消えていく星の流線を

消えていく星の流線を

デフォで重め

かはたれどきは『健康で文化的な最低限度の生活』を左手に

 

 

diary

 

2020年7月11日 午前4時32分

 

すごく疲れた。

先週、今週は疲れた。いつも通りに仕事をこなしているだけなのに……。

「新しい生活」に嫌気がさして、何もかもを不安に感じている。

先ほどもリズムゲームを叩きながら寝落ちてしまった。だから、今は眠気がこない。

 

薬が必要だ、と思った。

ふと先日、フォロワーと「壮馬さんの文章は精神安定剤か、睡眠薬みたいだ」という会話をしたことを思い起こす。

明朝体にふれたい。

わたしは一冊の本を取りだした。

斉藤壮馬さんのエッセイ集『健康で文化的な最低限度の生活』である。

 

本を開く。

1ページ目からぱらぱらと、今の自分の琴線にふれそうな章を探していく。

流れるように、しかし大事に、読み進める。

するとちょっとずつ、心のチューニングが整っていくのがわかる。

それは、涙腺への刺激というオプションをともなっていた。疲れている証拠である。

そしてついに、水分の重さが下まぶたの耐荷重を超えた。決定打となったのは、カギカッコ付き、こんな言葉であった。

 

「よかったら、海老天1本食べます?」

 

──斉藤壮馬『健康で文化的な最低限度の生活』P.64

 

いや、笑っちゃうよね。なんで海老天で泣いてんだって。わたし。

 

「夏の予感」のなかの一節だ。

壮馬さんはお蕎麦屋さんにて、就活のため関西から上京してきたという男の子と相席する。彼は男の子に声をかけ、海老天を1本あげた。

ふたりはそれぞれに蕎麦と海老天を食べ、それぞれに店を後にする。

誰かが誰かに、食べ物を分けてあげた。ただそれだけの顛末だ。

 

だが、わたしは想像した。

就活にはげむ男の子に、深く考えもせず、ぽろっとそう言った彼の姿を。

そのはにかんだ表情の、すこしうつむきがちな様子を。

口元の陰影の間から見える、白い歯を。

 

そうして、やっぱりこの人はすごい人だと思った。初読時にはあっさりと流してしまい、感じ得なかったことだ。

だって、2本しかない海老天の1本、あげられます?

わたしには……できないなと思った。

 

こういう何気ないやりとりの中にこそ、本当の人柄が見える。

優しいとか、甲斐甲斐しいとか、そういう類のものではない。たぶん彼は純粋に、衝動的に、海老天の美味しさを共有したいと感じた。

彼のそんな、人とのつながりを厭わない、そしてちょっと寂しがり屋なところ。

涙の理由は、そういうものが垣間見えたからだ。

 

と、カーテンの下から朝日が差し込んできた。スマホを見ると午前5時10分。Twitterを開くが、タイムラインには誰もいない。

今日は土曜日。ささやかに、しかし確実に心が楽になった。

月並みだが、言葉は魔法みたいだ、と思った。

 

 

 

 

2020年7月15日 午前1時48分

 

泣きたいのに上手く泣けないときは、誰かが遺していった言葉や、物語にふれる。

精神のデトックスである。

この部屋には今、ダイソンの扇風機が放つ平坦な風の音が充満し、隣ではレジ袋(相変わらず買っている)の影が揺れて、気を散らす。

 

わたしはフィクションのもつ力を信じる。

事実は小説より奇なり、とはいうが、それでもやはり、物語の力は大きい。現実には絶対的になしえず、物語だからこそなしうることがある。

だけど、悲しいかな、それが大多数の人に理解されないこともある。

 

『健康で文化的な最低限度の生活』をよく読んでいくと、「ささやか」という言葉がしばしば出てくることに気づいた。

 

そんなささやかだけれど大切なことを、これからはもっと慈しみ、大事にできるようにしよう。そんな決意を新たにした。

 

──同書「ささやかだけれど、大切な寿司」より P.93 

 

