ようこそ、地獄博覧会 ~斉藤壮馬さん『my beautiful valentine』考察&雑記
2月9日、斉藤壮馬さん2nd EP『my beautiful valentine』がリリースされました!
まあせっかくバレンタインだし伝えときますかね……
大好きなんですけど?????
チョコレートたくさんあげたい。山ほどあげたい。えっ壮馬さん甘いもの苦手じゃん!! どうしよう……ビターチョコなら食べられますか? それともポテチのほうがいいですか? どちらにせよ愛情だけは死ぬほど詰めときます。
シンガーソングライター・斉藤壮馬さんが手がけるアルバム・EPもいよいよ4作目となり、そんじょそこらのアーティストだったらマンネリしてくる頃ですよ。ジャンプの漫画だって4話目くらいが打ち切りの分かれ道だって『バクマン。』で言ってた。気がする。
でも今回も、今回「も」、クソ最高だったじゃないっすか?
しかも過去作のいずれともテイストが違う、また新しい最高が生み出されている。どんだけ引き出しあるんだ……斉藤壮馬……
さて今年もそんな壮馬さんの音楽に出会えたこと、そして感想を書き散らかせることが最上の幸せです。
さあ再生ボタンを押しましょう。そして手を取るのです、そう、あなたに傅く悪魔の手を……
※ 毎回書いてますが今回も書いておきます。以下はすべて個人の解釈であり、正解を追求する意図はありません。すべての文末に「と筆者は思う。」を補完して読んでください。
※ 全曲考察、公開しました! あわせて暇つぶしにどうぞなむなむ
◆タイトルについて
タイトル「my beautiful valentine」の元ネタはシューゲイザーバンド「My Bloody Valentine」。
>制作を進めているときにリリース時期について話していて、バレンタインデー付近に決まったんです。じゃあマイブラも引っ張ってこられたらみたいなところから、アイロニカルな感じにしたいと思って付けました。
斉藤壮馬インタビュー|新作「my beautiful valentine」で紡ぐ、閉じた世界の物語 - 音楽ナタリー 特集・インタビュー
マイブラは壮馬さんが以前から傾倒しているバンド。『quantum stranger』リリース時にも『結晶世界』がシューゲイザーだったことから、マイブラの名前を挙げていた記憶がある。
エッセイ『健康で文化的な最低限度の生活』にもその名前が。
>キリコやマイブラッディヴァレンタインみたいに、醒めながらもトリップしている感覚。必要以上に冷静にならず、かといって躁状態でわめき散らす必要もない。宇宙と熱帯、遠いどこかといまこの場所。一と全。共鳴しあう相反する要素。 凪の状態。
──同書「結晶世界」P.153
このEPは「赤」を基調としている。
そのため、「バレンタイン」といってもチョコレートをあげる恋愛イベントではなく、「ブラッディ・バレンタイン」の方が想起される(しかし某有名板チョコレートも赤いパッケージだが……)。
血で赤く染まった記念日、アメリカを震撼させた「聖バレンタインの虐殺」 | ATLAS
そして「ブラッディ・バレンタイン」の期待を裏切ることなく、このEPは血みどろの世界を描いていくのだ。
そういう意味ではストレートな(つまり1ひねりしかしていない笑)タイトルなのではないかと思う。
◆世界観について
どうあがいても、地獄。
ですよ(笑)
某伝説の鬱ゲーム並みに地獄。どこ見ても地獄。四方八方が地獄。
『my beautiful valentine』はそういう作品だ。
たしかに前作までも、壮馬さんは「世界の終わり」や「退廃感」を全面に打ち出してきていた。
>今までの作品は、世界の終わり的な、ちょっと退廃的なモチーフが一貫してあったんですけど、
──「CUT」2020年10月号
>アルバムタイトルを『my blue vacation』にしたのも、“もしも世界が終わるなら、それまでの時間って最後のバケーションじゃない?”というニュアンスなんです。
斉藤壮馬、音楽への偏愛を語る「ピート・ドハーティの言葉には魔法がある」 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)
そして前アルバム『in bloom』にはどことなく「死」の匂いも漂っていた。櫻井孝宏はこのアルバムを「タナトス感がある」と語った。
タナトスとブールドネージュを食べれば ~斉藤壮馬さんアルバム『in bloom』考察&雑記 - 消えていく星の流線を
今回はこの世界観を踏襲しつつ、さらに直接的になっている。
『in bloom』は辺獄(壮馬さんいわく「この世を去った人が天国の前に行く」場所)を描いていた『逢瀬』に代表されるように、心地よい死を描き出していた。
それと対照的に、同じタナトスはタナトスでも、今作のそれは仄暗く得体の知れないものとして描かれている。そこは天国の対義──紛れもない地獄だ。
このEPは7曲7様の地獄を描きだす。「さあ、お好きな地獄をお選びください」と言わんばかりに。
わたしたちは再生ボタンを押したが最後、選り取りみどりの地獄に引きずり込まれてしまう。『my beautiful valentine』はそういう恐ろしい引力をもつ作品だ。
具体的な地獄要素・タナトス要素について。
ラプソディ・インフェルノ
・あまいコラプス
【collapse】(英)崩壊(≒世界の終わり)
・大罪にほだされ
【ほだされる】(人に同情して)束縛される
大罪を犯した人が行く場所といえば地獄。
・可愛いタナトス
・地獄の業火に焼かれて 身をやつしたの
・墓場はここさ
・ゲヘナはここさ
【ゲヘナ】聖書における地獄。とくに「悪しき者に永遠の刑罰を加える場所」。
『ラプソディ・インフェルノ』怒涛すぎる。
ないしょばなし
世間一般的な「正常」からズレている主人公の話。
社会から抑圧されている。この人にとって一般社会は地獄ともいえる?
