斉藤壮馬さん『carpool』で創作してみた。
スノードームの内側
inside D
運転席はいつだって、ぼくだけの専用席だった。
だからぼくは細心の注意を払い、でき得る限りの集中力を発揮しながら、慎重にアクセルを踏み、おもむろにハンドルを切らなければならなかった。
なぜなら、隣の席にはいつだって、きみがいたからだった。
そこは一般的に助手席と呼ばれる場所だろうが、ぼくが憶えている限り、運転中にきみがぼくの手を助けてくれることはなかった。
思うにきみは、青いビートルのフロントガラスに向かって運転席の右側の席を、映画館の中間列あたりに位置するラグジュアリー・シートとでも勘違いしていたのだろう。一般料金にプラスされるべき何千円かを支払うこともなく、きみはその座席に居座り続けた。
だがぼくはまさか、何千円を毎回ツケておいて、いつかまた飲んだ時にきみにおごらせてやろうなんて思っていなかったし、むしろ、きみの赤外線的とでもいえる温かさを心臓側に感じられることが、心地よくもあった。
ぼくは、ビートルをどこへでも走らせた。あらかじめ行き先を決めていることもあったし、先に二人ぶんの体だけを車に押し込んでから、適当に目的地を決めることもあった。
決め方といったら、幼稚園児のおあそびみたいなものだ。二人で「あっちむいてホイ」をして、どちらかが上を向いて負けたら北、下を向いて負けたら南、右なら東、左なら西を目指す……とか。
どこへでも、というより、どこまででも、といったほうが近かったかもしれない。
方角だけを決めて行けるところまで行く、という遊びをぼくらはよくした。つまり道路がなくなるところまでということで、大抵、見えないゴールテープの役割を果たしたのは海だった。
大抵、と言ったのは、海まで辿り着けない場合もしばしばあったからだ。大抵のうちの大抵の場合、それはガス欠のためだった。
まったくきみときたら、一体何歳になったんだ? と問いたくなるようなはしゃぎぶりだった。ぼくは長時間のドライビングで疲れ果てているし、ルーフは開けておくから、きみ一人で勝手に波と戯れていてくれと言いたくもなったが、きみはそうもさせてくれず、ぼくの腕を引っ張るのだった。
だから、あくまでも仕方なく、ぼくはきみに付き合った。
ある時は引っ張られるまま海に突っ込んで、ジーンズを信じられないくらい重くして帰った。
ある時は「海の家の代わり」などと言って、徒歩10分のコンビニでペヤングソース焼きそばを買ってきて、テトラポッドに並んで座って食べた。復路10分を経た焼きそばは、自身の熱でぶくぶくに伸びきっていた。そんなことはお構いなしに、「でも、このほうが腹に溜まりそうじゃん」ときみは言った。
その頃はるか都の西北では、顔とLINEのアカウントくらいしか知らないぼくらのクラスメイトたちが、ホールのような馬鹿でかい教室で長机にプリントとスマホを広げ、ホワイトボードと向かい合うか、こくりこくりと舟を漕いでいるに違いなかった。
ぼくらは時に、学生という自分たちの身分すらも本気で忘れて、ぼくらだけの遊びに興じていた。
当然のことながら、単位は自らすすんでするすると落ちていった。まるでテフロン加工を施したフライパンにバターを敷いた時のように。必修、選択、一限、七限。それらがどんな意味を持つのかぼくらは知っていたけれど、自分たちが単位よりもこのランデヴーの誘惑に勝てないということも、一年の留年を経てよく知っていた。
ビートルの外側から見たら、ぼくらは間違いなく、ただの悪い学生でしかなかった。
きみとは、なんだか沢山のことをした気がする。そうだな、茶碗一杯ぶんの米粒の数くらい。だけど、なぜか、思い出せるものは片手で数えるほどしかなかった。