しばらくしてわかったことは、どうやらこいつは、かつてのあのひりつくような飢餓感とも、ここ数年の偽りの感情とも違う、シンプルでささやかな気持ちのようだ、ということだった。

 

──同書 「in the meantime」より P.97 

 

「神は細部に宿る」という言葉がある。

世界や、人や、自分と向き合うとき、たしかに全体のバランスを見ることも重要だ。

だが、マスだけを見ても、対象をきちんと理解したことにはならない。

ほんとうに見つめるべきは、小さく、時には見落としてしまいそうな、「ささやか」な部分なのではないか。

 

表現をするということ。

それは、世界の細かなところまで、つぶさに、そして誠実に観察し、言葉のかたちを借りて紡ぎだすということ。

誰も気づかないような場所で咲いていた花を、見つけるということ。

自分の内面の奥深くまで潜り、核をつかんできて、水面に帰ってくるということ。

 

言語学では、人間は言語によって世界を切り取り、少しずつ切り分けていくことで、世界を認識しているとされる。

つまりボキャブラリーが増えるということは、世界を切り分ける区分が増え、より細かく識別できるようになる、ということだ。

言葉は、世界を「切り取る」手段である……。

 

だけどわたしは、言葉は「拾い上げる」ものでありたい、と思う。

道端に落ちているハンカチや、大量に積み上げられたごみ袋や、明後日からマックで発売されるチョコバナナ味のソフトクリームや、オールド明朝に特有の「文」の4画目の上部のはね方()……。

そういう「ささやか」で、ともすると誰にも気づかれないような有象無象を、拾い上げていきたいと思う。

言葉という、小さく、大きな手で。

 

参考: 筑紫Aオールド明朝 R | Fontworks

 ここに「文」と打ってみてください。

 

 

 

 

2020年8月4日 午前3時30分

 

コロナの影響が徐々にきて、仕事が減っている。ということは収入も。

金の余裕は心の余裕である。

しょうじき、今、つらい。

こういうときは、今までどうやって生きてきたか、また将来どうやって生きていこうか、うんと遠くのことまで思いを巡らせてしまう。

そしてたいてい、堂々巡りに終わる。

 

どうしようもなくなって、やっぱりこの人の言葉にすがる。

しおりが挟んであったのは、「カンバセイション・ピース」だった。

温泉街の風景や、温泉が苦手だった子どもの頃の壮馬さんをイメージする。

そして、想像のなかの彼を抱きしめる。

「大丈夫だよ」「いつか必ず、きみは救われるときがくるんだよ」と言って、抱きしめる。

 

そして読み進めるうちに、ある部分で息が上がるのを感じた。

 

芝居がしたい、役者としてやっていきたい、と伝えたとき、両親にふたことだけ言われた。

──よかったね、人生をかけてやりたいことが見つかって。

──でも、自分の人生なのだから、自分で責任は取りなさい。

 

──同書「カンバセイション・ピース」より P.150 

 

(申し訳ないが、ここからは壮大な自分語りである)

 

わたしの家はいわゆる、ひとり親家庭である。

ふたり親の家庭が大多数を占めるなかで、その50%が欠けているということは、幼い頃からたいへんなディスアドバンテージのように感じていた。

たぶん、これはひとり親家庭の人にしかわかり得ない感覚だと思う。

反対に、おとうさんがいる、ってどういう感覚なのか、わたしにはわからない。

 

母は、母自身の経験もあいまって、わたしを良い学校に行かせてくれた(良い、というのは、魅力的な、という意味で)。とても有り難いことだったと思っている。

しかし、その母をもってしても、50%の穴を埋めることはできなかった。

 

わたしは「将来の夢」がない子どもだった。

保育園や小学校ではむろん、「将来の夢を絵で描きましょう」といった宿題が出されたりした。

わたしはほとほと困ったものだ。だって、ないものは描けないではないか。

そのようなときは、たしか「わたしはケーキ屋さんになりたいです」で通していた記憶がある。

なぜなら「それっぽい」から、だ。

ケーキ屋さんなら、同じことを描く子も何人もいたし、理由は「ケーキを食べるのが好きだから」で済む。特段大人に食いつかれることもない。とりあえずそれっぽく、ケーキ屋さんで働く自分の絵を描く。

