消えていく星の流線を

消えていく星の流線を

デフォで重め

斉藤壮馬さん「in bloom」シリーズに寄せて

 

ひやっとした風を感じると、徐々に冬のワードローブを思い出す。

そういえば、去年、カーキのトレンチコートを買ったな。

そういえば、マフラーはタータンチェックとブルーの無地の2枚を着回していたな。

押し入れから冬服を引っ張り出しながら、今年の精鋭を選抜する。もう着なそうな色のニットは売るか捨てるかして、新しいものを買う。

 

そうしているうちに、夏のワンピースはどんなものを持っていたか、だんだん忘れてしまう。

だけど半年後、春から夏になろうとする頃に、やはり夏のワードローブを思い出す。

 

そうして、いろんなものを忘れながら、変わりながら、季節はまわっていく。

 

 

斉藤壮馬さんの「in bloom」シリーズは、季節に合わせた3曲を連続配信リリースするという、コンセプチュアルな試みだった。

 

>1曲ずつリリースできる利点といえば、リアルな季節に合わせた楽曲をリリースできること。

>聴いてくださった方も、「今の曲だ」と感じてくださったのがうれしかったです。

 

斉藤壮馬インタビュー 第2章からは「自分を解き放つ」ことにした理由 & 『Summerholic!』・9月新曲『パレット』の楽しみ方 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

 

6月の『ぺトリコール』

8月の『Summerholic!』

そして9月の『パレット』

この3作は、どれも全く異なる世界観と味わいを見せていた。

 

そして今回はわたし自身も、1.5章までとはまた違った感覚に触れられた気がしている。

今回はそんな「in bloom」シリーズに寄せて、ちょっとだけ文章をのこしてみることにした。

 

 

  

 

◆季節はグラデーションを描く

突然だが、わたしは和菓子や和スイーツが好きである。

みつまめや抹茶パフェなどの甘味は、たぶん、そんじょそこらの人よりはかなり食べていると自負している。

学生時代には和菓子屋さんでバイトをしていた。そこで、季節ごとに入れ替わっていくお菓子を見るのが好きだった。たとえば、

春は桜道明寺。こどもの日には柏餅。

初夏は若あゆ。夏は水ようかんやわらび餅。

お彼岸にはおはぎ。秋はさつまいも饅頭。

冬はいちご大福、新年には花びら餅。

ものすごく楽しみにしていたわけではないけれど、新しいお菓子が入ってくるたびに、「もうそんな季節か」と感じられる、心地よい空気がそこにはあった。

 

 

壮馬さんはこの和菓子と同じことを、音楽によって試みていたように思う。

清少納言が「春はあけぼの、夏は夜……」と綴ったような。ヴィヴァルディが『四季』を作曲したような。それは多分、とても普遍的なテーマだった。

 

だけど壮馬さんは、清少納言やヴィヴァルディと違って、季節を4つのカラーにぱきっと分けることはしなかった。

 

>梅雨とか、夏と秋の間のあの一瞬とか、そういう感覚を曲にしていきたいな、と。名前がないものに、単に名前をつけるのではなくて、その概念自体を曲にしていくというような作業が好きなんです。

 

声優、斉藤壮馬が語る3曲連続リリース『in bloom』と、最新第一弾デジタルシングル「ペトリコール」について。 | HARAJUKU POP WEB

 

ああ、そうか。「四季」とはいうけれど、きっと季節は4つだけではないのだ。

白と黒のその間に、無限の色が広がっているように。一日ずつ、一瞬ずつ、空気や時間は移り変わっていく。

一瞬たりとも、同じ状態でいるものなんて存在しないんだ。

 

これはきっと当たり前で、だけど当たり前すぎて見えていなかったもの。眼鏡をかけている人が、その眼鏡自体を見ることはできないような。

壮馬さんはいつも、こうして新しい視点をくれるのだ。

 

 

 

◆かなしいだけではないのだと思う

 

子どもの頃から、ある感覚をもっていた。

「生きることは死に向かっていること」だという感覚。

生物は生まれたその瞬間から、「生きる」のではなく、「死に向かって歩きはじめる」のではないか?

誰に言うでも、言われるでもなく、そんなことをよく考えていた気がする。我ながらいやな子どもだ。

 

要するに、人生は真っ直ぐな一本道で、生まれたとき──すなわちスタート地点から、死ぬとき──ゴール地点まで、一直線に歩き続けるだけなんだ、と感じていた。

今思えば、これが「直線的時間」という考え方だった。

 しかし、世界はそんなに単純じゃない、と気づいたのも、恥ずかしながらわりと最近だ。

 

日本を含む仏教圏は、もともと時間を円環的にとらえる傾向がある。

 

>世界全体に関しては、我々日本人は、円環的な時間の観念を抱いている。

世界は永遠に流転するというのが、我々日本人の基本的な考えなのだ。

 

直線的時間と円環的時間:時間と精神病理

 

直線と違って、円のかたちには始まりも終わりも存在しない。

円環的時間は途切れることがない。これは「永遠」といってもいいだろう。

 

 

このブログでも何度か述べたように、壮馬さんの作る楽曲には「円環的時間」の概念がたびたび含まれていた。

 

*『C』は、タイトル自体に途切れた円環の意味が含まれている。

>「C」という文字はビジュアル的に円が欠けているように見えて……

 

斉藤壮馬3rdシングルインタビュー後編|音楽的考察から見えた音楽作りを楽しむ探求心 | アニメイトタイムズ

 

*『quantum stranger』は、シークレット・トラックの『ペンギン・サナトリウム』から1曲目の『フィッシュストーリー』につながり、アルバム全体が円環構造になっている。

*『エピローグ』では、「エピローグのその先」には「新しいプロローグ」があるとされていた。

 

「in bloom」シリーズは、このように少しずつ張られてきた「円環的時間」の伏線を、集大成的に回収していた気がしてならない。

季節は円環にそって繰り返す、その象徴的なものではないだろうか?

 

 

また、「in bloom」のテーマのひとつである「世界の終わりのその先」。

「世界の終わり」は、もともと直線的時間的考え方である。

だが壮馬さんにいわせれば、世界の終わりには「その先」がある。これはまごうことなき、円環的時間的考え方だ。

 

世界が終わったとしても、その先がある。木々も凍える冬を超えれば、春がきて満開の花を咲かせるように。

だから終わりは絶望じゃない。

 

失うもの、失われるもの。

忘れていくもの、忘れられていくもの。

壮馬さんの言葉を借りるのであれば、「それはきっと、かなしいだけではないのだと思う」。*1

 

 

 

◆ミニマル化する世界観

 

ここでちょっとですね、『パレット』の記事だけ公開していないことについて、言い訳(?)させてください。

今回、『パレット』の歌詞やMVがあまり読み取れず。ピンとこない感じで……。

というのも、歌詞がシンプルすぎて、カギというか取っ掛かりがつかめなかったからだ。

 

たとえば『結晶世界』なら「ドーナツの穴」、『エピローグ』なら「永めに眠る」といった歌詞を取っ掛かりに、そこから曲全体を読んでいくことができた。

今までの曲は、このようなワードや文によって意図的に「違和感」や「ゆがみ」が仕込まれていた。

「ん? なんだこの変な言葉は?」と感じることがあらかじめ想定され、キーワードが分かりやすく提示されていたのだ。

 

しかし、『ぺトリコール』はともかく、『Summerholic!』と『パレット』の歌詞はとにかくシンプルだった。サマホリについてはブログを書いたが、歌詞考察はほとんどできなかった。

 

それが、本当に一瞬だけだったけどへこんだ。

今まで(自分なりに)気持ちよくするする曲を読めていたのが、急にできなくなり(あくまでも個人的な解釈という意味で)。

軸がつかめていない状態で想像をめぐらせても、それは考察ではなく、ただの「妄想」になってしまう。だから書けなかった。

 

でも、そこでまたヒントをくれたのも壮馬さん本人だった。

「CUT」2020年10月号のインタビューは、とても大事な気づきを与えてくれたように思う。ロキノンまじでありがとう。

 

>難しいことを難しいまま言うのって結構簡単なんですよ。だから、今回は逆に単語自体が持つイメージに頼らないように歌詞を書きました。でも、実はその分抽象度があがっていて。

いや本当にその通りだった。シンプルだからこそ難しい。

これは壮馬さんの中でも新たなチャレンジだったのかもしれない。

 

上で感じたことが意図的なものだったと知り、すとんと腑に落ちた感じがした。

今までとアプローチを変えていることを明言してくれて、実際違うなと感じられたことは良かった。それは壮馬さんの意図がこちらに伝わった証拠でもあると思うので。

 

>(今までは)1曲のなかに複数の曲のアイディアを詰め込むっていうかたちでやってました。(略)それはそれで作っていて楽しかったんですけど、やっぱり毎回そういう世界観だと聴いていて疲れますよね。(略)

今回の3曲は、今までのゴージャスで全部盛り的な考え方というよりは、基本的にワンアイディアに近い作り方をしています。(略)いい意味で肩の力を抜いて、シンプルな発想になってきている

そういえば結構前のダメラジで、「ミニマリストを目指している」と言っていたのを思い出した。

 

それこそ『my blue vacation』は惑星ごと滅びたりしてるわけで、かなり壮大な物語を編んでいた。

しかし今回の3曲は、どれも主人公視点から、主人公の見える範囲のものや、内面の吐露だけが描かれる。

音楽が、詞が、ミニマル化している。

太陽系外に飛び出したボイジャーの話をした直後に、自分の呼吸の音に耳を澄ますような。*2

わたしたちの身近にある、ささやかで何気ない日常、あるいはわたしたち自身の内面。

 

マイブルまでの曲は、辞書を引かないとわからないような言葉で理論武装しているイメージが強かった。だから、こちらも脳みそフル回転で考えながら聴いていたわけだ。それもものすごく楽しかったけど。

でも今回はそうじゃなかった。

『デート』で自作曲を発表するようになって、2年とちょっと。斉藤壮馬は今、「シンプル」という場所に帰結している。

 

人は全力で走り続けることはできない。

全力疾走した後、また走り出すためにはインターバルが必要である。

今は減速する時期なのかもしれない。たくさんの壮大な物語を作ってきた壮馬さんも、それを読んできたリスナーも。

それならわたしも、もっと頭を柔らかくして、肩の力を抜いてみたい。

壮馬さんの音楽が変わり始めている今、こちらとしても「聴き方」を変えてみるかな、とぼんやり思う。

 

 

壮馬さん自身も、この変化について率直に語っている。

 

>1.5章まで、自分で自分の音楽に制限をかけていたことに気づいたので、そういうルールづけから、自分を解き放って、より良いものをお届けしていけたらと思っています。

 

斉藤壮馬インタビュー 第2章からは「自分を解き放つ」ことにした理由 & 『Summerholic!』・9月新曲『パレット』の楽しみ方 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

 

季節は変わりゆくものの象徴。

「in bloom」は、壮馬さん自身の変化をメタ的に描きだしたもの、ととらえることもできる。

より自由に、柔軟に。

 

 

……とはいえ、この人はどこまでも考えて書く人だな、というのも同時に思った。

いろんなインタビューで「制限を設けないようにした」とおっしゃっていたが、「制限を設けない」こと自体がひとつの制限じゃん、と思うんだよね。ひねくれたリスナーで本当ごめん(笑)

だから、基本的には今までの「考えていく」受け方からは変えないと思う。多分。

 

 

 

 

今回はこんな垂れ流しというか、内省的な感じになってしまいさっそく影響されてる感が否めない……。

 

「in bloom」シリーズからは、壮馬さんの音楽がこれから、今までと大きく変わっていくだろうと感じとれた。

その変化は全然嫌なものではなくて。

むしろそれを音楽で、言葉で伝えてくれる壮馬さんは素敵だな、と純粋に思う。

 

しょうじき今はこれまでで一番、次にどんな曲がくるんだろう? とドキドキしている。未知数だから。

どんな曲が手渡されたとしても、しっかり受け取って、何かを感じられるといいな。

そんな秋のはじまり。

 

 

 

 

 

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*1:『健康で文化的な最低限度の生活』「ヒラエス、ヒラエス」より、KADOKAWA、P.86

*2:話がしたいよ/BUMP OF CHICKEN

欅坂46が遺したもの ~『僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46』に寄せて

 

9月4日に公開された映画『僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46を鑑賞しました。

 

わたしは以前から欅坂46に傾倒していた。

 

だが、CDを買う、ライブに行くなど、いわゆるお金を払って応援する行為はしてこなかった。

いや、あえて見ないようにしていたのかもしれない。

その理由は、女性アイドルのファンをしたことがなく躊躇したというのと、もうひとつ。

彼女たちの求心力があまりにも大きすぎて、足を踏み入れたら最後、欅坂46に心を掻き乱されてしまう、と薄々感じていたからだ。

 

そして今、わたしはひどく後悔している。

ドキュメンタリーを観て、なぜきちんと彼女たちに目を向けてこなかったのか、と悔いた。

とりわけ、ライブに行けばよかった。

心なんか、いっそ掻き乱されてしまえばよかった。

 

そう思わされるほど、欅坂46は途轍もないグループだった。

 

欅坂46はわたしたちに何を伝えたのか?