こうして言葉にして、おぼろげな記憶を形のある記録に変換することは簡単だ。けれど、きみに関するぼくの記憶を、全てソリッドな形式でのこしておくことは、限りなく不可能に近いのだと思う。例えば、トランスヒューマニズムが究極的に実用化されて、ぼくの海馬に収まっている全情報が、正確なニュアンスでもって何らかの外部デバイスに記録され得るのであれば、話は別だけど。
では、ここで一つの疑問が生まれる。
なぜ、ぼくはこれを書いているのか。
きみとの記憶を全て書き記しておくことは、ぼくにはできない。きっと脳内のどこかの抽斗にはしまってあるであろうきみとの記憶の全てを、ぼくはしかし、引き出すことができない。
another D
【Aの失踪に関する追跡的検証】
検証対象:友人Aと車体B
対象日時:20XX年5月23日 午前5時前後
検証目的:対象の突如とした失踪に関して、その事実と行方の解明
以下、対象日時における詳細。
対象日時において、筆者と友人Aは車体Bを利用し千葉県沖九十九里浜へ到着。それ以上の場所の仔細に関しては不明。
Aは車体を浜辺の中ほどに停車。波打ち際からの距離は約12メートル。
筆者はAとともに下車後、食料品調達のためAと車体のもとを離れる。その後、徒歩2分に位置する酒屋にて食料品と飲料を購入。内容は、アサヒスーパードライ1缶、瓶の三ツ矢サイダー2本、ミックスナッツ1袋。購入に要した時間は3分。
再度、徒歩で2分の距離を戻ったところ、Aと車体Bの姿を捕捉できず。
停車位置より、波打ち際からの距離10メートル地点までタイヤ痕を確認。
以上の事由により、友人Aと車体Bの失踪にかかる事実と詳細を把握したい。
──
ここまでレポートを書き留め、ぼくはキーボードから手を離した。
彼の失踪については、不明点が多すぎる。それらをすべて体系化し、言語化してレポートにまとめるほどまで、ぼくの脳内は整理されていなかった。
だから一旦、頭を切り替えておきたかった。
本当はビールでもあおりたいところだが、今アルコホールを胃に流しこもうものなら、ぼくは間違いなくフローリングに倒れ込む自信がある。
レム睡眠へ向かいたがる脳をしゃきっとさせてくれる存在──ビールの感覚に近くて、しかしアルコホールを含まない飲料──を求めて冷蔵庫を開ける。
今ここにその条件を満たすものは、ウィルキンソンしかなかった。いつもであれば、ウイスキーやリキュールを割るために利用される、脇役でしかない。それは500mlペットボトルの半分ほどの量が残っていた。仕方がないから、ぼくはウィルキンソンをグラスに注いだ。
無色透明な液体をあおると、舌の上、上あごの内側、そして喉を、痛いくらいの刺激が駆けぬける。
そういえば、あいつはよくサイダーを飲んでいた。
正確には、旅先でともに酒を酌み交わしたかったのだが、帰りの運転も務めなければならないという脚本上、あいつの胃に酒を注ぎこむわけにはいかなかった。そこで炭酸を含む手軽な飲料、という理由で、サイダーに白羽の矢が立ったというわけだ。
しかし、ぼくは薄々わかっていた。あいつはビールをあおるぼくを尻目に苦々しくサイダーを流しこんでいたわけではなく、自ら好んで口にしていたのだと。
それは、あいつが瓶の口から唇を離したときに漏れる、うるさいほどの擬音から明らかだった。文字にすれば「ぷはっ」とでも表せるだろうか。
あいつはよく、ぼくが子どもっぽいだの、青春バカだのと言ったが、そんなハジける青春の代名詞のようなものばかり飲んでいるくせに、どの口が言えたものだ、とぼくは思っていた。
あれ、これって、いつのことだっけな……。
たしか、やたらと雲が見当たらなくて、すこしだけ暑くて、でも、そよ風がなけなしの暑さすらすぐに冷ましてくれる。そんな梅雨の前だった。
たしかあの朝も、あいつは起き抜けに角のないペットボトルを、勢いづいた音を立てながら開け、一気に体内へと流しこんでいた。
