だったかな~

B:意味の外側 訳知り顔で~

サビ:あの夏の日 指 かさねて~

A:こんなにもたくさんの~

落ちサビ:あの夏の日 えいえんって~

大サビ:あの夏の日 指 かさねて~ 

王道の構造。

 

カナリア

A:この毒は すこしぬるいから~

サビ:ごらん カナリア

A:笑ったような からかっているような~

サビ:ごらん カナリア

A:砂を噛んだ ちかちか 眩しいな~

大サビ:ごらん カナリア

A:この毒は すこしぬるいから~ 

Aメロとサビの2つのメロしかない。サビまでが極端に短い。ミニマル。

 

いさな

A:霧の中 きみは方舟のようで~

Aフラクタル どこか 似たもの同士で~

サビ:ゆーあーいんぶるーむ~

A:たとえれば それは ながい映画のよう~

サビ:ゆーあーいんぶるーむ~

C:言葉のないうたが~

サビ・サビ・サビ 

王道の構造。

 

最後の花火

頭サビ:最後の花火が 冬の空に~

A:マフラーにくるまって~

B:もし今日隕石が落ちたら~

サビ

D:ゆれるキャンドル~

E:こんな夜だから~

大サビ 

これはちょっと番外編。王道と見せかけて2番がA・BではなくD・Eメロになっている。

 

逢瀬

頭サビ:こもれびの中でふたり~

A:さっき見た 長い影法師~

サビ

A:小さな棺のような~

サビ

C:ずっとこのままこの場所で~

サビ

サビ 

王道の構造。

 

 

サビの歌詞リフレイン

全く同じサビがリフレインする曲が多い。

通常は1サビと大サビの詞を合わせるので、1曲に全く同じパラグラフが登場するのは2回であることが多い。

今回は3回以上出てくるものが目につく。

これは言い換えれば、歌詞の情報量が少ないということで、シンプルさにつながる。

 

BOOKMARK

ターンテーブル乗っかって

アウフヘーベンの果て

千鳥っちゃった足で

内容なんもなしで

ターンテーブル乗っかって

アウフヘーベンの果て

すいへいりーべで 

(3回)

 

いさな

ゆーあーいんぶるーむ

あいしてるってことだよ

ゆーあーいんぶるーむ

あいしてるってことだよ 

(4回)

 

最後の花火

最後の花火が 冬の空に

堕ちてゆくよ それは

ベテルギウスのようなエンド

悪くないね 

(3回)

 

逢瀬

こもれびの中でふたり

歩いてゆける

こもれびの中でふたり

身を焦がしてゆく 

(3回)

 

 

「生活」について

>「生活」は『in bloom』シリーズのさらに先にとってとても重要なキーワードです。といっても、まだ構想段階なのでどうなるのかはわかりませんが……。世界が終わっても、生活は続く(のだろうか?)。頭の片隅においていていただけたら、いつか繋がる日がくると思います。

 

声優、斉藤壮馬が語る3曲連続リリース『in bloom』と、最新第一弾デジタルシングル「ペトリコール」について。 | HARAJUKU POP WEB 

 そして生活はつづく。は、星野源か。

 

これを書いている今日は12月25日、クリスマスである。

なぜだか間違えて、日比谷で夕飯をとることになってしまった。どうしてクリスマス・ソングというものは、こうも幅をきかせるのだろう。嗚呼、聖夜だなんだと繰り返す歌と、わざとらしくきらめく街……。

 

そういえば昔から「ハレ」が苦手だったな、と思う。「ケ」と「ハレ」のハレである。

運動会はそれなりに楽しいけど、別になくてもいい。学園祭は部活の発表は頑張るけど、それ以外は別になくてもいい。

ハロウィーンもクリスマスも、それから誕生日も、特段何もしない。

 

『in bloom』で描かれていた物語には、「ケ」を舞台としたもの、あるいは主人公の妄想・脳内世界を描くものが多かった。

 

きみとの思い出を回顧する『carpool』。

ひたすら(妄想の中かもしれない)きみを追う『シュレディンガー・ガール』。

料理中の様子を描く『キッチン』。

文系大学生の何気ない日常である『BOOKMARK』。

夢または幻想の中であの人と逢う『逢瀬』。

 