何を遺したのか?

彼女たちが大きな区切りを迎えた今、わたしは真っ向から、欅坂46について考えてみることにした。

 

 

  

 

欅坂46はアイドルなのか?

欅坂46のMVやテレビ出演を見るたび、「彼女たちは本当にアイドルなのか?」と感じていた。

彼女たちは笑顔を振りまくことをしない。

ヘドバンし、髪を振り乱して、顔が見えない。

果たしてそれは「アイドル」と呼べるのか?

 

その答えとして、欅坂46欅坂46を演じる劇団」だとわたしは思った。

だからこの記事では、彼女たちを「アイドル」とは呼ばない。

もっといえば、『欅坂46』自体がひとつの演目なのでは、と感じることさえあった。

秋元康が演出・脚本を手がける演目。

 

なぜなら、秋元氏はまるではじめから、欅坂46の結末を知っていたかのようだった。

夢を見ることは時には孤独にもなるよ 誰もいない道を進むんだ」と一番はじめに示して、平手友梨奈は本当にその通りになった。

平手は欅坂46という大きな道から逸れ、「一人きりで角を曲が」った。

 

そう、秋元康ははじめから全部知っていたんじゃないか。

欅坂46が時代を動かすことも、

彼女たちが極限まで追い詰められることも、

平手友梨奈が角を曲がることも、

最後には、欅坂46がなくなることも。

全部知っていて、ただ、その主題歌や劇中歌を作っていただけなんじゃないか、と思わされる。

 

でも、これはフィクションじゃない。

 

欅坂46はアイドルじゃない。

欅坂46の歌やダンスはフィクションじゃない。

リアルなドラマなんだ。

 

 

その証拠に、彼女たちは現実とパフォーマンスの境目が曖昧になっていることも多かった。

 

特に『不協和音』は異常である。

僕は嫌だ」はセリフじゃない。

彼女たちはパフォーマンスではなく、本当に現状に抗っている。

にもかからわず、ファンはキンブレを振りながら傍観する。

コロッセオで殺し合うグラディエーターと熱狂する観客、その構図に似ている。

 

『不協和音』のとき、ギリギリだったのは傍目にもわかった。

平手一強体制に他メンバーが反発していたのかな、とわたしは考えていたが、実際にドキュメンタリーを観るとその逆だった。

 

「本当に辞めるの?」

「辞めない選択肢はないの?」

と平手を問い詰める一部のメンバー。

彼女らが平手に依存していたことは、嫌でも伝わってきた。

(ちなみにドキュメンタリーの中で、菅井友香をはじめとしたメンバーが不仲説を暗に否定していたので、週刊誌等の情報は参考としていない)

 

 

サイマジョも、大人は信じてくれないも、二人セゾンも、不協和音も、エキセントリックも、ガラスを割れ!も、アンビバレントも、黒い羊も。

全部全部、彼女たち自身を投影して、聴いて、観てしまう。

フィクションじゃない。

あの曲たちは全部、ドキュメンタリーなんだ。

 

 

 

平手友梨奈は特別な子

4年前、MUSIC STATIONサイレントマジョリティー』を初めて見たとき、平手友梨奈が「持っている」人間だということは一目でわかった。

 

あの時から、何回も、何百回も聴いた曲。

何度も歌詞を読んだ曲。

この曲は、あまりに多くのものを世界に与えた。

映画館で、サイマジョのイントロが流れるたびに涙が込み上げた。

 

平手友梨奈は特別な子。

 

平手友梨奈は、他のどの芸能人とも違う。

それは才能があるということではなく──もちろんずば抜けた表現力を持っていることは確かなのだが、──そういう技術の部分ではなく、人間として、心を奪われるものを持っている。

 

あんなにも孤独を愛し、孤独に愛された女の子を、少なくともわたしは他に知らない。

 

平手はいつでもひとりだった。

ひとりでサイレントマジョリティーを率いて、ひとりで「僕は嫌だ」と叫んで、ひとりでガラスを割って、たったひとりの黒い羊になった。

 

だが、それに救われた人もいる。

この世界は群れていても始まらない。

吠えない犬は犬じゃない。

その姿勢と言葉に救われた人は数えきれない。それは、YouTubeのMVに付けられた何万というコメントを見てもわかることだ。

ステージの上と下の関係は、そんな風に影響し合うことができる。

 

だから、ひとりであることを否定しないでほしい。

 

平手はたったひとりの黒い羊だったかもしれない。

だけど、たった一匹の黒い魚だったスイミーは、自分にしかできない「目」という役割を見つけただろう?

スイミーがいたから、たくさんの赤い魚たちは、大きな魚と戦うことができた。

 

だから平手にも、スイミーのように生きてほしいと願う。

平手友梨奈がいたことで、自分の両脚で立てた人が大勢いるのだ。

 

 

 

欅坂46が遺したもの

変わっていく。

時代は変わっていく。

景色も変わっていく。

一度は渋谷から消えたPARCOも、今では生まれ変わって、またちゃんと形になっている。

 

欅坂46」という名を失う彼女たち。

欅坂46ではなくなった平手友梨奈

彼女たちは、わたしたちに何を遺したのか?

希望か? 絶望か?

 

わたしは──欅坂46は、「戦う力」をくれたと思う。

たとえば、『不協和音』がひとりの偉大な革命家を勇気づけたように。

わたしたち一人ひとりも、戦う力や、そのためにとるべき姿勢を、彼女たちからたくさん学んだ。

それは紛れもなく、希望であったはずだ。

 

MeToo運動が世界的ムーブメントになり、「No」と声を上げることが当たり前になった。日本でも多様性を受け入れることが叫ばれている。

誰もが「自分らしさ」を探し、苦しみながら生きている。

そんな今、欅坂46は時代に求められたグループだったと、わたしは思う。

 

そして欅坂46を失ったポスト欅時代に、わたしたちがすべきこと。

それは、彼女たちがくれた「戦う力」を、心の中に持ち続けることだ。

彼女たちが身と心を削って見せたものを、わたしたちが繋ぐ。

 

繰り返すが、わたしは欅坂46にお金を払って向き合わなかったことを、その息づかいを生で感じなかったことを、後悔している。

だが、欅坂46と同じ時代に生まれたことは、とても幸せだったと思う。

 

わたしは忘れない。

冬に去っていった平手友梨奈を、そして秋に去っていく欅坂46を。

儚い彼女たちの姿を、忘れない。

 

秋冬で去って行く

儚く切ない月日よ

忘れないで

 

──『二人セゾン』

 

 

 

 

──P.S.

ベストアルバムは初回盤A・Bともしっかり予約しました。たくさん聴きます観ます。

 

 

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かはたれどきは『健康で文化的な最低限度の生活』を左手に

 

 

diary

 

2020年7月11日 午前4時32分

 

すごく疲れた。

先週、今週は疲れた。いつも通りに仕事をこなしているだけなのに……。

「新しい生活」に嫌気がさして、何もかもを不安に感じている。

先ほどもリズムゲームを叩きながら寝落ちてしまった。だから、今は眠気がこない。

 

薬が必要だ、と思った。

ふと先日、フォロワーと「壮馬さんの文章は精神安定剤か、睡眠薬みたいだ」という会話をしたことを思い起こす。

明朝体にふれたい。

わたしは一冊の本を取りだした。

斉藤壮馬さんのエッセイ集『健康で文化的な最低限度の生活』である。

 

本を開く。

1ページ目からぱらぱらと、今の自分の琴線にふれそうな章を探していく。

流れるように、しかし大事に、読み進める。

するとちょっとずつ、心のチューニングが整っていくのがわかる。

それは、涙腺への刺激というオプションをともなっていた。疲れている証拠である。

そしてついに、水分の重さが下まぶたの耐荷重を超えた。決定打となったのは、カギカッコ付き、こんな言葉であった。

 

「よかったら、海老天1本食べます?」

 

──斉藤壮馬『健康で文化的な最低限度の生活』P.64

 

いや、笑っちゃうよね。なんで海老天で泣いてんだって。わたし。

 

「夏の予感」のなかの一節だ。

壮馬さんはお蕎麦屋さんにて、就活のため関西から上京してきたという男の子と相席する。彼は男の子に声をかけ、海老天を1本あげた。

ふたりはそれぞれに蕎麦と海老天を食べ、それぞれに店を後にする。

誰かが誰かに、食べ物を分けてあげた。ただそれだけの顛末だ。

 

だが、わたしは想像した。

就活にはげむ男の子に、深く考えもせず、ぽろっとそう言った彼の姿を。

そのはにかんだ表情の、すこしうつむきがちな様子を。

口元の陰影の間から見える、白い歯を。

 

そうして、やっぱりこの人はすごい人だと思った。初読時にはあっさりと流してしまい、感じ得なかったことだ。

だって、2本しかない海老天の1本、あげられます?

わたしには……できないなと思った。

 

こういう何気ないやりとりの中にこそ、本当の人柄が見える。

優しいとか、甲斐甲斐しいとか、そういう類のものではない。たぶん彼は純粋に、衝動的に、海老天の美味しさを共有したいと感じた。

彼のそんな、人とのつながりを厭わない、そしてちょっと寂しがり屋なところ。

涙の理由は、そういうものが垣間見えたからだ。

 

と、カーテンの下から朝日が差し込んできた。スマホを見ると午前5時10分。Twitterを開くが、タイムラインには誰もいない。

今日は土曜日。ささやかに、しかし確実に心が楽になった。

月並みだが、言葉は魔法みたいだ、と思った。

 

 

 

 

2020年7月15日 午前1時48分

 

泣きたいのに上手く泣けないときは、誰かが遺していった言葉や、物語にふれる。

精神のデトックスである。

この部屋には今、ダイソンの扇風機が放つ平坦な風の音が充満し、隣ではレジ袋(相変わらず買っている)の影が揺れて、気を散らす。

 

わたしはフィクションのもつ力を信じる。

事実は小説より奇なり、とはいうが、それでもやはり、物語の力は大きい。現実には絶対的になしえず、物語だからこそなしうることがある。

だけど、悲しいかな、それが大多数の人に理解されないこともある。

 

『健康で文化的な最低限度の生活』をよく読んでいくと、「ささやか」という言葉がしばしば出てくることに気づいた。

 

そんなささやかだけれど大切なことを、これからはもっと慈しみ、大事にできるようにしよう。そんな決意を新たにした。

 

──同書「ささやかだけれど、大切な寿司」より P.93 

 

しばらくしてわかったことは、どうやらこいつは、かつてのあのひりつくような飢餓感とも、ここ数年の偽りの感情とも違う、シンプルでささやかな気持ちのようだ、ということだった。

 

──同書 「in the meantime」より P.97 

 

「神は細部に宿る」という言葉がある。

世界や、人や、自分と向き合うとき、たしかに全体のバランスを見ることも重要だ。

だが、マスだけを見ても、対象をきちんと理解したことにはならない。

ほんとうに見つめるべきは、小さく、時には見落としてしまいそうな、「ささやか」な部分なのではないか。

 

表現をするということ。

それは、世界の細かなところまで、つぶさに、そして誠実に観察し、言葉のかたちを借りて紡ぎだすということ。

誰も気づかないような場所で咲いていた花を、見つけるということ。

自分の内面の奥深くまで潜り、核をつかんできて、水面に帰ってくるということ。

 