そうして大人の目をごまかして、やり過ごす。

わたしは「将来の夢」がない子どもだった。

 

そんな中、わたしにもやってみたいことができた。小学校1年生か2年生くらいの頃だったと思う。

「芝居がしてみたい」と強烈に思うようになった。

もともとテレビっ子だったし、すこし上の世代の志田未来ちゃんや成海璃子ちゃんらが、主役やそれに近い役で活躍しているのを見て、とかがきっかけだったと思う。

自分ではない人の人生を何通りも、何百通りも生きられることが、いいなぁと思っていた。

そして、一世一代の勇気を出して母親に言った。

 

 「子役をやりたい。劇団のオーディションを受けたい」

 

しかし、母親がそれを認めてくれることはなかった。

その後何度も口にして、頼み込んだものの、徒労に終わった。

 

初めて本気でやりたいと思った「夢」は、叶わなかった。

今ならよくわかる。母はフルタイムで働いている。そんな中で、わたしを現場やレッスンに連れて行く、そういう活動は不可能だったと。

それでもそのときは、挑戦すらできず、スタートラインにすら立てなかったことが、悔しかった。知識も力もない子どもだったわたしは、ただ諦めて、なんとなく穏便に生きていく、という道しか選べなかった。

ほかに本気でやりたいことなんか、なかった。

そんな宙ぶらりんな生活のなかで、「もしおとうさんがいたら……」と考えたことは数えきれないし、いまでも時々ある。

思えばそこからだったのかもしれない。わたしは長い間、あのときのまま、「将来の夢」を見つけられずに生きている。

 

声優さんを見ていると、羨ましくて仕方なく身悶えそうになることが、本当にたまにだが、ある。

なぜなら、彼らは皆「夢を叶えた人たち」で、「本当にやりたいことをして生きている人たち」だから。

彼らと比べると、

何もない自分。

何者でもない自分。

それが如実に浮き彫りになる。

承認欲求だか、自己実現欲求だかすらもよくわからない感情。それは定期的にわたしを襲った。今がまさにそうである。

 

しかし2年前、同じ状態から救ってくれたのが、やっぱりこの人の言葉だった。

 

あるのはただ、そうした要素にしがみついていなければなにもなくなってしまうのではないかという、漠然とした不安だけだった。

(中略)

嘘をついてすべてをごまかしているだけなんだと思うと、苦しかった。

 

──同書「in the meantime」より P.96

 

だって、これはまるでわたしじゃないか。

同じじゃないか。

「認められなくたっていい」「自分だけが楽しく遊べればいい」みたいな顔をして。

本当は、認められたくて、認められたくて、たまらないじゃないか。

自分も、周りも、ごまかして生きてきたじゃないか。今までずっと。

 

人生を導いてくれた雲の上のように感じていた人だって、そうだったのだ。

それなら、焦る必要なんて、ないのではないか。

その人は雲の上になんかいない。

おなじ人間なのだから。

 

今はようやく、そういうこと──やりたいことが見つかった気もするし、気のせいな気もする。

どうか、気のせいでないといい。

 

わたしは50%の穴が空いたまま生きてきた。きっとこれからも。

だけど、いつの間にかとっくに大人になっていたことも、知っている。だから、「自分の人生」を始めなければ。

だいぶ遅かったかもしれないけど、でも、遅すぎるなんてことはない。と、いい。

 

 

 

 

2020年8月11日 午前3時18分

 

誰もいない森の中で木が倒れた。

果たしてそのとき、音はしたのだろうか?