細かい泡の粒が次から次へと上っていく液体を見て、ぼくはたしか、水族館の水槽みたいだな、と思った。
あり得ないほど透き通ったブルー。人工的な酸素の泡。プリズム色に反射する夢の粒。自由と引き換えに、まやかしの安全を手に入れた海洋生物たち。彼らが水平線を目にすることは、たぶん死ぬまでない。
ぼくらも同じだ。ぼくらがいたのは、狭い水槽のなかか、あるいは、サイダーみたいな空気で満たされている空間。
そこは安全圏で、かつ適度な刺激もあり、心地よかった。
だが、代償としてぼくらから呼吸を奪っていった。
あいつだって、ほんとうは気づいていたはずだ。炭酸ガスの別名は二酸化炭素──そいつで満たされた空間にいて、ぼくらは息ができない。
あの朝、泡を上げ続けるサイダー越しのあいつの眼は、なにを見ていたんだろう。
それはあまりにも透き通っていて、純度の高いビイドロ玉のようだった。透明なサイダーとの境目がなくなってしまうのではないか、とぼくは思った。
ぼくはそれを、きれいだな、と思うばかりで、あいつがもっともっと遠くを見ていたことなんか、知らなかった。
たとえば、世界の終わり、とか。
瓶のサイダーなんて、今ではすっかり出会うこともなくなった。ウィルキンソンは辛すぎるし、ぼくには炭酸が強すぎる。
inside D
ぼくが子どもだった頃──で始まる文章に名文はないとわかってはいるが、それでも話をさせてほしい──ぼくが子どもだった頃、大人は世界の全てを知っているんだ、と思っていた。
実際、ぼくの母親はそういった意味合いの言葉を、事あるごとにぼくに告げた。
例えば、勉強なんてどうしてやらなきゃいけないんだ、と駄々をこねた時。大人になれば、あなたにも意味が分かるようになるわ、と彼女は言った。
例えば、最新のゲーム機を買ってほしいとねだった時。ママは大人だから、ママの言うことはいつでも正しいのよ、と彼女は言った。
例えば、ぼくのパパはどこにいるの、と訊いた時。あなたは子どもだから、何も知らなくていいのよ、と彼女は言った。
ぼくはそういった言葉たちを、丸呑みにして信じた。訳あり品に回されるべき不自然にへこんだ蜜柑も、選別せずに、全部を信じて皮ごと食べた。
白いキャンバスに黒い絵の具を一滴ずつ垂らしていくが如く、母はぼくを染めていったのだ。
いつかぼくも、全てを知っている大人になるんだ。そう、掴みどころのないままに思っていた。
そうして、ぼくは二十歳になった。
ぼくは法的に「大人」の権利を得た。
あの頃から今日までの間に、ぼくが知ったことはいくつかある。
一つ。母はぼくに嘘を吐いていたということ。
一つ。ぼくは大人になんてなれていない。骨が伸び肉が付いただけの、子どもだということ。
そして、ぼくはこの先永遠に、子どものままだということ。
しかし前提として、ぼくは大人になりたいなどと思っていない、ということは明記しておかねばなるまい。大人と子どもの違いを定義するなら、大人は働くもの、子どもは遊ぶもの、だとぼくは思う。それなら遊んでいたいに決まっている。働く阿呆に遊ぶ阿呆、同じ阿呆なら遊ばにゃ損なのだ。
だが聞いた話によると、世間一般的には、二十二歳になると強制的に大人として出荷されてしまうらしい。一度どろどろに溶かされ、鋳型に流しこまれて、冷やし固めた後、ぴかぴかに磨かれるらしい。
しかし、そんなことはぼくにとって、遠い国の知らない名前の大統領が語る政治の話くらい、ぼんやりとして聞こえた。
そうだな。数年先はいつだって、空想の話みたいだ。
今というものは、0カンマ1秒前の過去と、0カンマ1秒後の未来がせめぎ合った末の生成物として生まれ、流れていく。それだけだ。
ぼくらは数年先はおろか、数分あとのことだって、わかっちゃいないんだ。
きみだってそうだろ?