(Liminal Space)Daydream
社会から抑圧されている主人公の話。子どもがいじめを受けている? とわたしは考えている。とすると、その人にとって学校という場所は地獄といえる。
幻日
>桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。
・埋め捨てられたむくろ
・朝ぼらけの世界は ミニチュアの地獄みたい
埋み火
タイトルの「埋み火」は生命・文明の象徴。それが「もう今にも かき消されてしまいそう」である。
・黄泉への旅さ
・弔いの 葬列はフラジャイル
・黄泉への路は片道さ
・冥府の扉は いつでも 瞼の裏側 佇んでいるから
また、イントロや間奏のコーラスで「hell」って永遠に言ってる?
・どれくらい永い 血の河 流れていく
この曲は「チョコレイト」も出てくるし、実は一番「ブラッディ・バレンタイン」感がある曲だと思う。
前作までなら何かの比喩に任せて遠回しに「死」を描いたものが多かったが、今回はそういったオブラートがほぼない。「地獄」だ、「黄泉」だ、「冥府」だ、そう剥き出しなのだ。
>これまで書いてきた曲はわりと比喩を使ってイメージのすり替えをすることが多かったですからね。それによって明確な正解が見えないように、いろんな受け取り方をしていただけるようにしていたというか。
でも「埋み火」に関しては、友人からの助言によって、わりとストレートに書いてる部分があるんです。(略)自分としては新しい書き方ができた実感はあります。
斉藤壮馬が誘うダークな世界。声優としての表現力で引き込む、短編映画のような作品たちの手応え – THE FIRST TIMES
ここで2020年9月のデジタルシングル『パレット』を思い出したい。
『パレット』ではもともと「壊して」だった部分をあえて「溶かして」としていた。
>当初はもうちょっと破滅的な歌詞だったんですけどね。「溶かして」という歌詞が、「壊して」だったんです。でも爽やかで前向きな後味の音楽や歌詞に落ち着きました。
斉藤壮馬インタビュー 第2章からは「自分を解き放つ」ことにした理由 & 『Summerholic!』・9月新曲『パレット』の楽しみ方 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス
しかし今回『埋み火』を聴いてみると「壊してよ」があるではないか!?
つまり前作では意図的に抑えていたものが、今作では爆発している。今の斉藤壮馬にブレーキは必要なかったようだ。
『ラプソディ・インフェルノ』の理由
上に続く話として、なんと言っても1曲目が『ラプソディ・インフェルノ』なのだ。
【inferno】(英):烈火、(一般的に)地獄
わたしはこの曲をメタ的にもとらえている。
「燃えさかる緑の星」について、なんで「緑」? と思ったんだが、ふと緑の反対色は赤だなと思った。
『my beautiful valentine』は、通常盤・初回生産限定盤ともにCD盤面が真っ赤な色をしている。この盤面を見た後、目を閉じると緑の円形の残像が感じられるはず。
『ラプソディ・インフェルノ』の歌詞から、「目を凝ら」してこのEPを見た後、「瞼閉じ」ると「緑の星」が見える。この星は円形で惑星に似た形をしており『my beautiful valentine』というEPそのものを指す。
わたしたちは「耳すませて」このEPを聴くことで、燃えさかる地獄(=インフェルノ)へ「堕ちて」いってしまう……。
つまりこのEP自体が地獄であり、『ラプソディ・インフェルノ』はその入り口となる「地獄の門」的な役割を果たしている。
それなら「ラプソディ」というより「プレリュード」的な気もする(笑)
だが、この曲はジャズなのでガーシュウィンもかかっていて、「ラプソディ・イン・ブルー」にあやかってこのタイトルにしたのかなと思う。あとは、狂った人たちの曲だから「狂詩曲」。
>“ラプソディ・インフェルノ”って聞くとやっぱり(ジョージ・)ガーシュウィンの“ラプソディ・イン・ブルー”を思い浮かべる人もいるかもしれない。
この地獄の入り口で、「口の端を歪め」ながら「いやらしく傅いて」わたしたちを導いている悪魔は、斉藤壮馬自身……。
それが『ラプソディ・インフェルノ』が1曲目である理由ではないか。
芥川龍之介は言った。
「人生は地獄よりも地獄的である」。
真の地獄とは、門で仕切られこちら側と隔絶された場所ではない。本当はわたしたちのすぐ隣で、いつでも息を潜めているものだ。
わたしたちは『my beautiful valentine』というEPによって、それを疑似体験しているに過ぎないのかもしれない。
明日への絶望
ここは地獄であり、その内にいる登場人物たちは皆等しく絶望している。ちょっとくらい希望があってもいいじゃん、と思うが、このEPには希望の影すらない(笑)
だから彼・彼女らは明日がくることを望まないのだ。
幻日
朝ぼらけの世界は
ミニチュアの地獄みたい
朝っぱらから絶望している人。
埋み火
目が醒めるたびに ああ今日も
夢ではないと哀しむだけなら
もういいよねって思う
いのちがゆらぐ
今回、ゆらぐ・ゆれるオブジェクトが多く登場していた。