言語学では、人間は言語によって世界を切り取り、少しずつ切り分けていくことで、世界を認識しているとされる。

つまりボキャブラリーが増えるということは、世界を切り分ける区分が増え、より細かく識別できるようになる、ということだ。

言葉は、世界を「切り取る」手段である……。

 

だけどわたしは、言葉は「拾い上げる」ものでありたい、と思う。

道端に落ちているハンカチや、大量に積み上げられたごみ袋や、明後日からマックで発売されるチョコバナナ味のソフトクリームや、オールド明朝に特有の「文」の4画目の上部のはね方()……。

そういう「ささやか」で、ともすると誰にも気づかれないような有象無象を、拾い上げていきたいと思う。

言葉という、小さく、大きな手で。

 

参考: 筑紫Aオールド明朝 R | Fontworks

 ここに「文」と打ってみてください。

 

 

 

 

2020年8月4日 午前3時30分

 

コロナの影響が徐々にきて、仕事が減っている。ということは収入も。

金の余裕は心の余裕である。

しょうじき、今、つらい。

こういうときは、今までどうやって生きてきたか、また将来どうやって生きていこうか、うんと遠くのことまで思いを巡らせてしまう。

そしてたいてい、堂々巡りに終わる。

 

どうしようもなくなって、やっぱりこの人の言葉にすがる。

しおりが挟んであったのは、「カンバセイション・ピース」だった。

温泉街の風景や、温泉が苦手だった子どもの頃の壮馬さんをイメージする。

そして、想像のなかの彼を抱きしめる。

「大丈夫だよ」「いつか必ず、きみは救われるときがくるんだよ」と言って、抱きしめる。

 

そして読み進めるうちに、ある部分で息が上がるのを感じた。

 

芝居がしたい、役者としてやっていきたい、と伝えたとき、両親にふたことだけ言われた。

──よかったね、人生をかけてやりたいことが見つかって。

──でも、自分の人生なのだから、自分で責任は取りなさい。

 

──同書「カンバセイション・ピース」より P.150 

 

(申し訳ないが、ここからは壮大な自分語りである)

 

わたしの家はいわゆる、ひとり親家庭である。

ふたり親の家庭が大多数を占めるなかで、その50%が欠けているということは、幼い頃からたいへんなディスアドバンテージのように感じていた。

たぶん、これはひとり親家庭の人にしかわかり得ない感覚だと思う。

反対に、おとうさんがいる、ってどういう感覚なのか、わたしにはわからない。

 

母は、母自身の経験もあいまって、わたしを良い学校に行かせてくれた(良い、というのは、魅力的な、という意味で)。とても有り難いことだったと思っている。

しかし、その母をもってしても、50%の穴を埋めることはできなかった。

 

わたしは「将来の夢」がない子どもだった。

保育園や小学校ではむろん、「将来の夢を絵で描きましょう」といった宿題が出されたりした。

わたしはほとほと困ったものだ。だって、ないものは描けないではないか。

そのようなときは、たしか「わたしはケーキ屋さんになりたいです」で通していた記憶がある。

なぜなら「それっぽい」から、だ。

ケーキ屋さんなら、同じことを描く子も何人もいたし、理由は「ケーキを食べるのが好きだから」で済む。特段大人に食いつかれることもない。とりあえずそれっぽく、ケーキ屋さんで働く自分の絵を描く。

そうして大人の目をごまかして、やり過ごす。

わたしは「将来の夢」がない子どもだった。

 

そんな中、わたしにもやってみたいことができた。小学校1年生か2年生くらいの頃だったと思う。

「芝居がしてみたい」と強烈に思うようになった。

もともとテレビっ子だったし、すこし上の世代の志田未来ちゃんや成海璃子ちゃんらが、主役やそれに近い役で活躍しているのを見て、とかがきっかけだったと思う。

自分ではない人の人生を何通りも、何百通りも生きられることが、いいなぁと思っていた。

そして、一世一代の勇気を出して母親に言った。

 

 「子役をやりたい。劇団のオーディションを受けたい」

 

しかし、母親がそれを認めてくれることはなかった。

その後何度も口にして、頼み込んだものの、徒労に終わった。

 

初めて本気でやりたいと思った「夢」は、叶わなかった。

今ならよくわかる。母はフルタイムで働いている。そんな中で、わたしを現場やレッスンに連れて行く、そういう活動は不可能だったと。

それでもそのときは、挑戦すらできず、スタートラインにすら立てなかったことが、悔しかった。知識も力もない子どもだったわたしは、ただ諦めて、なんとなく穏便に生きていく、という道しか選べなかった。

ほかに本気でやりたいことなんか、なかった。

そんな宙ぶらりんな生活のなかで、「もしおとうさんがいたら……」と考えたことは数えきれないし、いまでも時々ある。

思えばそこからだったのかもしれない。わたしは長い間、あのときのまま、「将来の夢」を見つけられずに生きている。

 

声優さんを見ていると、羨ましくて仕方なく身悶えそうになることが、本当にたまにだが、ある。

なぜなら、彼らは皆「夢を叶えた人たち」で、「本当にやりたいことをして生きている人たち」だから。

彼らと比べると、

何もない自分。

何者でもない自分。

それが如実に浮き彫りになる。

承認欲求だか、自己実現欲求だかすらもよくわからない感情。それは定期的にわたしを襲った。今がまさにそうである。

 

しかし2年前、同じ状態から救ってくれたのが、やっぱりこの人の言葉だった。

 

あるのはただ、そうした要素にしがみついていなければなにもなくなってしまうのではないかという、漠然とした不安だけだった。

(中略)

嘘をついてすべてをごまかしているだけなんだと思うと、苦しかった。

 

──同書「in the meantime」より P.96

 

だって、これはまるでわたしじゃないか。

同じじゃないか。

「認められなくたっていい」「自分だけが楽しく遊べればいい」みたいな顔をして。

本当は、認められたくて、認められたくて、たまらないじゃないか。

自分も、周りも、ごまかして生きてきたじゃないか。今までずっと。

 

人生を導いてくれた雲の上のように感じていた人だって、そうだったのだ。

それなら、焦る必要なんて、ないのではないか。

その人は雲の上になんかいない。

おなじ人間なのだから。

 

今はようやく、そういうこと──やりたいことが見つかった気もするし、気のせいな気もする。

どうか、気のせいでないといい。

 

わたしは50%の穴が空いたまま生きてきた。きっとこれからも。

だけど、いつの間にかとっくに大人になっていたことも、知っている。だから、「自分の人生」を始めなければ。

だいぶ遅かったかもしれないけど、でも、遅すぎるなんてことはない。と、いい。

 

 

 

 

2020年8月11日 午前3時18分

 

誰もいない森の中で木が倒れた。

果たしてそのとき、音はしたのだろうか?

 

──同書「結晶世界」より P.152 

 

大学時代の講義で、写真の幽霊性、という概念を習った。

写真にはたしかに人やものが写っている。だが、それらはもうそこに存在しないか、撮られたときとは異なる状態にある。

現実には存在しないものの姿を、写真はとらえている。

それは幽霊とも呼べるのではないか、という論である。

 

言葉にもこれと同じことがいえるように思う。

わたしがここに書く言葉は、たしかに「いま」生み出されたものであって、だがしかし、Wordの真っ白な版面に打ち出された次の瞬間から、「過去」のものになる。

言葉の幽霊性

 

文章や音楽は、真空パックのようなものだと感じることがある。

そのとき書いた文章や、聴いていた音楽にふと触れると、そのとき抱いていた気持ちやよく通っていた場所、ハマっていた食べ物、気温と湿度の肌触り……そんなものたちを克明に、真空パックを開けるように鮮明に、思い出すことができる。

 

もう存在しない幽霊に触れながら、たしかに存在していた感情が喚び起こされる。

だから書く。

「いま、ここ」の自分をパックするために、わたしはキーボードを叩く。

 

世界を変えたい、なんて大それたことは考えていない。

誰かが、わたしの書いたもので、たとえ米粒程度だとしても“救われてくれる”なら。

その誰かは、SNSですでにつながっている知人であり、まったく偶然にここに辿り着いた通りすがりのネットサーファーであり、未来のわたしかもしれない。

 

誰もいない森の中で木が倒れた。

その音を誰も聞いていなかったとしても。

いつか誰かが木の残骸を見つけるかもしれない。

それはまた歩き出すまでの、ちょっとした腰掛けくらいには、なるかもしれない。

それなら、やっぱり木を植え続けていこうと、生意気にもそう思うのだ。

 

 

 

 

summarization

 

何もない夏に聞くセミの声は、こんなにも涙を誘うものだっただろうかと思い返す。

わからなかった。こんな夏など、今まで記憶にないのだから当然だ。

何もない、ということは時に、過剰な思考を喚び起こすようである。

今こうして、1冊の本をきっかけに考えたあれやこれやは、きっとすこしくらいは何かの糧になるだろう、と信じている。

 

 

槙島聖護は言った。

本はね、ただ文字を読むんじゃない。自分の感覚を調整するためのツールでもある。

調子の悪いときに本の内容が頭に入ってこないことがある。そういうときは、何が読書の邪魔をしているか考える。

調子が悪いときでも、スラスラと内容が入ってくる本もある。

なぜそうなのか考える。

精神的な調律、チューニングみたいなものかな。

調律する際大事なのは、紙に指で触れている感覚や、本をペラペラめくったとき、瞬間的に脳の神経を刺激するものだ。

 

──TVアニメ『PSYCHO-PASS』15話より 

 

放送当時、恐らくわたしにはこのセリフの意味がわかっていなかった。

いや、もちろん言葉そのものの意味としてはわかっていた。しかし、そこには実感がともなっていなかった。

「紙の本を読み、精神をチューニングする」行為をしたことがなかったからだ。

 

それを本当の意味で理解できたのが、2年前のあの秋──『健康で文化的な最低限度の生活』を手にしたときだった。

あれは、今では心のやわらかいところにある、とても得難く、いとおしい経験だった。

 

 

その発売当時、こんな文章を書いた。

 

気づけば、ここにはだいぶいろいろな記事を書いてきたみたいだ。中でもこれは最も気に入っているひとつである。

 

この本を読み進めるなかで、わたしはわたし自身と向き合った。

壮馬さんの言葉を介して、自分を改めて見つめていた。

斉藤壮馬さんというひとりの人間に、どうして惹かれてしまったのか。

わたしは学校で何を学んだのか。それに果たして意味はあるのか。

この先、何をしたくて、どう生きていくべきなのか。

 

2年前──いろいろと迷っていた時期だったというのもあるかもしれない。

もっとも、今も、そしてこれからもずっと、迷いが完全に消えるときなんて、来ないだろうけど。

そんな不確かすぎるアイデンティティーに、壮馬さんの言葉はそっと寄り添ってくれた。

そして、なんとなく見えた気がした。これから生きていくうえで失くしてはいけない、方位磁針のようなものが。

 

(以下、壮大な自分語りアゲイン)

 

転機は、ちょうど卒論を書き終わったころだった。

人生で(たぶん)初めて数万字単位の文章を書いて、それが苦じゃなかったから、わたしは文章で生きていくのがいいかもしれない、と思ったところだった。

むろん、卒論が終わったころなんて、就活時期はとっくに過ぎている。

つまりわたしは、多くの大学生ができたような、4年の夏までに内定を取り、翌年春から正社員で働く、ということができなかった。

ああどうしようかな。文章を仕事にするって何? フリーランス? まず何したらいいのかわかんねーよ。そもそももう22だぞ。「ちいさいころから本が好きでした!文章ずっと書いてました!」みたいな人にはかなわないんだぞ。でもじゃあ、他になんかやりたい仕事、あんの? ……わかんない。まあでも、いざとなったら一生バイトでも食えないことはないし。……

寝ても醒めても、ずっとこんな堂々巡りの問い掛けをしていた。そして人間は気持ちが下を向くと、顔も下に向くものなんだと、身をもって知った。歩くとき、道行く人の姿をまともに見られなかった。

ちなみにわたしが卒業した年の就活は売り手市場で、最終的な新卒内定率は98%だった。わたしは2%の人間なのだ。わたしは2%の人間。その意識は、楔の形になって、胸のどこかにいつも刺さっていた。

ちょっと、たぶん今死んでも、わたし後悔しないわ。「〇×△どれかなんて 皆と比べてどうかなんて 確かめる間もない程 生きるのは最高だ」って藤原基央が言ってくれなかったら、「下を向いていたら 虹は見えないよ」って戸塚祥太が言ってくれなかったら、なんだろう、変な気にあてられていたかもしれない。

壮馬さんを知ったのは、そんなときだった。

 

楽しみながらがんばることは決して間違いじゃないんだ

 

──同書「健康で文化的な最低限度の生活」より P.163

 

壮馬さんは、以前は生きることが苦しかったけれど今は楽になったと、折にふれて明らかにしてくれた。

見栄を張らず、心のなかを包み隠さず。

その言葉に、どれだけ救われたか。

あのころだけじゃない。今でも、何度も、何度も救われてしまう。ちょうど今回、日記にしたためたように。

「ありがとう」では足りないんですが、どう返せばいいですか?