いや、いつだか、2秒後の未来を見ることができる映画の主人公がいたな。
もし、ぼくにその能力があったとしたら。
ぼくは、きみが歩み進むであろう数歩を先読みして、立ちはだかろう。
あるいは、きみの行く先を先導しよう。
そしてきみは驚くんだ。「なぜこいつは、自分と全く同じ行動をとるんだ?」とね。
ぼくは数歩先回りしてからすぐさま後ろを振り向いて、その顔を写真に撮ってやろう。
ぼくは言おう。「ぼくは未来を予知できるんだ」と。
きみは言う。「嘘を吐け」と。
嘘じゃないんだ、残念ながら。
ぼくはきみの全てを知っているのだから。
世界の全てを知る必要なんて、ぼくにはきっとなかった。
ぼくは、ぼくに見えている視界だけを、世界と呼ぶ。
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【Aの失踪に関する追跡的検証】
千葉県沖九十九里浜、某地点、波打ち際からの距離10メートル地点で確認したことを最後に、友人Aならびに車体Bが消息を絶つ。
2者の失踪後、車体Bの停車場所にて1冊のノートを発見。以下、発見物の特徴の詳細。
ツバメノート製大学ノート。表紙の色はグレー。背表紙は黒。海風の湿気のためか、紙束がややうねっている。以下、これをノートTとする。
以下、ノートTに記載の内容の詳細。
1ページ目は白紙。2ページ目より43ページ目まで、日記のようなものが書きこまれている。筆者が保有する友人Aの創作物と照合し、筆跡は友人Aのものと確認。
──
あいつが遺したノートは、およそ誰に読ませようとしたんだか、あるいは読ませるつもりはなくとも誰のことを描いていたのか、一読してはっきりと分かった。
あいつと無茶苦茶なドライブに耽っていたのも、あいつと伸びきったペヤングを食べたのも、あいつと連れ立って留年したのも。
ぜんぶ、ぼくだ。
ただただ楽しいまるで架空のような日々が、このノートの隅々まで詰め込まれていた。
しかし、そいつがけっして架空などではないことを、証明できるのはこの地球上でもうぼくしかいない。
そう、このノートはさながら、ぼくらだけの秘密の日記だった。
だけどあいつは、肝心なものを忘れている。
だってあいつは、自分がこうして記憶を記録に遺すだけで、ぼくには何も伝えさせてはくれなかった。
とんだ一方通行の片側一車線だ。
ふざけるなよ。
あんなにぼくの話を聞いて、聞くばかりで、自分は何も言わなかったくせに。
最後だけはぼくの話を聞かずに、自分勝手に言いたいこと言って。
ふざけるなよ。
どうして?
どうしてぼくを置いていくんだよ。
あのころのあいつには、はやすぎて追いつけやしない。
あいつはいつだって、思考のロケットにたったひとりで乗っかって、ぼくなんか置いて、ぴゅっと音速で飛んで行ってしまう。
だからぼくはその腕を引っ張った。
必死で袖を引っ張った。
それでも、あいつはぼくの手を振り切って、行ってしまった。
あいつが抱えていた闇は、たとえば「オープンセサミ」と唱えなければ絶対に動かない、重く冷たい岩のようなものだった。
そしてぼくは、たとえばせいぜいその岩に這い上るアリだ。
あいつのガラスの瞳を前にして、ぼくはあまりにも無力だった。
このノートを読んでいると、注射器で脳に直接注入されるがごとく、流れ込んでくる。
あいつの思念が。情動が。世界が。
もういいよと、思わず堰き止めたくなるほどに。
ほんとうは、ノートを背表紙からまっぷたつに破ってしまいたい衝動に駆られるのを、なだめるのに必死だった。
ぼくは怒っていた。そして気づいたのだ。
きっと、ぼくはあいつに会いたくてたまらなかった。
inside D
例えば、恋人からもらったレコード。
例えば、卒業祝いの万年筆。
例えば、輝かしい経歴。
例えば、美しさ。
失くしたくないものって、誰にでもあると思う。
当然ぼくにだって、失くしたくないものくらいあるさ。
それは「世界」だ。
ここにはいろんな意味がある。
時間、距離、海風、灰色の光……
だけど、とりわけ重要なのは、その世界の中に「きみがいる」ということなんだ。
ぼくの頭上には、ぼくらがいる世界を俯瞰で見つめる、もう一人のぼくがいる。ちょうど、スノードームで遊ぶみたいに。
もう一人のぼくは、非科学的な力で以って、しかしぼくに伝えてくるんだ。
それは警報だった。
──お前がいる世界は永遠ではない
──そこは、もうすぐにでも壊れてしまう
──逃げろ、外へ飛び出すんだ
──さもなくば、肉体に拠らない死が待つのみ
ぼくは外へ出てみようか、と思ってみなくもなかった。
だけどなぜだ? この世界から一歩出た瞬間に、ぼくは息ができなくなる。
そして気付くんだ。ここは無菌室だったのだと。
だから、あらゆる病から守られ、免疫を付けずにのうのうと生きてきたぼくは、無菌室から出るが最後、あっという間に淘汰されてしまう、とね。
きっときみは強いから、ぼくのようなこともないんだろう。
いや、正確には、そうあってほしい。
話を戻そう。
ものを失くさないためには、どうすればいい?
