消えていく星の流線を

消えていく星の流線を

デフォで重め

斉藤壮馬さん 2nd フルアルバム『in bloom』勝手に全曲考察

 

ソイヤッ!今年もがんばって書きましたYo!

もう多くは語りません。このブログが、壮馬さんの音楽を楽しむ手助けになればうれしいです。

 

恒例の(?)文字数カウント、今回は4万字です。ちなみにわたしのリアルガチ卒論字数超えました。昨年が5曲で2万5000字だったことを考えると至極妥当な量やな。

 

なんか今回種明かしが多くなかった? ということでインタビューの引用多めかも。

しかもね……発売前に読んじゃったんだよね、大体……。今回はヒントがいっぱいあったかもしれません。その上で自分なりに考えていきます。

 

こちら↓で言っていた仮タイトルはいくつか『in bloom』に収録されたと思われるので、最初に挙げておきます。

>タイトルでいうと、『オアシスミス』『ボサノバ』『VW』『マリリンマンソン』『くじら』などなど……

 

声優、斉藤壮馬が語る3曲連続リリース『in bloom』と、最新第一弾デジタルシングル「ペトリコール」について。 | HARAJUKU POP WEB

 

 

 この記事はいち個人の感想・考察・(in bloom的に言うなら)妄想によるものであり、正解を追求する意図はありません。

 リリースイベント(オンライントーク会)についてはレポを参考にさせていただきました。ありがとうございます。

 今回からコードの話をしてみています。頑張ってます。絶賛鍛え中なのでミスもあると思う。大目に見ていただけるとうれしい。質問箱かTwitterでご指摘ください。

 昨年末に上げたアルバム全体の考察もあわせて読んでいただくと楽しいと思います。たぶん。

 

 M5.ペトリコール、M6.Summerholic! についてはそれぞれ別記事に。

ちなみに『パレット』は「言葉で表せない曲」との結論に至り(という逃げ)未だに書けていません。


 

 

 

M1.carpool

今作のリード・トラック。

【carpool】(英)相乗り。1台の乗り物に複数人の他人が乗り合わせること。

 

 

◆世界観について 

アゴタ・クリストフ悪童日記的なイメージ。男の子にとって悪友は、もうひとりの自分のようだった。でもその悪友が海で死んでしまったことで、彼のその後は惰性で生きているような気持ちだったんです。そして彼が青年くらいの歳になって、悪友が亡くなった海にドライブに来た。(略)最後は、“すぐ追いつくから その場所で待ってて”と終わる

──「Ani-PASS」#10

 

これをね先行配信の前に読んだのでね……ほぼこの通りに聴こえました。

「男の子にとって悪友は、もうひとりの自分のようだった」。もうひとりの自分を失った「ぼく」は、まるで自分の半身を失ったような気持ちだった。

さらにわたしは、「ぼく」は「きみ」を連れて死のうとしていたのでは?と考えている。無理心中のようなシチュエーション。

 

悪童日記』は、戦時中、双子の男の子がほとんど縁のなかった祖母の家に疎開し、ふたりで賢くしぶとく生き抜いていく……みたいな話。

双子が交互に日記を綴っていく形式で書かれている。けっこう生々しいけど、双子がどんどん状況を解決していくのが痛快。

 

ここで『悪童日記』が出てくるのは意外だった。なぜなら以上のとおり、双子は狡猾で、何をしても生き抜くというしぶとさを持っていたから。この主人公像が、『carpool』の儚さや喪失感といった印象とは結びつかなかった。

なので『carpool』の物語そのものというより、「ぼく」と「きみ」の深い関係性がこの双子っぽい、ということだと思った。

 

ちなみに2018年のエッセイ発売時に行われた選書フェアにて、壮馬さんは『悪童日記』を選んでいた。そこでは「ぼくでもわたしでもない、『ぼくら』の物語。」とコメントしていた。

 

 

◆歌詞について 

まだ暗いうちにこっそり

待ち合わせて 海へ行こう

心中するなら人目につきづらい時間が好都合。「こっそり」なのも説明がつく。

 

ぼくら いつか遺した

悪い秘密の日記を持って

「残した」ではなく「遺した」。【遺す】は亡くなった人が何かをのこす、という意。

悪い秘密の日記」は悪童日記オマージュ。ぼくときみは何らかの秘密を日記にしたためていた。それは大事なものだから、死ぬときまで持ってきている。

 

サイダーみたいな空気で

満たされている 朝の中

サイダーみたいな空気」のサイダーの炭酸と、「うたかたの日々」がかかっている。

「うたかた」は儚いものの喩え。サイダーの炭酸も放っておけばそのうち消えてしまう儚いもの。

 

きみがいる日々は炭酸みたいに刺激的だけれど、炭酸はいつまでも続かない。ここでは、ぼくがきみを失ってしまうことが暗示されている。

炭酸が抜けたサイダーはただの甘いだけの水で、とてもつまらない。=きみがいない日々は刺激がなくてとてもつまらない。

 

まだ暗いうち」に待ち合わせていたふたり。これは時間にすると未明になる。

ここでは数時間がたち、「」になっている。車ですでに数時間走ってきたということ。

 

眠たそうに前を向いた

きみの眼はなにを見ていたんだい

きみは「なにを見ていた」のか分からず、虚空を見つめている状態。つまり何かに迷っていて、すでに自殺を決心しているのでは? でもぼくはそれに気づけなかった。

また、『エピローグ』の「永めに眠る」のように、「眠たそう」それ自体が死を暗示しているように思う。

 

運転席はいつだって

きみだけの専用席で

オープンカーに飛び乗って

海沿い だらり 走る

隣の席はいつだって

ぼくだけの特等席で

 

いつのことだっけな

ここはほとんどそのまんまな気がします。ふたりでよく相乗り(=carpool)して海沿いを走っていた回想。

また、きみがハンドルを握っていたのは車だけではなく、ぼくの人生に関してもそうだった。きみはぼくの人生を牽引する存在だった、という暗喩である。

 

いつのことだっけな」と唐突に出てきたことで、『carpool』の詞は現在のぼくの回想であることが分かる。

 

あのころのきみには

はやすぎて 追いつけないや

はやすぎて」=きみが死に急ぎすぎて。

追いつけないや」はラストの「すぐ追いつくから」とつながっている。

 

ここのみ、シンセを逆再生した音?が入っている。

ここでは過去の回想をしているため、「戻る」という意味合いで使われているのだと思う。

逆再生音は『林檎』でも使われていた。

 

ガラスの瞳で

ぼくを見て 迷子みたいで

ここは「あのころのきみ」のことなので、ふたりでこっそり待ち合わせた未明よりも前のきみのことを言っている。

 

きみの眼はなにを見ていたんだい」と同じで、「ガラスの瞳」には感情がこもっていない。

ガラスは透明できれいだけど、すこしの刺激ですぐに割れてしまう。同じように、きみの瞳も無垢できれいだけど、割れてしまいそうな危なっかしさもある。

 

迷子みたいで」については、きみは人生の迷子だったから、死を決意した。

 

数年先はいつだって

空想の話みたいで

数分あとのことだって

わかっちゃいなかったんだな

ふたりは数年先のことなんて考えず、今を謳歌していた。MVに出てくるふたりが悪ふざけを繰り返していたように。

 

しかし実際には数分後、きみはぼくを連れたまま海に突っ込んだ。

ぼくはそれを「わかっちゃいなかった」、予測できなかった。きみの自殺願望に気づけなかった。

 

冷たいだけの質量が

残酷にぼくに告げる

 

夢じゃないんだってさ

結局、ぼくだけ生き残ってしまったのではないか。

冷たいだけの質量」はきみの遺体だと考える。

冷たくなってしまった「質量」をもつ何らかのものから、「夢じゃない」ことを「残酷に」思い知らされるぼく。この何らかのものは、もともと温かかったはずである。すると、きみの身体なのでは?と考えられる。

 

さざなみのあいだから

きみが呼んでいる

さざなみのあいだ」は、きみが海に突っ込んで死んだので。

ぼくは、きみが海中から自分を呼んでいるように感じている。きみの声のほうに向かっていくことは、ぼくにとって自然な行動だったに違いない。

 

うたかたの日々はさ

ぼくらだけのものだよ

先述。「うたかた」と「サイダーみたいな空気」のサイダーの炭酸が掛かっている。

 

水平線の先なんて

知りたくもなかったよ

黒田Dが泣いたところ。(笑)わたしも何回かここで泣いた。良すぎるね。

 

水平線」は海の果てのように見える。だけど地球はまるくて、実際の海は水平線の先までずっと続いている。水平線は「見かけ上の」世界の果てでしかない。

『in bloom』が内省的であることを踏まえると、ここで言う世界は地球全体のことではなく、ぼくに見えている世界のことを指す。ぼくに見えている世界とはつまり、きみとぼくふたりの世界のこと。

きみとぼくふたりの世界と、その外側との境界線のことを、ふたりの思い出の場所である海に掛けて「水平線」と言っている。

 

ぼくは、ぼくときみふたりの世界の外側にも、世界が広がっていることは当然知っていた。

だけどきみとふたりだけの世界が心地よかったから、「水平線の先なんて 知りたくもなかった」。

ぼくは、ぼくときみふたりの世界にいたかったが、その外側に連れていかれてしまう何らかの理由(ぼくいわく「運命」)があった。

それはふたりが望んだものではなく、結果としてきみの死につながっていった。

 

運命なんて捨てよう、って

あのとき 言えなかったな

ぼくは、そんな「運命なんて捨てよう」って言えればよかった。捨ててしまって、ずっとふたりでいればよかった。それならきみが死ぬ必要はなかった。

ぼくは「数分あとのことだって わかっちゃいなかった」ように、きみの自殺願望に気づけなかった。だからぼくは後悔している。

 

曲とは関係ない話だが、ここでわたしは思う。「運命なんて捨てよう」って言えていたとしても、いつかは外の世界に出なければならなかったんじゃないか。ふたりだけで生きていくなど、現代社会では無理なことだ。

遅かれ早かれ「きみ」は死を選んでいたんじゃないか。そんな気がする。

 

ここで『悪童日記』訳者解説より引用する。

>「個」として生きる「ぼくら」とは、実は二人ではないか。彼らは二つの主体で一つの「個」(「外からは絶対に測り知れない」「彼らだけの世界」……)を形成しているのだ。それなら、彼らが分かれて別々の「個」となるとき、つまり他者を、より正確には間主観性を内部に含まない孤独な「個」となるとき、彼らは果たして外界に抵抗し、勝利し続けることができるだろうか。

──アゴタ・クリストフ堀茂樹訳『悪童日記』ハヤカワepi文庫 P.300

これを『carpool』に当てはめると、ぼくときみは外界に抵抗し、勝利することができなかったのだと言える。

 

運転席はいつだって

ぼくだけの専用席で

オープンカーに飛び乗って

海沿い ひとり 走る

きみがいなくなったので、ぼくが運転せざるを得ない。

そしてきみが死んだ海にひとりで来た。

 

隣の席はいつだって

きみだけに空けてあるよ

ぼくはきみと再会できると信じている。

 

すぐ追いつくから

その場所で待ってて

きみが死に急ぎすぎて「追いつけないや」と言っていたぼく。しかし、ここでぼくはきみの後を追って同じ海で死のうとしている。だから「すぐ追いつく」。

 

 

本当は、この曲は壮馬さんのすごくパーソナルな感情が含まれているかもしれないと感じていたので、ここまで具体的に書くのはやめようかとも思っていた。

でも壮馬さん自身も「それぞれに読み解いてほしい」とおっしゃっていたので、自分の解釈を書かせていただいた、ということは記しておく。

 

 

◆過去の楽曲との関連 

今回、壮馬さんは「好きなものを好きなように作った」と確か言っていた(何で言っていたか忘れた……)。リリイベなどで「アルバム全体のコンセプトは決めていなかった」とも。

さらに『carpool』はMV撮影が差し迫っていたときにポンとできたらしいので、過去の楽曲とはつながっていない、とわたし自身は思っている。

しかし、それこそ潜在的に過去の楽曲とも世界観が通じていると感じた。ここは補足程度だと思ってください。

 

●『memento』との関連 

『memento』の歌詞より

・その日を摘みな カープール

「carpool」が登場。『memento』は主人公たちが車でドライブしている状況。

 

・水底へ沈んだ

『memento』では、世界は大洪水によって滅びるか、あるいは『西瓜糖の日々』における川をオマージュしているのではないか、と考えた。

 

>車の色は青で、それにもいろいろ元ネタというか、引用元はあるんですけど。

──「声優グランプリ」2020年2月号

このときの元ネタはスピッツの『青い車』?