 

「がんばる」と「苦しい」はイコールじゃないんだ。

だからがんばりたい。

文章を書きたい。本を読みたい。映画を観たい。アニメも観たい。

全部、楽しみながらがんばりたい。

そのころ強烈に抱いていた劣等感を消すためには、自分自身が頑張って、勉強していくしかないのだとわかった。相手が下がってくることはないのだから、こちらが上がっていくしか手はない。

 

とりあえず、バイトから正社員を目指すことにした。相変わらず2%の道ではあるけれど。

今はその会社はやめてしまったが、立場は変わったものの一緒に仕事をしていて、良い関係が続いている。

本当に、人との縁に恵まれていることだけは、疑いようもなく自信を持てる。

もちろん、壮馬さんと出会えたことも、その縁のなかのひとつだと思う。

 

 

そういえば、その壮馬さん本人もこんなことを言っていたなと思い出す。

 

「本を読む」というのはある意味とても個人的な行為で、それは救いをもたらしてくれたり、隣にそっと寄り添ってくれたり、すこしだけ明日が楽しみになったりするような、本とわたしのあいだでのみ交わされる、ごくごく私的なことなのかもしれません。

本が「読める/読めた」というのは、はたしてどういうことなのか……ぼくにもよくわかりません。

それでも、ひょんなことから縁がつながって、「この本に出会えた」ということだけは、おぼろげながらもいえるのではないかな、と思っています。

 

斉藤壮馬さんからエッセイが届いた! 斉藤壮馬全面協力 \濃い本しかないっ!/ 河出文庫ベスト・オブ・ベスト|Web河出

 

わたしはこれからも、『健康で文化的な最低限度の生活』を再読していくだろう。

苦しいとき、泣きたいとき、どうしても逃げ場がなくなったとき、そういったときに、薬として。

そして考え続けるだろう。

「この本に出会えた」意味について。

この本を通して見る、自分について。

 

 

もし苦しくなったら、この本を読み返して、また仕切り直せばよいのだ。

 

──同書「健康で文化的な最低限度の生活」より P.164

 

 

 

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【ネタバレ】映画『リスタートはただいまのあとで』感想 ~居場所があるから、生きられる

 

9月4日に公開された映画『リスタートはただいまのあとで』を鑑賞しました。

 

竜 星 涼 く ん が カ ワ イ イ 。

みんな……みんなお願い……ぐらんぶるからこの映画はしごして……竜星涼くんの落差を見て……お金払うから

 

はい。

竜星涼くんの可愛さはともかく、今回は ネタバレあり で『リスタートはただいまのあとで』の感想を書いていきます。

 

未見の方はブラウザバック推奨。

セリフの引用はうろ覚えです。

 

 

 

 

◆映画『リスタートはただいまのあとで』とは

 

小さな田舎町で出会った正反対の二人。あったかくて大切な宝物に変わってゆく

 

 

 

ストーリーはこんな感じ。

10年前に上京したものの(おそらく高卒で就職)、就職した会社でうまくいかず、故郷に帰ってきた光臣。

そこで、近所で農園を営む熊井家に養子としてとられた大和と出会う。

 

自暴自棄のように、家業の家具店を継ぐと父親に言うも、「どうせすぐ逃げ出すに決まってる。お前には継がせん」と一蹴されてしまう。

仕事も探さずだらだらと過ごしていた光臣だが、ひょんなことから熊井農園を手伝うことに。

 

そして光臣は、大和の明るさや、その裏に抱える心の闇を知り、大和に惹かれていく……。

 

BLコミックの実写化。

ホリプロ配給。東京では3館しか上映してないですね。

以下、ネタバレありです!

 

 

 

 

◆『リスタートはただいまのあとで』感想

 

たしかに知っている、ノスタルジー

本作は長野県が舞台。ロケも長野県上田市でおこなわれている。

 

畑と民家しかない風景に、農家のトラックが走る。

働くおじいさんおばあさんたち、話題の中心は町の住人のこと。とりわけ、跡継ぎについて。

「国道の向こうにイオンできたんよ!」と、楽しそうに言う大和。

 

ファースト・ショットで、路面電車に揺られて故郷に帰ってくる光臣。

そのBGMに流れる『ロンドンデリーの歌』が、エモみを助長する。

 

君の名は。』で三葉とさやちんがボヤいていた、「本屋はないし、嫁は来ないし、日照時間は短いし……」といった雰囲気だ。

君の名は。』の舞台は長野のお隣の岐阜県だったので、風景としても似ているだろう。

 

そこには、たしかに知っているのだと錯覚してしまうような、強烈なノスタルジーがあった。

 

 

わたしの親の実家が東北なんだが、たしかに遊ぶ場所といえばイオンしかなかった。

正確にいうと、わたしが子どもの頃は「ジャスコ」だったので、今でもジャスコと呼んでしまうことがある。

たまに走るトラックの走行音以外に、BGMのない世界。

澄んだ空気と、遠くに見える山々。

娯楽は少ないけれど、幼いながらに、わたしはその場所が好きだった。

 

 

この映画はその親と観たのだが、「田舎の風景に癒やされちゃったね」と、上映後に語り合ったものだ。

 

 

たんすのバトン

光臣の父が経営する「狐塚家具店」で修理したたんすを、光臣と大和で届けることになる。

その家で、こんな会話があった。

 

「この子(長女)今度結婚するから、このたんすを持たせようと思って」

祖母「このたんすは私がお嫁に来たときからあるのよ」

祖父「あんた(光臣)のじいさんが直してくれたんだ。次はあんたが直すかもしれないな」

 

たんすに込められたこの家族の想いに触れて、光臣は家具店を継ぐことを決める。

 

 

──わたしは、ある写真館のことを思い出していた。

それはわたしがいざ就職活動を始めるぞというときに、履歴書用の写真を撮ったところだ。

地元にある、古い写真館だった。

 

わたしはとにかくやりたいことがなくて、就活が心底億劫だった。

わたしにも家業があればよかったのに、なんて思っていた。継げば、就活をせずに済んで楽なのに……。

そんな気持ちのまま、撮影の日を迎えたわけだ。

お兄さんと二人で写真館を切り盛りしているおじさん(もうお爺さんに近い)が、シャッターをきってくださった。

 

撮影が終わると、おじさんはふと口にした。

「就職活動っていいなあ、と思うね。」

 

思いもよらない言葉だったので、わたしは返事に詰まった。

 

「それって、世界が広がるってことだもんね。

ぼくは高校を出たらここを継ぐって決めてたから、就活する同級生を羨ましく思ったりして。」

 

それを聞いて、自分を恥じた。

この人に対して、わたしは、なんて失礼なことを考えていたのだろう。

家業がある家庭にも、その人たちにしかわからない想いや葛藤があるのだ、と知った。

そう、そんなことを思い出した。──

 

 

このたんすのお話は、純粋に素敵だなと思った。

わたしが光臣の立場でも、店を継ぎたいと思うだろう。

 

たんすは祖母から母、結婚を控えた娘をつなぐだけでなく、光臣と父という、もうひとつの家族も結んだのだった。

 

 

アイデンティティーと居場所について

上で語ったように、この映画は「光臣」と「光臣の父」の絆が大きなテーマのひとつである。

そしてこれは、もうひとりの主人公「大和」と対比になっているのだ。

大和は親に捨てられ、施設で育った。

ここから以下の構造が読み取れる。

 

・父親と和解した「光臣」

・親がいない「大和」 

 

光臣が店を継ぐと決めた直後に、大和の家庭事情が明らかになることから、2人の対比が浮き彫りになっている。

 

 

思うに、親の存在というものは、子どもにとって、人生で最初に与えられる分岐点である。

しかもそれは、生まれながらに義務づけられた避けられないものであり、かつ、途方もなく大きな分岐なのだ。

 

親はまず子どもに、大きく2つのものを与える、とわたしは思う。

 

・自分がどこから生まれた何者なのか、というアイデンティティー」

・家族という「居場所」 

 

大和は、この2つともを持っていなかった。

熊井の爺ちゃんに養子にとられ、家を得たが、それも仮初のものでしかない。

アイデンティティー」を探す大和は、東京・葛飾区──赤ちゃんだった大和が拾われた場所──まで出てきて、戸籍謄本を発行する。

親が誰なのかを知るために。

 

結局、戸籍謄本に両親の名前は記されていなかった。

だが、そこで大和は、自分の名前が施設の人につけられたのではなく、親からつけられたものだったと知る。

光臣は大和に言う。

「名前は、親が最初にくれるプレゼントなんだよ」

 

こうして大和は、たったの片鱗かもしれないが、「アイデンティティー」を手にした。

 

 

残るは「居場所」である。

大和は居場所を持たないだけでなく、それを自ら作り出すことを怖がっている節があった。

「俺、結婚はしないって決めてるから」

「怖いんだ……。人を好きになれる自信、ないんだ」

 

光臣は、大和と同じ施設で育った涼子から、ヒントを教えられていた。

「親がいない子どもってさ、愛し方がわからないんだって。

愛された記憶がないから、愛された時の返し方がわからない」

 

人の愛し方がわからない大和に、真っ直ぐ「好きだ」と伝えた光臣。

そして映画のラストでは、大和も光臣の想いに応える。

大和は光臣という「居場所」を得て、愛し方を知っていくのだろう。

 

 

 

◆総評

 

東京に出たものの、納得いく仕事ができず、故郷に帰ってきた光臣。

施設で育ち、どこか心のシャッターを下ろしていた大和。

自分が何者かわからない──そんな苦しみは、だれもが一度は味わったことがあるかもしれない。

 

居るべき場所を探す2人が、ある田舎で出会った。

そして光臣は心からやりたい仕事を見つけ、大和は愛を見つける。

 

これは、根無し草だった人たちが、居場所を見つけていく映画なのである。

 

 

◆映画『リスタートはただいまのあとで』公式サイト

 

 

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【ネタバレ】映画『青くて痛くて脆い』感想 ~青くて痛いことは、脆くない

 

映画『青くて痛くて脆い』(通称「くてくて」)を鑑賞しました!

杉咲花松本穂香、森七菜……みんなボブ。

みんな違ってみんなボブ。

ボブの女優見放題の良い映画でした。

 

ボブはさておき、今回は ネタバレあり で映画『青くて痛くて脆い』の感想を書いていきます。

 

未見の方はブラウザバック推奨。

原作未読です。映画についてのみ語っていくのでご容赦ください。

セリフの引用はうろ覚えです。

 

 

  

 

◆映画『青くて痛くて脆い』とは

 

彼女は死んだ──

 僕は忘れない。

 

 

 

人付き合いが苦手で、常に人と距離をとろうとする大学生・田端楓と

空気の読めない発言ばかりで周囲から浮きまくっている秋好寿乃。

ひとりぼっち同士の2人は磁石のように惹かれ合い秘密結社サークル【モアイ】を作る。

 

モアイは「世界を変える」という大それた目標を掲げボランティアやフリースクールなどの慈善活動をしていた。

周りからは理想論と馬鹿にされながらも、モアイは楓と秋好にとっての“大切な居場所”となっていた。

 

しかし

秋好は“この世界”から、いなくなってしまった…。

 

──公式サイト「STORY」より

 

 

はい。

ここまで読んだ人の中で、これから映画を観ようかな~と思ってる人。

ここから先読まないでください。マジで。

鑑賞後に遊びにきてね!