ラプソディ・インフェルノ
・クレイドル
【cradle】(英)ゆりかご
もっとも顕著なのが『幻日』『埋み火』の2曲。
幻日
・透明な迷いが ゆれる
・かすみたなびく季節
・霧の中に舞う 硝子のかげろう
サビ頭、「桜が散ったら」自体もゆれを感じさせる。
埋み火
・それは ほんの かすかな火 ゆらめいて
また「風」のモチーフが『ないしょばなし』『幻日』に見られる。
加えて音作り自体も不安定な曲が続く。
・『(Liminal Space)Daydream』はその最たるもの。ラストの崩壊は、イヤホンを飛び越えて聴く側にまで絶望をもたらす。
・『埋み火』は1番から2番までは、緩やかでシンプルなメロディーが続く。
オクターブユニゾンを多用した多重コーラスによって、輪郭が定まらない印象となっている。メロとコーラスの音量がほぼ同じなので、どちらが主旋律なのか判断できないのだ。
・ロキノンのライターさんによると「アンビエント(環境)音楽」の『ざくろ』。全体的にエコーが強めでゆらぎを感じる。
それに、オールファルセットのサビが不安定な印象。
・そして『クドリャフカ』。イントロ後半から加わるスティールパンのような、調律のずれたピアノのようなあの音で、EとD#の半音が行き来する。
さらには音が震えているようなエフェクトもかけられている。
彼らはシチュエーションの違いはあれど、地獄へ導かれたり(ラプソディ・インフェルノ)、抑圧されていたり(ないしょばなし・(Liminal Space)Daydream)、死しか選べなかったり(幻日・埋み火・クドリャフカ)、冥府を望んでいたり(ざくろ)する。
登場人物たちの命や存在が揺らいでいる・消えていっている。ゆらぐモチーフはこのような物語のメタファーとなっている。
明るさの中にこそ、ほんとうのかなしみは
>ダークさというのは明るい場所の中にこそあるような気もするし。なので好き勝手に作ったとは言え、歌モノをやっている身としては、ある程度のポップさを出すのも重要だなとは思っていました。
斉藤壮馬が誘うダークな世界。声優としての表現力で引き込む、短編映画のような作品たちの手応え – THE FIRST TIMES
ポップというより、どの曲もキャッチー?
たしかに『ないしょばなし』『(Liminal Space)Daydream』『幻日』はポップ。
『ラプソディ・インフェルノ』『埋み火』『ざくろ』はポップとは違うがキャッチー。
『クドリャフカ』は別枠(笑)。そんな印象だ。
どの曲もわりと典型的で親しみやすく、覚えやすく、歌いやすいメロ。
だからわたしはふとEPの曲を口ずさむとき、その時々で違う曲を歌っている(笑)どれもメロが良くて選べない。
メジャーでポップでありながら、明るさゆえに余計にダークさが際立つみたいなのは、スピッツとかBUMP OF CHICKENもそうだよなと思う。
話逸れるけど『ないしょばなし』はBUMPの影響がすごく濃い気がする。多分BUMPだったら「きれいな怪物」になんか名前をつけてそれをタイトルにするな(笑)
ちなみに、壮馬さんは2018年のエッセイ本発売時に紀伊國屋書店で行われた選書フェアにて、『僕の陽気な朝』という本を紹介していたが、その自作コピーが
「明るさの中にこそ、ほんとうのかなしみはあるのかもしれないね。」
だった。この頃からすでに今作のような概念は壮馬さんの中にあった。
わたしはこの言葉がすごく好きで未だによく覚えている。
もうひとつのタイトル『ウィアード・テイルズ』
>『my beautiful valentine』というタイトルにするか『ウィアード・テイルズ』というタイトルにするか悩みまして。
>『ウィアード・テイルズ』っていうのは、(ハワード・フィリップス・)ラヴクラフトという作家がいまして、そのラヴクラフトがコズミックホラーを書いていたアメリカの怪奇小説雑誌のタイトルなんですけど。
『ウィアード・テイルズ』はラヴクラフトが『クトゥルフ神話』を連載していた雑誌(『anan』2022/2/23号)。
今回は本をイメージした曲が多いらしい。
>今回は本や作家の方を想起できるような曲が多いですね。例えば「ラプソディ・インフェルノ」だと(J・D・)サリンジャーとカート・ヴォネガット、「幻日」は梶井基次郎。
「埋み火」はコーマック・マッカーシーの「ザ・ロード」という作品に影響を受けました。崩壊してしまった世界の中で父と息子が歩いて行く、みたいな話ですね。
斉藤壮馬インタビュー|新作「my beautiful valentine」で紡ぐ、閉じた世界の物語 - 音楽ナタリー 特集・インタビュー
>この曲(幻日)でイメージしたのは梶井基次郎の『桜の樹の下には』なんですけど。そのあとに作っていった曲も、そうした文学作品に引っ張られる曲もあって。
本の影響の話をすごいするのはやっぱり「ウィアード・テイルズ」だから?
とはいえ、1曲ずつが短編小説や映画のような物語として成立しているのは、『デート』や『quantum stranger』からずっと一貫している。
ただ、それが今回は「奇妙な(weird)」方向に振り切っているというだけで。
一人称がない?
