消えていく星の流線を

消えていく星の流線を

デフォで重め

推しとわたしとコロナの愉快な2020年

 

カフェに入る。BGMでは、去年のクリスマスにハートを君にあげたり、War がOverしていたりする。

年末年始は大体いつも東京ドームにいた。だからクリスマスソングを聴くと、わたしは水道橋の空気を思い出す。25ゲートか41ゲートか。ヱビスバーかデニーズか。

ということで気づけば年末。年末には年末らしく今年を振り返ってみよう。という記事です今回は。

そしたらす~っごい暗くなった。

あまりにも暗いので、せめてタイトルだけでも平穏な洋画の邦題みたいにしてみた。むだな足掻き。

繰り返しますが暗いです。忠告はしました。それではどうぞ。

 

 

 

2020年。

なんて特殊な年だったのだろう。わたしは「2020年」のことを、恐らく一生忘れない。初めて外国に行った年よりも、初めてジャニーズのコンサートに行った年よりも、大学を卒業した年よりも、つよく、忘れない。

現場が消えた。

推しの顔が(直接)見られなくなった。

それはわたしの人生のなかで、何を意味していたのだろう?

 

 

 

昨年まで、わたしはまあまあ幸せに暮らしていたと思う。

大した稼ぎもない、ペーペーの社会人。

推しがいるイベントやライブには大体参加して、ひとつ終わったらまた次のイベントのチケットを握りしめて、そこを楽しみに生きる。そんな、きれいなサイクルを繰り返して生きていた。

でっかい目標なんかも特にない、基本的に省エネな生活。だが、人生なんてそんなものだろうとも思っていた。なんとなく稼いで、エンタメを受け取るだけ。それで楽しいから良くない?ねえ良くない?

つまり、わたしはオタ活以外に生きる意味を見出していなかった。

そして当たり前にオタ活できていた2019年までは、そんなことに気づけるはずもなかった。

えてして、人は失って初めて気づくものだ。

そういう場所を失って初めて、推しがわたしの生きる意味であることを知った。

それがわたしの2020年だった。

 

 

では、生きる意味がなくなって(あるいは限りなく少なくなって)わたしがどう感じたか。

答えは簡単。

「死にたい」だった。

というか、たぶん、気づいていなかっただけで、「死にたさ」はもっと前から頭のどこかに抱えていた。
だけど常に手元にチケットがあり、追うべき対象が目の前にいたから、死にたさが紛れていたのだと思う。

 

最近のマイブームワードは「希死念慮」である。

ちなみに、「自殺願望」と「希死念慮」という言葉は意味的に使い分けられるらしい。

希死念慮

死にたいと願うこと。

[補説]自殺願望と同義ともされるが、疾病や人間関係などの解決しがたい問題から逃れるために死を選択しようとする状態を「自殺願望」、具体的な理由はないが漠然と死を願う状態を「希死念慮」と使い分けることがある。

──コトバンクより

 

これを見ると、わたしは明らかに後者である。

だから安心してください死にませんよ。

「死にたい」。「死にたくない」。

その2つが同居している奇妙な精神状態は、健康な人にはなかなか理解しがたいかもしれない。

 

すると、明らかな変化も感じられてきた。

わたしはグロ描写がすこぶる平気な類の女だった。どこまでも可愛くない。

秋、とある映画を見に行った。イギリスの辞書編集者の話で、そのあらすじからアカデミックな内容なのだろうと思った。それなら、こんな精神状態でも楽しめるだろう、と。

蓋を開けてみると、まあまあまあ結構なグロ描写が多かった。看板に偽りありだ。許すまじ……。

そこで、いつもなら平気なはずの血や吐瀉物の描写がとにかくしんどかった。何秒間か目をつぶった。

原因は思い当たった。思い当たりすぎたかもしれません。「死」を意識していたからだ。画面の中のグロを自分と重ねてしまってダメだった。

その時さすがに、かつてないレベルで精神が落ちていると感じた。

 

具体的な行動としては、買い物に走った。

特に鞄と化粧品を買ったかな。

鞄が一番ひどかった。通販で買っては、サイズ感が思ったのと違う、こっちの方が可愛いじゃん、といったように、買っては売り、あるいは捨てた。売るといっても古着屋でワンコイン程度になれば良いほうだった。つまり自らすすんで金をドブに投げていたのと同じ。

化粧品は、わかりやすく言うと昨年より28本リップが増えた。ちなみに美容ユーチューバーでもなんでもない。よりによってリップ。マスクするのに。これも金をドブに捨てていたのと同じだろう。リップ見えないもん。見えないからこそ、反動で欲しくなったのかもしれない。

それで買い物がかさみ、貯金ができなくなった。

わたしは今年、推しの供給があるとお金を入れていく「推し貯金」を実践していた。

……のだが。出費を抑制できず、11月には推し貯金を崩す事態になった。

情けない。

 