 

 

 

 

 

 

はい。

 

「秋好は“この世界”から、いなくなってしまった…。」とある。

上手い書き方だなと思う。

ふつうこの書き方だと、秋好は死んでしまったのだと考えるだろう。

実際、キャッチコピーにも「彼女は死んだ」とあるし、「(秋好は)死んだんだ」という楓のセリフもある。

 

だが実際には、それは物理的な「死」ではなかった。

“この世界”というのは、「地球」や「現世」という意味の世界ではなく、「楓の中」という意味だったのだろう。

 

秋好は変わってしまった、ということを、楓は「死んだ」と言い表した。

 

アニメ『ユーリ!!! on ICE』でも、ユリオが「ヴィクトル・ニキフォロフは死んだ」というセリフによって、ヴィクトルが変わってしまったことを表していた。

 

 

 

◆映画『青くて痛くて脆い』考察

 

「言ってくれなきゃわからないよ」

楓はとにかく内気で、思っていることを口に出さない男だった。

秋好はそれと正反対で、思ったことを何でも口に出してしまう。

たとえ授業で教授が話している途中だろうと、グイグイ質問する。

 

つまりこの映画は、

言わない人:

言う人:秋好 

の対比になっている。

 

ふたりは正反対だからこそ仲良くなれたし、だからこそ、逆に関係性が壊れてしまったわけだ。

 

その対比が最も顕著になっていたのが、「説明会」として秋好が楓を呼び出した、大教室でのやり取りだった。

ここの会話劇はとてもリアリティーがあり、見事だった。

だってこのシーンのふたりは、まったく話が嚙み合っていない。

 

「モアイから俺を切り捨てたくせに」

秋好「切り捨てた? 勝手に出て行ったのはそっちでしょ?」

「まあ気づかなくて当然かもな。あの時のお前は恋愛にうつつを抜かしていたし」

秋好「嫌なら、言ってくれなきゃわからないよ!」

「そんなもの、言わなくても察しろよ!」

 

……こんな具合に。

 

楓は「言わなくても察しろ」と言ったが、その相手として秋好は最悪である。

なぜなら、秋好は最強に鈍感だから。

 

先ほどの会話はこう続く。

 

秋好「……もしかしてあんた、私のこと好きだったの? それで嫉妬してあんなことしたの?……気持ちわるっ」

(予告編でも出てくる部分)

 

いや、今気づいたのかよ。(笑)

 

秋好と脇坂が付き合ったタイミングで、楓はあからさまに秋好のことを避けはじめた。

ふつうは。

ふつうはね。ここで気づくんだよ。

あれ? 楓、私のこと好きだった? って。

この時点で楓の気持ちに気づけない秋好は、最強に鈍感なのだということがわかる。

 

だから「言わなくても察しろよ」なんて、秋好にはどだい通じない話だ。

 

そもそも秋好のあのクソウザい性格で、明らかに周囲に疎まれているにもかかわらず、ここまで平気でやってきているのは、鈍感だから以外の何ものでもあるまい。

 

しかし、【楓vs秋好】の構図においては、秋好のほうが一枚上手だったと思う。

なぜなら、秋好はおそらく鈍さを自覚していて、楓の気持ちをきちんと聞き出そうとしていたのだから。

 

脇坂がモアイに入ってメンバーが増えてきたタイミングで、モアイの方向性は変わりはじめていた。

そのうえで、秋好はちゃんと現状に違和感をもっていて、楓にヒアリングを行おうとしていた。

「楓は、今のモアイをどう思う?」

 

そこで楓はこう返した。

「んー。秋好がいいなら僕もそれでいい」

 

いや絶対ダメだろ、この男。

秋好はちゃんとお前の気持ちを聞こうとしたじゃん。

そんでお前、何も言わなかったじゃん。

お前が秋好に決定を委ねたんじゃん。

なのにそれでキレて、「言わなくても察しろよ」はダメすぎるだろ。

100%楓が悪い。

 

 

と、こんな風に、楓はとにかく「自分」というものを持っていない。

ここまでのシーンで「僕」主語で意見を言うことはほとんどないのである。

 

ところがあの大教室で秋好とぶつかってからは、「僕」としての考え方ができるようになる。

「僕がモアイを壊した」と告白したツイートでは、「僕はなりたい自分になれなかった」など、自分の考えを「僕」主語でとうとうと語っている。

 

『青くて痛くて脆い』は、軸を持たない楓というダメな主人公が、「自分」を確立していくお話なのである。

 

 

「青」い画面

タイトルにちなんで、青い色味が多用されている。

終始青い画面は、観ていて心地よかった。

 

董介(とうすけ)のマンションも、おそらく青いビルを捜したのだろう。

 

そして多くのシーンで、楓は青い服を来ている。

デニムパーカーや、青のストライプシャツなど。

モアイのサークルTシャツも青いデザインである。

 

しかし映画のラストシーンで、楓は秋好の目の前に立ち、話しかけようとする。

(おそらくこの後、秋好に謝るのだと思う)

そこでは、楓は赤いジャージを着ている。

 

楓はモアイ奪還の件を通して、「言わない人」から「言う人」へと変わることができた。

「言わない人」だった楓は青い服。

「言う人」になった楓は赤い服。

このように、色で楓の変化を表現しているのだろう。

 

 

「秋繋がりだ」

「楓? 紅葉とか楓の、楓? じゃあ秋繋がりだ」

 

この秋好のセリフではっきりと示されるように、秋好と楓の名前には「秋」という共通点がある。

 

楓がモアイ奪還計画を実行したのは夏である。

それは、モアイの交流会の日付が「2020年6月」であることや、テンを中心にバーベキューが行われることなどからわかる。

 

そしてモアイは解散。

その後ラストシーンで、楓は秋好に謝ろうと話しかける。

この時、先述のように楓がジャージを着ていることから、秋だろうとわかる。

 

秋好と楓は、おそらくこのラストシーン以降、関係性を修復していくことになる。

そのきっかけとなった季節、ふたりの友情が再スタートをきった時季が「秋」だった。

だからふたりの名前には、象徴的に「秋」が入っているのだろう。

 

 

青くて痛くて……脆い?

この作品のタイトルはセリフの中で少しずつ回収されていく。

 

「こういう青臭いことができるってすごいと思うんです」

という川原のセリフや、

「痛いよねwww」

と、モアイの活動を馬鹿にする学生の声など。

 

しかし、このようにタイトルにある「青くて」と「痛くて」は何度か出てくるが、「脆い」だけはセリフとして出てこない。

 

これが意味するものは何?

 

思うに、「脆い」というセリフを出さないことで、「脆い」という言葉を否定しているのではないだろうか。

 

つまり、「青くて痛」いことは、けっして「脆」くはないんだ、と逆説的に表している。

 

 

◆総評

この映画には、「世界を変える」という言葉が多く出てくる。

楓は自分の意見を言えない男だったが、楓もまた、深層心理では世界を変えたいと思っていた。

 

しかし、この物語自体は「楓の変化」という内省的なものに終始している。

 

秋好は“この世界”から、いなくなってしまった…。

ストーリー紹介における“この世界”も、楓の内部世界のことである。

 

そして、解釈が分かれるかもしれないが、この映画はハッピーエンドだったと、わたしは大手を振って言いたい。

 

確かに楓がしたことは最悪だ。

でも(勝手に)傷つきながら、そして秋好を傷つけながら、楓は「自分」を表現できるようになった。

 

彼は、彼の世界は変わることができた。

それを人は「成長」と呼ぶのだろう。

 

 

◆映画『青くて痛くて脆い』公式サイト

 

 

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【in bloom シリーズ】斉藤壮馬さん『Summerholic!』考察

 

やった!ギリギリ8月に上げられたぞ!!

はい。

斉藤壮馬さんの配信シングル『Summerholic!』がリリースされました!

お耳が常夏パラダイスな曲でした。

ごちそうさまです!(?)

 

 

今回は歌詞がシンプルだったこともあり、考察ともいえない考察未満です。たぶん。すんません。

 

この記事はいち個人の所感によるものであり、曲や作者本人に対して正解を求めるものではありません。

 

 

  

 

以下に歌詞を多く引用するので、はじめに歌詞を貼っておく。

なお今回も公式から歌詞が出ていないので、わたしが耳コピしたものです。

アドバイスや指摘をくれた皆さん、ありがとうございました。人に支えられて生きてます。

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◆「in bloom」シリーズとして

夏!──"季節のうつろい"のなかで

この曲は斉藤壮馬さんによる「in bloom」シリーズ の2曲目。

「in bloom」シリーズについてはこちらもどうぞ。

 

「in bloom」シリーズのテーマは「"季節のうつろい"、"世界の終わりのその先"」。

Information | 斉藤壮馬(SOMA SAITO) OFFICIAL WEBSITE

 

今回の『Summerholic!』は、8月のリリースに合わせたサマー・チューンになっている。

 

 

曲の構造について

『Summerholic!』はJ-POPとしては変則的な構造となっている。

ちなみに、これは『ぺトリコール』も同じであった。

 

さらにさかのぼると、『my blue vacation』で顕著に見られた特徴でもある。

──「各曲の変則的な構造について」の項を参照

 

直近で公開されたインタビューで壮馬さんは、その意図をこう語っている。

>例えばAメロ→Bメロ→サビという王道の構成の場合、それだけで安心感があるんです。「次にサビがくるな」って準備したうえで聴くことができますから。

でも 構成が変わっていく楽曲には、次に何が来るかわからないワクワク感がある。

どちらも音楽としてはありですが、自分は1曲のなかにもこんなにいろんな展開があったんだ! っていう驚きがあった方が好きなので、ワクワク感を重視してみました。

 

斉藤壮馬インタビュー 第2章からは「自分を解き放つ」ことにした理由 & 『Summerholic!』・9月新曲『パレット』の楽しみ方 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

 

 

・Summerholic!

Aメロ:ぴーかんの夏晴れだ~

サビ:太陽のせいにすんだ 夏の精にグッバイ~

Rap:明日の準備と摂生ルールと~

Dメロ:ああ素晴らしい こんな生活が~

落ちサビ:なあこんな日々だって 悪くないかもって~

サビ:太陽のせいにすんだ 夏の精にグッバイ~

 

・ぺトリコール

Aメロ:ふらふらり歩きながら~

Bメロ:石畳をゆく かたつむりはきっと~

サビ:灰色の雨 まち~

Dメロ:狂い咲くような6月のフレイバー

Rap:思い通りにいかない足取り~

サビ:灰色の雨 まち~

 

「in bloom」シリーズ以降、これらのように変則的なつくりの曲が増えそうである。

 

また、『ぺトリコール』リリース時、壮馬さんは「2章への橋渡し的な内容で、今までにないような味わいもある」と語っていた。

この「今までにない味わい」とはRap部分のこと?と考えた。

そして流れに乗るように、『Summerholic!』にもRapが入れ込まれている。

 

壮馬さんは「第2章」において、Rapによる表現を試みようとしているのではないだろうか?

 

その裏づけといっては何だが、先日、声優ラップバトルコンテンツ『ヒプノシスマイク』について、「多くの可能性が拓けた。斉藤壮馬個人としてもそうですし」と語っていた。

 

 

◆音楽面について

疾走感!