今回はすべての歌詞を通して、一人称がまったくと言っていいほど出てこない。
確認できたのは『クドリャフカ』の「I know it’s too late」の「I」のみだが、そもそもここは歌詞に表記されていない。
【St.クドリャフカ】
— 斉藤壮馬【Artist Official】 (@SomaStaff) 2022年2月13日
シークレットトラックです。今回はプログラミングと演奏もすべて自分が担当しました。といっても本当にシンプルな曲ですけどね。深い深い海、あるいは宇宙の中にどこまでも沈んでゆくような曲。歌はほぼ一発録りです。S pic.twitter.com/qbjW16jKsl
「内省的」と打ち出しているのに一人称がないとは、これいかに(笑)
だが、主観的で内省的だからこそ、一人称がないとも考えられる。 独り言を言ったり自分と対話したりするとき、わざわざ「わたしは」「ぼくは」と主語を使うことはあまりない。
そしてもう1つの観点からも考えてみる。
『in bloom』では『シュレディンガー・ガール』『Vampire Weekend』において「彼」「彼女」と三人称で語られていた。
タナトスとブールドネージュを食べれば ~斉藤壮馬さんアルバム『in bloom』考察&雑記 - 消えていく星の流線を
>「神の視点から見て」の項を参照
このような三人称の曲であれば、一人称が出てこないのもわかる。
しかし今回はこれとは性質が違う。なぜなら今回の楽曲はすべて主人公目線だからだ。主人公目線ではあるが一人称が出てこない。これの意味するところとは。
『エピローグ』のときに、「主人公目線の曲ではあるが、『ぼく』や『わたし』などの一人称が登場しない。だから、実は『エピローグ』の主人公は男女の判別ができない」とした。
旅の終わりには次の約束を ~斉藤壮馬さん『エピローグ』考察 - 消えていく星の流線を
>「エピローグを『観る』」の項を参照
今回はこれがすべての曲で行われているのではないか?
一人称がなく、かつ第三者目線から主人公の描写もない場合、読者は主人公像を特定しきれない。男女かはおろか、人なのか動物なのかモノなのかすらわからないのだ。
このように語り手の存在が不確かであることが怖さにつながる。
人は正体のわからないものを恐れる。
先ほどの芥川龍之介の文章はこのように続く。
>人生は地獄よりも地獄的である。地獄の与える苦しみは一定の法則を破ったことはない。……しかし人生の与える苦しみは不幸にもそれほど単純ではない。
参考:https://www.eiken.co.jp/uploads/modern_media/literature/MM0909_02.pdf
つまり、人生で起こることはわからないから地獄的である、と。
未知のものの不確定性は、直接的に恐怖につながる。
『ペトリコール』には「信用できない語り手」という技法が用いられていた。
>多分この人物本人はすごくいい気分なのかもしれないですけど、はたから見るとどうなのか? という。小説の書き方で、信用できない語り手という技法がありますが、そういうことですね。
声優、斉藤壮馬が語る3曲連続リリース『in bloom』と、最新第一弾デジタルシングル「ペトリコール」について。 - HARAJUKU POP WEB
今回もこれに近い。主人公(=語り手)の人物像があやふやなので、そこで語られていることも信用できない。今回の7曲はそういう得体の知れなさ、そこからくる不気味さが共通している。
◆シュルレアリスムについて
>ジャケット写真も『デペイズマン』というシュルレアリスムの技法を用いて、よく見ると違和感を覚えるような奇妙な居心地の悪さがアートワークから出せればいいなと思ってました。
歌詞も、無理に読み解こうとすると矛盾が生じたり、意味が通らなかったりする
──『anan』2022/2/23号
シュルレアリスムは『in bloom』からすでに意識されていたものである。
タナトスとブールドネージュを食べれば ~斉藤壮馬さんアルバム『in bloom』考察&雑記 - 消えていく星の流線を
>「『in bloom』のアートワークについて」の項を参照
ちなみにデペイズマンについても『in bloom』の時点で話していた気がするんだが、ソースが思い出せない(ごめん)。
「デペイズマン」とは。
>「人を異なった生活環境に置くこと」、転じて「居心地の悪さ、違和感;生活環境の変化、気分転換」を意味するフランス語。
美術用語としては、あるものを本来あるコンテクストから別の場所へ移し、異和を生じさせるシュルレアリスムの方法概念を指す。
ロートレアモンの『マルドロールの歌』(1869)における「ミシンと蝙蝠傘との解剖台の上での偶然の出会い」はこの概念を具体的に説明する常套句
代表的な画家はキリコ、マグリット、ダリなど。
先ほど引用した『健康で文化的な最低限度の生活』にはキリコの名がある。
>キリコやマイブラッディヴァレンタインみたいに、醒めながらもトリップしている感覚。
──同書「結晶世界」P.153
マグリットについては『in bloom』でもモチーフになっていたと思われる。
アートワークについて
■ジャケット写真、特典ブロマイド
ジャケット写真
特典ブロマイド
まず、海にスーツの人がいたり、本が散乱している時点で「あるものを本来あるコンテクストから別の場所へ移し」ているため、かなりデペイズマン的。
あの綺麗めなスリーピースのスーツなら、ドレスコードのあるフレンチレストランにでも行けそうだ。それが「本来あるコンテクスト」。そこから別の場所へ移されて、革靴では確実に歩きにくい海辺にいるので違和感がある。
そして黒いスーツとオーバーコートの男は、マグリットの代表的モチーフの1つでもある。
『人の子』を見ると、海にいるという共通点もある。
■黒い蝙蝠傘
ロートレアモンの『マルドロールの歌』参考
>解剖台の上のミシンと蝙蝠傘の偶然の会合のように美しい―「マルドロールの歌」の中の有名な一句
へえ……(笑)
マグリットも黒い蝙蝠傘のモチーフを描いている。
「蝙蝠傘」はデペイズマンの代名詞的なモチーフということだ。壮馬さんは「蝙蝠傘と言えばピンとくるかもしれません」と言っていた記憶があるが、ソースが(以下略)。
■月
月で顔を隠している写真もマグリットから?