 

──同書「結晶世界」より P.152 

 

大学時代の講義で、写真の幽霊性、という概念を習った。

写真にはたしかに人やものが写っている。だが、それらはもうそこに存在しないか、撮られたときとは異なる状態にある。

現実には存在しないものの姿を、写真はとらえている。

それは幽霊とも呼べるのではないか、という論である。

 

言葉にもこれと同じことがいえるように思う。

わたしがここに書く言葉は、たしかに「いま」生み出されたものであって、だがしかし、Wordの真っ白な版面に打ち出された次の瞬間から、「過去」のものになる。

言葉の幽霊性

 

文章や音楽は、真空パックのようなものだと感じることがある。

そのとき書いた文章や、聴いていた音楽にふと触れると、そのとき抱いていた気持ちやよく通っていた場所、ハマっていた食べ物、気温と湿度の肌触り……そんなものたちを克明に、真空パックを開けるように鮮明に、思い出すことができる。

 

もう存在しない幽霊に触れながら、たしかに存在していた感情が喚び起こされる。

だから書く。

「いま、ここ」の自分をパックするために、わたしはキーボードを叩く。

 

世界を変えたい、なんて大それたことは考えていない。

誰かが、わたしの書いたもので、たとえ米粒程度だとしても“救われてくれる”なら。

その誰かは、SNSですでにつながっている知人であり、まったく偶然にここに辿り着いた通りすがりのネットサーファーであり、未来のわたしかもしれない。

 

誰もいない森の中で木が倒れた。

その音を誰も聞いていなかったとしても。

いつか誰かが木の残骸を見つけるかもしれない。

それはまた歩き出すまでの、ちょっとした腰掛けくらいには、なるかもしれない。

それなら、やっぱり木を植え続けていこうと、生意気にもそう思うのだ。

 

 

 

 

summarization

 

何もない夏に聞くセミの声は、こんなにも涙を誘うものだっただろうかと思い返す。

わからなかった。こんな夏など、今まで記憶にないのだから当然だ。

何もない、ということは時に、過剰な思考を喚び起こすようである。

今こうして、1冊の本をきっかけに考えたあれやこれやは、きっとすこしくらいは何かの糧になるだろう、と信じている。

 

 

槙島聖護は言った。

本はね、ただ文字を読むんじゃない。自分の感覚を調整するためのツールでもある。

調子の悪いときに本の内容が頭に入ってこないことがある。そういうときは、何が読書の邪魔をしているか考える。

調子が悪いときでも、スラスラと内容が入ってくる本もある。

なぜそうなのか考える。

精神的な調律、チューニングみたいなものかな。

調律する際大事なのは、紙に指で触れている感覚や、本をペラペラめくったとき、瞬間的に脳の神経を刺激するものだ。

 

──TVアニメ『PSYCHO-PASS』15話より 

 

放送当時、恐らくわたしにはこのセリフの意味がわかっていなかった。

いや、もちろん言葉そのものの意味としてはわかっていた。しかし、そこには実感がともなっていなかった。

「紙の本を読み、精神をチューニングする」行為をしたことがなかったからだ。

 

それを本当の意味で理解できたのが、2年前のあの秋──『健康で文化的な最低限度の生活』を手にしたときだった。

あれは、今では心のやわらかいところにある、とても得難く、いとおしい経験だった。

 

 

その発売当時、こんな文章を書いた。

 

気づけば、ここにはだいぶいろいろな記事を書いてきたみたいだ。中でもこれは最も気に入っているひとつである。

 

この本を読み進めるなかで、わたしはわたし自身と向き合った。

壮馬さんの言葉を介して、自分を改めて見つめていた。

斉藤壮馬さんというひとりの人間に、どうして惹かれてしまったのか。

わたしは学校で何を学んだのか。それに果たして意味はあるのか。

この先、何をしたくて、どう生きていくべきなのか。

 

2年前──いろいろと迷っていた時期だったというのもあるかもしれない。

もっとも、今も、そしてこれからもずっと、迷いが完全に消えるときなんて、来ないだろうけど。

そんな不確かすぎるアイデンティティーに、壮馬さんの言葉はそっと寄り添ってくれた。

そして、なんとなく見えた気がした。これから生きていくうえで失くしてはいけない、方位磁針のようなものが。

 

(以下、壮大な自分語りアゲイン)

 