簡単だ。保存しておけばいい。
そこでぼくは試みることにした。この世界を保存するんだ。
それは、ぼくの記憶をプラスティネーションして、きれいなままの状態に留まらせるに過ぎない。
もし、きみがこれを読んでいれば、ぼくがすることはプラスティネーション作業の一環だと思ってほしい。
つまり、ぼくは、この自己中心的な事実を、きみだけに遺すことにした。
一つ分かってほしいことがある。
これからきみが知るであろうことは、ぼくが望んでしたことだ。
だから悲しむ必要なんてない。
重要なのは、手段ではなく目的なんだ。
でも、できれば、水平線の先なんて知りたくもなかったよ。
ぼくらを、スノードームの中にだけ、ずっと閉じ込めていてほしかった。
可能であれば、それが一番良かったんだ。
少なくともぼくはね。
another D
【ノートTに拠る友人Aの心理状態に関する考察】
対象:筆者の友人A
参照:Aの遺留物ノートT
目的:20XX年5月23日午前5時前後、千葉県沖九十九里沖にて失踪したAに関し、事実究明を最終目的とし、その心理状態を考察したい。
Tの13ページの内容より、Aは幼少時より母親と2人暮らしであったことが判明。ならびに母親はAを少なからず抑圧していたことが読み取れる。Aは「大人」という存在自体を忌避していたようである。母親との因果関係は明言できないものの、Aがピーターパン・シンドロームであった可能性も大いに認められる。また、28ページの内容から、Aは自身の年齢が二十歳に達した際、彼自身の成長に強い嫌悪感を覚えていたと考えられる。
結果としてAは、彼いわく「プラスティネーション」──つまり彼自身の保存を望んだ。「保存」に際して具体的な手段は未だ不明であるが、現時点で1点の予測を立てることができた。
・Aの愛車である車体Bのタイヤ痕が、停車位置より波打ち際からの距離10メートル地点まで確認されたこと。
・37ページの内容から、「死」「息ができない」「遺す」といった文言が見受けられること。
以上の点から、Aが
──
ブルーライトカット眼鏡を外す。乾ききった両眼に目薬をさした。およそいまの気分とは似ても似つかない爽快な冷たさが、眼球のなかを駆けぬけ、毛様体をゆるませた。それだけだった。
ウィルキンソンに懲りたぼくは、今度は梅酒ロックを片手にレポートを書いている。
しかし、ここまで思考をまとめておきながら、結論などとっくに導き出しておきながら、最後の一文を書ききる気にはどうしてもなれなかった。
その答えだけが、キーボードに打ち込まれることなく、いつまでも指先に留まっていた。右手人差し指、中指、左手薬指、小指、中指、右手人差し指。
わらえる。
ここまで追いかけておきながら、限りなくゴールテープに近づいたあげく、ぼくはみずからそれを手放す。
きっと、ただ認めたくないだけだった。
その事実を認めたくないという事実すら、ぼくは認めたくはなかった。
どうだい?
おまえが言っていた、目的とやらは果たせそうかい?
おまえはこうすることが最善だったんだって、思っていいんだな?