青い車』の歌詞を読むと、主人公と「君」が車で海に行き心中しようとしている? とわかる。

https://j-lyric.net/artist/a000603/l000038.html

 

君の青い車で海へ行こう

おいてきた何かを見に行こう

もう何も恐れないよ

そして輪廻の果てへ飛び下りよう

終わりなき夢に落ちて行こう

今 変わっていくよ

海へ行って、もう何も恐れない、輪廻の果てへ飛び下りよう、今変わっていくよ……。

ふたりで心中して、「輪廻」のその先で再会しよう、と言っているように見える。『エピローグ』かよ。

 

車と死と海。この3つが結びついている点で、『青い車』と『carpool』はよく似ている。

ちなみに壮馬さん本人も「リード曲はちょっとダークな、スピッツさんとかART-SCHOOLさんのような邦楽ギターバンドらしい構造を持っている曲がやりたかった」(「Ani-PASS」#10)とスピッツの名前を挙げている。

 

※ 2021.5 追記

『carpool』はスピッツ『冷たい頬』をイメージしていたらしいというエビデンスが出てきたので(わたし大興奮)補足します。

>実は最近作った「carpool」という曲は「冷たい頬」をイメージしたんです。

デジナタ連載 岩井勇気(ハライチ)×斉藤壮馬 インタビュー|Technicsのターンテーブルでジブリ作品のレコード体験 - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

 

https://j-lyric.net/artist/a000603/l000116.html

 

冷たいだけの質量」はここからきていたのか、とわかる。

わたしとしては『冷たい頬』も人死んでると思う。プラスティネーションで恋人の遺体を保存していて愛でてる……みたいなイメージ。

 

 

●『結晶世界』と『エピローグ』との対比 

この2曲はともに、登場人物たちが死(ないし死に限りなく近い結晶化)に向かっている。

 

結晶世界:きみはどうしてこんなふうに 完璧な世界に舞い降りていく?」とあることから、ぼくはきみを追う側。

エピローグ:ふたりは 共にこの身朽ちかけ」とあることから、ふたりは一緒に死ぬ。 

 

『carpool』はぼくがきみの後を追っているので、『結晶世界』的なニュアンスを踏襲していると言える。

 

 

◆音楽面について 

この曲は『memento』ほどアッパーではなく、『結晶世界』ほどダウナーでもない。その中間をいく。ニュートラルでシンプル。

壮馬さんいわく「スタンダードなギターバンド曲(「Ani-PASS」#10)」。だけど、スタンダードだからこそ今までのリード曲にはなかった曲調だと思う。

 

また、以前 『ユーリ!!! on ICE』の記事 で「E♭メジャーに水や氷のようなイメージ、色でいうと青を感じる」と書いた。

『carpool』のA♭メジャーはE♭メジャーに♭を1つ足した調で、同じように透明感と青みを感じる。

 

 

●スタンダードなギターバンド曲 

構造は【A・A・サビ・A・サビ・C・落ちサビ・大サビ】で、よくあるJ-POP的。

リードギター・バックギター・シンセ・ベース・ドラム、というバンド構成も典型的。

 

また、全体的に音圧が薄め。

デラシネは『carpool』のシンセがピアノに代わった構成で似た印象を受けるが、聴き比べてみると音圧が結構違う。

デラシネ』のギターにはディストーションがかかっていて、ベースも大きく鳴っている。ドラムはシンバル多め。

『carpool』は音がもっとミニマルで、やはり内省的なイメージをもたせる。

 

 

●ヴォーカル 

声帯の上のほうを絞って使っているのか、明るめの声だなと感じた。キャラでいうと2Winkとかそっちの声。若めな印象である。

この曲では過去の回想をしているので、幼い声にしているのかもしれない。

 

また、イントロ・サビをはじめ、ダブルトラックが多用されている。ダブルトラックは浮遊感や透明感を与える。

なのに、落ちサビ「水平線の先なんて~運命なんて捨てよう、って」だけヴォーカルが1本になる。その後の大サビではまたダブルトラックに戻る。そのため、落ちサビだけいきなり現実に引き戻されるように感じられる。

 

 

『carpool』について、壮馬さんはこう語っていた。

 

最近、バズったものの良さが分からないことが多くて、世間についていけない、やっぱりわたしはおかしい、欠けているんだ、そんなことを突きつけられたように感じていた。

そんなとき、『carpool』という曲に出会った。

MVが公開されたときから、この曲がすごく好きだと思った。多分、ぼんやりとだけど、わたしを救ってくれる曲だと思った。

そして壮馬さんも「救われた」と、黒田Dも「泣いた」と、そう言っていた。

同じ曲を同じように、好きになれた。

それでわたしは、わたしの感性を認めてもいいんだ、と思えた。

この曲はたぶん、これからわたしにとって大事な曲になる。そう感じている。

 

 

 

M2.シュレディンガー・ガール

春に「北欧(仮)」としてデモが出されていたやつ。

 

「北欧どこいったんだろう」って皆めっちゃ言っていたのを思い出す。じっくり8か月熟成ソング。

 

 

◆世界観について 

>ぼくのなかでは珍しく“明確なストーリー”を描きながら紡いだので、ぜひ皆さんも考察してみてください。

──「声優グランプリ」2020年12月号

はぁ……そう言われたらさ……やるよ……ってなるよね。(笑)

 

 

●「シュレディンガーの猫」について 

タイトルの元ネタであるシュレディンガーの猫シュレディンガーは人名。「シュレディンガーの猫」はシュレディンガーさんが提唱した思考実験のこと。ざっくり要約します。

 

まず、「シュレディンガーの猫」は量子力学の思考実験である。実際に猫をどうこうしたわけではなく、思考の上でのみ進められる。

 

量子の世界(ミクロ)では、粒子は「観測されていない時と観測されている時で状態が変わる」という特性をもっている。これは目に見える世界(マクロ)ではあり得ないこと。

量子力学では、このときの不可思議な粒子の状態を、複数の状態が「重なり合っている」と表現する。複数の状態が重なり合った粒子は、観測者が観測してはじめてどんな状態か確定される。これが「コペンハーゲン解釈」。

 

しかし、ミクロの世界では通用しても、マクロの世界に置き換えて考えるとおかしくない?と異を唱えたのがシュレディンガーさん。シュレディンガーさんは量子を猫に置き換えて考える。

「箱の中に猫を入れ1時間以内に50%の確率で死ぬ」状態を作ったとき、1時間後には「生きている猫」と「死んでいる猫」が重なり合っているのか?箱を開けて、観測者が観測してはじめて猫の生死が確定するのか?いや、そんなことはない、箱を開けて観測する前に猫の生死は確定している。だから「コペンハーゲン解釈」はおかしい。とシュレディンガーさんは言った。これが「シュレディンガーの猫」。

 

わたしの要約ではこれが限界だ。詳しくは参考サイトまで飛んでください(放棄)。このへんが分かりやすかったです。

シュレディンガーの猫の話の流れを分かりやすく解説。量子の世界の不可思議な話|アタリマエ!

コペンハーゲン解釈は間違い!?― 猫でもわかる「ウィグナーの友人」 - 誰が得するんだよこの書評

 

余談。

壮馬さんがエッセイ『健康で文化的な最低限度の生活』の「結晶世界」で綴っていた、「誰もいない森の中で木が倒れた。果たしてそのとき、音はしたのだろうか?」のはなし。

これも「コペンハーゲン解釈」が正か否か、という話だったのだと今さら気づく。

 

壮馬さんは最初、「音はしなかった」=「自分の認識できないものは存在してもしなくても意味がない」と考えていた。これは物事が観測されてはじめて状態が確定されるという、コペンハーゲン解釈に沿った思考である。

しかし最後には「たぶん、(音は)したのだろう」と言い、アインシュタインの「神はサイコロを振らない」の立場に立つ。

 

こうしていろいろなことが何年かの時を経てつながっていく。これだから「知る」ということは面白い。フィロソフィア──知るを愛する姿勢を、わたしもずっともっていたいと思う。

 

 

●世界観について 

壮馬さんいわく「虚構と現実の狭間の曲」。

また、リリイベによると「妄想の曲」。

ヒントは割と少なかったかもしれない。

 

まず、この曲には「彼」「彼女」「きみ」という3つの人称が出てくる。「きみ」は「無数の分岐こえて きみを呼ぶから」の一度のみ。

ここでは「彼女」と「きみ」を同一として考える。これを別の人物とするとかなりごちゃごちゃしてくるので。

 

 

わたしはこの歌詞を、量子コンピュータ量子テレポーテーションの話だと考えている。

この曲を聴いて、最初は「ネット世界の話」と考えた。

0と1の狭間へ

消えさっていく

「0と1」といえば、デジタル情報を処理するときの2進数、とはじめに思い浮かんだ。

「彼女(きみ)」はネット上だけにいる存在?

仮に具体的な彼女像を考えるなら、バーチャルアイドルVTuber、VRMMOゲームの中のヒロイン……など。 

ネット世界の解釈は供養。

@SSSS_myuさんの伏せ字ツイート | fusetter(ふせったー)

 

これが他の箇所も考えていくと、「量子コンピュータ量子テレポーテーションの話」と考えると大体つじつまが合う。たぶん物理学の人なら一瞬で分かるのかもしれない。我……ド文系のセンター生物選択……。

 

これに気づいたのは「量子のたなごころ」という詞からだ。そもそも「シュレディンガーの猫」は量子力学の話だった。

 

無数の分岐こえて」から、量子力学における「多世界解釈」の考えが見えてくる。彼女はここではない別の平行世界にいる。 

多世界解釈量子の世界ではさまざまな状態が重なり合っている。

コペンハーゲン解釈」では、これを観測することによって1つの状態に確定される。

このコペンハーゲン解釈に対して「多世界解釈」では、観測によって世界が1つに確定されるのではなく、重ね合わされた状態の数だけ世界が分岐しており、並行世界として存在すると考える。

 

そして「0と1」は最初の解釈と変わらず2進数だが、さらに限定して量子ビットのことだと考える。すると、彼女は量子コンピュータの中にいる存在(あるいは、極端に考えれば量子コンピュータそのもの)というところまで分かる。

量子ビットとは - コトバンク

 

「彼」は量子コンピュータの中の「彼女」に心酔しているが、彼女が実在する人物なのかは不明。

 

彼女は

 ・実在している状態(=現実に存在する人物)

 ・実在していない状態(=量子コンピュータの中に存在し、現実には存在しない人物)

 

この2つが重なった、矛盾した状態にある。ここが「シュレディンガーの猫」と掛かっている。

 

 

これを前提に、以下からは歌詞の流れ通りに読んでみる。わたしはもう息切れしてますが(笑)

また、一応つらつら書いていきますが、この物語がすべて「彼」の妄想という可能性は高いと思う。壮馬さんも「妄想の曲」と言っている。「彼は幻想の虜」という歌詞がそのまま正と考えると、そういうことになる。

 

 

◆歌詞について 

彼女はまるで蝶のよう

」はバタフライ・エフェクトから?

バタフライ・エフェクトは、「蝶の羽が起こす風が影響し、遠距離で竜巻が発生するかもしれない」ということから、小さな出来事が遠い場所や未来に大きな影響を及ぼす可能性があることを指す。

彼女は世界・未来に大きな影響をもたらす存在。

 

また、「プシュケー」とつながっていることは後述。

 

蠢く街のスクランブル

【scramble】(英)ごちゃ混ぜ、奪い合い

和製英語(?)で「暗号化された通信」のような意味がある。NHKの問題でスクランブル放送が~ってよく聞くのはこれ。

スクランブル通信 | 通信コンサルのアシストネットナビゲーション

 

関係ないが、ヒプマイの帝統の『SCRAMBLE GAMBLE』は「奪い合う」の意味。

 

ここではコンピュータ世界の話であることもあり、「暗号化された通信」の意味ととる。

街にはスクランブル化された通信が溢れている。

 

瞼の裏の残像

気づけはしないサブリミナル

彼は瞼を閉じている状態。眠っている?

 

【サブリミナル】潜在意識に働きかけること。「サブリミナル効果」でよく聞く。例えば、映画の予告映像に目で認識できない程度の長さでポップコーンの写真を入れ込んだところ、ポップコーンの売上が伸びた、というデータもある。

 

コンピュータの中にいる彼女が、スクランブル通信を使って彼にサブリミナル的に働きかけている。彼は寝ている状態なのか、潜在意識下のことなのでそれに「気づけはしない」。

 

彼女の存在が彼の妄想とすると、彼女は彼の見ている夢に出てくるだけ、という可能性もある。

彼は起きるとその夢を覚えていないので、サブリミナルに働きかけられているのと同じ。

 

スクランブルサブリミナル」で韻。

 

欲望という名の

鱗粉を撒き散らし

戯曲・映画の『欲望という名の電車』から?

観たことはないが、レイプ・同性愛などを含む性に関するセンセーショナルな内容らしい。

 

彼女は蝶にたとえられていたので、「鱗粉」と掛かっている。また、「鱗粉」は量子的なイメージをもつ。

 

プシュケー 空洞だけが

その胸に棲みついた

とり憑かれてしまった

【プシュケー】古代ギリシア語で心・魂・蝶。もとはギリシア神話に登場する、美しい人間の娘の名前。英語の「psyche(サイケ)」の語源。

 

プシュケー」と「」はつながっている。

蝶は、世界各地で「魂(特に死者の魂)」や「再生・不死・輪廻転生」のシンボルとされているという。蝶がイモムシからサナギを経て成虫へとドラマチックに変化する完全変態の昆虫だから、という説が多い。

蝶のスピリチュアルな意味とその理由 | 開運日和

 

「再生・不死・輪廻転生」は、後述の「袖振り合うも多生の縁」や「ウロボロス」ともつながる。

 

彼は彼女の魅力に「とり憑かれてしまった」が、まだ彼女像はぼんやりとしているし、触れられない。

そのため彼は、胸に空洞が空いたようなもどかしさを抱いている。

 

袖振り合って

多生の縁でいいって

元は「袖振り合うも多生の縁」という故事成語

【袖振り合うも多生の縁】道で人と袖を触れ合うようなちょっとしたことでも、前世からの因縁によるものだ

 

興奮した歌詞(毎度恒例)。ここはあんまり深い意味はない気がする。

袖が触れ合うくらいちょっとでいいから、彼は彼女に触れたい。

プシュケーと蝶は「再生・不死・輪廻転生」のシンボル。彼女はコンピュータの中にいるが、前世からの輪廻転生によるつながりがある、と彼は思っている。

 

無数の分岐こえて

きみを呼ぶから

ここで「多世界解釈」にたどり着く(先述)。

重ね合わされた状態の数だけ世界は無数に分岐しているが、彼はその無数の平行世界から彼女(きみ)を見つけ出そうとしている。

 

また「無数の分岐」については「バタフライ・エフェクト」とのつながりも考えられる。ちょっとした分岐の選択によって、未来は大きく変わってしまう可能性をはらんでいる。

 

映画『バタフライ・エフェクト』では、死んでしまった女の子を生き返らせる(生きている未来を取り戻す)ために、主人公が過去に戻って何度もやり直す。その際、分岐における選択のわずかな違いによって未来は大きく変わってしまう。

現在放送中のドラマ『知ってるワイフ』にもこのようなシーンがある。

 

でも本当は知らない

彼女の名前も声も

どんなふうに笑うのかさえも

彼は彼女の名前や声、顔を知らず、概念しか把握できていない。彼女は量子コンピュータの中からサブリミナルに働きかけていたので、当然である。

 

彼女は彼の妄想によって作り出され、夢に出てくるだけの幻想とすると、もともと顔や声をもたないと考えられる。

 