特に『キッチン』の印象が強烈すぎる(笑)。料理は生活に密接した行為。

この世界観が、壮馬さんも今回「内省的」と言うひとつの大きな要因なのだろう。

アルバム全編を横断する「ケ」の世界は、ハレが苦手なわたしにとってひたすらに心地よかった。

 

実は壮馬さん、『my blue vacation』リリース時から「生活」については言及していて、すでに構想があったようだった。

>生活の一部に環境音として溶け込むような素朴な音楽が今の自分のやりたいことなんだと思います。

──「声優グランプリ」2020年2月号 

 

 それがさらに、2021年に入るとこうも語っている。

>自粛期間を通して「生活する」ということについてすごく考えたんです。(略)今回のアルバムは、世界の終わりの後にある、個々の「生」みたいなものを歌ってみたいと思いました。

──「月刊TVガイド」2021年2月号

これを読むと、今回は少なからず「世界の終わり」をコロナ禍のメタファーとしてもとらえられる。

「生活」のテーマはコロナによる自粛期間と繋がっていた。そして、その先に「生」があることで、コロナ禍を経たわたしたちに希望を抱かせてくれる。

 

 

※2021/1 追記

ミクロからマクロへの飛躍

ここまで語ったように、どこまでも内省的な今作。一方で、前作までは「世界の終わり」という壮大なテーマを扱っていた。

これが今回まったく無くなったわけではない。

内省的な世界から宇宙規模まで、ミクロからマクロへと思考が飛躍している曲が多い。

 

シュレディンガー・ガール

タイトルの元ネタ「シュレディンガーの猫」では、量子のミクロ世界を、猫を用いてマクロ世界に置き換えて思考している。

 

キッチン

キッチン」というスペース(ミクロ)から、「世界」(マクロ)へと思考が飛躍。

 

BOOKMARK

4時まで宅飲みしてる(ミクロ)のに「何万光年」先(マクロ)に想いをはせる。

 

いさな

フラクタル」はクォークレベル(ミクロ)から宇宙規模(マクロ)まで、無限に展開していく。

 

最後の花火

線香花火」(ミクロ)から「ベテルギウス」(マクロ)が重ねられている。

 

そう考えるとやはり2章も、1.5章までと完全に切り離されているわけではなく、物語としてはつながっている、と考える。

 

 

限りなく死に近い、だけど死ではない曖昧さ

アルバム各所にちりばめられたタナトス感。

タナトス感」という言葉は、こむちゃっとカウントダウン(2020/12/19)で櫻井さんと語られたものだった。圧倒的「 そ れ な 」である。

 

carpool

>悪友が海で死んでしまったことで、彼のその後は惰性で生きているような気持ちだった。青年くらいの歳になって、悪友が亡くなった海にドライブに来た。そして最後は“すぐ追いつくからその場所で待ってて”と終わる

──「Ani-PASS」#10 

 

カナリア

ぼやけていく わからなくなっていく:ゆるやかな死?

燐光:「生物の死骸が腐敗・酸化するときに生じる光」を指す場合がある。 

 

いさな

>この曲は前作のテーマに深く繋がる曲ですね。

 

斉藤壮馬の音楽はなぜこれほど深い没入感を生むのか? 自身のルーツから新作『in bloom』までを語る!(2020/12/28)邦楽インタビュー|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム) 

→前作『my blue vacation』のキーワードは「世界の終わり」や「輪廻転生」「円環」。

 

最後の花火

ベテルギウスのようなエンド:オリオン座の星で、間もなく消滅するとされている。

ベテルギウスはいつ爆発する? オリオン座の赤色超巨星を徹底解説(sorae 宇宙へのポータルサイト) - Yahoo!ニュース

 

すべてが無になっていく

螢火:蛍には死者(生者も)の霊魂が宿るとされる。 Ex.映画『火垂るの墓

 

逢瀬

・「輪廻転生の曲」(リリイベより)

さっき見た長い影法師 あの人のものかしら:「あの人」は影だけの存在?