たとえおまえが今ごろ後悔していたって、ぼくは知らねえよ。
これでいい。これでよかったんだって、勝手に思い続けてやる。
ほんとうの結果がどうであれ、そう思い込むくらいの権利は、ぼくにもある。
聞いて驚くな。ぼくの生活はいま、信じられないくらい平和だ。
ぼくはきっと、前期の授業をフル単でパスするだろう。
まるで「ふつうの大学生」みたいに。
まるでついこの前までのぼくとは別人みたいに。
レポートも出して、テストも受けて、一限にも、七限にもちゃんと出て、「あの人がうわさの留年の」なんて後ろ指をさされても、ちゃんと出て、講義が終わったら、夜はやたら暗い公園を通って新大久保手前の築35年のアパートまで歩いて帰って、そうだ、どうせ暇なのだからバイトも始めよう、無難に家庭教師がいいか、アパートから大学までの通り道のカフェバーか、馬場寄りの古着屋もありだな。馬場なら、バイト帰りに飲み会に参加することもたやすい。
これでよかったんだ。
今までがおかしかったんだ。
青春なんてそんなもの。いつかは消えてしまう、しょせんうたかたの日々だ。だからこそ、そこには価値がある。
遅かれ早かれ、きっとこうなる運命だったんだ。
だけど、寝ても覚めても。食べても吐いても歩いても風呂入っても小便しても歯磨いても、
なんか、いるんだよな。おまえが、ちょうど右肩の後ろあたりに。
そして、寝ても覚めても食べても吐いても歩いても風呂入っても小便しても歯磨いても、ぼくはきっちり、一回ずつ振り返る。
そこにおまえがいないことは、振り返る前から知っているにもかかわらず。
今の生活をたとえるとすれば、甘ったるいだけの砂糖水といったところか。フタを閉め忘れて、すっかり炭酸の抜けた三ツ矢サイダーのような。
だけどすこしの炭酸がほしいなと、ぼくはやっぱり思うんだよ。強すぎず、弱すぎもしない微炭酸が。
甘いだけの液体なんて、すぐ飽きるに決まっている。たしかに、最低限生きていくための水分補給くらいはできるかもしれないけど。
それじゃつまらないんだよ。
つまらないんじゃ、死んでるのと同じだ。
どうすればよかった?
ぼくがどうすればおまえはここにいてくれた?
運命とかいうくそ野郎がいたのなら、そんな運命なんて捨てよう、ってぼくが言えばよかった?
そんなくそつまらない世界、こっちから願い下げだって、もっと、もっとおまえの腕を引っ張るべきだった?
だけどあのとき、言えなかったな……。
それどころか、あいつが見ていたものすら、ぼくには見えていなかったんだ。
今さらどうのこうのと逡巡したところで、ぼくは時間がもつ不可逆性の強靭さをすでに知ってしまっていた。
海へ注ぐ川が逆流しないように。時間もその流れに逆らうことはない。
世には、軽々と時間を跳躍し過去現在未来を行き来する物語ジャンルがあるが、あれはフィクションの中だけの話なのだ。
それはぼくにとって、「無意味」あるいは「絶望」と同義だった。
あいつがいないということ。
不在だけがここにあるということ。
それが全てで、何もないこと。
かりそめの生活の中で、「何もない」だけがリアルだ。
outside D
とくに得たい情報があるわけでもないが、なんとなく毎朝つけているテレビに、しかし今日は関心を引かれざるを得なかった。
肌が発光しているのではないかと思うほどツヤを放ち、前髪をかき上げまゆ毛をくっきりと描いた女性アナウンサーは、いかにも悲痛といった芝居めいた表情を浮かべ、手元の原稿を読み上げた。
いわく、こうである。
〈昨夜、千葉県九十九里沖で、行方不明となっていたW大学3年生のAさんと思われる遺体が発見されました。Aさんは所有する自身の車の運転席に乗っており、シートベルトを締めた状態だったとのことです。Aさんは先月23日未明、九十九里浜付近へ車で出かけたことが判明しており、その後、車とともに行方が分からなくなっていました。なお、警察の調べによると、Aさんはこの日、友人一人と一緒にいたとのことで──〉
そこまで耳にして、頭に痛みが走った。先ほどから周期的に、頭蓋骨が締めつけられるような感覚に襲われる。孫悟空が強制された痛みは、きっとこれに似ていたに違いない、と意味もなく思った。
きれいなアナウンサーさんが言うところの、「Aさんの友人」。まさしくぼくのことである。
実際、あの後は警察が何人もぼくのところへ来て、根掘り葉掘り聞いていった。ぼく自身のことも、あいつのことも、ごった煮といったていだった。
そのいくつもの眼球たちは、同情と猜疑をちょうど50%ずつ湛えたいろをしていた。「目の前で友人に死なれた可哀想な大学生」と「自死に見せかけ友人を殺した計算高い大学生」という、ふたつのフィルターを代わるがわる通して、ぼくは見られていた。当然のことだ。仮に逆の立場だとしても、ぼくはぼくをそう見る。
〈Aさんが亡くなられた理由をご存じですか? お友だちなら何か聞いているんじゃないですか?〉
《いや、知りません》