月というと思い出されるのは、やはり『結晶世界』の「きみはどうしてそんなふうに 月の裏側みたいに笑える?」だろうか。
ちなみに写真から判断すると、ジャケ写の月は「表側」をこちらに向けている。つまりあのジャケ写において、斉藤壮馬自身が「月の裏側になっている」とも考えられる。
月の裏側は地球から見えない部分。
先述の通り、人は正体のわからないものを恐れる。語り手の存在が不確かであることが怖さにつながる。
顔が見えないこと、そして「月の裏側」である語り手(=斉藤壮馬)の姿は決して見えないこと。このジャケ写は、そのような点から不穏さを生み出している。
あの月の後ろにあるのがのっぺらぼうではなく斉藤壮馬の顔だと、証明する術はどこにもないのだ。
また、宇宙にあるはずの月を手に持っている時点で、やはりデペイズマン的。「本来あるコンテクスト(宇宙)から別の場所(手の中)へ移し」ているためだ。
■本
初回生産限定盤(PHOTOBOOK)が本そのものの形であること、また浜に本が散乱している写真は、先述の「ウィアード・テイルズ」のようなイメージだから?
■赤い風船
7つの風船は6+1曲を表している?
風船は重力に抗って逆さまになっている。これは、このEPの中では普通ではあり得ないことが起こっていること、現実離れした世界が描かれていることの示唆。
そして壮馬さんが風船を操っているように見える。ここから、このEPにおける「あり得ないこと」を仕掛けているのは、すべて斉藤壮馬自身である。
赤い風船の元ネタは(ないと思うが)あえて考えるならバンクシー?
ジャケット写真の文字列
今回のジャケ写において、「my beautiful valentine」は「my bɐəutiful vəlɐntinɐ」
「soma saito」は「somə səito」と表記されている。
よく見ると「m」も左右、「l」も上下が反転している。
「ɐ」「ə」は「ターンエー」「ターンイー」といって、主に発音記号で使われる文字。ガンダムでしか聞いたことないよね。
ここでは「a」と「e」の区別がつかなくなっている。aはeでもあり、eはaでもある。どちらがどちらにもなり得る、不確定性を含んでいる。
ここでも、人は正体のわからないものを恐れること、未知のものの不確定性は直接的に怖さにつながることを思い出したい。
普通、「ɐ」「ə」は英語の文字列で使われないから、見る者はあれを怖く感じる。鏡文字はシンプルに不気味さを演出する意図かもしれない。
歌詞のデペイズマン
ちなみに今回、デペイズマンはアートワークだけでなく歌詞や音楽面にまでも用いられていそうなので「シュルレアリスム」で見出しを1つ立てた。
特に『(Liminal Space)Daydream』。この曲の歌詞はその特徴から、3つの部分に分けられる。
① 文章で日本語として成立している部分
1番サビ、大サビ
② 単語の羅列で日本語として成立していない部分
1番Aメロ、2番Aメロ、2番サビ
③ 成立と不成立を行ったり来たりしている、中間的な部分
Cメロ
そして、日本語として成立していない②と③の部分はまさにデペイズマンの手法なのだ。
先ほどの参考サイトによると、
>デペイズマンは一見何の関係も脈絡もない単語の列を指南滅裂に繋ぎ合わせ、読む者を呆然自失たらしめる手法。
最初『(Liminal Space)Daydream』を聴いたとき「何が起こった!?」って思ったけど、この曲はその反応で合ってる。だって「読む者を呆然自失たらしめる手法」が使われているから。
この曲は音楽的にも、最後に「バグって」壊れていくところがシュルレアリスム的。「バグってるんだって」と説明してくれているだけまだ優しいかも(笑)
また、急に宇宙モチーフの世界に飛ぶ『クドリャフカ』もデペイズマンっぽいなと思う。
音楽面のデペイズマン
多重ボーカルについて
埋み火
M5 埋み火
— Saku*HALAmin.始めました。 (@Sinxix) 2022年2月13日
斉藤壮馬史上1番轟音な曲かもしれない。
そして斉藤壮馬史上1番歌声を重ねてて、サビには、メイン、メインのオクターブ下、上ハモ、下ハモを全部ダブっているので合計8壮馬います。そして今一番ライブでやりたい曲。#斉藤壮馬2ndEP
>斉藤壮馬史上1番歌声を重ねてて、サビには、メイン、メインのオクターブ下、上ハモ、下ハモを全部ダブっているので合計8壮馬います。
【6.#ざくろ】#斉藤壮馬2ndEP
— 斉藤壮馬【Artist Official】 (@SomaStaff) 2022年2月13日
妖しい色気のある曲。ディミニッシュがとにかく好きなんですよね。サビはメイン2本、下ハモ2ライン×2で計6人のぼくが歌っています。不穏かつ色っぽいバランスを目指してみましたが、いかがでしょうか?眠れぬ夜にぜひ。S
>サビはメイン2本、下ハモ2ライン×2で計6人のぼくが歌っています。
これまでも『ペトリコール』や『Summerholic!』などダブルトラックはよく用いられていたが、
>同じフレーズを2回歌ってユニゾンさせることで絶妙なズレが生まれるダブルトラックという手法のおかげもあり、洋楽っぽく仕上がったなと。
アーティスト・斉藤壮馬の第2章――『in bloom』シリーズで季節のうつろいを表現し見えた“その先”とは | スペシャル | Fanplus Music
今回はダブルどころか、3ラインあるいは4ラインをそれぞれすべてダブルトラックで録って計6人・8人の斉藤壮馬が同時に歌っているそうだ。ダブルトラック好きすぎだろ(笑)
『ざくろ』について、ロキノンのライターさんは「サウンドそのものがシアトリカルで、舞台芸術のような打ち込みサウンド」と聴いている。
多重ボーカルは芝居的・演劇的な効果を加えるのだろうか。
>自分自身の声でハモりを重ねる、なんていうのはポップミュージックではよくあることだ。あるいは、ボーカルをダブルにする(略)とかも。しかし、よく考えるとこれはとても奇妙だ。ひとりの人間が同時にふたつ以上の声を出すことは現実にありえないわけだから。(略)
こと多重録音の普及以降、あらゆるポップミュージックはおよそ「現実にありえない」フィクションの空間をスタジオのなかやDAWソフト上でつくりだしてきた。
これ見よがしの非現実ではなかったとしても、異なる時間、空間で捉えられたサウンドを、あたかもひとつの時空にあるかのように上手にうそをつくのがポップミュージックである。