彼は幻想の虜

嘲笑う衆愚をものともせず

数えるのをやめたころ

周囲から見れば、コンピュータの中にいて、彼の夢に出てくる彼女は「幻想」でしかない。コンピュータの中の人の虜になるなんてバカ?……という嘲笑が彼に向けられている。

が、彼はそれをものともしないほど彼女に夢中。

数えていたのは、彼を嘲笑う愚衆の数かな。もはや数えきれないほどバカにされている。

 

彼女が囁きかけたような

サブリミナルだった彼女からの通信に、彼が気づき始める。

≒彼女が出てくる夢の内容がはっきりとしてくる。

 

交わるはずなかった

それぞれの点と点が

触れた利那 生まれた

ウロボロス

ウロボロス自身の尾を噛んで輪の状態になった竜の図。象徴するものは「死と再生」「不老不死」「永遠性」「始まりと終わりがない完全性」など。

中世の錬金術においては「真理」の象徴。そ……!そういえばハガレンホムンクルスたちの身体にはウロボロスの紋章がある。一は全……全は一……。エド錬金術の際に両手を合わせるのは、自分の身体で輪を作ることで力を循環させるため……。

壮馬さんよくハガレンの話するよね。わたしもリザさんが好きです。

 

そして、プシュケーと蝶も「再生・不死・輪廻転生」のシンボル。

ユングも「ウロボロスはプシュケーの象徴」と考えていた。

 

現実世界にいる彼と、コンピュータの中にいる彼女は本来、「交わるはずなかった」。

しかし、彼がコンピュータの中に飛ぶことでふたりが触れ合う。これがシュレガにおける量子テレポーテーション

 

もしかしたら彼は、コンピュータの世界で生きることを選んで、生と死すら超越するのかもしれない。だからウロボロスやプシュケーが象徴する「不老不死」になり「永遠性」が生まれる。

 

量子テレポーテーションはまじでちゃんと理解できなかった。我、ド文系の(略)

量子力学が創り出す不思議な世界ー量子テレポーテーション!ー | サイエンス&テクノロジー | 研究・社会連携 | 京都産業大学

 

表面だけかいつまんで引用する。

>光の粒子(光子)がもっている情報を遠く離れた場所に瞬時に伝送できることが、実験で裏付けられた。この方法は「量子テレポーテーション」と呼ばれ、SF小説でおなじみの“瞬間移動”も単純な原子や分子なら夢ではない。この原理を超高速通信や量子コンピュータに応用する展望も開けてきた。

 

アインシュタイン相対性理論では、光の速度より速く情報を伝送することはできない。(略)しかし、量子テレポーテーション相対性理論不確定性原理に反することなく,光子の状態に関する情報を瞬時に遠くまで伝送できる。

 

https://www.nikkei-science.com/page/magazine/0006/ryoushi.html

 

量子のたなごころで

彼を包み込み

生存線の先へと

qunatum!!(大声)『quantum stranger』で量子的、量子的って言ってたのが懐かしい。

量子コンピュータの中に入り込むので、彼は無数の量子ビットに包み込まれる。

 

生存線」は【オブジェクト生存線】というプログラミング用語しかヒットしなかった(これこそ本当に1ミリも理解できない)。彼はコンピュータ世界へ行くので。

また、生死を超越するので、「生存線の先へと」行く、という意味もありそう。

 

異空間へ行って

たぶんこっちって解って

彼女のかおりがして

手を伸ばすから

彼はコンピュータの中という「異空間」へ行った。

そこで、彼女の手掛かりをつかむ。

香りは五感のなかでも記憶と強く結びついていると言われる(プルースト効果)。

彼がもつ前世からの記憶が、「彼女のかおり」によって喚起されている。

 

ていうかまた『グリフォンズ・ガーデン』の話していい?いいよ

>「あのね、わたしの記憶って、香りに支配されているのよ。(略)映像でも音でもなく、香りなの。よく、デジャ・ビュっていうでしょ。見たことなんかないはずの光景を懐かしく感じるときのこと。(略)香りが似ていると、わたしはデジャ・ビュの扉の鍵を見つけられるの」(略)

「どうして、神様は、香りだけは情報としての確かな記号を与えてくれなかったのかな。(略)香りだけは、確かな記号にできない。映像も音楽も、磁気テープや光ディスクに記憶してネットワークで伝えられるのに、香りだけは保存手段も伝達手段も与えられていないじゃない」(略)

「きっと、香りだけは新しい情報じゃないからだ。(略)香りの分子は、地球が誕生したときからある元素で構成されている。(略)光や音っていうのは、基本的にその構成物質に拠らないんだよ。その形態っていうか、状態に拠っている情報だけれども、香りは、百パーセント、その構成物質に依存している。何も新しくならない」

──早瀬耕『グリフォンズ・ガーデン』ハヤカワ文庫 P.173

 

「香りだけは情報としての確かな記号がない」。

彼が飛んだ量子コンピュータの世界は、量子ビットによって処理されているはずである。

しかし、香りは(0,1)による符号化ができない。

つまり、ここで彼が嗅いでいる彼女のかおりは、コンピュータにプログラムされたものではない。彼自身が勝手にかおりを感じている、と考えるのが妥当。

彼女のかおり」の情報は、彼自身がもともともっている記憶である。すると、彼女は彼の妄想が作り出した存在、という筋が説得力をもってくる。

 

でも本当はもはや

身体 解き放たれたの

彼はコンピュータの中で生きることを選び、肉体的な生死を超越したので「身体 解き放たれた」。

 

光よりはやく飛ぶから

 量子テレポーテーションでは「光よりはやく飛ぶ」ことが可能になる。

アインシュタイン相対性理論では、光の速度より速く情報を伝送することはできない。(略)しかし、量子テレポーテーション相対性理論不確定性原理に反することなく,光子の状態に関する情報を瞬時に遠くまで伝送できる。

 

https://www.nikkei-science.com/page/magazine/0006/ryoushi.html

この歌詞は、彼が量子テレポーテーションをしている裏づけになり得る、とわたしは考えている。

 

ユーレカ 狂ったように笑って

【ユーレカ】Eureka(ギリシア語):「分かった」「見つけた」というときに使われる感嘆詞。「ユリイカ」とか「エウレカ」と言ったほうが日本ではポピュラーな気がする。

ユーレカ」としているのは、「幽霊か」と掛かっている? 彼女は彼の妄想が作り出した存在=幽霊、ともとれる。

 

彼は「何かが分かった」or「何かを見つけた」。

彼はコンピュータの中で彼女を捜していたので、ここでは「彼女を見つけた」と考えるのが自然。

彼はついに彼女を見つけ、「狂ったように笑って」いる。

 

暗い部屋で踊って 彼はわからない

彼女は彼が眠っている間に見ている夢に出てくる、妄想で作り出された存在なので、彼の部屋は暗いのだと予想できる。

彼は眠りながら踊っている、夢遊病のような状態。

しかし「彼はわからない」、彼自身は自分が妄想を作り出していることに気づくことができない。

 

ああ 本当は シャングリラ

すべてが解き明かされて

眠るように 空を見上げた

【シャングリラ】Shangri-La(英):もとはジェームズ・ヒルトンの小説『失われた地平線』に登場するユートピア。そこから、ユートピアそのものの代名詞のようになった。

ドラマーが絶対通る(知らんけど)チャットモンチーの名イントロ。

 

量子コンピュータの中は彼にとって理想郷(=シャングリラ)ではあるけれど、「シャングリラ」自体は架空の地。

彼女は妄想の中の、実際には出会えない架空の存在であることが「解き明かされて」しまった?

彼はそのまま踊るのをやめ、眠りにつく。

というバドエンではないか、とわたしは思っている。

 

 

はあ長かった。読むほうも疲れるよねごめんね(?)

 

 

●「妄想」要素について 

古い由来をもつ語が目立つ。

プシュケー:ギリシア神話

袖振り合うも多生の縁:故事成語

ウロボロス古代ギリシア

ユーレカ:もともとはアルキメデスが発した感嘆詞とされる

シャングリラ:1933年のジェームズ・ヒルトンの小説『失われた地平線』

 

シュレディンガー・ガール』自体はSF的なのに、古代ギリシアにはじまり古典の要素がちりばめられている。

時代が倒錯していて彼の頭がヤバイ状態なのがわかる。

 

 

◆音楽面について 

>北欧のギターロックバンドっぽいからという仮タイトルで。

──「声優グランプリ」2020年12月号

>スウェーディッシュポップのコード進行を意識した曲だったので“北欧“という仮タイトルだったんですけど

──「Ani-PASS」#10

 

ギターロックとポップ全然違うやん。サウンドはロック、メロとコード進行はポップということかな。

 

カーディガンズから始まった、90'sスウェディッシュ・ポップ! - Middle Edge(ミドルエッジ)

え、聞いたことある!?ていう曲が非常に多くて驚いたの極み乙女。スウェディッシュポップは知らないだけで身近にあった。

女性ヴォーカルが多くて、透明感がありキラキラしてる。

 

「ばらっぼー」の部分、シュレガの「でも本当はァッァー知らなァッァーい」と似てる気がしなくもない。

 

 

編成は【リードギター・バックギター・ベース・ドラム】の王道オルタナサウンド

個人的にはアニメ『覆面系ノイズ』のオルタナ・バンド、イノハリっぽいなと思った。

 

>声優だから今までは声を前面に出したミックスをお願いしていた。

でも、もともと好きな音楽はボーカルがそこまで前に出ていないことが多い。

今回は声を加工したり、声を奥のほうに引っ込めたミックスバランスになっていたりする。

──ダメラジ 2020年12月16日放送

>音がシュワシュワ揺れるようなエフェクトもふんだんに使っている

──「声優グランプリ」2020年12月号

 

シュレディンガー・ガール』はヴォーカルがバンドに埋もれていて、奥まっている。

主人公が情報・量子ビットの波に呑まれているような印象。

 

 

あと、ベースだけチューニングが低めに聴こえる(耳が悪いだけかもしれないからこれはあんまり気にしないでほしい)。

歪(ゆが)み、ちぐはぐ感がある。

 

 

イントロは2段階になっている。

ド頭の、コードではなく単音で鳴っているほうのリフは、蝶が鱗粉を撒き散らしながら舞う様子。

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このリフはサビでも鳴っている。これがどこか「サブリミナル」的である。

 

似たもので、きゃりーぱみゅぱみゅ『最&高』では、サビのメロディーがA・Bメロの後ろで鳴っている。

 

中田ヤスタカは「Aメロからサビのメロディーを印象付け、サビになった時に聞き馴染み感を出している」としている。

中田ヤスタカ、Perfume&きゃりー楽曲の秘密明かす「フレーズが成長していく」 - Real Sound|リアルサウンド

 

 

 

M3.Vampire Weekend

 

◆タイトルについて 

恐らく仮タイトル「VW」だったやつ。

 

ヴァンパイア・ウィークエンドは実在するイギリスのバンド名。代表的な曲をざっと聴いてみた。

Vampire Weekendのおすすめ人気曲、代表曲、アルバム

 

脈絡のない曲が多い印象がある。分断されてたり、急にホイッスルボイスが入ったり。

『Vampire Weekend』は【A・B・C・D・サビ・サビ・F】というめちゃくちゃな展開。

それがヴァンパイア・ウィークエンド(バンド)っぽいから仮タイトル「VW」にして、そのまま残ったのかな。

A類稀なる称賛~

Bさまよえる影の~

Cシャイに グラス傾けては~

Dレゾンデートル~

サビ何千年生きていたって~

サビそんなに見つめないで~

F招待状 送りましょう~

(間に「ヴァンパイア・ウィークエンド」が挿入)

 

とはいえ、バンド名に由来するだけでなく、この曲はヴァンパイアを主人公としている。

>ヴァンパイアは逸脱したものを否定せず、自分の要素として持ちながら、人間になりすまして生きている。

──「Ani-PASS」#10

 

・週末の闇にロづけをした

・来週もこの街で

さらに、これらの詞から、週末が舞台となっている。

つまり「ヴァンパイア」の「ウィークエンド」がそのまま描かれている、直球なタイトルでもある。

 

 

壮馬さんはアプリゲーム『イケメンヴァンパイア』でヴラドを演じている。ヴラド本編ストーリーはアルバム発売の翌日に配信が開始された。こんな偶然あんのかと思った。ヴラドめっちゃ良いのでおすすめです。

 

 

◆音楽面について 

>同じコードが繰り返されていく中でメロをどんどん変化させて、グルーヴを出していく洋楽的発想

──「Ani-PASS」#10

 

グルーヴを意識したブラックミュージックベースのシティ・ポップ。ネオンサインが似合う。

ヴァンパイアが主人公という変化球な曲だけど、ポップさがちゃんとある。

同じ「ヴァンパイア・ウィークエンド」のフレーズが繰り返されるのも洋楽っぽい。

 

レミング、愛、オベリスクもグルーヴ感があり、2小節ずつのコード進行がループしていた。

 

ギターは Awesome City Club のモリシーさん。壮馬さんは3年前くらいからAwesome City Clubのファンを公言していた。

ACCにも『Vampire』という曲がある。かわいい曲だーーー

 

壮馬さんはラジオ(「TS ONE UNITED 斉藤壮馬アセンションプリーズ」1週目)にてこの曲を流していた。

さらにアセプリ3週目ではACCのアタギさんと生電話してた。すげー。「曲書いてください!」とか言ってたのに、逆に自分の曲に参加してもらってる。すげー。すげー……(心からの感嘆)。

 

『Vampire Weekend』のアレンジャー ESME MORIさん はACCのアレンジャー。

ヒプマイのFling Posse『Stella』や夢野ソロ曲『蕚』のアレンジも担当していた。お世話になりまくっている。2曲とも最高です。

 

 

『Vampire Weekend』はACCサウンド斉藤壮馬テイストの詞が乗るハイブリッド。すごい新感覚だった。

 

発声がセクシー。気だるげというか。「騙しあいされたい」の部分はウィスパーなコーラスが重ねられている。

 

この曲はメジャー・マイナーを行ったり来たりする。調性はG♭メジャー・E♭マイナー(変ト長調変イ短調)。

もっとも黒鍵が多い調。奏者からするとふざけんなと言いたくなる調でもある(笑)