ちいさな棺のような この箱庭

 

【limbo】(英)辺獄。壮馬さんいわく「この世を去った人が天国の前に行く」(「Ani-PASS」#10)。「忘却」という意味もあるらしい。

 

【be in limbo】中ぶらりんになっている、不安定な・中途半端な・どっちつかずな状態 

 

 

これらは限りなく「死」に近いものだが、しかしはっきりと「死」とは言い切れないファジーさを含んでいる。「in limbo」の意味がもっとも近いかもしれない。

 

>全曲そうなんですけど、夢と現実、妄想と現実の境目が分からない曲が多いですね。(略)狭間感みたいなものは全曲に横たわっていると思います。

──「Ani-PASS」#10 

 

この本についていい加減しつこいほど語ってしまうが、エッセイ『健康で文化的な最低限度の生活』の中に「虚構と現実のあわいにたゆたう遊び」という表現が出てきた(同書「結晶世界」P.154)。

これを読んだとき、なんて素敵な表現なんだ、と感銘を受けたことを覚えている。それは今でも変わらない。

白でも黒でもない、いろいろな色調のグレー。

どっちつかずで、宙に浮遊するように極限まで脱力した状態。

そういう心地よさが、『in bloom』という1枚をまとめ上げている。

 

今、『グリフォンズ・ガーデン』という本を読んでいる。

そこに「死というのは、情報の希薄さの度合い」という概念が出てきていた(早瀬耕『グリフォンズ・ガーデン』ハヤカワ文庫、P.153)。

>「死んでいくっていう感覚はこんなものかなって思ったのだけは覚えている。だんだん情報が減っていって、情報がなくなっちゃうんじゃないだろうか、って」

 ──同書 P.257

 

死は、もちろん今生きている人は死を想像することしかできないけれど、それでも考えてみるなら、死は「無」である。

つまり情報量が少ないということは、死に近いということなのではないだろうか。

先述のシンプルさも、なんとなく死と繋がるように感じる。

 

 

2020年のわたしの精神状態は、控えめに言って最悪だった。死について、そしてなぜ生きているのかについて、綿々と考えていた(詳しくは 1つ前の記事 に)。

そんなとき、「前を向け」と背中を叩かれるよりも、同じ大きさの気持ちがここにある、と感じられたことで、すこしだけ楽になれた。

このアルバムは、わたしの中の「死」にそっと寄り添ってくれた。

これを同調効果という。よく聞く例だと、「悲しい時は悲しい曲を聴いて泣いたほうがスッキリするよ」というやつだ。

 

前EPのリード・トラック『memento』では「メメント・モリ」が鍵になっていた。この思想はペストと深くつながっている。

今、ペストほどではないにしろ、コロナや芸能人の「極端な選択」から、多くの人が死を身近に感じている。

そんな時代にあって、死のにおいが濃いこのアルバムは、同調効果として抜群だと思う。

 

 

水はいいな

リード・トラックである『carpool』をはじめ、「水」のイメージをもつ曲がいくつかあった。

 

carpool

オープンカーに飛び乗って 海沿い だらり 走る

さざなみのあいだから きみが呼んでいる

水平線の先なんて 知りたくもなかったよ 

 

BOOKMARK

あとどれくらい水飲んだら 細胞まるごと入れ替わるかな

泡になって 弾けていく 

詳しくは別記事で話すと思うが、『BOOKMARK』の水(=無限に流れるもの)については弁証法の「アウフヘーベン」に通ずる。

弁証法では、アウフヘーベンによって無限に論を高めていけるとしている。

弁証法難しい、わたしも全然理解しきれてない、ゆるして)

 

カナリア

水はいいな いずれさよなら

 

いさな

・「いさな」は鯨の古語。

・歌詞も全体的に海

・水のようなSE

・ウォーターフォーン(水を使う楽器)を使っている?(自信ない)

ホラー映画の効果音を奏でる楽器「ウォーターフォーン」の音 | ギズモード・ジャパン 

 

水は流転するもので、無限に循環していく。

方丈記』の冒頭「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」は有名。

また、水は全てがそこからはじまっていくイメージももつ。

「母なる海」と言われるように、生命は海から誕生したとされる。タレースは「万物のアルケー(根源)は水である」と言った。

 

もともと輪廻転生的なモチーフは壮馬さんの曲によく入っていたが、「水」はこの今までの路線ともつながる、とわたしは考えている。

 