この曲はフルコーラスで3分半しかない。

1番サビの終わりが1分15秒。アニメ主題歌にも足りない短さである(アニメ主題歌の尺は一般的に1分半)。

『エピローグ』は6分超あったので、約半分ということに。改めて振り幅がすごいぞ斉藤壮馬

曲の短さからも疾走感が感じられる。

 

 

Bメロがない効果

先述↑のメロ分けを見ても分かるが、『Summerholic!』にはBメロがない。

Aメロから歌が始まった……と思ったら、あっという間にサビに入ってしまう。

 

Bメロは一般的に、サビをより盛り上げるために一度オトす「タメ」の役割を担うことが多い。

緩急でいう「緩」の部分である。

この「タメ」の部分がないままサビに突入するというのは、イントロからサビまで休憩なしで突っ走るようなものだ。

 

曲尺がかなり短いのもBメロがないから、という理由が大きいだろう。

 

 

『Paper Tigers』(『my blue vacation』に収録)もBメロがない楽曲であった。

 

・Paper Tigers

Aメロ:いつから時代は過ぎ去って~

サビ①:今日なんてもうね 完全に悦楽日和です~

サビ②サリエリみたいに器用なおれは~

Aメロ:イーアールサンスー~

Cメロ:うらぶれた そんな日は~

Dメロ:紙製のこの臓腑も~

サビ②:燃え尽き灰になったって おれは~

サビ①

サビ②

 

 

また、今回はELLEGARDENの高橋さんがドラムで参加されているので、エルレの曲をちょっとだけかじってみた。

するとBメロがない曲がいくつかあったので、挙げておく。

 

・The Autumn Song

 

・Supernova

 

・Mr.Feather

 

エルレ、マジで名前しか知らなかったんだけど『Mr.Feather』とか好きでした。

『Paper Tigers』がエルレの影響を受けてるんじゃないか?っていう考察を前に見たことがあって、それが今回ピンときた。

 

あと、Bメロがない曲はたぶん洋楽に多い。

 

 

サビの4つ打ち

4つ打ちとは、バスドラムを使い、1小節に四分音符が4回続くリズムのこと(Wikipediaより)。

4つ打ちは、「ドン・ドン・ドン・ドン」というように、拍の頭を打っていくことが特徴である。

 

『Summerholic!』のサビのドラムは4つ打ちになっている。

(と思うんだけど、ドラム聞き取るのが本当に苦手なので違ったらすまん)

 

そして4つ打ちのリズムにそのまま乗っかるように、サビのメロディーもほぼ四分音符だけで構成されている。

なんて打ちやすい楽譜!

 

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サビで4つ打ちといえば、個人的には 大石昌良 が真っ先に思い浮かぶ。

大石さんの曲も疾走感のあるものが多い。

壮馬さんにも『フィッシュストーリー』を提供していたが、これも実は似ているリズムである。

  

ようこそジャパリパークへけものフレンズ

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・春夏秋冬☆Blooming!/A3!

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・フィッシュストーリー/斉藤壮馬

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4つ打ちはもともとダンスミュージックで使われ始めたビート。

縦ノリで、アゲアゲになりやすい。

わたしは、心臓の鼓動に近いリズムなので、身体にダイレクトに響くからではないかと考えている。

 

 

イントロのビート

イントロはドラムのみから始まる。エイトビートだが、バスドラが1拍目と3拍目裏。

「ズンチャチャッズンチャッ」というリズムになっている(字面にすると陽気感がすごい)。

 

このドラムのビートはイントロ、Aメロ、Rap部分、間奏、落ちサビに入っている。

ライブでは絶対クラップさせられるやつ(言い方)。

 

そして、このビートにはなぜか夏の曲が多い。

たとえば、『Summerholic!』のイントロからハイハットを除いて簡略化すると、ORANGERANGEロコローション』」のイントロになる。

 

調べてたら、「ロコローションのイントロは幼稚園児でも叩ける」とか言われてて笑った。

刺激が欲しけりゃバカになれ、バカ=単純、ということだろうか?

以下の曲にも同じビートが用いられている。見事に夏うたが多い気がする。

 

・ハダシの未来/嵐

 

‪・Ho! サマータッキー&翼

 

・E.G. summer RIDER/E-girls

 

 

サビのペンタトニック

『Summerholic!』のサビは、5音(ミ♭ファソシ♭ド)しか使われていないペンタトニックである。

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ペンタトニックを用いるとまず、和風に感じられるという場合がある。

日本に限らず、民族音楽にはペンタトニックを使ったものが多い。

 

しかし、この音階の効果はもうひとつあると思っている。

それは、音数が少ないため、万人が歌いやすくて売れやすいということ。

 

たとえば、RADWINPS前前前世のサビはペンタトニック(シド♯レ♯ファ♯ソ♯)。

以下の曲などもそうである。

 

・夏色/ゆず:シ♭ドミ♭ファソ

・366日/HY:ラ♭シ♭ドミ♭ファ

恋するフォーチュンクッキーAKB48:レミファ♯ラシ

・恋/星野源:ラシド♯ミファ♯

・Lemon/米津玄師:シド♯レ♯ファ♯ソ♯

・U.S.A. /DA PUMP:シレミファ♯ラ

・Don't say "lazy"/桜高軽音部(アニメ『けいおん!』ED):ミソラシレ

God knows...(アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』劇中歌):ド♯ミファ♯ソ♯シ

 

これ……羅列してて、あまりにもスマッシュヒットソングばかりだったので、自分でもビビった(笑)

これらの曲と同じように、『Summerholic!』も売れ筋の音階でできていると分かる。

 

 

‪半音のメロ進行

イントロのギターの、半音ずつ下がっていくメロディーが印象的。

ロックというよりはロカビリーのような。50年代的な懐かしさを覚える。

 

サマーヌード真心ブラザーズ


‪イントロでピアノが半音ずつ移動している。

いや……サマーヌード良すぎんか。ずっと聴いてしまう。

 

半音の移動がどこから派生してるのか考えたとき、資料が見つからなかったので考えたら、ハワイアン・ミュージックから?と思い当たった。

 

1曲目から半音移動が多用されている。

 

※追記

サーフロックっていうんですね!!音楽のジャンルを知らなすぎる。またいっこ勉強になりました。

 

 

全体的にピッチ低め?

これは完全にわたしの耳に頼った情報なんですけど、ヴォーカルもバンドも、全体的に音が低めに設定されている? と感じた。

と言っても、2~3ヘルツの世界だと思うけど。

全体的に低くとることで、音程がつかめない=正常じゃない、酩酊している状態っぽさを出しているのかな、と思った。

 

 

◆歌詞について

ひと捻りしかしてないシンプルな曲。素直にひと捻りしてる。

面白い感じの曲になってる。

ミューコミプラス 2020/7/2 放送)

 

>本楽曲は「ぴーかんの夏晴れ」という歌い出しから夏にぴったりの楽曲でありながら、よくよく聴くとそんな日に海に行くのではなく絶対外に出ないと決め家で自分流の贅沢に興じるという一癖あるおうちサマーチューン

 

斉藤壮馬、『in bloom』シリーズ第2弾デジタルシングル「Summerholic!」ジャケットを解禁!第3弾「パレット」の発売も決定!|リスアニ!|M-ON! Press

 

このエムオンの紹介のしかた面白いよね。「よくよく聴くと……」っていう(笑)

音的には海やドライブに行ってそうなアウトドア感が溢れているのに、よく歌詞を聴くと超インドアしてる。

 

>僕はもともと、『Summerholic!』の主人公のように、「今日はすごくいい天気だな」と思いながら、部屋のなかで映画を観たり飲みながら本を読んだりするのが好きなんです。それが自分なりの贅沢な夏の過ごし方のひとつ(笑)。

でもそれって一般的な考え方からすると、ちょっとズレてるんだろうなと。普通は「晴れてるのになんで外に行かないの?」って思いますよね。本人としては前向きに贅沢に夏を満喫しているんですけど。

だからある意味、素直にひねくれた曲なんです。そんなところがおもしろいんじゃないかなと思って書きました。

 

斉藤壮馬インタビュー 第2章からは「自分を解き放つ」ことにした理由 & 『Summerholic!』・9月新曲『パレット』の楽しみ方 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

 

ポップチューンでありながら、いつもの捻くれた壮馬節もちゃんと入れてくれる。大好きです。

 

また、真意はわからないが、ステイホームの現状と重ねている歌詞なのかな? とも思った。

ぴーかんの夏晴れでもどこにも行けないけど、おうち時間を楽しめばいいじゃん!っていう、ある種の応援歌のような。

 

 

太陽のせいにすんだ

夏の精にグッバイ

クーラーガンガンのパラダイス

太陽のせいにすんだ

夏の精にグッバイ

クーラーガンガンのパラダイス

Summerholic! 

壮馬さんの曲で歌詞がリフレインするのは珍しい。

そんだけ、なんも考えずに聴けってことでしょう。刺激が欲しけりゃバカになれ。

 

 

それじゃ乾杯 気分上々だ

この人、家でひとりのはずなのに誰と乾杯してるのか?問題。

 

>歌いだし部分で「幽霊だってはしゃいじゃいそうだよね」って歌っていて、後半で誰かと「乾杯」しているということは……?

 

斉藤壮馬インタビュー 第2章からは「自分を解き放つ」ことにした理由 & 『Summerholic!』・9月新曲『パレット』の楽しみ方 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

 

……だそうです。スピリチュアル声優。(笑)

 

相変わらずお酒が好きですね!MVでもビールを美味しそうに飲んでいて。

絵面的には完全に「ク~リ~ア~ア○ヒが~家で冷えてる……」だよね。

過去には『デート』でも「乾杯」していた。

 

「気分上々」というと絶対あの曲が浮かぶ……世代なので……。

 

部屋で流してたら面白い。

mihimaruGT聴いててもおかしくないくらいノリノリだけどね、MV。

 

 

明日の準備と摂生ルールと睡眠不足と

何とかかんとか言っちゃうけれど

それはまあ一旦カッコのなかにポイしてさ

壮馬さんいわく、『Summerholic!』には『おジャ魔女どれみ』のオマージュが入れ込まれている(「別冊カドカワScene 03」より)。

 

おジャ魔女どれみ』初代OP曲である『おジャ魔女カーニバル』の歌詞が意外と泣けると、すこし前にTwitterでバズっていた。

その中にはこんな詞が出てくる。

やな宿題はぜーんぶゴミ箱にすてちゃえ

 

http://j-lyric.net/artist/a001e98/l037cd0.html

 

ここが「カッコのなかにポイしてさ」に繋がっている?

 

また、『おジャ魔女カーニバル』には「ジュースでカンパイ、おかわり100パイ」という歌詞も出てくる。これも『Summerholic!』における「乾杯」とリンクしているかもしれない。

 

 

 

 

2020年の夏は、いつもと違う夏だった。

いろんなものが犠牲になった。

紙切れになったチケット。

着られる場所を失った一張羅。

生まれることすら許されないまま、消えていった物語たち。

「何もしない」をなかば強要されたわたしたちを、しかし太陽は眩しく見下ろしていた。

 

だが、「何もしない」ということは、実は最上の贅沢だったりする。

クーラーガンガンの部屋で熱いラーメンをすすったり、冬にこたつでアイスを食べたり……。

そういう非効率なこと、無駄なことこそ、豊かである証拠なのかもしれない。物理的にも、気持ち的にも。

 

『Summerholic!』はちょっと風変わりなサマーソングだった。

でも、今年はたしかに変わった夏だったのだから、それもいいかもしれない。

  

 

 

 

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斉藤壮馬さん『ペトリコール』で創作してみた。

 

シーユー、ハイドランジア

 

 視界が灰色の雨で埋め尽くされる、そんな季節。

 外がまだほの暗く、万物の輪郭がぼんやりとして見える、そんな時間。

 よくよく眠れず、ぼくはただ窓の外を見ていた。

 整備された石畳の道路に、お屋敷みたいに大きな家が立ち並んでいる。それぞれのガレージには、誰もが憧れるような高級車が佇む。

 そう、ぼくの住む街は、うんざりするほどきれいだ。

 そんな持ち主ご自慢の家や車も、いまは雨に煙り、はっきりと見ることはできない。

 だからぼくは、この季節が嫌いではなかった。

 眠れないときは、潔く睡眠を諦めてしまうことも肝要だ。そういうとき、ぼくはこうしてこの街を見つめていた。

 今日もこの家には、ぼく一人である。

 身体が冷えたら台所に下りてコーヒーを淹れればいいし、お腹がすいたらホットケーキを焼けばいい。

 

 どれくらい外を見ていただろうか。しかし、まだ陽が昇りきらないような時間だった。

 数個の人影が視界の端に入ってきた。

 顔は見えないが、おそらくみな男だった。がたいが良く、ひどく暗い色のレインコートを着て、頭からフードを被っているらしい。

 大柄なはずだが、水煙に溶け込んでいるように見え、その姿は抽象的である。

 動きは滑らかで、かつ素早く、静寂を保ちながら、ぼく視界の真ん中へと迫ってくる。

 その集団は、我が家のガレージを取り囲むようにして停止した。

 他方、ぼくはそのとき、「明日の授業中に眠くなるだろうな。そしたら授業はスマホで録音しておいて、そのまま寝てしまおう」……などとのんきなことを考えていたものだ。

 しかし次の瞬間、ひとりの男がぼくの──いや、正確にはぼくの家の──フォルクスワーゲンのドアに手を──いや、正確には細長い道具を──当て、こじ開けるのが見えた。

 ぼうっと授業の心配なんてしていたぼくの、脳髄が一気に凍えるのがわかった。

 これは──いわゆる、車上荒らしというやつか?