もっともひねくれている、一筋縄ではいかない調とも言える。この曲があと半音低くても、あるいは高くても、あの特有の妖しさは出なかったと思う。

 

 

●曲構造について 

この曲の構造は【A・B・C・D・サビ・サビ・F】。

サビまでが長いので、期待感が高まっていく。やっと「何千年生きていたって~」が聴こえるとサビキタコレ!感がある。

 

・Aメロ

頭はアウフタクト×ブレイクで、歌詞がかなり印象的に入ってくる。

アウフタクトは「弱起」と呼ばれるやつで、決まった拍数に満たない小節(不完全小節、4拍子なら4拍に満たない小節)の音のこと。アウフタクトの音は次の完全小節の1拍目に付随するような形になる。

 

なんかパッと浮かんだのがオーイシさんだった。

「めをさませ」がアウフタクト。この曲もアウフタクト部分がかつブレイクとなっているので、「目を覚ませ!」が印象的に聞こえる。

 

「きみとまた」がアウフタクト

 

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譜面は小さくてごめん……スマホで見やすい楽譜の打ち方が知りたい

 

類稀なる称賛」では、「しょう」の音が1拍目になるので、その前の「たぐいまれなる」がアウフタクト部分となる。

さらにバンドの音がなくブレイクとなっている。

歌詞に「類稀なる」なんて言葉を使うだけでも印象的なのに、アウフタクト×ブレイクがさらにそれを助長する。

ちなみに『Vampire Weekend』でアウフタクトは「類稀なる」と「彼は道化の」という2か所のみ(ピンクの部分)。

 

1stアルバム時のリリイベで、アウフタクトもブレイクも好きと言っていた、と見た記憶がある。

 

さらに次の「受け取るまでもなくね」「週末の闇に」はE♭とG♭が行き来する(青い部分)。

細かい話だけど、この2音が繰り返すことで、「彼」が白なのか黒なのか、良い存在なのか悪い存在なのか交錯しているように思わされる。

 

・Bメロ

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1拍1音。歌詞の情報量が少なく、ゆったりしている部分。どこか「彼」の余裕が感じられる。

 

・Cメロ

ループするグルーヴがここだけ消える。さらにヴォーカルにエフェクトもかかっている。この曲でもっとも幻惑的な部分。

 

・Dメロ

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今度はB♭とA♭が行き来する(青い部分)。

ここもAメロのE♭・G♭と同じ効果。

 

・サビ

マイナー→メジャーに転調。

サビのメロは【ソ♭・ラ♭・シ♭・レ♭・ミ♭】のペンタトニック。

『Summerholic!』記事 でも語ったが、ペンタトニックには売れ線のメロの曲が多い。

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・Fメロ

Bメロと同じく1拍1音で余裕がある。

 

 

◆歌詞について 

類稀なる称賛

受け取るまでもなくね

彼は道化のようで

週末の闇にロづけをした

週末=Weekendの夜が舞台であることが分かる。

ヴァンパイアは日光が苦手で、夜に行動するとされる。

 

さまよえる影の

外套がひらり

おしゃれか??? ヴァンパイアといえばマントを着ているイメージ。

 

見えざる世界の

理の外側

ヴァンパイアは、ここではない別世界から、週末になるとこちらの世界に現れる。

彼は「」から外れた存在である。

 

シャイに グラス傾けては

そっと ほくそ笑むような

ここたまらん。おそらく女性と酒を交わして引っ掛けようとしている(=騙しあい)場面。

彼は「シャイ」に見えるが、裏では「ほくそ笑む」。つまりシャイを演じている。罪なやつ。

 

今日と明日のあいだから

手招くよ

彼は24時を超えて、引っ掛けた女性を夜通しどうこうしようとしている。

 

Web連載「斉藤壮馬のつれづれなるままに」の「夜が終わる」というエッセイに、「24時と0時のあいだに」という表現があった。

斉藤壮馬のつれづれなるままに|番外編|夜が終わる | JOURNAL 連載 | KIKI by VOICE Newtype

大好きなやつです。無料会員登録で読めるからぜひ読んでほしい。

今日と明日のあいだ」はこれと同じ匂いがする。

 

レゾンデートル

空いたままの穴

埋めるより妖しく舐めて 

壮馬さんによると「ヴァンパイアは逸脱したものを否定せず、自分の要素として持ちながら、人間になりすまして生きている」。

普通から逸脱している状態は、おそらくものすごい疎外感があって孤独。それを「レゾンデートル(存在意義)に穴が空いている」と表現している。

 

しかし、彼は逸脱を否定しない。

レゾンデートルに空いた穴を埋める気はなく、むしろ舐めて(=愛しささえ覚えている)認めて共存している。穴は空いたままでいい。

つまり「完全性に興味なんてない」ということとつながる。

 

何千年生きていたって

完全性に興味なんて

ないのだよ 彼は

ヴァンパイアは永遠の命をもつので、「何千年」も生きている。

何千年完全性」で韻。

 

ヴァンパイア なりすまして

あいまいな指づかいで

夜に溶けていく

ヴァンパイアである彼が、(人間に)なりすましている。ということ?

 

そんなに見つめないで

淫靡に触らないで

銀色の八重歯

八重歯は英語で「Vampire teeth」と言うことがある。

八重歯(牙)は彼がヴァンパイアであること(=彼にとって逸脱)の象徴。かつ、ウィークポイントでもあるので、あまり「見つめないで触らないで」ということ。

 

来週もこの街で

平穏の片隅で

騙しあいされたい

壮馬さんによると「騙し合いされたい」「騙し愛されたい」のダブルミーニング(「Ani-PASS」#10)。

彼が一方的に女性を騙しているのかと思いきや、彼も相手に騙されて遊ばれている。しかも、それを楽しんでいるようである。

 

招待状 送りましょう

宛名はもちろん そう

宛名」はリスナーのこと?メタ演出?

いいですか?これがイケメンヴァンパイア課金ユーザーの思考回路ですよ。とにかくヴラドはくそかっこいいのでおすすめです(n回目)

 

 

 

M4.キッチン

この曲は語るところねえよ。考えるな感じろの曲。語るけど。

キッチン→ぺトリコールの流れはサイコパスメドレーだと思ってる。

 

◆タイトルについて 

恐らく仮タイトル「ボサノバ」だったやつ?

 

●「魔女」がいる場所 

(違う声優の話をして申し訳ないが)木村良平さんが以前、料理にハマったきっかけについて、「食材が自分の手にかかることできれいな料理になる。それって魔法みたいだと思ったから」と語っていたことが印象に残っている。

 

料理とはたしかに、硬かったり苦かったり毒があったりする食材を、切って刻んで粉を振って熱して、まったく異なる形にメタモルフォーゼさせる業と言えるだろう。

料理という行為が魔法なら、キッチンに立つとき、料理をする当人は「魔女」になるのかもしれない。

 

『キッチン』という曲はどこか突拍子もなく、幻惑的ですらある。

それは、キッチンが人を惑わせる魔力を秘めた特別な場所であるからだ、と考えると、わたしは腑に落ちるのである。

 

 

●「生活」との密接 

>「生活」は『in bloom』シリーズのさらに先にとってとても重要なキーワードです。といっても、まだ構想段階なのでどうなるのかはわかりませんが……。世界が終わっても、生活は続く(のだろうか?)。頭の片隅においていていただけたら、いつか繋がる日がくると思います。

 

声優、斉藤壮馬が語る3曲連続リリース『in bloom』と、最新第一弾デジタルシングル「ペトリコール」について。 | HARAJUKU POP WEB

 

『キッチン』はもっとも生活感があり内省的な曲だと思う。

曲自体も3分ちょっとしかなく、一番ミニマルにまとまっている。秒で終わる。

 

>自分の経験から、キッチンドランカー的な妄想を膨らませたのがコレ

──「Ani-PASS」#10

全体像としては、料理しながら歌っている鼻唄か独り言みたいなイメージ。

キッチンドランカーなので、飲み食いしながら料理している。

 

 

◆音楽面について 

●サビがない?

一応、「サビはちょっと疾走感のあるギターロックみたいな~」と語られていた(「声優グランプリ」2020年12月号)。

恐らくここで言われているサビは「世界を救うのは たぶんわたしじゃない」の部分。

急に4つ打ちでバスドラが入ってくるのが「疾走感のあるギターロック」っぽいということだと思う。

 

16小節あるが、そのうち8小節は「u~u~」というハミング。情報が極端に少ない上に秒で終わる。それがどうもサビっぽくない。

 

 

●キッチン用品 

リズム隊にキッチン用品が使われている。おたま・はさみ・ミル。

学生時代にはトイミュージック的発想がすでにあったようで、そこが源流なのかもしれない。

>100円ショップとかに行って、小さいフライパンを5個買えば、これをドラムにできるみたいな、たいそうなものではなかったけどそういうDIYミュージック的なことをやってみようとしたり。

 

斉藤壮馬の音楽はなぜこれほど深い没入感を生むのか? 自身のルーツから新作『in bloom』までを語る!(2020/12/28)邦楽インタビュー|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム)

 

 

◆『デート』との類似 

>「デート」(3rdシングル)の発想で料理をしたらこうなりました、みたいな。それは「キッチン(仮)」という曲なのですが、ぜひ楽しみにしていてほしいです。

 

斉藤壮馬インタビュー 第2章からは「自分を解き放つ」ことにした理由 & 『Summerholic!』・9月新曲『パレット』の楽しみ方 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

ということで、『デート』との類似点が多少ある。

 

壮馬さんに言わせると、「in bloom」という言葉には、頭がお花畑みたいな(注:意訳)意味も含まれている。

>曲の主人公にとってはまさに今“in bloom”しているんだけど、それを第三者が見ると、ただハッピーなだけではないという違和感がある曲になっています。

 

斉藤壮馬【インタビュー】自分でも想定していない部分を大事にしながら作り上げた、2ndフルアルバム『in bloom』 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

つまり「in bloom」は「アセンション」と同じような意味をもつのだと思う。

 

 

これなら やわやわになるっ♡

壮馬さんそういうとこだぞ。

表記について。このハートマークは、『デート』における「ああ、なんか酔っちゃいそう♡」と同じである。

 

 

●コード進行の類似 

コード全体が半音下行する3音が多用。

Aメロなどでは以下のコード進行が4小節ごとに出てくる。

たぶんわたしじゃない」直後・「オーケストラ」・「ナツメグ 入れすぎて

【Am→A♭m→Gmadd4】?

 

半音下行の3音はデートにも出てきていた。

イントロ・間奏の【Em→E♭m→Dm】

アウトロの【Gm→G♭m→Fm】

参考:「デート」 斉藤壮馬 (ギターコード / ピアノコード) | 楽器.me

 

 

◆歌詞について 

語ることない。語るけど。

 

まずはそうだ

洗い物しちゃわなきゃ

壮馬さんは料理が趣味だが、洗い物が苦手(ダメラジなどでの発言)。

 

空の瓶が

お利口さんに並んだ

酒か調味料の瓶? 並んでいるので、空の瓶は複数本ある状態。

キッチンドランカーなので酒の可能性は高いがヤバい。1升以上空けてたらどうしようwwwwww

調味料でもヤバい。タバスコ丸々3本とか入れてる可能性もある。

 

捨てるなら

まとめてから 旅に出る

旅に出る」は妄想にトリップする、の意。

「る~」のファルセットがトリップ感を助長する。

 

ここからの思考が飛躍するので、酒1升空けてる可能性は高そう。酔っててもごみをまとめるのはえらい。

 

世界を救うのは

たぶんわたしじゃない

『in bloom』および『キッチン』の世界観は「世界が終わっても、生活は続く(のだろうか?)」だった。

『in bloom』の曲における主人公たちは、世界の終わりを一度経験した、ポスト世界の終わり世代である。ノアの方舟で言えば、ノア本人あるいはその子孫たちにあたる。

そのため、わたしたちからすれば突飛と思われる「世界を救うのは……」という思考も、彼らにとっては普通のことなのかもしれない。

わたしたちが世界大戦を経験していないにもかかわらず、ずっと「戦後」を生きているのと同じだ。

 

また、ミクロな「キッチン」というスペースから、マクロな「世界」へと思考が飛躍している。

 

ああ そうだ

アボカド もう限界だわ

それにコーラ

炭酸抜けきってるから

まてよ そうか

アレにしてしまおうか

魔女のサイダー

レシピに沿って歌っている。

アボカドは腐っているから「もう限界」?

オムレツを作っていたはずのフライパンに、アボカドとコーラを投入。コーラが入るので黒いはず。

おぞましい見た目が容易に想像でき……ない。『白雪姫』の魔女とかがよく大鍋で煮ている薬、みたいなイメージ。

 

神さまのレシピを盗んで

魔女のサイダー」だったはずなのに、「神さまのレシピ」を作っている気になっているという矛盾。このあたりから主人公はかなり倒錯してくる。

 

桃源郷

シュレディンガー・ガール』の「シャングリラ」はそのまま桃源郷のことを指す。

『いさな』の「まほろ」も「理想郷」といった意味の古語。

今回、曲をまたいだつながりはないと思っていたが、アルバム全体で「世界の終わりのその先」が通底している可能性は高い。そこで、世界の終わりの先に「桃源郷」を見つけた主人公が多いのかもしれない。

 

オーケストラ 神秘で

なんだかもう シンフォニー

キッチンで「オーケストラ」ができていて「シンフォニー」が鳴っているということは、曲中のおたま・はさみ・ミルなどの音をまじで主人公が鳴らしている可能性が高い。

 

ああ ナツメグ 入れすぎてしまったかも!