あとは、水に入れば浮力がはたらき、身体が浮く。

やはりここでも「あわいにたゆたう」感覚を味わわされるのだ。

 

 

神の視点から見て

歌詞については、三人称のものが目につき、語り部感が強くなっている。

 

以前の楽曲では、『エピローグ』には「ぼく」や「わたし」などの一人称が登場しないことや、「ふたりは 共にこの身朽ちかけ~」とあることから、三人称に近いと考えた。

>「エピローグを『観る』」の項を参照

 

『in bloom』には、もっと直接的に「彼」や「彼女」などの三人称がそのまま登場する。

シュレディンガー・ガール彼女

Vampire Weekend 

 

以前から、曲作りについて「物語を作っている」と公言していた壮馬さん。

 

>あくまで曲ごとの物語であったり、映像であったり、ということで作っています。

 

斉藤壮馬の音楽はなぜこれほど深い没入感を生むのか? 自身のルーツから新作『in bloom』までを語る!(2020/12/28)邦楽インタビュー|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム) 

 

>映画を観るような感覚で聴いてもらえたらいいな

──「Ani-PASS」#02 

 

今回は“ついに”ではないが、三人称の曲が出てきている。

作家、あるいは映画の脚本家やカメラマン、それらと同じように「物語を紡いでいる」という特徴がさらに直接的に感じられた。

 

 

※ 2021/1/5 追記

グリフォンズ・ガーデン』との類似

先ほどもちょろっと触れた『グリフォンズ・ガーデン』という本について。

そもそもなんでこの本が出てきたのか?という経緯からご説明しよう……。

 

Tweet in bloom」で壮馬さんが『逢瀬』について「in limbo」とツイート

 ⇨ 「Ani-PASS」#10で「今回収録を見送った曲で、Limbo=辺獄を描いている曲がある。そこが始まりと終わりのガーデン」と言っていたの、わたし思い出す

 ⇨ limboの曲、今回見送ったのでは……?いやでもシークレットでやっぱり入れたのか……?

 ⇨ 「始まりと終わりのガーデン」からふと『グリフォンズ・ガーデン』を思い出す

 ⇨ リリイベにて「『逢瀬』に元ネタがある」と言っていた。『逢瀬』の元ネタは『グリフォンズ・ガーデン』?

 ⇨ わたし読んだ

 ⇨ 『逢瀬』だけでなくアルバムのいろんな曲と繋がりがある?

 

ちなみにこの本を思い出したのは、壮馬さんが前に挙げていたからですね……。それで、わたしも買ってたので。すぐ影響される。

 

そんな流れ。本当にたまたま繋がりがたくさん目についただけで、せっかくだからまとめようと思いました。それ以上でも以下でもないです。

 

 

シュレディンガー・ガール

・蝶

>上昇気流に乗ったのか、一匹の揚羽蝶が、七階の部屋に迷い込んでしまう。ぼくは、居間のソファに寝転がって、優雅に飛ぶ揚羽蝶を眺めた。

(略)

「世界を成立させるためには、その内側に言葉がなくてはならない。君は、言葉を有していないから、そんなに優雅に舞っていられるんだ。ぼくが窓を閉めてしまえば、君には孤独と死しか残されないのに、君はそれを推測できない。上昇気流に乗って七階まで舞い上がろうとした気紛れの冒険心の代償としての絶望も知らずに死んでいけるんだ」

揚羽蝶は、ぼくの言葉に驚きもせず、ソファの背もたれに足場を作り、二枚の羽をぴったりとあわせる。

──早瀬耕『グリフォンズ・ガーデン』ハヤカワ文庫 P.232 

もしかしたら早瀬さんも、「プシュケー」のメタファーとして揚羽蝶を出したのかもしれない。

 

また、主人公「ぼく」はテレビに出るガールフレンドを見て、「ぼくがいま君と同じクラス(層)にいるなんて信じられない」と言う。それはテレビ画面の中が、ぼくのいる世界のさらに下層の世界、入れ子のように見えるからだ。これもシュレディンガー・ガールっぽいし、