 

 助けを求めようにも、この家にいま大人はいない。ぼくひとりだ。

 どうする?

 あれこれ逡巡している間にも、フォルクスワーゲンは着実に荒らされていく。ええい、ままよ……!

 ぼくはパジャマにローファーだけを履いて、身ひとつ、玄関からガレージに飛び出した。

 

 男たちが動きを止める。全部で三人だった。全員がこちらを見る。

 見る。

 ずっと見られている。それは数分間にも感じられた。

 やがて男のひとりが口を開く。

「おい、やべえって。さっさとズラからねえと」

 ぼくはその様子を何も言わず、いや、正確には何も言えず、ただ立っていた。

「そうですよシノさん、逃げましょう」

 別のひとりが言う。シノと呼ばれた男は、相変わらずこちらを見ている。その視線はぼくをからめとって離さなくて、ますます口をきけなくなる。

 ぼくとシノという男の間には、雨だれだけが響きわたっている。

「……通報するか?」

 長い沈黙の果てに、〈シノ〉が訊いた。

 その目を見据える。

 彼の黒目は、ひたすら闇が広がっているように感じられた。

 たとえるなら、目のない台風のように。磨くことを忘れられた日本刀のように。

 ぼくはその闇に抗えない。

「いえ──しません」

 そう“答えさせられた”ようなものだった。

「……おい、行くぞ」

〈シノ〉はほかの二人にそう言って、身を翻した。

 ちょっと、ちょっと待ってくれよ。ぼくにはまだ、何もわからない。何が起こった? お前たちは誰? ほとんど反射的に口を開く。

「あ、あなたたちは、何をしているんですか?」

 そう訊き返したことが、はじまりだった。

 

 結論から言うと、男たちは怪しかった。かなり、明らかに。真っ黒なグレーだ。

 ぼくらはガレージに突っ立ったまま話を続けた。

〈シノ〉は自分たちをこう名乗った。

「実験機関・ペトリコール」

「実験……機関?」ぼくは鸚鵡返しをする。

 いわく、「雨と精神の関係について、おれたち自身の身体で実験している」。

 ぼくは謂れもなく、興味が湧き上がるのを感じた。

 雨が精神に干渉する……。それはぼくのことではないか。

「おまえ、もっと知りたいって顔してるな。素直なのは嫌いじゃない」

〈シノ〉は言った。正解だった。

「おれは東雲。〈ペトリコール〉のリーダーはおれだ。興味があるならここに連絡しろ。ええと」

 名前を知りたいのだと、直感でわかった。

アカツキです。アカツキっていいます」

アカツキ。声をかけてやるから、連絡しろよ」

 東雲は、フォルクスワーゲンのグローブボックスに入っていたペンと付箋に、○八○から始まる番号を書いてよこした。

 

 空が白みはじめている。じきに朝がやってくるが、雨はやみそうにない。

 太陽はまだ、鳴りを潜めていた。

 

  *

 

 それは、薄い三日月の夜だった。

 しかしその微かな光さえも、ぶあつく、重い雲によって遮られていた。

 

 あの翌日、ぼくは東雲さんから渡された番号に連絡した。抑えきれない昂りが、ぼくの指を動かしていた。

 そして今日の夜、迎えに行くから家の前で待っていろ、との指示を受けた。

 時刻は午前三時半。ぼくは東雲さんたちのバンに乗り込んだ。

 メンバーはぼくを入れて四人。ぼくと東雲さんと、それからこの前東雲さんの脇にいたふたりだった。名を日比木、月美(つくみ)といった。

 そのまま十分ほど走っただろうか。電柱に歯医者の広告が貼り付けられている。その住所を見ると、ぼくの住む街から二駅ほど離れたようだ。

 まだ雨は降っていない。暑くも寒くもなくて、散歩をするにはちょうどいい曇り空だ

 だが、天気予報によると、明け方から雨が降り出すという。

 東雲さんは、助手席の窓をすこしだけ開ける。

「きた。ペトリコールだ」

 ペトリコール──それは、雨が降るときに立ち上る、特有の匂いのことだ。

 後部座席のぼくに振り向き、東雲さんが言う。

アカツキ、いいか。おれたちを動かすのはペトリコールだ。このカビたような、苔むしたような匂いを、覚えておけ。これを嗅ぐと、お前は暴れたくて仕方がなくなる。そういう掟だ」

 それが〈ペトリコール〉の掟。

 ぼくも窓を開けて、肺いっぱいに湿った空気を吸い込んだ。

 

「皆さーん着きますよー」ハンドルを握る日比木が言った。

 バンが停まったのは、パチンコ店の駐車場だった。このあたりでも最大級の店舗である。

 車内で、月美から他の三人にレインコートが支給された。それを着ると、ぼく以外はバンから降りる。ぼくもそれに従う。

「月美。時間をとれ」

「はいっ! 時刻・午前四時六分」

「実験・第四十二回。ただいまより開始する。よく見ておけ、アカツキ

 東雲さん以外の二人が背筋をピッと伸ばした。ぼくもそれに従う。

 

「一晩に狙うのは一台だけだ。目的はあくまでも実験。過剰な危険は冒さない」

 東雲さんを先頭に、日比木が脇を、月美が背後を見張り、車の陰に息を潜める。ぼくはそのさらに一歩後ろにかがむ。いつか見た映画みたいだ、と思った。トム・クルーズが出ている映画。

「まずは実験場をよく見渡し、全体を把握する。土地の形状や、目標物の位置や、得られる収穫にアタリをつける」

 ぼくらは駐車場のなかをゆっくりと前進する。停まっている車の陰を転々としつつ。時にはすり足、ときには素早く。その間、視野は広いまま維持しておく。

「全体の状況を確認したら、標的を定める。できるだけ暗い色の車がいい。やや傷がついていたりするほうが望ましいな。あまりメンテナンスされていなそうな。そういう車の持ち主は、大ざっぱで、車内にものを雑多に積んでいることが多い。収穫が多い可能性が高いんだ」

 東雲さんは中腰のまま見まわし、ターゲットを漁る。

「おれが標的を決めたら、お前らに指示をする。それから出撃だ」

 ぼくらは東雲さんについて、深い藍色のレクサスのもとへ向かった。

「焦っちゃいけない。人の気配を感じたら動きを止めろ。周囲は雨で煙っているから、気づかれはしない。動揺するな」

 ──と、言った数瞬、店から二つの人影が出てきた。一人はだぼついたズボン、もう一人はタイトなミニスカート。カップルのようだ。

 ぼくらは気づかれないよう腐心しながら、二手に分かれる。

 東雲さんとぼくは、右手に停まっていたミニバンの陰に入る。日比木、月美は反対側のSUVに隠れる。

 じわじわと車の周囲を動きながら、カップルから見えない位置をキープする。

 車の周りを半周ほど移動したところで、カップルは通り過ぎていった。

 ぼくは深く息をつく。そこで初めて、自分が息を止めていたことに気づいた。

「実験を続ける」やや小声で、東雲さんから指示が入り、ぼくらは再び動き出した。

「目標地点、到着」月美が報告する。

 レクサスのドアはよく見るとへこみがあったが、そのまま放置されていた。

「日比木、頼んだ」

「はいっ」

 日比木はレインコートの内側に手を入れ、胸ポケットから小型の工具箱のようなものを取りだす。中からドライバーを出し、レクサスのキーシリンダーに差し込んだ。

 なんという手際の良さ、速さ、器用さ。

 ぼくはただ、雨の滴るドライバーを見つめた。

 小さくガチャッと音がして、東雲さんと日比木が無言でうなずき合った。

 東雲さんがドアを開ける。

 座席には、食べかけのお菓子や、週刊少年誌の漫画のキャラクターフィギュアや、同じキャラクターのスポーツタオルなんかが、雑多に転がっていた。

アカツキ。欲しいもんがあればなんでも盗っていけ」東雲さんがばんっと一発、ぼくの背中を叩いた。

 ぼくは叩かれた勢いのまま、車内になだれ込む。

 そして、目ぼしいものがないか物色する。

 なんでも、と言われても。一通り探してみたが、金目のものはなさそうだ。

 ふとバックミラーを見ると、その横にぶら下がったかたつむりのストラップが、ぼくを見つめていた。それを解き、手に握る。

「おめでとう。お前の初報酬だ」

 続いて東雲さんも車内に忍び込み、物色しはじめる。ダッシュボードから腕時計を取り、なぜか吸い殻入れに貯まっていた小銭をポケットに突っ込む。そうして次々と、ぬかりなく探っていく。その間、東雲さんとぼく以外の二人が車外を見張っていた。

「五分経過しました」月美が告げる。

「いいだろう。退くぞ」

 東雲さんの一声で撤退を開始した。車と車の隙間を縫うように、ぼくらのバンまで移動する。

 バンに乗り込むと、レインコートを脱いだ。

 

「今日、少なかったッスねー! せっかくアカツキが初参加だってのに、地味なもんだ」

「そうか? こんなものだろう。日比木は期待しすぎなんだよ」

「いやいや、どうせならでっかく儲けてえじゃんか」

 運転席と後部座席で、ふたりが言い合いをする。しかし仲は悪くなさそうだ。それを遮って、東雲さんが総括をはじめた。

「実験・第四十二回、これにて終了とする。感想を述べよ」

「うーん、まあいつも通り? 収穫もそんななかったし。ふつうで」

「わたしもふつう程度でしたね。今夜は雨ももうすぐ止みそうですし、こんなところでしょう」

 言いながら、月美はスマホで文字を打っている。

アカツキ。最も大事なのは、実験が終わったちょうどそのとき、つまりこのタイミングだ。終わった瞬間、どれくらい高揚感を得られたか。降水量との関連はあるか。記録し、観察する。それがこの実験の目的だ」

 そう言う東雲さんの目は、よく研がれたジャックナイフのように光っていて、ぼくを惹きつけた。

 やがてバンが走りだす。

 ぼくは相当疲れていたはずだが、まったく眠くはならず、目を見開いたままでいた。

 直線となった雨粒が、三十度の入射角で窓に打ち付けていた。

 

  ◆

 

 一体、いくつの季節をまたいできただろうか。

 何も変わっていない。

 おれは何も変わっていない。

 前に進むことも、かといって後ろに戻ることもできず、ただ時間だけが過ぎていく。

 あのアスファルトの熱さのままに、おれの身体まで灼けて、消えてしまえばいい。

 気づくと、そんなことばかり考えていた、あの頃から。

 いくつ、またいできただろうか。

 ベッドに倒れ込むと、ぺしゃんこの掛布団が頬に当たってわずらわしい。

 こうなると、もう大抵動く気になれず、そのまま眠りこけてしまう。

 もうすぐ、夏がくる。

 すると、否応なく、あの頃を思い出してしまう。

 今でも、いつまでも、そこにあるかのように感じられる。

 小さくて、水風船みたいに柔らかかった、あの手の感触を。

 おれは自分の右手で、すこし隙間を空けるように、左手を握った。

 ────目の前の景色が揺れ、透明な煙が立ち上っている。

 アブラゼミの音痴な合唱が聴こえる。

 強い日が照りつけているが、つい先ほどまでは雨が降っていた。そのためか、湿った空気が不快感を増長させる。

 ちらちらと視界の左端に入る、黄色いワンピースの裾。やや大きめのドット柄。

 彼女は、前髪から、顎から、鎖骨から、汗をだらだらと滴らせている。

 左手には同じように汗をかく、アイスキャンディーがあった。食べたいと繰り返していたりんご味だ。彼女はそれをゆったりとなめる。

「早くアイス食べろよ。溶けるだろ」

 見かねたおれは、そう言って彼女を急かす。

「……ぅむう。だって」

 すでにアイスの下半分はかなり柔らかくなっていると見え、棒からぼたたっ、と汁が垂れてしまっている。

「……もう、いらない。おにいちゃんにあげる」

 彼女はおれを見上げ、食べかけのアイスキャンディーを手渡した。

「仕方ねえなあ」

 棒の部分がべたべたしていて不快だったが、そうも言っていられず、食べ進める。

 そんなやりとりを交わし、信号が赤色から青色に変わるのを、ふたり並んで待つ。

 待つ。

 半分以上あったアイスキャンディーもそろそろ食べ終わりそうだというのに、信号は一向に変わる気配がない。

「赤、ながいね」

 彼女がつぶやく。あからさまに暇だ、という顔をしていた。

 何か彼女の気を紛らせられるものがないか、おれは探しはじめた。

 見回すと、見つけた。彼女が絶対に好きなもの。

 カラフルに光る、巨大なアーチ。

 虚しくなるほど遠い、遠いところに見える、欠けた円。

 やけにくっきりとした色あいだった。そう、まるで夢みたいに。作り物みたいに。

「みろよ、あっち! おっきい虹だよ」

 ほら、おにいちゃんがよく、お話して聞かせてやっただろう?