ミステイク……

はじめましてのとき声出して笑った。笑うところらしいので良かった。

 

ナツメグ」を入れすぎると、めまい・幻覚・吐き気などの症状が出ることがある。

主人公はこれによって幻覚が加速していく。

ナツメグ中毒の恐怖とは? 食べる時は分量に注意が必要【UPDATE】 | ハフポスト

 

あー 今日は

なに食べようかな そんで

あああ 今日は

なに食べようとしてたっけ

オムレツはもはや「魔女のサイダー」になってしまったので、原型をとどめていない。

しかし、オムレツ作ってたのに「なに食べようとしてたっけ」はまじでやばい人。

Cメロからさらに倒錯が進み、記憶が飛んでいる。

 

 

『キッチン』には「あー」「あああ」という感嘆詞が多用されていて、感覚的な歌詞と言える。

 

シュレガのところで全然関係ないけど名前を挙げた(偶然)チャットモンチー『シャングリラ』には、「あぁあ」がいくつか挿入されている。

笹舟のように流れてったよ あぁあ

僕らどこへ向かおうか? あぁあ

 

歌詞 「シャングリラ」チャットモンチー (無料) | オリコンミュージックストア

 

神山羊『Child Beat』には「あああああああああ」「あああああ」という詞が出てくる。

神山羊は壮馬さんも出ていたアニメ『空挺ドラゴンズ』の主題歌『群青』を歌っていた。良い曲。ついでに良いアニメ。

https://j-lyric.net/artist/a05f5f3/l04e349.html

 

これらの曲かはもちろん分からないが、「あー」「あああ」などが何らかの曲による影響という可能性はありそう。

 

 

 

M8.BOOKMARK

唯一、ゲストヴォーカルのJさんを迎えた曲。

 

◆タイトルについて 

過去の作品では、sunday morning(catastrophe)』『memento』『quantum stranger』『my blue vacation』など、全て小文字表記のタイトルが多かった。

今回も『in bloom』というアルバム名と『carpool』がそれ。

全て大文字表記の曲は初。

 

>我々のかつてあった物語、これから紡がれていく物語にしおりを挟むという意味で「BOOKMARK」になった。青春を描いているので、最初は「ブルー○○」というタイトルにしようと思っていた。

(リリイベ談)

前回のEPじゃん。あれでしょ。『ブルーピリオド』からでしょ(私信)。わたしは八雲くんがめっちゃ好きです。

 

 

◆音楽面について 

イントロのトゥルットゥルッフェイクが好き。『BOOKMARK』のフェイクもシティ・ポップっぽい。ヒップホップが融合したザ・ネオ・シティポップって感じがする。

トゥルトゥルとはちょっと違うけど、こういうイントロ。

 

 

「BOOKMARK」というタイトルに掛けて、本をめくる「ペラッ」という音がリズムに入っている。ラストの「ぱたん」という音は本を閉じる音。その本ハードカバーだったんか。

 

「in bloom」シリーズではRapを試みている?と考えた。

ペトリコール:思い通りにいかない足取りどうかこのまま踊らせて

Summerholic!:明日の準備と摂生倫理と睡眠不足と正気もそこそこ保っているからいいよね?

ちなみに壮馬さんによると、これら↑はRapというより「語り」らしい。ポエトリーリーディングとは区別してるのかな。

今回の『BOOKMARK』で、このシリーズでの試みがひとつ結実されたように思う。

ちなみに、歌詞カードではRap部分がゴシック体になっている。

ペトリコールやサマホリは確かに全て明朝体だったので、Rapとは位置づけていないようである。

 

 

◆歌詞について 

>学生がオールして、朝4時ぐらいに周りを見渡すともう空が青くなっていて、「時間を無駄にしてしまったな」という気持ちもありつつ決して悪い気もしない、みたいな感覚を描いた曲です。もしかしたらアルバムの中では一番ストレートな青春っぽい楽曲なのかなという気がします。

 

斉藤壮馬「in bloom」インタビュー|アーティスト活動第2章で描く世界の終わりのその先 - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

 

『my blue vacation』までのように難解な言葉がちょいちょいある。イキってる大学時代の曲だから?

何を話していたのか全然覚えてないけど、なんかすごい楽しかったことだけは覚えてる、あの頃たしかに存在していた学生時代の飲み会。そういう曲。

逸れるけど、今の大学生ってこの曲みたいな体験ができないってことだよね。コロナで。本当になんだかなあ。

 

 

・アルコホール なにも生み出さない 怠惰な夜

・いつまでこんな 贅沢な 無駄を過ごせる?

Jさんパートに出てくる「モラトリアム」とつながる。

「大学時代は人生の夏休み」って言った人、おねえさん怒らないから出てこい?

 

あとどれくらい水飲んだら

細胞まるごと入れ替わるかな

テセウスの船】の概念。もしわたしの身体を構成する細胞が全て入れ替わったとして、それは以前と同じ「わたし」だと言えるのか? という話だ。

 

また、水は流転するもの、無限に流れるもので、後述する「アウフヘーベン」に通ずる。

 

ペンの続きが途切れたから

黙りあった 午前4時

登場人物は主人公と友人(≒壮馬さんとJさん)の2人。

飲みながら2人で書き物をしている?

 

ターンテーブル乗っかって

ターンテーブルDJ機材のレコードを載せる部分。中華料理屋さんの円卓や、電子レンジの回る板もターンテーブルと呼ぶが、DJ機材のほうがかっこいいのでそう思っておく。

 

対話がぐるぐる回って、終わりがない。アウフヘーベンでは無限に論を展開していく。でも「内容なんもなし」だし「くだらない話」である。

 

ちなみに、「ターンテーブル乗っかって」はカフカ(のちにKFK)の『Ice Candy』のオマージュ?(こちら質問箱で教えていただきました。激アツすぎて震えた。ありがとうございます!)

https://j-lyric.net/artist/a0597c1/l03c0f3.html

壮馬さんは、この曲をラジオ(「TS ONE UNITED 斉藤壮馬アセンションプリーズ」3週目)で流していた。

 

カフカ ペレーヴィン ディック ヴォネガット」のカフカは、作家とこのバンドのダブルミーニングという可能性がある。

 

 アウフヘーベンの果て

アウフヘーベン哲学における思考法のひとつで、「止揚」とも言う。

ヘーゲル弁証法において、事物や命題を「否定」を通じて、より高次のものへと再生成していくプロセスのこと。

「正(テーゼ)」と「反(アンチテーゼ)」を調停し、「合(ジンテーゼ)」を生み出すことで、より高次の命題へたどり着く。

分かりやすい例を引用する。

>A「昼飯何にする? おれはカツが食べたい」←テーゼ

B「俺はカレーが食べたいぞ」←アンチテーゼ

A「そっか、じゃあカツカレーを食べにいこうぜ」←ジンテーゼ

 

弁証法とは (ベンショウホウとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

 

弁証法では、「正→反→合、正→反→合……」を繰り返すことで、アウフヘーベンによって無限に論を高めていき、真理に近づくことができるとしている。

『BOOKMARK』の「」(=無限に流れるもの)はこの「アウフヘーベン」にも通ずる、とわたしは考えている。

 

この歌詞では、対話によりアウフヘーベンを行っている。つまり、主人公と友人の2人で議論をしている。

議論をしながら書き物をしている。

 

千鳥っちゃった足で

元のことばは、酔っ払った人がふらつきながら歩く様子である「千鳥足」。

「千鳥」を動詞化し「千鳥っちゃった」としている。天才か?忘れてた、天才だったわ。

酔っ払って歩くテーマは『デート』『Tonight』に通ずる。

 

すいへいりーべで

まだいけんだろ

すいへいりーべ」は元素記号を覚えるときに習う語呂合わせ「水平リーベぼくの船……」から。

 

カフカ ペレーヴィン ディック ヴォネガット」の歌詞にはこのような由来がある。

>JさんにSF小説のオススメを聞かれて、まずはディックとヴォネガットじゃない?と答えた思い出があったからですね。

──「Ani-PASS」#10

2人はSFの議論をしているので、理系的に元素について話している。

 

たった1R 狭い部屋で一晩中

金麦?プレモル?ウィスキーに焼酎

Jさんパート。宅飲みであることが分かる。

 

醒めたらきっと

落とした灰の数も忘れていく

あのとき 交わしたさかずきも

どっかいっちゃったな

壮馬さんの曲によく出てくる「レーテー(忘却)」の概念。

落とした灰」はタバコ。

翌朝になると2人は何を話していたのか、一体どれくらいタバコを吸ったのか、酒を飲んだのか、すっかり忘れてしまう。なんか楽しかったな、という感覚だけがぼんやりと残っている。

 

カフカ ペレーヴィン

ディック ヴォネガット

すべて作家の名前。

カフカフランツ・カフカ(現在のチェコ)。作風は不条理文学。『変身』など。

ペレーヴィンヴィクトル・ペレーヴィン(ロシア)。この人は知らなかったすまん。

【ディック】フィリップ・K・ディックアメリカ)。SF作家。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』など。

ヴォネガットカート・ヴォネガットアメリカ)。SF作家。『猫のゆりかご』など。

壮馬さんの初作詞曲スプートニクの「ナイス・ナイス・ヴェリ・ナイス」は『猫のゆりかご』の引用。

 

めくるページに 文字がばらけて

ずっと覚えていたいのにな

泡になって 弾けていく

タイトル「BOOKMARK」と掛けて本が出てくる。ここもレーテーの話。

泡になって 弾けていく」のは、『carpool』の「サイダーみたいな空気」「うたかたの日々」のニュアンスに近い。

 

これが俗に言う「大人になる」?

なら俺は子供のままでいいし

ピーターパン・シンドローム?に近いもの。

 

忘れたくない記憶

弾に込めてWalking

灰皿代わりの空き缶にHS(バーン)

次はおまえの番

【HS(ヘッドショット)】銃などで頭を狙い撃ちすること。

弾に込めて」から「バーン」と空き缶に命中させる。

 

次はおまえの番」はメタになっていて、Jさんから壮馬さんにRapパートを交代するよ、と示す。

バーンばばーん」の韻がかわいい。

 

ばばーんと登場 すでにへべれけ

まるで妖怪 つまりテケテケ

【へべれけ】非常に酔っ払った状態。

主人公、遅れて来たのにすでにどこかで飲んできている。

 

【テケテケ】都市伝説でいわれる、脚がない少女の亡霊。結構こわい。多くは語らないので参考サイトを見てください。ざわ…。

激コワ妖怪「テケテケ」-ちぎれた上半身だけで這ってくる⁉都市伝説あらすじ・まとめ | 怪談NEWS怪談NEWS

 

主人公たちは「千鳥っちゃった足」だったが、ここではもっとひどくて、歩けないくらいへべれけになっている。

 

へべれけテケテケ」は【e・e・e・e】で韻。

 

魔法が解ける午前零時

よりもちょっとだけ延長 はは クレイジー

魔法が解ける午前零時」はシンデレラから。

0時から4時って全然「ちょっとだけ延長」じゃないだろ!ってツッコむところ。

 

酔う 何万光年離れたところで

また揃って馬鹿みたいに笑って

1R」(ミクロ)から「何万光年離れたところ」(マクロ)への思考の飛躍。

 

大体まあオーキードーキー

そろそろここらへんが起きどきかい?

【オーキードーキー】Okay-dokey(英):「OK」のくだけた言い方。ここでは「Alright」のような意味かな。大体まあうまくいくでしょ!みたいなニュアンス。

オーキードーキー起きどき」は良すぎる。

 

全体的に壮馬さんパートは不気味さもありトリッキーで、Jさんパートは素直。って感じがする。

 

 

 

M9.カナリア

 

◆音楽面について 

仮タイトル「オアシスミス」だったやつ?

エリオット・スミスみたいに、ささやくように歌う暗めの曲がやりたくて。

──「声優グランプリ」2020年12月号

 

「Togay is gonna~って歌い出すかと思った」って言ってる人何人かいて笑った。

 

元ネタ

よくCMとかで使われてる有名な曲。

MVではチェロが映っていて『カナリア』と同じかと思いそうだが、実際に鳴っているのはメロトロンだそう。メロトロンについては後述。

 

リリイベによると、壮馬さんが好きなバンドのコード進行を入れているという。それが↑の曲かな?と思った。

壮馬さんはオアシスのファン(ラジオ「U-nite! 81Wednesday 斉藤壮馬 の空想サマーフェス」で流した『Live Forever』や、FCのtoday’s choiceなど)。

 

特に前半が『レミニセンス』に似ている。コード進行、テンポ、リズム。

高音で鳴る印象的なピアノも、『quantum stranger』収録のレミニセンスunpluggedバージョンに似ている。

 

 

●『レミニセンス』と比較──コード進行 

カナリアだんまりかい」:Em7 D Cadd9

レミニセンスああ面倒くせえ」:Em D CM7(カナリアに合わせキー+1として考える) 

この部分はリズムも同じ。

カナリア』は最後がアドナインスでまとまり、また3つのコードには構成音Dが共通しているので、どこか安定感がある。ちなみにイントロもこのコード進行のリフ。

Em7:E G B D

D:D F# A

Cadd9:C D E G

 

『レミニセンス』はメジャーセブンスで終わり短2度の不協和音が長く響くので、この曲においては焦燥感を残す効果があると思う。

 

好きなコード進行なのだろうな、という感じ。

ただし、上に乗るメロが『レミニセンス』はマイナーであるのに対して『カナリア』はメジャーである。

「暗い曲、悲しい曲」(リリイベ談)って言ってるのに、キーはメジャーなのが良い。

 

 

●楽器編成について 

音数が少ないから一つひとつの楽器が際立って聴こえる。さらに、楽器ごとにL-Rに振られていて立体的。

カナリアが飛ぶ動物だから空間を意識しているのかな?