今めちゃくちゃ詰めているところなんだけど、シュレガは量子コンピュータ量子テレポーテーションの話だと思う。これも『グリフォンズ・ガーデン』の設定と近い。まだざっくりとしか語れなくてごめん。

 

ぺトリコール

>瞬間のような短い時間で、抱えていた懐疑がぺトリコールのように消えていく。

──同書 P.10 

 

いさな

クオーク

>「もしも、宇宙の中心となる電子なり中性子とか、あるいはクォークを見つけだしたとして、それを中心にものを見てみたら、その瞬間に宇宙のすべての電子の動きが、簡単な方程式で表せるかもしれないじゃない?」

──同書 P.69 

 

フラクタル

>「でも、ぼくは、世界がフラクタルみたいな構造だとは考えられない」

フラクタルって?」

「ぼくたちは宇宙を内包していて、そのぼくたちのいる宇宙も、より大きな宇宙に内包されていて、そのより大きな宇宙も、またより大きな宇宙に、……みたいなのが、無限に続くとする考え方」

「なるほどね。でも、どうして、宇宙がフラクタルだったら信じられないの?」

「初めと終わりがないじゃないか。『より大きな』と『より小さな』しかなくて、『最も大きな』と『最も小さな』 が存在しない」

──同書 P.209 

 

この会話を要約すると、

原子核クォークの集まり)の周りを電子が回っている。それが太陽系に似ている。わたしたちの身体もたくさんの宇宙の集合体で、わたしたちの世界ももっと大きな世界にとっての一原子なのかもしれない、フラクタル構造だ」

という話。

フラクタル構造は無限に展開していくもの。

それは『いさな』の輪廻転生のテーマにも、『in bloom』全体がもつ水のイメージにも繋がる。

 

最後の花火

・線香花火

>「死んでいくっていう感覚はこんなものかなって思ったのだけは覚えている。だんだん情報が減っていって、情報がなくなっちゃうんじゃないだろうか、って」(略)

「もうすぐ何も考えられなくなりそうな恐怖感なんだ。線香花火の火花がだんだん小さくなっていくような感じ」

──同書 P.258 

 

逢瀬

・ピアノ

>翌日、佳奈の所属する室内楽サークルの演奏会に出掛けた。佳奈は、最後にひとりでピアノに向かい、彼女らしい演奏でドビュッシーの小曲を三曲ほど弾いた。(略)

閑静な住宅街の坂の途中に、時間の忘れ物のようにある音楽堂、雨上がりの宵の庭、ダンガリーシャツでピアノに向かうガールフレンド、微かな風、幾千という花びらを散らせたフラワープリントのフレアスカート、漆黒にきらめくピアノ、月の光、前奏曲集第一巻第十曲、パスピエ……

──同書 P.27 

 

この記事でドビュッシーを挙げていたのすら伏線じゃないかと思えてくる。もうだめだ。

 

・箱庭

>『鍋島さんは、藻岩山の展望台は初めてだって聞いたんですけれど、札幌の夜景はどうですか?』

『ええ、きらびやかな箱庭を眺めているみたいな気分です』

ぼくは、ソファのクッションをTV画面に投げつけた。(略)

「それなら、ぼくは箱庭の人形か?」

──同書 P.236 

 

 

各曲との関連で見つけられたのはこのくらい。

ちなみにネタバレになるので詳しくは言わないが、この本自体が、読み終わったらまた最初から読み返したくなるような円環構造となっている。

それもどこか輪廻転生的だと感じる。

 

 

『in bloom』のアートワークについて

ジャケットは「シュルレアリスムにしたい」というコンセプトがあったようである(リリイベ談)。これは壮馬さんからシュルレアリスムを提案したってことでいいのかな?