ポップミュージックにおける、“ボーカル多重録音”の効果 ジャスティン・ビーバー『Changes』を機に紐解く - Real Sound|リアルサウンド
そもそも芝居というものは観客を騙す行為だ。芝居は騙すこと、芝居を観ることは騙されること。わたしたちはその前提の上で、自ら騙されにいくことで初めて物語を楽しめる。
映画の中や舞台の上なら、登場人物は自在に現れたり消えたり分身したりと、現実世界ではあり得ないことが許される。
多重ボーカルは、音楽の中でそれと同じことを行っているのだ。
現実にあり得ないことが起こっているという意味で、多重ボーカルもデペイズマン的ではないだろうか。
ちなみに今回、世界観に引きずれられすぎて音楽面についてあまり深められていないので、「音楽面のデペイズマン」には今後追記するかも。
歌詞カードのフォント
これはシュルレアリスムとは違うが、質問箱でフォントについて聞いていただき面白かったのでアートワークの1つとして加えておく。歌詞カードのフォントについて。
『in bloom』や『ペトリコール』リリックブック、『quantum stranger』では 游明朝(一部は游ゴシック)が使用されていた。
游明朝はWordの標準フォントで、つまり最もスタンダードな日本語フォントといえる。流麗でこざっぱりしているクセの少ないフォント。美しさと読みやすさを両立した素晴らしいフォントです。お気づきかと思うがわたしは游明朝が好きです。
これらの画像も游明朝が使われている。
深夜にこっそり。エピローグ、多くの方に聴いていただけているようで、ありがとうございます!感謝の気持ちを込めて、フルサイズの歌詞を公開いたします!卒業、進学、就職など、様々な変化のあるこの時期だからこそ、色々なシチュエーションで聴いて、読んで、楽しんでいただけますと幸いです!S pic.twitter.com/KajoTf9r6n
— 斉藤壮馬【Artist Official】 (@SomaStaff) 2020年3月21日
今日という時間を共にしてくださった皆さまにプレゼント!逢瀬の歌詞です!これからもよろしくお願いいたします〜!!S pic.twitter.com/JZTdSu5vjf
— 斉藤壮馬【Artist Official】 (@SomaStaff) 2020年12月26日
そして今回『my blue vacation』も確認してみたところ、なんと恐らく リュウミン だった。こちらもかなりスタンダードなフォント。コストが安いらしく文庫本で非常によく使われている。
ちなみに昨年、壮馬さんが解説を書いていた『悪人』(文春文庫)も本文はリュウミンだった。そしてなぜか解説だけオールド系明朝(恐らく石井明朝?)になっているという、実はトリッキーな文庫でもある。その後、文春文庫をいくつかチェックしたところ解説もリュウミンだったので、『悪人』ではわざわざ石井明朝を使おうと言い出した人がいることになる。それが壮馬さんか、著者か、編集者かはわからないが……。
ともかく壮馬さんがフォントに対してもこだわりを持っている(そして恐らく游明朝を好んでいる)ことはわかる。
そして今回の『my beautiful valentine』は恐らく「筑紫Cオールド明朝」が使用されている。
ここに歌詞を入れてみると歌詞カードと同じ文字が出てきてしばらく遊べる。
筑紫Cオールド明朝はヒゲが多くて結構崩されている。とくにひらがなはかなりクセがあって視認性・可読性は高くないが、公式の紹介によると「テキストの表現にコクや味わいが濃く加わります」。
今回は游明朝を脱して、このようなクセの強いフォントが選ばれた。フォントの面からも「ウィアード・テイルズ」が追求されている。
◆音楽面について
曲構造について
曲構造の話は毎回しているので、今回もします。
ラプソディ・インフェルノ
Aメロ:ぶつかったふたつのビー玉~
Aメロ:理屈まみれ~
Bメロ:あまいコラプス~
サビ:クラップ・ユア・ハンズ!~
Aメロ:抗ったつもりがどうだね~
Bメロ:赫いタルカス~
サビ:クラップ・ユア・ハンズ!~
Rap:墓場はここさ~
Dメロ:悪魔がいやらしく傅いて~
大サビ:クラップ・ユア・ハンズ!~
めちゃくちゃ王道。
ないしょばなし
Aメロ:もてあましている 何もない日々~
Bメロ:こんなグルーヴにもちゃっかり~
サビ:正常の意味を~
Aメロ:環状に沿う~
Bメロ:ほらね 当たっていたやっぱり~
サビ:最初の日々を~
Dメロ:たまにはちょっと ひとりきりで~
大サビ:感傷の意味を~
めちゃくちゃ王道。
(Liminal Space)Daydream
Aメロ:アーケード 電子亡霊の海 スリル~
サビ:誰もいないとこまで~
Aメロ:快晴 団地の屋上にいるふり いびつ~
サビ:まだ濁ったままの~
Cメロ:蜜の飴玉 頬張って~
大サビ:誰もいないどこまで~
めちゃくちゃ王道。Bメロがない。
幻日
Aメロ:誰そ彼の向こう側~
Aメロ:かすみたなびく季節~
サビ:桜が散ったら~
Aメロ:朝ぼらけの世界は~
Aメロ:かすみたなびく季節~
サビ:桜の下には~
Cメロ:そこにいる?~
落ちサビ:霧の中に舞う~
大サビ:きさらぎを呪い~
めちゃくちゃ王道。Bメロがない。
埋み火
Aメロ:それは ほんの~
Bメロ:遠くけだものの声~
サビ:灰になっていく~
Aメロ:弔いの~
サビ:灰になっていく~
Dメロ:灯火にくべた熱の種子~
大サビ:焦がしてよ~
アウトロ:黄泉への路は片道さ
めちゃくちゃ王道。
Aメロ:ぬばたまの闇が ひっそりと~
Aメロ:冥府の扉は いつでも~
サビ:ありもしないよと~
Cメロ:ミネルヴァ~
サビ:ざくろのにおいが~
大サビ:ありもしないよと~
2番がない(あるいは、2番ではAメロが消えてCメロになっている、と聴くこともできる)。
Aメロ:こんな夜は~
Aメロ:ベッドルーム ようは~
Aメロ:定員数は~
Bメロ:どれくらい永いかな~
サビ:遅すぎたようだ なにもかも~
変化球。2番がない。
こうして見ると、『Vampire Weekend』や『最後の花火』みたいなヤバい構造の曲はない。
「今までで一番好き勝手に作った」と言っているのに、典型的な構造の曲ばかりだったのは面白い。じつは斉藤壮馬がナチュラルに求めているのは、典型的なポップスなのではないか?