 

わたしは【ヴォーカル・アコギ・ピアノ・ストリングス】この4つがメインの曲を聴くと、頭の中で四角形の空間を描くイメージが浮かぶ。ミスチル『僕らの音』落ちサビとか。

 

 

さらに、メロトロンが入ってる? 1:18~のぽわぽわしてて3音ずつリフレインしてる音。

【FAQ】メロトロン ( Mellotron )とは? – Digiland (デジランド) 島村楽器のデジタル楽器情報サイト

 

テープを内蔵していて、鍵盤を押すとテープに入っている音が鳴る。テープを入れ替えることで色んな楽器の音色が出せる。なんともアナログで健気なエモ楽器。

今ではシンセを使って「メロトロン風」の音を目指すことが多いと思うが……。

 

オアシスも何曲かメロトロンを使っているという。先ほどの『Wonderwall』の他に、

1:17~

 

1:15~。滝沢朗……けっこんしよ……ってなる曲

 

 

◆世界観について 

モチーフは映画『カッコーの巣の上で』。鬱映画が多いアメリカン・ニューシネマの代表作のひとつ。

 

この映画観ていないので語る資格がない気がしなくもない。面白そうなので映画館でやったら観る(DVDで映画観るの苦手)。観たらおそらく追記します。

 

カナリアがモチーフである意味は、「籠の中の鳥」と「炭鉱のカナリア」だと思う。

 

・籠の中の鳥

鳥籠に捕われた鳥のように自由がきかない状態。

カナリア』においては、主人公がどこかに監禁されているイメージ。

ペトリコールリリックブックの、白いパジャマみたいな衣装で室内にいるカットみたいな(わたしはあれを、精神病院に入院している患者だと思っている)。

『C』もどこかに監禁されている(している)雰囲気を感じるが、似たモチーフである。

 

・炭鉱のカナリア

昔の鉱山労働者は、毒ガスが発生することがある炭鉱に入る際、毒ガス検知のためにカナリアを籠に入れ連れて行ったという。カナリアは常にさえずっているが、毒ガスを検知すると鳴き止む。

そこから金融業界では「危機が近づいているシグナル」のことを指すようになった。

 

なお、この曲には「カナリア」や「」が出てくるが、本物のカナリアがそこにいたり、毒物に直接犯されていたりするとはわたしは考えていない。これらは主人公の幻覚、かつ何かのメタファーであると考える。

カナリア』の主人公が、『カッコーの巣の上で』の主人公だとすると、ロボトミー手術を受け廃人化していった男である。であれば、脳機能が損傷されていることから、幻覚を見るのも腑に落ちる。

 

 

カットアップっぽい、断片的な歌詞

 

斉藤壮馬【インタビュー】自分でも想定していない部分を大事にしながら作り上げた、2ndフルアルバム『in bloom』 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

朦朧としている主人公は、もはや的確な文法で文章を組み立てることができない。

カナリア』の歌詞は(特に後半にいくにつれ)、言葉を覚えたばかりの幼児のように、単語で構成されていく。「ちかちか 眩しいな」なんか特にそう。

 

カットアップ」参考

カットアップ | 現代美術用語辞典ver.2.0

ART-SCHOOL(壮馬さんがファンである)の歌詞にもカットアップの技法が用いられているという。

 

壮馬さんの楽曲では、『ペトリコール』『memento』『デラシネの歌詞で、体言止めが多く見られた。これもカットアップに近いものがある。

・流し目

・灰色の雨街

・レインコート 透けた ほほえみ

・6月のフレイバー

・しゃぼん玉

──ペトリコール

 

・塔 絡みついた 緑の指

・打ち捨てられた都市

・ひび割れているアスファルト

・まるでそうアースガルド

──memento

 

・ゆりかご

・繭

ミーム

・虹

──デラシネ

 

 

◆歌詞について 

この毒は すこしぬるいから

ぼやけていく わからなくなっていく

「籠の中の鳥」のイメージから、主人公はどこかに監禁されている。

さらに「炭鉱のカナリア」から、カナリアは誰よりも敏感に毒に気づく。主人公がいる部屋には毒ガスが満ちている(ように主人公は知覚している)。

 

しかし、毒は「すこしぬるい」程度なので、すぐに呼吸が止まるほど濃くはない。遅効性であり、ゆっくりと死んでいく。

この曲のテーマは「ゆるやかな死」だとわたしは思っている。

 

>思考がぼやけている感じ、朦朧とした雰囲気

 

斉藤壮馬【インタビュー】自分でも想定していない部分を大事にしながら作り上げた、2ndフルアルバム『in bloom』 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

というのも、じわじわと毒に犯されているためである。

 

ごらんカナリア

だんまりかい?

「炭鉱のカナリア」によると、毒ガスを検知するとカナリアは鳴き止む。

カナリアが「だんまり」であるこの状況下では、やはり毒ガスが満ちていることになる。

 

笑ったような からかっているような

カナリア(幻覚)が笑っているように聞こえ(幻聴)、主人公はからかわれているように感じる(被害妄想)。

 

水はいいな いずれさよなら

元ネタ映画と関係ある?

主人公は自身がいずれ「さよなら」する=死ぬことは分かっている。

 

全体考察でもちょこっと書いたが、水には「無限に流転する」イメージがある。死んだあとに転生できる水を「いいな」と、主人公はどこかで感じている。

 

ごらんカナリア

囀った

つまりは

あんまりだ

鳴き止んでいたはずのカナリアが再び囀った(幻聴)。

そのため、毒ガスは「あんまり」満ちていないと考えている主人公。実際にはそれも幻覚であり、死は着実に近づいてきている。

 

砂を噛んだ ちかちか 眩しいな

ロボトミーが 昨日を失くした

【砂を噛む】砂を噛んでも味がしないことから、面白みがなくつまらないこと。

ロボトミーロボトミー手術。かつて精神疾患患者の治療を目的に行われていた、前頭葉の一部を切除する手術。

 

このへんも元ネタ映画と関係が深い。『カッコーの巣の上で』の主人公はロボトミー手術を受けさせられる。

また、カナリアは実験動物として扱われることもある。主人公は人体実験の被験体?

 

ごらんカナリア

かなしいかい?

カナリアかなしいかい」【ka・na・i・a】。

 

これ以降は主人公の死・崩壊がいよいよ近づいてくるので、脈絡がなくなっていく。

音的にもフォルテが続き、クライマックスといったていを見せる。ほとんどアコ楽器なのにここまでカオスを表現できるものか。

 

うつろな

人形の眼だね

きれいなもんさ

燐光の中

くすぐったいよ

うつろなきれいなもんさ」後ろ2音が【o・a】。

人形の燐光の」【i・n・o・u・no】。

 

【燐光】「生物の死骸が腐敗・酸化するときに生じる光」を指す場合がある。

 

ああ

もう息も 

もう息も(できなくなっていく)」=死んでいく。

 

この毒は すこしぬるいから

ぼやけていく わからなくなっていく

最後は最初と同じ2行が繰り返される。

主人公はもはや前後不覚なので、まるまる同じフレーズを繰り返してしまう。

 

 

 

M10.いさな

おそらく仮タイトルが「くじら」だったやつ。

【いさな】鯨の古語。

 

>10曲目の「いさな」という曲が実質的にはラストトラックにあたる立ち位置で、11曲目の「最後の花火」はエンドロールのようなイメージでこの位置に置きました。

 

斉藤壮馬【インタビュー】自分でも想定していない部分を大事にしながら作り上げた、2ndフルアルバム『in bloom』 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

個人的には『いさな』がエンドロール、『最後の花火』が次回予告、というイメージがあった。

 

>「いさな」で終わるプランもあったのですが、それだとどうしても「結晶世界」を聴き終わった後の雰囲気と似てしまうので、もう一曲「最後の花火」をプラスすることで、その先に行けたかなと。

 

斉藤壮馬【インタビュー】自分でも想定していない部分を大事にしながら作り上げた、2ndフルアルバム『in bloom』 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

『いさな』はシューゲイザー・バンドThe Floristをフィーチャーした曲。

『quantum stranger』のラスト・トラックである『結晶世界』シューゲイザーを押し出していた。

しかし、『in bloom』は2年前とは意識的に差別化されている。

 

 

◆音楽面について 

2年前までのわたしは本当に音楽のジャンルについての知識が乏しくて、「シューゲイザー」の概念を知ったのは『結晶世界』という曲からだった。

その頃に抱いたシューゲイザーのイメージは、「音数が多い、爆音、うるさい」というものだった。思い出すに「パチンコ屋にいる気分になる」とか書いてた。ごめん。ごめんすぎる。

しかし、『いさな』はそんなシューゲイザー観をくつがえすサウンドをもつ曲だった。

 

ピアノが前面に出ていてアコギもいるので、アコースティックでもある。声にはリバーブがかかっているけど、ギターはそこまで歪んでいない。

ネオ・シューゲイザー、ドリーム・ポップに入ると思っている。

 

実際、The Floristは過去にこう語っている。

>轟音で作られるシューゲイザーは、僕たちがやらなくてもいいなと思うので、歪みや圧ではなくて、フレーズの積み重ね、もう少しクリーンな感じと透明感。そういうもので構成していきたいなと

 

【インタビュー】The Florist。彼らのシューゲイザー観から、これからの未来が見える | Qetic

フレーズの積み重ね、クリーンな感じと透明感。まさに『いさな』に感じられる世界観である。

ところで、「in bloom(満開)」に「The Florist(花屋)」をフィーチャーしたあたり、いとをかしとは思わぬか。

 

 

●鯨・水的な音 

「いさな」が鯨を意味するところから、この曲は海がイメージされている。

 


The Floristのアレンジによる透明感は、この海のイメージに大きく寄与している。

 


ド頭・落ちサビ・アウトロで「ごぽごぽ」っていう、(おそらく鯨が)水に潜るようなSEが入っているのは直接的。

 


ピアノが目立っている。特に16分音符のリフが印象的。

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波や、水面に反射する光を表しているように思う。

逆に落ちサビはエレキ楽器(とドラム)だけで展開されるのが意外だった。

 

似たものとして、デラシネでは8分音符のピアノの音が風のそよぎを表していた。

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デラシネ』 イントロ

 


冒頭・間奏・サビ前・アウトロの、鳴き声?汽笛?みたいな音はチェロだと思ったが、「Ani-PASS」#10によるとギターのチョーキング。ギターであの音が出せるのか。

 

イントロの金属をこすってるみたいな音も、チェロの弦を弓の背でこすってるのか?と思ったが、ウォーターフォーンかも。

ウォーターフォーンはよくホラー映画のSEに使われる楽器で、中心の筒部分に水を入れることで音を響かせる。こする道具はコントラバスの弓。

ホラー映画の効果音を奏でる楽器「ウォーターフォーン」の音 | ギズモード・ジャパン

 

『いさな』は水のイメージをもつ曲。今までのこだわりからしてウォーターフォーン使うくらいのことはしてきそう。

 

 

◆世界観について 

前提として、この曲は「再び滅亡に向かう世界から、新しく再生する世界に向けたメッセージ」だとわたしは解釈している。

 

『いさな』は「前作のテーマに深く繋がる曲」。前作『my blue vacation』のテーマは「世界の終わり」「輪廻転生」「円環」など。

斉藤壮馬の音楽はなぜこれほど深い没入感を生むのか? 自身のルーツから新作『in bloom』までを語る!(2020/12/28)邦楽インタビュー|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム)

 

宇宙船地球号的な世界観

──「Ani-PASS」#10

さらにリリイベによると、「輪廻転生の曲」「全から全」「生命や存在に対する愛」の曲。

 

全体考察にも書いたが、『in bloom』は全体に「水」のイメージを含んでいる。

このうちもっとも「水」感が強いのが、海を舞台としている『carpool』そして『いさな』だと思っている。

 

海は「母なる海」と呼ばれることがある。地球上で最初の生物はアメーバのような単細胞生物で、海で生まれたという説が有力だ。

 

基本的に、『in bloom』における世界は「世界の終わりのその先」を踏襲している。

そして、この世界は再び滅亡、そして再生する可能性が見られる。

『キッチン』の主人公が、世界の終わりの再来を予測していたことに顕著だ。

その再生の際、生命はやはり「母なる海」から生まれてくるだろう。海は「輪廻転生」を象徴する存在でもある。

 

また、海がもつ「母」のイメージや「産声をあげた」「こもりうた」といった歌詞から、胎内回帰も思わせる。

世界が再び始まるとき、そこは赤ん坊のようにまっさらな状態ではないだろうか。

先に述べた水的な音作りも、羊水の中にいるような感覚を抱かせる。

『いさな』を聴くときの強烈なまでの心地よさは、この胎内回帰的イメージからきていると思う。

 

さらに、個人的には「水葬」を思い浮かべていた。

ヒンドゥー教は輪廻転生の死生観をもつことから、インドなどでは遺骨をガンジス川に流す水葬が行われているという。

インドのお墓ってどんなものなの?ガンジス川がお墓って本当?|DMMのお墓探し

 

そこに↑の胎児のイメージが重なり、子どもの水葬というイメージも。

わたしは、福永武彦『忘却の河』で描かれる、とある心象を思い出していた。

 

(注:わたしが幼い頃、寝ているときに父母の会話が聞こえ、自分の名前が出てきて)

>いっそ河に流して、と言うのが聞えた。その河という一言で私はぞっとする程怖くなった。何だかは知らないが、それは私にぼんやりとした不気味なものを感じさせた。(略)

(注:近所に住む子が)この河にはえなが流れて来る、と私に教えてくれた。えなって何か、と私は訊いた。その子もよくは知らなかった筈だが、その言葉の中には何か恐ろしいことがいっぱい詰っている感じだった。(略)えなの流れて来る河。私はそれから決して河のそばへ行こうともしなかった。

──福永武彦『忘却の河』新潮文庫 P.48

 

>そして私はその時また、子供の頃のあの河のことを思い出した。えなの流れて来る河。えなばかりではなく、恐らくは幼い命が、それも命という形を取る前に、流されたかもしれない河。ひょっとしたら私も亦、生れる前に、或いは生れた後に、流されたかもしれない河。

──同書 P.57

 

>あなた、賽の河原って知ってる。岩だらけの海岸に昔からの洞窟があって、そこにお地蔵様がまつってある。小さな無縁仏がたくさん並んで、小さな石が幾つも幾つも積み重ねられている。死んだ赤ちゃんたちをそうやって回向するのよ。

──同書 P.78

 

ちなみに「えな」というのは漢字だと「胞衣」と書き、胎児を包んでいた膜や胎盤、へその緒をまとめてこう呼ぶ。

『いさな』はここまで暗くないが(笑)、子どもの死と水とがつながっているイメージは共通している。

 

 

◆歌詞について 

歌詞は基本的に1音1文字。単語数が少ないので、曲は8分強と長いが情報量は少ない。

 

霧の中 きみは方舟のようで

おそらく鯨が潮を吹いているので霧がかっている。

きみ」は鯨のこととしてここでは考えていく。

方舟」はレミング、愛、オベリスクでもキーワードとなっていた、聖書における大洪水の際の「ノアの方舟」。

大洪水≒滅亡で、「方舟」は大洪水から唯一逃れ、再生の芽となった存在。

 