この話を聞いたとき、なんでいきなりシュルレアリスムが出てきたんだろう?って思った。

 

グリフォンズ・ガーデン』には、マグリットという画家の話が出てきている。

>「マグリットの描いた空みたいだね」

佳奈がそう言うと、ガラス越しの空はルネ・マグリットのキャンヴァスみたいに見えた。

──同書 P.65 

 

マグリットシュルレアリスムの画家。

空の柄が付いた鳥や、山高帽の男のモチーフが有名。

【美術解説】ルネ・マグリット「イメージの魔術師」 - Artpedia アートペディア/ 近現代美術の百科事典・データベース

 

アルバムのブックレットなどもよく見ると、マグリットっぽいモチーフがあったりする。

マグリットは「現実には有り得ないことを言葉なら簡単に言える」というメカニズムを絵に取り入れた。「自分の絵は思考の自由を表す記号」と言って、固定概念を崩そうとしていたらしい。

『in bloom』にもそういうメッセージは込められていそうだ。

 

 

◆音楽面について

 

「ほとんど全部にリバーブかけてるから!」

↑はSakuさんの発言らしいです(笑)

この言葉からも分かるとおり、ほぼ全曲でリバーブ・ダブルトラック・オクターブユニゾンが用いられている。

ここから得られるものは、強烈な「浮遊感」と「透明感」だ。

 

ダブルトラックは、アルバム以前だと『ペトリコール』サビで印象的な効果を残していた。

 

オクターブユニゾン『quantum stranger』『my blue vacation』でもよく使われていた。

sunday morning(catastrophe):Bメロ

レミング、愛、オベリスク:サビ

・Incense:Bメロ・サビ

・結晶世界:Aメロ・Dメロ

 

・memento:Bメロ

・林檎:Aメロ・Bメロ・Rap部分・「ばい ばい

・Tonight:サビ・「風船の中 まどろみあい」 

 

以下、『in bloom』を曲ごとに分析。たぶん抜けある。ゆるして。

 

carpool

ダブルトラック

イントロ・間奏・アウトロのフェイク(u~u~)

サビ・Cメロ・「あのとき言えなかったな」~大サビ

 

オクターブユニゾン

追いつけないや」「迷子みたいで」 

 

シュレディンガー・ガール

全編リバーブ

 

Vampire Weekend

ダブルトラック

イントロのフェイク

Aメロ・Dメロ・「ヴァンパイア・ウィークエンド」・サビ

 

オクターブユニゾン

Bメロ・「ヴァンパイア・ウィークエンド」・Fメロ

ないのだよ 彼は」「夜に溶けていく」「銀色の八重歯」「騙しあいされたい」 

 

キッチン

全編ダブルトラック?

コーラスも厚い。 

 

ペトリコール

ダブルトラック

サビ 

 

Summerholic!

全編ダブルトラック?

 

BOOKMARK

バーブ

サビ

 

ダブルトラック

Rap(Jさん含む)

 

オクターブユニゾン

イントロのフェイク・Bメロ・「何万光年馬鹿みたいに笑って」 

 

カナリア

バーブ

カナリアあんまりだ」「カナリアもう息も」 

 

いさな

全編リバーブ?(落ちサビ以外)

 

最後の花火

ダブルトラック

サビ

 

オクターブユニゾン

Dメロ 

 

逢瀬

ダブルトラック

Cメロ 

 

『in bloom』にはオルタナボサノヴァシューゲイザー、ポップス……と幅広いジャンルの楽曲が同居している。

だけど、ほぼ全ての曲にリバーブ・ダブルトラック・オクターブユニゾンがかかっていることで、「浮遊感」と「透明感」という統一が生まれる。

ジャンルはバラバラなのにどこか世界観が通底して感じられるのは、音の面から言えば、このためだろう。

ジャンルや音色(おんしょく)を揃えるのではなく、声に統一感をもたせるところは声優らしい。

歌詞についても曖昧さや水のイメージから、「あわいにたゆたう」世界観が作り出されていた。つまり、歌詞・音の両側面から浮遊感にアプローチしている。

 

 

満ちるメジャーの空気

『in bloom』に入っている曲はほぼ全てメジャーキー。

シュレディンガー・ガール』『Vampire Weekend』『パレット』はメジャー・マイナーを行ったり来たりしているので微妙だが……。

それでも完全にマイナーキーという曲はない。

 

『quantum stranger』であれば『るつぼ』『ヒカリ断ツ雨』『レミニセンス-unplugged-』

『my blue vacation』であれば『林檎』

のように、マイナーな曲、著しく暗い曲も入っていたことで、1曲ずつが際立っていたと思う。

 