逆に、今まであえて典型を避けようと考えて作っていたから、イレギュラーな構造の曲ができていたのだろうか。
また、『in bloom』ではミニマルな構造と同じ歌詞の繰り返しによって、1曲の情報量が少なくなっている。それはつまり「無≒死」に近い、と考えた。
今回、Bメロがない『(Liminal Space)Daydream』『幻日』、2番がない『ざくろ』『クドリャフカ』、サビで同じ歌詞が用いられる『ラプソディ・インフェルノ』『埋み火』は、『in bloom』で感じた死の近さに通じるところがある。
なにせ、これらの曲はすべて「地獄」なのだから。
※ 2/28 追記
「堕ちていく」? 音楽
今回、最後の曲に近づくにつれ、それこそ『ラプソディ・インフェルノ』にある通り闇深くへ「堕ちていく」感覚をもった。
その要因は何か調べるべく、我々はアマゾンの奥地へ……ではなくBPMと調性を調べてみた。
ラプソディ・インフェルノ:160
ないしょばなし:102
(Liminal Space)Daydream:154
幻日:98
埋み火:74
ざくろ:86
クドリャフカ:65
使用サイト:
BPMカウンター 人力テンポ測定器 | リズムに合わせてタップするだけでBPMが測定できます。BPM測定WEBツールアプリサイト
おわかりだろうか……(恐怖体験)
前半3曲はすべてBPM100を超えている。一方、後半4曲はBPM100を切っている。
このEPは、前半3曲/後半4曲で、1部/2部のように分かれているのではないか?
そしてテンポの速い前半はまだ明るさもあるが、だんだんテンポが緩やかになっていく=闇に呑まれていく、意識が緩慢になっていく……。
最後の『クドリャフカ』に至ってはBPM65で、『ラプソディ・インフェルノ』や『(Liminal Space)Daydream』の半分以下。ちなみにBPM65は壮馬さんのこれまでの曲の中で最も遅い。
調性
ラプソディ・インフェルノ:B♭マイナー
ないしょばなし:Cマイナー
(Liminal Space)Daydream: Fメジャー
幻日:Fメジャー
埋み火:Bメジャー
ざくろ:G♭メジャー
クドリャフカ:Bメジャー
実は調性に関しては、「だんだん下がっていくのではないか」「だんだんマイナーになっていくのではないか」と仮説を立てたのだが、全然違った(笑)
7曲中5曲がメジャーだった。実際にはこんなにメジャーの曲が多いとは。しかも「だんだんマイナーになっていく」仮説とは正反対に、初めの2曲のみマイナーで後の5曲はメジャーである。
このEPにおける闇は、シンプルなそれではない。
先にも述べた通り、後半4曲の世界観は「死しか選べなかったり(幻日・埋み火・クドリャフカ)、冥府を望んでいたり(ざくろ)」するというもの。
「死しか選べない」というのは、生への諦観と死の受容を意味する。
このEPは、曲を追うごとに、だんだん死を受け入れていく人たちを描いているのでは?
死を受け入れた人たちは、死との戦いをやめ、むしろ穏やかな気持ちになっていく。だから後半ほど、マイナーではなくどこか心地よさのあるメジャーになるのではないだろうか。
その他
今回、ゼロ年代アニメのアニソンっぽいなと思った曲が多かった。
『ないしょばなし』はED。『(Liminal Space)Daydream』はOPもEDもいけそう。『埋み火』は劇場版主題歌。という感じに。
どの曲も厨二病に全振りしていること、またキャッチーであることから、おのずとアニソンっぽくなったのだろうか?
また、初聴き時に以下のような感想をもった。
ないしょばなし:今回の売れ筋曲
(Liminal Space)Daydream:今回のUS曲
埋み火:今回のシューゲ曲!