鯨は方舟のように、再び訪れる滅亡ののちに再生の鍵となる。形としても、鯨は大きな舟のようである。

 

まほろばを求め 産声をあげた

まほろば】「素晴らしい場所」「理想郷」といった意味の古語。「いさな」も古語なので合わせている。

 

シュレディンガー・ガール』の「シャングリラ

『キッチン』の「桃源郷

と同じ意味で用いられている可能性がある。

 

(『キッチン』でも述べたが)このアルバム全体で「世界の終わりのその先」が描かれている。世界が終わったその先に「理想郷」があるのかもしれない。

と考えるとやはり、堕落した人間・動物を一掃する目的があった、聖書の大洪水に近い設定である。

これは『レミング、愛、オベリスク』においてもほぼ同じで、大洪水を「素晴らしい世界の果て」、その後の世界を「パライソ(楽園)」と表していた。

 

方舟のような存在の鯨は、やはり大洪水のときと同じように、理想郷を求めて産まれた。

さらに言うと、地球が今まさに世界を終わらせんとし、その準備として方舟の役割をもつ鯨を産み落としたのかもしれない。

 

クオークの海を 歩くように泳ぐ

クオーク」については『グリフォンズ・ガーデン』を参考にした。

>「もしも、宇宙の中心となる電子なり中性子とか、あるいはクォークを見つけだしたとして、それを中心にものを見てみたら、その瞬間に宇宙のすべての電子の動きが、簡単な方程式で表せるかもしれないじゃない?」

──早瀬耕『グリフォンズ・ガーデン』ハヤカワ文庫 P.69

 

クォークquark(英):最小とされている素粒子で、3つずつ集まり陽子・中性子を構成する。

原子:原子核の周りを電子が回っている

原子核:陽子・中性子が集まっている

陽子・中性子クォークが3つずつ集まっている

 

素粒子って何? – HiggsTan

フラクタル」とつながるので、ここではこれくらいに留めておく。

 

こもりうた 吸い込まれていったね

鯨が産まれたばかりであることから。胎内回帰的な要素。

 

フラクタル どこか 似たもの同士で

フラクタルちょっとさすがに説明できん。参考サイト見て(放棄)

頭がボーっとしてくるフラクタル図形を見よう

 

図形の中に、自己相似図形を含む構造をしているので、「似たもの同士」。

 

クォークとのつながりで『グリフォンズ・ガーデン』を参考にする。

>「でも、ぼくは、世界がフラクタルみたいな構造だとは考えられない」

フラクタルって?」

「ぼくたちは宇宙を内包していて、そのぼくたちのいる宇宙も、より大きな宇宙に内包されていて、そのより大きな宇宙も、またより大きな宇宙に、……みたいなのが、無限に続くとする考え方」

「なるほどね。でも、どうして、宇宙がフラクタルだったら信じられないの?」

「初めと終わりがないじゃないか。『より大きな』と『より小さな』しかなくて、『最も大きな』と『最も小さな』 が存在しない」

──同書 P.209

 

この会話を要約すると、

原子核クォークの集まり)の周りを電子が回っている。それが太陽系に似ている。わたしたちの身体もたくさんの宇宙の集合体で、わたしたちは世界の一部で、その世界ももっと大きな世界にとっての一原子なのかもしれない。フラクタル構造だ」

という話。

このように、フラクタル構造はミクロからマクロの世界まで、無限に展開していく。

 

『いさな』はミクロからマクロ──クォークレベルから宇宙レベル──までの世界の全てと、無限に連なる輪廻転生に対して語りかけている曲。

 

刻まれた地層 化石の思い出

生物が化石になるには、1万年から短くても5000年程度かかる(ざっくりすぎるが)。

5000年以上前の記憶をもっているこの語り手は「地球」それ自身なのだとわかる。

 

だからわたしは、【再び滅亡に向かう世界から、新しく再生する世界に向けたメッセージ】を歌っていると考えた。

「全から全」と言っていたのはこういうことだ。

うわ……。思ってたよりだいぶ壮大。

 

きみはだれ? 問いかけるように

きみは そのままでいいよ

語り手である地球はこれから再び滅びていくが、「きみ」=鯨はその中にあって唯一滅亡を逃れられる、ノアの方舟的存在である。

だから鯨だけは「そのままでいい」、そのままの状態を保っていて、とりあえずの滅亡後に再生の礎となる役割をもっている。

 

ゆーあーいんぶるーむ

あいしてるってことだよ

ゆーあーいんぶるーむ

あいしてるってことだよ

あいしてる」は壮馬さんいわく「生命や存在に対する愛」。

 

全てひらがな表記で、子どもらしさを出している。

この曲において、鯨は産まれたばかり。このサビ部分は地球から鯨に歌っている「こもりうた」なのかもしれない。

あるいは、この曲が「全から全」であることを考えると、今まさに滅亡しようとする世界から、再生する世界に向けて、母から子への愛に近いものを歌っている。

 

『ワルツ』などでも一部のパラグラフを全てひらがな表記にし、登場人物が子どもであることを表していた。「はいいろのはねがおちてこのかぜのひだにとけたの

『パレット』の「えいえんって ここにあるよ」も、子どもである「きみ」のセリフかなと個人的には思っている。

 

たとえれば それは ながい映画のよう

壮馬さんの曲は常に物語であり、映画的である。

ここで地球が顧みる地球自身の運命も、「ながい映画のよう」だととらえられる。

 

いつかどこかで すれ違ったのかも

シュレガとすこしつながるが、「バタフライ・エフェクト」あるいは「多世界解釈」のようなものが読み取れる。

シュレガの概念の元ネタは「すれ違って振り返ったらもう雑踏に消えている」もの(リリイベ談)。

シュレガの項でもチラッと話した映画『バタフライ・エフェクト』にはこういうシーンがある。主人公とヒロインがすれ違って振り返ると……みたいな。ネタバレになるので詳しくは言えないが……。

 

世界が今、この世界として存在していられるのは、無数の分岐を超えて決定づけられた結果である。

そして次の新しい世界へと、もう一度分岐を経ることになる。

 

花に雨 いまならわかる

意味は この中にあるよ

そもそも、アルバム名・シリーズ名を「in bloom」とした意味はこういうことだった。

>なぜ花をテーマに選んだかというと、世界が終わって雨が降ったあとに、また草木が芽吹いていくというイメージがあったから。そこから『in bloom』という言葉に繋がりました。

 

斉藤壮馬【インタビュー】自分でも想定していない部分を大事にしながら作り上げた、2ndフルアルバム『in bloom』 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

 

花に雨。

世界の終わりには『エピローグ』のように雨が降って、再生のときには「in bloom」で花が咲く。

『いさな』はアルバムの集大成的な曲で、この部分がもっとも「in bloom」の意味を表していると思う。なぜなら、「意味は この中にある」のだから。

 

また「花に雨」の表現は「花に嵐」を連想させる。

「花に嵐」は、漢詩の『勧酒』を井伏鱒二が訳したものの一部。

花に嵐のたとえもあるぞ

「サヨナラ」だけが人生だ

 

(花が咲き誇ったと思ったら、嵐がそれを散らしてしまう。
人生に別れはつきものだ。) 

『いさな』においては、滅亡へ向かっていく現在の世界に、地球が別れを告げようとしているのではないだろうか。

 

言葉のないうたが

共鳴しているよ

全体考察のほうで、「情報量が少ないほど死に近い」というようなことを書いた。

言葉のないうた」にあるのはメロディーの情報のみで、言語的な情報がない。

ということは(おそらくは世界の)死が限りなく近い状態なのでは、と思う。

 

いま思えば、『memento』の「かすかな残像たちの ことばにならない歌」という部分も、同じような意味合いだったのだろう。

『memento』における世界は滅亡に瀕している。

そしてマイブルリリース時には、この部分は「水底へ沈んだ」死者たちが主人公に何かを伝えようと歌っている歌、と考えていた。図らずも『in bloom』の解釈と一貫性を感じられてうれしい。

 

種はいま 芽吹いて

ほら 呼吸をはじめた

「in bloom」の由来である草木が芽吹きはじめている。つまり、世界の再生が始まっている。

 

 

 

M11.最後の花火

『いさな』がエンドロールなら、『最後の花火』は次回予告。という個人的イメージ。

 

◆音楽面について 

メロはキャッチーなこの曲。アルバムの中で一番キャッチーだと思う。

アレンジ的にも【ヴォーカル・エレキギター・シンセ・ベース・ドラム】の5ピース編成+アコギ・ストリングスの、キラキラ売れ筋サウンド。大サビでウィンドチャイムも入ったりしている。

 

イントロなし歌始まりも、最近の売れる曲に多い特徴である。

最近はサブスクに加え、YouTubeTikTokなどで音楽を売る風向きがある。一聴して飛ばされないために、冒頭にフックを持ってきているのだろう。

Ex.米津玄師『Lemon』 LiSA『紅蓮華』 YOASOBI『夜に駆ける』 ひらめ『ポケットからキュンです!』

 

構造は王道と見せかけて変則的。

サビ・サビ最後の花火が 冬の空に~

Aマフラーにくるまって~

Bもし今日隕石が落ちたら~

サビ・サビ

Dゆれるキャンドル~

Eこんな夜だから~

大サビ・サビ

通常、2番A・Bメロが入るところがD・Eになっている。

 

さらに、壮馬さん自作曲で頭サビは珍しい。

提供曲であれば、『フィッシュストーリー』『スプートニク(作詞してるけど恐らく曲先?)『Incense』があった。

自作曲で頭サビは『最後の花火』と、その直後に入っているSt『逢瀬』くらいである。

 

頭サビにはなんかパチパチした音が入ってる。花火の音か、あるいは『エピローグ』(EP版)みたいなレコードっぽいエモさ・レトロさ。

 

大サビでキー上げも久々。『デート』以来だと思う。

 

 

◆世界観について 

>そういえば今年は花火を見たりやったりしなかったなと思って、冬にやる花火はあるのかな?と調べたら、あったんですよ。冬にやる花火ってすごくエモーショナルだなと思って掛けています。

──「皆藤愛子の窓café」2020年12月13日放送

 

●「天体」との結びつき 

天体・宇宙のことばが多数出てくる。

ベテルギウス

・月

・隕石

・星

ブラックホール

 

この曲では、「線香花火」と「ベテルギウス」が結びついている。

手元に持っている花火から宇宙の星へ、ミクロからマクロへと思考が飛躍する。

 

 

●主人公たちの状況 

・こんな日

・停電したような夜

・こんな夜

状況が分かりそうなキーワードはこんな感じ。「こんな日」「こんな夜」ということは、多少のマイナス要素があるようだ。

 

さらに、

・ゆれるキャンドル

・暗い階段

などが出てくると、「停電したような」というより本当に停電しているのでは?と読める。ニューヨーク大停電的な。

秋元康KinKi Kidsに『停電の夜には -On the night of a blackout-』という、確かニューヨーク大停電をモチーフにしている曲を書いていて、「ロウソク」が印象的に出てきた。

 

停電してしまったこんな夜だけど、せっかくだから「楽しんじゃおうかな」と花火を始める、というストーリーが見える。

 

 

さらにわたしは、この曲からもどこか死の匂いを感じる。

まず、生きていればこの先も花火をする機会はあるだろうに、ここで灯す線香花火は「最後の花火」なのである。

 

このアルバムのテーマは「世界の終わりのその先」で、登場人物たちがポスト世界の終わり世代であることは、この前にも何度か述べた。

そして『キッチン』『いさな』にも見られるように、世界は再び滅亡する可能性をはらんでいる。

ベテルギウスのようなエンド

・そしてすべてが無になっていく

といった歌詞はその暗示である。

 

・もし今日隕石が落ちたら

と主人公たちが議論していたのも、まったくのif話ではない。彼らは隕石が落ちてくる可能性があると、本気で考えているのだ。

壮馬さんも次のように語っている。

>それってある種荒唐無稽な考えじゃないですか。でも本当に隕石が落ちてくる可能性が、まったくないわけじゃない。(略)全部妄想かもしれないし、もしかしたら本当に今日が世界の終わりかもしれない。

──「Ani-PASS」#10

 

停電は世界が終わる前兆なのかもしれない。

 

しかし、この世界はまた再生するだろうことも先述した。

壮馬さんの描く世界観において、終わりは始まりとほとんど同義。なぜなら輪廻転生によって、死と生はつながっているから。

今ある世界は終わるけれど、同時に「そしてすべてがはじまっていく」のだ。

『memento』で言えば「幾度めかのダカーポ」、『エピローグ』で言えば「新しいプロローグへ」つながっていく。

「最後の花火」だけど、次につながる希望をもたせてくれる。

 

 

◆歌詞について 

最後の花火が 冬の空に

堕ちてゆくよ

初っ端からダブルミーニングだと思っている。

 


1サビで「バケツ」が出てくる。バケツの水に夜空が映っていて、そこに線香花火が落ちていく。

空に墜ちてゆ」は物理的に矛盾した表現だが、視界の上下が反転したような感覚をもたせる。これ言葉で言うの難しいな。

 


もし今日隕石が落ちたら」より、ここは隕石が落ちている描写。線香花火の光と隕石をオーバーラップしている。

何より、表記が「墜ちてゆく」である。「墜落」の墜。

 

ベテルギウスのようなエンド

悪くないね

ベテルギウスオリオン座の星で、間もなく消滅するとされている。

ベテルギウスはいつ爆発する? オリオン座の赤色超巨星を徹底解説(sorae 宇宙へのポータルサイト) - Yahoo!ニュース

 

この曲においては、世界が終わる暗示。

 

最後の花火が 消える

そしてすべてが無になっていく

先ほどの②の意味でとると、(花火=)隕石が消えるのは地球に落ちた瞬間、とも考えられる。「そしてすべてが無になっていく」……。

 

季節はずれの

螢火みたいだ

蛍には死者・生者の霊魂が宿ると言われることがある。

線香花火の光が蛍のように見える。そこには、もうすぐ死んでしまう自分たちの魂が宿っている。

 

マフラーにくるまって

窓をあけてみれば月

停電すると星がよく見えると言われる。わたしも体験してみたい。

主人公らは天体観測をしようと、防寒対策をしてベランダに出た。

ちなみに「」とあるが、ベランダに出るときのあのガラス戸は「掃き出し窓」というらしい。

掃き出し窓ってどんな窓?引き違い窓との違いは?サイズの種類やメリット・デメリットは? | 住まいのお役立ち記事

 