『in bloom』はやはり、全ての曲のテイストは違うが、どこか全体で調和がとれているような感じがするのだ。

そういった意味で、壮馬さんは今回「コンセプトアルバムではない」と言っていたけれど、すごくコンセプトを感じた。

 

同じような感覚を、Mr.ChildrenSUPERMARKET FANTASY』を聴いたときにも抱いたことを思い出す。先行シングルだった「HANABI」を除き、メジャーキーの曲しか入っていなかった。

また、内省的という点でも『in bloom』と似ているかもしれない。『SUPERMARKET FANTASY』は「人々の生活に溶け込む音楽を作りたい」とのコンセプトのもと、「スーパーマーケット」をタイトルに掲げた。

Mr.Childrenはそれ以降、最新アルバム『SOUNDTRACKS』でも同じコンセプトを提示する。

 

わたしたちの生活に寄り添いながら、色濃いメジャーの空気によって、希望を抱かざるを得ない。

それは一見、「タナトス感」と矛盾するように感じるかもしれない。

しかし、タナトス感と希望を併せもつからこそ、『in bloom』には特有の心地よさがあるように感じるのだ。

 

 

キャッチー/コアとその調和

全体的には尖った曲が多いが、『carpool』や『最後の花火』のように、逆に『my blue vacation』にはなかったようなポップなメロ・典型的な構造の曲もある。

 

歌詞については、『Summerholic!』『パレット』『carpool』はシンプルで、本人も「難解な言葉は使わないようにした」と言っていたが、普通に難しめな詞も何曲かある。

シュレディンガー・ガール』『BOOKMARK』『カナリア』『いさな』あたり。

 

・キャッチーな曲:carpool、Summerholic!、パレット、最後の花火

 

・コアな曲シュレディンガー・ガール、Vampire Weekend、キッチン、BOOKMARK、カナリア、いさな 

 

……のようにコントラストがはっきり分かれている。『ペトリコール』はポップさもありつつどこか逸脱している、この中間って感じ。

だけど、リバーブ・ダブルトラック・オクターブユニゾンの方法や、メジャーキーという共通点から、アルバム全体として調和している。

 

 

 

 

これは以前、違う記事でも書いたことなのだが。

音楽は、その時代の人々が何を感じ、何を望んでいるのかを映し出す、鏡のようなものだとわたしは思う。

例えば、2011年の東日本大震災の少し後には、日本の未来をある種楽観視したような、未来への不安をかき消すような曲が増えた。

 

未来は そんな悪くないよ

──AKB48恋するフォーチュンクッキー』(2013) 

今という時代は 言うほど悪くはない

──Mr.Children『足音 〜Be Strong』(2014) 

 

そういえば、2020年3月に配信されたMr.Children『Birthday』を聴いたときは驚いた。終始ビートやベースが抑えめで、サビで開けるとか大サビで山がくるとか、そういう予想をとことん裏切られたからだ。

どこか決定的な盛り上がりに欠ける、しかし言い換えれば、穏やかな色に包まれた曲だった。

(ていうかミスチルの話多いなごめん。思い当たる節が多いあまりに……)

 

2020年はもちろんのこと、それ以前から不況や消費増税、老後2,000万円問題、政権への不信感など、未来への不安要素が増えてきた。

そこで求められる音楽は、肩の力を抜けるシンプルなものではないかと、やはり思う。

 

『in bloom』には、シンプルさとミニマリズム、浮遊感・透明感、メジャーコードが通底していた。そのやさしい空気が、12曲すべての物語を包み込んでいる。

かなしみ、喪失感、狂気、すこしの毒、大切な記憶……そして、あい。

それらさまざまな感情を全部丸めて焼いて、白いきらきらをまぶした砂糖菓子の詰め合わせ。そんなアルバムだと思った。

 

2020年は、しにたい、しにたいってたくさん言ってしまった。

実を言うとまだしにたいです。どうしたらこのトンネルから抜け出せるのかわからないです。しにたいけど生きる。

壮馬さん、わたしのタナトスに寄り添ってくれてありがとうございました。

『in bloom』は多分、わたしにとって大切なアルバムになると思います。

 

また全曲考察は書くと思いますが、影すらも見えません。なのでいつになるか未定ですが(通常運転)、頑張ります。

 

 

 

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