ざくろ:今回のファルセット曲
こんな感じで、既存曲にも通じる曲が多い。4作目ということもあり、アルバムの中にどんな立ち位置の曲を入れるか定まってきた感じがする。
前作までの立ち位置だとこんな感じ。
売れ筋曲
デラシネ/quantum stranger
最後の花火/in bloom
US曲
sunday morning(catastrophe) /quantum stranger
Paper Tigers/my blue vacation
Summerholic!/in bloom
シューゲ曲
結晶世界/quantum stranger
いさな/in bloom
ファルセット曲
ワルツ/my blue vacation
たとえるなら、コース料理で前菜、メイン、デザート……と料理に役割が与えられているように、アルバム・EPの中でも曲にある程度お決まりの役割が出てきた。
だから「斉藤壮馬といえばポップ(だけど不穏)」「斉藤壮馬といえばシューゲ」「斉藤壮馬といえばファルセット」のようにいくつかの特定のカラーが見えてきた気がする。
結局、いつもいろんなジャンルの曲が盛り盛りで楽しい、ということには変わりない。
◆前作『in bloom』を経て
今回は最後に、前作から1年たった今、感じたところを感じたまま書いて筆をおく。
前回の『in bloom』リリース時にわたしが感じたところは、「かなしみ、喪失感、狂気、すこしの毒、大切な記憶……そして、あい。それらさまざまな感情を全部丸めて焼いて、白いきらきらをまぶした砂糖菓子の詰め合わせ」だった。
『in bloom』は強烈なまでの心地よさをもつアルバムだった。それは、本当に心地よい曲ばかりだからではない。
あのアルバムは、プラスの感情もマイナスの感情も、すべてを「心地よさ」でコーティングしてしまっている。それは言い換えれば、麻薬のようなものだった。
>「in bloom」というアルバムはそれぞれの楽曲、それぞれの物語の中で、楽しそうな人たちが多いことからこのタイトルにしました。
斉藤壮馬「in bloom」インタビュー|アーティスト活動第2章で描く世界の終わりのその先 (2/3) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー
あのアルバムの登場人物たちは、一種の薬のような効果で享楽を得ているに過ぎない。ラリっている状態に近いのだ。
『in bloom』は甘い膜でコーティングされ、感じるべき痛みが抹消されてしまっているという点で、むしろ『my beautiful valentine』より厄介で危険で、ある種タチが悪い作品だと、今なら思う。
今回『my beautiful valentine』を聴いて、相対的にそのことに気づいたのだ。
『my beautiful valentine』は、前作に張られていた膜をすべて取っ払い、ダークさを剥き出しにした作品だ。
そういった意味で、最もストレートで素直な斉藤壮馬が感じられるのではないだろうか。
そして『in bloom』は「世界の終わりのその先」を描いたことにより、リスナーに希望を抱かせてくれる力をもっていた。2020年のわたしのようにタナトスを受け入れることができたり、コロナ禍の先の明るい未来を想像したり、といったように。
そこから一変して、『my beautiful valentine』には希望が一切ないのだ。だが、不思議と聴いていてしんどさを感じることもない。
そこには絶望しかないからこそ、純粋なエンタメ作品としてどっぷりと浸かることができる。
ホラー映画やスプラッター映画に感情移入して観る人はあまりいないだろう。ああいうものは「怖い」ことが純粋なエンタメとして確立している。それと似た感覚だ。
あとこれ↓を読んで、なんかほんと、そうだよねって思った。
>前作の「in bloom」は世の中の状況的なこともあってか、思っていたよりもポップでポジティブなアルバムになったなと自分では感じていて。それはきっと自分にとっても必要なことだったんだと思うんですよ。内に深く深く沈んでいくだけの音楽だけだと、心が苦しくなってしまうようなタイミングだったから。
斉藤壮馬が誘うダークな世界。声優としての表現力で引き込む、短編映画のような作品たちの手応え – THE FIRST TIMES
わたしも、もし2020年に今回みたいな作品が来てたら、こんなの書ける状態じゃなかったし、もしかしたら1周聴いて放置してたかもしれない(笑)
去年はそれこそめちゃくちゃ病んでしまっていたけど、わたしも言いたい。「わたしは元気ですよ」って。それは『in bloom』の力が大きかったと思う。
だから2020年に『in bloom』を出してくれてありがとう。
>で、そういった前作を踏まえたうえで、今回はとことん自分の内に深く潜っていくようなダークな作品を作りたいと思ったんですよね。
斉藤壮馬が誘うダークな世界。声優としての表現力で引き込む、短編映画のような作品たちの手応え – THE FIRST TIMES
今年、『my beautiful valentine』を出してくれてありがとう。
コントラストがすごいです。毎年こんなテイストの違うものをくれるんですか?
そんなの、絶対飽きられないじゃん。離れられないじゃん。ずっと大好きでいちゃうじゃん。
あと聞いた声で印象的だったのが、「海外から円盤が買えないのでシークレット・トラックが聴けない」というもの。
たしか『quantum stranger』の頃はSt.も配信に入ってたと思うので、戻したら? と思わなくもない。なんと言っても『クドリャフカ』という曲が素晴らしいからこそ、これを聴けない人がいるなんて酷では。そのへん配慮があるといいんじゃないでしょうか。
というのは頭の隅に置いといて……。
人生は地獄よりも地獄的である。地獄はわたしたちのすぐ隣で、いつでも息を潜めている。
現実に、わたしたちはすでに丸2年以上、コロナ禍という薄味の地獄の中にいる。
でもこの人と、この人がつくる音楽という世界さえあれば、わたしは多分生きる。そこがたとえ世界の終わりでも、その先の新しい世界でも──地獄でも。
わたしはこのCDを聴いて、やっぱり大好きだなあって思ったんですよ。世界一大好きな人だなあって思ったんですよ。
毎年の壮馬さんのリリースはわたしの中で、1年に一度「好き」を再確認する恒例行事のようになってきている。時折自分の「好き」がブレてめちゃくちゃ病んでしまうわたしにとって、この作業は生命活動と同じくらい大切なのだと思う。
だからわたしとしては、この「valentine」はやっぱりブラッディのほうじゃなくて、愛を伝えるイベントのほうにしたい。
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