知るか、んなもん。ぼくが聞きたいくらいだったのだ。そう、このときはまだことが起こった直後で、あのノートを開いてみる気すらしなかった。
〈あの日あの時間、Aさんと一緒にいらっしゃったのはあなただけですね。つまり、あなたにはアリバイがないんです。これが何を意味するか、わかりますね?〉
《……ああ》
意味するところとは、あなたたちがその場の状況だけを判断材料に憶測を立て、ぼくから何かそれらしい言質がとれさえすれば、すぐにでも逮捕状をこさえてぼくを収監し、「大学生どうしが金か女で揉めて自死に見せかけ友人を殺した」という、考えうる最上級にきれいな(というのは、クソ面白みがないというニュアンスを含む)ストーリーのプロットを作ることですよね。
という具合に、いくらでも反駁できないことはなかったのだが、皮肉なぞという高尚な言語文化がこの人たちに通じるとも思えなかったので、面倒くさくなり《ぼくは殺してなんかいませんよ》とだけ答えた。
その後も何度か警察官はぼくをたずねてきた。ぼくは、あのときあの場にあいつの遺書らしきものがあったことを、言いたくなかった。
ぼく自身が検証を終えるまでは、ノートTはぼくの手元になければならなかったからだ。
だが今となっては、あいつの所在も明らかになり、検証の必要もなくなった。つまり、ノートTも用無しなのだ。
ぼくは、ぼく自身の潔白のためにも、間もなくこれを警察へ引き渡しにゆくだろう。
このノートの隅で眠り続けるストーリーは、ぼくの頭の中だけに留めなければならない。
ああ、夢をかなえてドラ○もん、ア○キパンがあればいいのにな、と思った。ぼくは大真面目だ。
一応、あいつの母親にも血も涙もあったようで、すでに焼け焦げた骨になったあいつにぼくは対面することができた。
水死体がどんなふうになるか、ぼく自身も知識としては知っていた。だから、あいつも先に火葬がおこなわれ骨だけの状態で式をすることになったらしいと聞いても、何も思うところはなかった。
そしてあいつの骨を拾ってやるのは、母親一人だけらしかった。それで、どんなにかこの女があいつに、そしてあいつ自身がこの女に傾倒していたのか、察するには十分だったのだ。
独りは心許なかったのか、母親はぼくにも骨を拾わないかと持ちかけてきた。一人息子を失った寂しい婦人のSOSを無下にできるほど、ぼくも鬼ではなかった。
ぼくたちはたったふたり、ばかでかい鉄のトングをひたすらに開閉させた。ヒトの骨は思ったより多く、また、あいつの身体はぼくが記憶しているよりもずっと大きかった。
肋骨や骨盤、大腿骨などの大きい骨は母親が拾うべきだろうとぼくは思ったが、拾われないままのそういう骨がひとつ、黒い灰に交じっていつまでも転がっていた。母親はあえてそれを拾わずにいたのだ。だから、これはぼくが拾うべきであった。
ぼくは左の大腿骨を拾うと、このまま壺に放り投げてしまうのはなんとなくもったいない気がして、素手で持ってみた。
先ほど燃やされたばかりとは思えないほど骨は冷えていて、表面はざらついていた。重くはないものの、しっかりとした感触があった。その冷たいだけの質量が、残酷にぼくに告げる。
もう、皮膚の弾力も、36度を切る不健康な体温も、あいつは持たない。これは生体なんかじゃない、元・生体なのだ。あいつは今はもう、ただの物体になってしまったのだ。これは夢じゃないんだって、そう告げていた。
ぼくはあいつの脚を、こっそりスーツのポケットに忍ばせた。
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【Aの失踪に関する追跡的検証】──結論
20XX年5月23日午前5時前後、千葉県沖九十九里沖にて失踪した友人Aに関しては、これを死亡したとする判断が警察より伝えられる。
状況から、Aによる自死と見られた。また、ノートTは極めて重要な遺留品として押収される。
よって、当検証もこれにて終了とする。
──
ビートルは中古車なら思いのほか安く仕入れることができた。
そうそう、これだ。この色。独特の丸みを帯びたフォルム。そしてオープンルーフ。
このルーフを全開にして、風を真正面から受けるのが好きだった。自然とオールバックになった髪、潮くささ、右隣の横顔。潮のにおいはどちらかというと苦手だったが、それもいいと思った。
ビートルの車内は狭かった。そういえば、大の男二人が乗り込んだ時点で、ひじとひじがすこし触れ合ってしまうほどだったな、とぼくは思いだす。
ただひとつ、違うのは、右側に座るのがぼくであることだった。
助手席のシートに、かっぱらってきたカルシウムの塊を置く。
ほかの誰も乗せるつもりなどない。隣の席はいつだって、おまえだけに空けておくのだ。
ぼくはこいつをあの場所へ捨てにいく。
そうすべきだとぼくは確信していた。
あいつは十分すぎるくらい、狭い世界に押し込められていたのだ。それなのになぜ、まだ土の下などに埋められなければいけない?