なんだか気分は

グレープフルーツみたい

黄色くてまるい満月がグレープフルーツのように見える。

後に出てくるように、彼らは「トリップしている」気分なので。また酒飲んでそう(笑)

 

オノ・ヨーコの『グレープフルーツ』からきてると思うんだけどう~ん。

『グレープフルーツ』は、ジョン・レノンに『Imagine』を書くインスピレーションを与えたと言われている詩集。

「想像してごらん」 オノ・ヨーコの、世界を力強く動かす言葉の力(tenki.jpサプリ 2017年02月19日) - 日本気象協会 tenki.jp

 

ジョンは自分が見初めたバンドに「グレープフルーツ」と付けるくらい影響を受けたらしい。

芽瑠璃堂 > グレープフルーツ 『アラウンド・グレープフルーツ』VSCD2697

 

この曲では、線香花火からベテルギウスへと思考が飛んでいたり、トランポリンで星とったり、想像・妄想によるところが大きい。

なんだか気分は『グレープフルーツ』に書いてあるように、イマジンが止まらない感じ。

 

また、オノ・ヨーコは『グレープフルーツ』というタイトルついて、「グレープフルーツはレモンとオレンジのあいの子。ちょうど私の頭がアジアと西洋のあいの子のように」と語っている。

『in bloom』には、生か死か、正気か狂気か、わからない曖昧さ──壮馬さんに言わせれば「狭間感」が通底している。「グレープフルーツ」も狭間感をもつので、そういう意味もあるかもしれない。

 

こんな日だからって

謎の論理的思考で

とっておき 悪ふざけ

主人公に言わせれば、冬に花火をするのは「とっておき」の「悪ふざけ」である。

夏の余りの花火を引っ張り出したのかな。

 

もし今日隕石が落ちたら

くだらない議論で転がりあって

停電したような夜だから

「●世界観について」で先述。

 

 

ゆれるキャンドル

トリップしている

花火に着火する用のキャンドル。

停電していたのでキャンドルで灯りをとっていた可能性も。

気分が「トリップしている」ので、キャンドルの火はもっと揺れて見えるのだろう。

 

すぐそこにあるようなブラックホール

暗い階段」の上のほうが見えず、吸い込まれそうな錯覚を覚え、ブラックホールのように見える。

 

また、彼らのすぐそこにあるものは、隕石の衝突による「破滅」である。

そして彼ら自身が、どこかしら破滅に惹かれているように思う。例の「タナトス感」というやつだ。

彼らは破滅・死といったものに、ブラックホールのように引き寄せられてしまっている。

 

暗い階段を

スキップしていく

屋上に移動している? 停電中につき、階段の電気も消えている。

トランポリンで星 とってあげる」という提案から、屋上に移動した。

 

燃える旋律の上で飛べたら

もし地球に隕石が落ちて、世界の終わりが近いなら、この辺り一帯も燃えている可能性がある。

 

旋律」はまたメタ演出で、『最後の花火』を歌っている?と考えられる。

 

運命かもしんないよな

壮馬さんの曲にたまに出てくる、運命に抗わない「諦念」のこころ。

彼らは世界の終わりと死を、運命として受け入れている。

 

最初の花火が 灯る

そしてすべてがはじまっていく

さよならはまだ

次にとっておくよ

ほら また 光るよ

世界の再生の暗示。

 

また、壮馬さんの作る物語はまだ続く、というメタ・メッセージ。

>メッセージというほどではないですが、アルバムを出させてくれてありがとうございます、次がまた必ずあるよ、という想いが伝わったらいいなと思ってます

──「Ani-PASS」#10

 

 

 

St.逢瀬

 

 

今回もシークレット・トラックありがとうございます!

そこでウクレレ……ハワイアンがくると思わないよ……めちゃくちゃ良い。世界観、アルバムの中で一番好きかもしれない。

 

 

◆音楽面について 

曲はピアノの話をしているのに、ピアノの音が入っていない。

その代わり、グロッケンがトイピアノのように聴こえる。

 

コードは【FM7 EonD Dm CM7】?がループ。

 

拍子は壮馬さんが好きな、もはや毎度おなじみの6/8拍子。

6/8拍子の曲には、今まで『C』『るつぼ』『ワルツ』があった(『ワルツ』は2拍子で1拍を3連符で割ってる気がするが)。

 

 

◆歌詞について 

結論から言うと、「『逢瀬』は『わたし』の走馬燈の話」というのがわたしの考えである。

 

・こもれびの中でふたり

・鍵盤の上 わたしの手 そっとなぞる 指先よ

・小さな棺のような この 箱庭で 踊りましょう

状況から、「わたし」と「あの人」の逢瀬であることは分かる。

 

 

●「あの人」の状態 

さっき見た 長い影法師

あの人のものかしら 

「あの人」は影だけの存在?

ここで『ちいちゃんのかげおくり』を思い出した。ちいちゃんも家族も最後には死んでしまうおはなし。

 

小さな棺のような この 箱庭

」。そのまんま。あの人は恐らく、すでにあの世にいるお方。

 

こもれびの中でふたり

並んでゆれる

こもれびの中でふたり

ゆらゆらめいている

この場所」は、この世とあの世の間にある境目の場所。

この場所にいる「わたし」と「あの人」は、生きているか死んでいるか微妙で、存在自体が不確かでゆらゆらしている。

 

 

●「この場所」「ここ」はどこ?

ずっとこのままこの場所で

ピアノが弾けたらいいのに

鍵盤」と併せて、「わたし」はピアノを弾いていることが分かる。

しかし「ずっとこのまま弾けたらいいのに」。「~のに」は逆接の接続助詞なので、この後には「それはできない」と続くはず。

わたしがずっとこの場所でピアノを弾くことはできない。

 

このままここに いてもいい?

答えずに くちづけを

このままここにいてもいい?」はわたしがあの人に訊いたものかな。

あの人は答えてくれない。なぜなら、わたしがこのままここにいることは好ましくないから。

でも、直接的にそれを伝えることもしたくない。本当はここにいてほしい。そのジレンマの中で唯一できることが「くちづけ」だった。

 

こもれびの中でふたり

歩いてゆける

こもれびの中でふたり

身を焦がしてゆく

木漏れ日とは、光と影が交ざった状態。

木漏れ日が当たっているここは、光か影か、わたしにとって良い場所なのか悪い場所なのか、分からない。

この場所」はそういう曖昧さをもっている。

 

「木漏れ日みたいな日本語にしかない表現が好き」みたいなことを、確か2019年の「こむちゃっとカウントダウン」などで言っていた。

 

【limbo】(英)辺獄。壮馬さんいわく「この世を去った人が天国の前に行く」(「Ani-PASS」#10)。

【be in limbo】中ぶらりんになっている、不安定な・中途半端な・どっちつかずな状態

 

この場所」は、この世とあの世の間にある境目の場所である。

 

 

●「この場所」は「わたし」の走馬燈

壊れたフィルム

とまらないで…… 

ここは「壊れたフィルム」で映し出された世界。つまり映画か、幻燈のようなものを見ている。

ここで筆者的には「走馬燈」か「夢」の2択が浮かんだ。

 

そこに「in limbo」から考えた、「『この場所』はこの世とあの世の間にある境目のような場所」という情報を加えると、「走馬燈」が近いと思う。

 

走馬燈だとすると、わたしは死にかけている状態ということになる。

しかし、わたしは「ずっとこのままこの場所で ピアノ」を弾くことはできない。

ここから、わたしはいずれ走馬燈から醒め、生き返るだろうと予測できる。

 

あの人と逢えるこの時間が心地よいので、わたしは「止まらないで」と願う。

しかし、わたしに生きてほしいから「あの人」が「わたし」をこの世に送り返した。

エモッッッ!! エモ死。

世界の終わりとその先(≒死と再生)ともつながりそうなストーリーである。

 

 

 

●『グリフォンズ・ガーデン』について 

『逢瀬』元ネタは『グリフォンズ・ガーデン』?と勝手に思っている。他の曲のところでもすでに触れているが。そろそろ正解が知りたい。

詳しい経緯は全体考察「『グリフォンズ・ガーデン』との類似」の項を参照。

 

まずわたしが『グリフォンズ・ガーデン』を思い出したのが、ここからだった。

>(今回収録を見送った曲について)この世を去った人が天国の前に行くLimbo=辺獄を描いていて。そこが最後の楽園だよ、始まりと終わりのガーデンなんだよ、と歌っている。

──「Ani-PASS」#10

なお、ここで言及されていた曲は『逢瀬』かどうか今のところ不明。だが先のTwitterで「Limbo」が出てきたことからこう考えた。

 

グリフォンズ・ガーデン』裏表紙にあるあらすじを引用する。

>東京の大学院で修士課程を終えたぼくは、就職のため、恋人の由美子とともに札幌の街を訪れた。勤務先の知能工学研究所は、グリフォンの石像が見守る深い森の中にあり、グリフォンズ・ガーデンと呼ばれていた。やがてぼくは、存在を公表されていないバイオ・コンピュータIDA-10の中に、ひとつの世界を構築するのだが……

 

グリフォンズ・ガーデン ハヤカワ文庫JA : 早瀬耕 | HMV&BOOKS online - 9784150313272

 

まず、この研究所は「グリフォンズ・ガーデン」と呼ばれる森の中にあり、木漏れ日が差しているはずである。

ぼくは、IDA-10(アイディーエーテン)の中にプログラミングによって、もう一つの世界「DWS(デュアル・ワールド・システム)」を作った。主人公のモデルはぼく自身。DWSの中ではぼくの半生をなぞるように、プログラムが進んでいく。

この本自体は、「ぼくのいる現実世界」「DWS内の世界」の章が交互に語られ、クロス・カッティングのような要領で進む。

 

『逢瀬』の舞台はこのDWS内部の世界、という可能性が考えられる。

 

 

▼「ゆめ」について 

壊れたフィルム とまらないで……」より、この場所はわたしが見ている「夢」ではないか、と示唆した。

グリフォンズ・ガーデン』では、「ゆめ」が大きなキーポイントとなっている。

 

>ゆめを見ていたのに気づいたのは、旅客機が北海道の上空に差し掛かってからだった。

──同書 P.5

同書の書き出し。この本は「ゆめ」からはじまる。

 

>ゆっくりと眠りの藻が近づいてくる。底なし沼に落ちるのを引き留めるように、眠りの藻が包み込む。

──同書 P.139

 

>実験室での何度目かの睡眠は、ゆめが徐々に遠のいていくのを感じながら終わった。ぼくは森の中を佳奈と手をつないで歩いている。(略)

睡眠のとりすぎなのかもしれない。ゆめとそうではない時間の区別が、眠りから覚めるたびに薄れていく。時間に対する意識も朦朧として、時間が止まってしまうのではないかと疑う。

──同書 P.150

佳奈というのは、ぼくが恋人の由美子をモデルとしてDWSの中にプログラミングした、DWS内のぼくの恋人。

 

>驚いて目を覚ますと、逆光の中でグリフォンがぼくを見下ろしていた。気分転換の散歩の途中、森の中に現れた芝生で、グリフォンの石像の日陰に誘われて、横になって微睡んでいたのだろう。(略)ゆめで見ていた世界の方が実感を伴って意識に残っている。

──同書 P.186

 

>「ただこうやって人気のない大学を見ていたら、ゆめの中に来てしまった気がしたんだ」

──同書 P.245

 

 

▼その他の歌詞との類似 

ピアノ

>翌日、佳奈の所属する室内楽サークルの演奏会に出掛けた。佳奈は、最後にひとりでピアノに向かい、彼女らしい演奏でドビュッシーの小曲を三曲ほど弾いた。(略)

閑静な住宅街の坂の途中に、時間の忘れ物のようにある音楽堂、雨上がりの宵の庭、ダンガリーシャツでピアノに向かうガールフレンド、微かな風、幾千という花びらを散らせたフラワープリントのフレアスカート、漆黒にきらめくピアノ、月の光、前奏曲集第一巻第十曲、パスピエ……

──早瀬耕『グリフォンズ・ガーデン』ハヤカワ文庫 P.27

 

箱庭

>『鍋島さんは、藻岩山の展望台は初めてだって聞いたんですけれど、札幌の夜景はどうですか?』

『ええ、きらびやかな箱庭を眺めているみたいな気分です』

ぼくは、ソファのクッションをTV画面に投げつけた。(略)

「それなら、ぼくは箱庭の人形か?」

──同書 P.236

 

 

 

 

スクロール地獄、お疲れ様でした。親指は無事ですか。

「コンセプトアルバムではない」と壮馬さんは言ってたが、ガチガチにコンセプトを見出して書いてしまった。すんません……たのしかった。

 

「虚構」という場所はわたしにとって無いと生きていけない、エッセンシャルなものだと、最近改めて感じる。

右足と右手と左手を虚構の沼に、左足だけは現実の土に着けておく、みたいな生き方をわたしは今までしてきたし、これからもそうやって生きていくんだと思う。

壮馬さんがつくる虚構を受け取っていくことは、食べることと同じ。わたしにとっては。

それを咀嚼し、消化して、成長できている。そういう実感がある。

 

こんなに好きな人が、こんなに好きなスタンスでいてくれることが、あってよいものだろうか。それとも、このスタンスでいてくれるから、こんなに好きなのだろうか。なんてチキン・アンド・エッグの話をしたいのではない。チキンかエッグか、はたまたどちらも混ぜて甘辛いたれをかけご飯に載せ残酷な名前の丼にするか、そんな曖昧なことは今はどうでもいい。

 

確かな事実は、(これも毎回言ってる気がするが)斉藤壮馬はまだまだ物語をつくり続けていくということ。

ここからまた「すべてがはじまっていく」こと。それだけだ。

でも、それだけあれば十分。

続編はもう約束されている。わたしたちはただ安心して待てばいい。

ここでは物語の続きと、願わくばツアーの無事開催を期待して、「さよなら」とは言わないでおこう。

相応しいことばはきっと、

「See you!」

こっちである。

 

 

 

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