転機は、ちょうど卒論を書き終わったころだった。

人生で(たぶん)初めて数万字単位の文章を書いて、それが苦じゃなかったから、わたしは文章で生きていくのがいいかもしれない、と思ったところだった。

むろん、卒論が終わったころなんて、就活時期はとっくに過ぎている。

つまりわたしは、多くの大学生ができたような、4年の夏までに内定を取り、翌年春から正社員で働く、ということができなかった。

ああどうしようかな。文章を仕事にするって何? フリーランス? まず何したらいいのかわかんねーよ。そもそももう22だぞ。「ちいさいころから本が好きでした!文章ずっと書いてました!」みたいな人にはかなわないんだぞ。でもじゃあ、他になんかやりたい仕事、あんの? ……わかんない。まあでも、いざとなったら一生バイトでも食えないことはないし。……

寝ても醒めても、ずっとこんな堂々巡りの問い掛けをしていた。そして人間は気持ちが下を向くと、顔も下に向くものなんだと、身をもって知った。歩くとき、道行く人の姿をまともに見られなかった。

ちなみにわたしが卒業した年の就活は売り手市場で、最終的な新卒内定率は98%だった。わたしは2%の人間なのだ。わたしは2%の人間。その意識は、楔の形になって、胸のどこかにいつも刺さっていた。

ちょっと、たぶん今死んでも、わたし後悔しないわ。「〇×△どれかなんて 皆と比べてどうかなんて 確かめる間もない程 生きるのは最高だ」って藤原基央が言ってくれなかったら、「下を向いていたら 虹は見えないよ」って戸塚祥太が言ってくれなかったら、なんだろう、変な気にあてられていたかもしれない。

壮馬さんを知ったのは、そんなときだった。

 

楽しみながらがんばることは決して間違いじゃないんだ

 

──同書「健康で文化的な最低限度の生活」より P.163

 

壮馬さんは、以前は生きることが苦しかったけれど今は楽になったと、折にふれて明らかにしてくれた。

見栄を張らず、心のなかを包み隠さず。

その言葉に、どれだけ救われたか。

あのころだけじゃない。今でも、何度も、何度も救われてしまう。ちょうど今回、日記にしたためたように。

「ありがとう」では足りないんですが、どう返せばいいですか?

 

「がんばる」と「苦しい」はイコールじゃないんだ。

だからがんばりたい。

文章を書きたい。本を読みたい。映画を観たい。アニメも観たい。

全部、楽しみながらがんばりたい。

そのころ強烈に抱いていた劣等感を消すためには、自分自身が頑張って、勉強していくしかないのだとわかった。相手が下がってくることはないのだから、こちらが上がっていくしか手はない。

 

とりあえず、バイトから正社員を目指すことにした。相変わらず2%の道ではあるけれど。

今はその会社はやめてしまったが、立場は変わったものの一緒に仕事をしていて、良い関係が続いている。

本当に、人との縁に恵まれていることだけは、疑いようもなく自信を持てる。

もちろん、壮馬さんと出会えたことも、その縁のなかのひとつだと思う。

 

 

そういえば、その壮馬さん本人もこんなことを言っていたなと思い出す。

 

「本を読む」というのはある意味とても個人的な行為で、それは救いをもたらしてくれたり、隣にそっと寄り添ってくれたり、すこしだけ明日が楽しみになったりするような、本とわたしのあいだでのみ交わされる、ごくごく私的なことなのかもしれません。

本が「読める/読めた」というのは、はたしてどういうことなのか……ぼくにもよくわかりません。

それでも、ひょんなことから縁がつながって、「この本に出会えた」ということだけは、おぼろげながらもいえるのではないかな、と思っています。

 

斉藤壮馬さんからエッセイが届いた! 斉藤壮馬全面協力 \濃い本しかないっ!/ 河出文庫ベスト・オブ・ベスト|Web河出

 

わたしはこれからも、『健康で文化的な最低限度の生活』を再読していくだろう。

苦しいとき、泣きたいとき、どうしても逃げ場がなくなったとき、そういったときに、薬として。

そして考え続けるだろう。

「この本に出会えた」意味について。

この本を通して見る、自分について。

 

 

もし苦しくなったら、この本を読み返して、また仕切り直せばよいのだ。

 

──同書「健康で文化的な最低限度の生活」より P.164

 

 

 

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