でも、それが、すごいの。

すごいんだよ。

何をどれだけ買っても全然満たされないの。笑える。

買ったものが届いて、開けて、うわあテンション上がる!早く使いたい!って思うの。

でも2日くらい経つと気づくの。

現場なんかないし、友だちにも会わないし、買っても意味なくない?って。

そうするとたまらなく死にたくなる。

本当には死なないよ、何回も言うけど。

でも、使う場所なんかないって、無意味ってわかってても、また新しいものを買ってしまう……ということを繰り返した。

それがわたしの2020年だった。

 

(この前推しが出した新グッズが可愛かったので(かはわからないが)、今はだいぶ買い物欲が収まっている気はする)

 

 

そんな自分の精神状態がヤバイなか。推しは2020年、めちゃくちゃ活躍していた。

アニメの主演は4本(2020年冬クールから2021年冬クールまで)。これは今までにない数である。ものすごくおめでたい。また、映画にもたくさん出演されていた。

そのなかで、もっともわたしの精神を支えてくれたのがアーティスト活動だった。もともとわたしは、推しの活動のうちアー活が一番好きだった。

推しは今年、コンスタントに新曲を発表してくれた。12月にはフルアルバムも出る。

その度にわたしが思ったのはこれだ。

「良かった、生きる意味ができた」。

リリースがあると、買って、聴いて、ブログを書くという流れが、いつしか自分の中でできていた。

ブログを書くまではなんとか生きていくぞ、と。そういう風に、重い腰をむりやり上げて歩いてきた。

それがわたしの2020年だった。

 

 

でも同時に感じてるわけ。

「わたし、推しを推す以外何もない」。

これいっこしかない。

じゃあその唯一である「推しを推す」がなくなったら、今度こそ何もなくなるよ。

そのとき、わたしはどうなっちゃうんだろう? 廃人になっちゃうのかな? ヤベー。重ね重ね言うが死にたくはない。

今は推しがたくさん活躍してくれているから良いものの、いつまでもそれが続くとは限らない。

あまりに愛が大きすぎると失うことを思ってしまうの。それって本当だったんだ。KinKi Kidsは偉大。

これ即ち完全なる依存。

「推しを推す以外何もない」。その無力感と情けなさに、抗えないまま目をつぶる。

 

 

そう、そして今年は推しの主演作が多かった。ということは、本来であれば主演声優として立てるステージがたくさんあったはずだ。

推しが立つべきだった0番は失われた。永遠に。それは何よりもやるせなかった。

 

 

でも。

でも、悔しいじゃないか。失ったものばかり考えるのは。

だからわたしはあえて、コロナから得たものを考える。

 

 

その1。

チケットにかけるはずのお金が浮いた。それで脱毛に行ったり化粧品を買ったりした。

こんな機会でもないと、脱毛いこ~って思わなかった気がする。化粧品は買いすぎ。おかげで金はない。

その、自分のなかで、ちょっとだけ美意識が高まったことは良かったと思う。

 

 

その2。

自分は何もない人間だと再認識できた。

今まで「推しを推す」が充実しすぎていたから、自分自身の生き方について見なくて済んだかもしれない。

だけど今年わかったじゃん。わたしには何もない。

もっと自己実現ができれば、死にたくなんてならないかもしれない。

推しが好き。大好き。世界で一番好き。

世界一好きな推しを、健康に推し続ける。そのために、自分に満足できる自分でいたい。

 

 

その3。

推しの「有り難さ」を再認識できた。

イベント制限が敷かれた2月から今までの10か月。推しがリアルイベントに参加したのは11月の1回だけだった。

わたしもその場にいた。そこで何より真っ先に感じたのは、「有り難い」ということだった。Thank youの意味ではなく、言葉そのものの意味で。

「ありがたい」とはもともと、「有る」が「難(かた)い」、つまり「なかなか存在することがない」という意味だ。

今までマシンガンのように行われていたイベントの数々。そこに有り難さなんて、あまり感じてこなかった。だけどコロナ禍の今は、文字通り「有る」が「難い」状態だ。

 

これって裏を返せば、1回1回の現場をもっと大切にできるということでは?

初めて推しと同じ空間にいられたときの感激を、また新鮮に味わえるということでは?

これからもっと、もっと推しを好きになっていけるということでは?

そう考えたら、オラむしろワクワクすっぞ。

 

わたしは大人だ。自分の機嫌のとり方くらい知っている。

わたしの心を決められるのはわたししかいない。

「人生は 心ひとつの 置きどころ」。

推しが好きな言葉のひとつである。

じゃあ視点、変えてやんよ。

視点、そのたったひとつを変えて、楽しんでやんよ、こんな人生なんか。

起こしてやんよ! コペルニクス的転回をよ!!

 

 

 

やば。変なテンションになってきた。

最後に。わたしが病んでるときに心配してくれた皆さん、ありがとうございました。

 

推しへ。たくさん心を支えてくれてありがとうございました。こちらからも、ほんのすこしでも何かを返せないかなっていつも考えています。そんな気持ちで、これからもお金を払って応援させていただきます。2021年もよろしくお願いします。

 

──ワクチンのすこしでも早い実用化を願って、2020年末

 

 

 

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