せめて、すこしだけでも、あの海にいさせてやってもいいじゃないか。ぼくらがいた、そしてあいつが選んだ海に。
西早稲田から浜辺までは2時間弱で到着した。
あのときも、そうだこんな景色を通りかかった、と考えていればそれほど長い時間でもなかったが、やはり話し相手がいたときよりは長く感じた。というよりも、あの頃の時間の流れの速さは異常なほどだった。なにも生み出さない怠惰な日々は、ただ矢のように過ぎていった。
右ドアから降りるのはどこか変な感覚だった。
あの塊を波間へ投げつけた。
小さな白塊が波にもまれ行きつ戻りつしているのを、ぼくはしばらく目で追っていた。
それはやがて沖のほうへと流され、見えなくなった。
終わった。
これにて、ぼくの自己満足なミッションは終わったのだ。あっという間だった。
やはり右ドアから運転席に乗りこむ。が、すぐに回れ右というのも味気なく、ぼくは動けなかった。
どのくらいそのままでいたのだろう? わからないが、空が赤みはじめていることが、それなりの経過を教えていた。
波が鳴いている。夜が近づき、風が強まり、海は時化てきていた。
ふと、ペヤングを食べたときのテトラポッドの硬さを、瓶サイダーを喉へ流しこんだときの海特有のべたつく空気を感じた。途轍もないノスタルジアがぼくを襲う。
あれ……息が、うまくできない。うまく、呼気を吐きだすことが、できない。
同時に、しょっぱい味が、ぼくの舌を、占拠しはじめた。
それに、頬が濡れて、冷たく感じる。
やっぱり、うまく、息ができない。
もうむりだ。
思考の過程とか、途中計算式とか、そういうものをすっ飛ばして、むりだ、とぼくはそう思った。
おまえが呼んでいる。
さざなみのあいだから、おまえが呼んでいる……
そういや、おまえ、おれ以外に友だち、いたか? あんまり見たことねえなあ。
わかった。
さみしいんだろ?
だからおれを呼んでいるんだな?
なんだよ。
意外と素直なやつじゃないか。
しかたないな。
じゃ、おれもいまから、そっちに行くからさ。
すぐ追いつくから、
その場所で待ってて。
inside D
気づけば、このノートも最後のページまで来てしまったね。少しお喋りが過ぎたかな。
きみは、ぼくがこんな風に講釈垂れるのをひどく嫌がったから、きっと呆れた顔でこれを読んでいるに違いない。
もしかしたらこれを読むのも、だいぶ序盤で放棄しているかもしれないな。(笑)
だからこの記録に2冊目はない。
正真正銘、ここで終わりにするよ。
でも最後に、一番大事なことを、一番手短に記そう。
隣の席はいつだって、きみだけに空けてあるよ
それじゃ、また 会おう
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今回は斉藤壮馬さんの楽曲『carpool』をお借りして二次創作をしてみました!
一人称のダイアリーが交互につながる構成にしました。一人称が好きです。
今回も歌詞をばらばらとちりばめております。
また、『carpool』のモチーフになったというスピッツ『冷たい頬』の歌詞もちょっとだけ使わせてもらいました(青字部分)。
あと『エピローグ』とか『BOOKMARK』の歌詞も引用しています。他にもなんかあったかもしれない。(雑)見つけてみてください。
タイトルは何の気なしに付けたら、早瀬耕さん『プラネタリウムの外側』オマージュみたいになってしまいました。結果良かったような?ともかく好きです。
同じものをpixivにもアップしました。
こっちだと縦組で読めます!それに合わせ数字を漢字にしたりしております。今回は横書きの日記設定なので、横組でも縦組でも合いそう。
感想とかいただけたらめっちゃうれしいです。クリームソーダが飲みたい。あと桃が食べたい。
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