 王子さまとお姫さまが、手をつないで一緒に渡る、光る橋。あれが虹──本物の虹だよ。

 思惑通り、彼女の瞳がみるみる丸くなる。

「に、じ? あのきれいなものが、にじなの?」

「そうだよ。はあちゃんもいつか、王子さまと一緒に渡れるかな」

 手の甲に、ひやっとする感覚が降った。

 アイスキャンディーがあと一口ぶんだけ残っていたことを、忘れていた。忘れて、夢中で、道路の向こうを見つめていた。欠片が溶けて、落ちた。

 アイスキャンディーは、棒だけになった。

「いってみよ! おにいちゃん! にじをわたりに!」

 彼女は道路の向こう側へと走り出した。

 そこで思い出す。彼女が、大きな声で言ったわがまま──いつかじゃいやだもん──にじ、わたってみたいもん──。

 手。手を。左手を伸ばす。伸ばすが、まだ短かったおれの指は、彼女の身体のどこもつかむことができない。指の隙間から、赤色のランプが透けて見える。

 遠くに行ってしまう──。

 やめて。行かないで。戻ってきて。おれの、左側に。

 まばたきをすると、ぬいぐるみみたいな彼女の身体が舞うのが見えた。弧を描いて、虹をなぞるみたいに。

 それから、墜ちた。

 右手に持っていたアイスキャンディーの棒がすり抜けていく。

 手に落ちたアイスの欠片はもうすっかり溶けてしまい、ただ不快感だけを残した。

 駆け寄って手を握った。生暖かかった。手は少しずつ、鉛のように重くなっていき、やがて放してしまった。

「はづ……はづき……葉月…………」

 アブラゼミの音痴な合唱だけが、いつまでも、鼓膜にこびりついていた。

 ────左手を握っていた右手に力がこもって、その振動で目を開いた。

 あの日、雨が降らなければ。

 雨が止まなければ。

 虹が出なければ。

 おれなんかそばにいなければ。

 あの日まで時間が戻れば。

 あの熱さのまま、おれの身体まで灼けて、消えてしまえれば。

 そんな仮定を、飽きもせずに重ねていく、おれは。

 いつまでも、陽炎のなかにとらわれたまま。

 

  *

 

 それは、巨人が地上に水やりでもしているのかと思うほど、ひどいどしゃ降りの夜だった。

 すぐ隣にいる東雲さんの声が聞き取れないほどである。

 しかし、水煙のおかけで姿が見えにくいというメリットもある。実験を行うにはこのくらいのほうが都合がいい。

 ぼくらは今夜、映画館にいた。映画マニアの間では人気の、フランスの監督の特集で、オールナイト上映が組まれている。駐車場は八割がた埋まっていた。盛況である。

 ペトリコールはしなかった。

「実験・第四十五回! ただいまより開始する!! 仲間とはぐれないように気をつけろよ」

「はい」

「うぃっす」

「了解しました」

 東雲さんの合図とともに、ぼく・日比木・月美は立ち位置につく。

 ぼくらの役割はほとんど定着していた。

 東雲さんがターゲットを決め、ぼくとともに先陣をきって突入。日比木が周囲を動き回って見張り、月美がタイムキープしつつ、実験場全体の状況を報告する。

 今回、ターゲットが決まるまではすこし手間取った。東雲さんは狙う車を迷っていた。

 いつもならそんなことはない。適した車を一目で見つけ、そこまでの的確なルートを見抜く。

 目標に向かうまでの道のりでも、東雲さんはどこかいつもと違っていた。

 停まっている車にぶつかったり、走りながらふらついたり……。まるで思い通りにいかない足取りには、普段の俊敏さが欠片もない。もっともそれは、東雲さんのすぐ後ろについていたぼくにしか見えないほど、些細なものだったけれど。

 東雲さんは、一回り小さいような、この雨に今にも押しつぶされそうな、そんな風に見えた。

 

 収穫は、ぼくが参加した実験のうち一番多かった。

 今回のターゲットとなったアクアは手ごろな車種のため、多くの収穫を期待している者はいなかったと言っていい。

 しかし、それはすぐに裏切られることとなる。

 アクアの持ち主はそれなりの金持ちだったようだった。というか車内の散らかり具合から見ると、浪費家、と言ったほうが正しいかもしれない。とにかく座席やダッシュボードには、CDや雑誌、コインケース、アクセサリーなんかが雑然と置かれ、よりどりみどりといった体だった。そのおかげで、ぼくらはいくぶん楽に狩りを済ませることができたわけだ。

 おのおの欲しいものを回収すると、再び滝のような雨に打たれながら、バンへと戻っていった。

 

「実験・第四十五回、これにて終了とする。感想を述べよ。日比木から」

「めっちゃ良かったッスね今日。雨が当たって痛えッスよ。それが気持ちいいッス、最っ高に! やっぱこのくらい降ってるほうが盗りがいありますわ」

「そうですね、今日はとても狂気が高まっていた気がします。日比木と同感です。心外ですが」

「はァッ? 一言余計なんだよ、お前は」

「あれ、聞こえていましたか。てっきりこの雨音とご自分のうるさい声で、聞こえていないかと」

「あァン?」

 日比木をあしらいつつ、月美は実験結果をスマホにメモしていく。

 ふと東雲さんを見る。

 その顔には、目蓋がくっきりと影を落としていた。

「東雲さん?」

「ん? ああ、おれは……そうだな。いつも通りだったよ。いつも通り、うまくいっただろ。次回もよろしくな」

「そうッスよね。シノさん、今日も絶好調だったッス! さすがリーダーッスよ」

「シノさんは安定、と」

 ふたりはこう言ったが、ぼくは、東雲さんの顔に張りついたままの影が、ずっと気になっていた。

 日比木、月美の家を周り、最後は東雲さんの運転で、ぼくの家に辿り着く。

「じゃあな、アカツキ。また連絡す……」

「東雲さん」

 バンを降りる前、ぼくは呼び止めた。どうも東雲さんの様子がおかしい。東雲さんは目を丸くして顔を上げる。

「大丈夫ですか? なんだか今日、いつもの覇気が……ナイフみたいな鋭さがないような、そんな気がします」

 流れる沈黙。雨がとめどなくフロントガラスを叩く、鈍い音が車内に満ちる。

「お前、おれの……にならないか?」

「えっ?」

「おれの……だから……お、と…………」

 言葉が途切れた。と思うと、にわかにクラクションが鳴り響いた。音が止まない。

 東雲さんが、ハンドルの上に突っ伏していた。

「しの……東雲さん!?」

 東雲さんの肩や背中や頭を叩き続けた。まるで、駄々をこねる子どもみたいに。

 そのとき、東雲さんがはるか遠くに行ってしまうような、そんな気がした。

 

  ◆

 

 ────熱い。全身も、おれの周りの空気も、うだるように熱い。

 おれはなぜだか、仰向けに寝転んだまま動けずにいる。

「……いちゃん、おにいちゃん」

 かすかに知っている面影が、おれの顔を見下ろしていた。おまえは……。

「おにいちゃん! おきて。わたし、アイスがたべたいの。りんごの、りんごのアイス。買って、買って」

 ああ、おまえは……。

 葉月。すごく、久しぶりに会う気がする……。

 なあ、葉月。元気だったか? いまどこにいるんだ? また会えるか?……聞きたいことや、言いたいことはとめどなく湧いてくる。

 だが、声が出なかった。

 その水風船のような頬に触れようとする。

 だが、手が動かなかった。

 ────眼球の奥にズシッとした痛みを覚えて、おれは徐々に目を開いた。

 見知らぬ天井が視界に拡がる。しかし、その匂いには覚えがあった。ああ、なんだ、とりあえず、喉がカラカラだ。

「東雲さん……?」

 アカツキが、眉をハの字に下げながらおれの顔を見下ろしていた。

 おれは初めて、葉月とアカツキが似ていると、ぼやっと考えた。

 アカツキはかすれた声で、続ける。

「起きました……? 東雲さん、すごい熱ですよ。すみません、ぼく気づけなくて……調子悪そうなの、わかったのに」

 そういえば。どこかでクラクションが聞こえて、遠ざかっていった気がする。なんだかものすごく眠たくて、目蓋の重さに抵抗できなくて……。そこからは、覚えていない。

「……みず……」

「あ、そ、そうですよね、すみません、今」

 アカツキが慌てて部屋から出ていく。かと思うと、アルプスの天然水のペットボトルを手に、すぐ戻ってきた。キャップを開けてくれた。手渡されるとおれは、夢中で水を吸った。傍から見れば、まるで哺乳瓶をしゃぶる赤ん坊みたいだろう。

「……おまえの部屋か?」

「そうですよ。とりあえず着替えましょう。ぼくの服、貸しますから……小さいかもしれないですけど。シャワーもお好きなときに、どうぞ」

「おう、ありがとう……」

 アカツキは、淡いブルーのTシャツと、黒いハーフパンツをベッドの端に置く。すると、

「東雲さん。余計なことかもしれないんですけど」

「ん……?」

「やめないんですか、実験」

 訊くアカツキの目は、あまりにも直線的だった。こいつ。

「ぼく、感じてたんです。実験のたびに、東雲さんが小さくなっていくような、追い詰められてるような。毎回……それが無視できなくなって……。きっと、ぼくが入ってからですよね? やめないんですか、実験。それともぼくがやめれば、東雲さんは楽になりますか? それなら」

「ちょっと、待て、ちょっと」

 また、眼球の奥にずしりとした感覚。それは間違いなく、図星からくるものだった。

 たまらず頭を押さえて、重い息をひとつつく。

「すみません、言いすぎましたね……。忘れてください。今日のところは、おやすみなさい」

 それだけ言うと、アカツキは部屋から出ていった。

 額に違和感を覚えた。触れると、熱さまし用のジェルシートが貼られていた。

 本当だよ。余計なお世話なんだ。

 だけど、おれは言いかけてしまった。

 あのとき、「弟にならないか」と、アカツキ、おまえに。

 あまりに利己的で、幼稚な懇願。

 だって、おまえを見ているとどうしても思い出すんだよ。あいつが笑ったときの前歯のない口元とか、アスファルトの照り返しとか、べたべたする右手の感覚とか、あのときの全てを、鮮明に。

 おまえに出会ったあの夜明けから今まで、所詮おれは甘えていたにすぎない。

 ならばおまえの言う通りだ。いつか、やめなければ。

 

 おれは服を着替えはじめた。額のジェルシートを剥がさないまま。

〈ペトリコール〉の実験は、雨によって狂気をかきたてるスイッチを、おれたち自身に仕込んでいく。いうなれば、おれが、おれ自身をパブロフの犬に仕立て上げる、そういう実験だ。

 そうすれば、ずっと雨の中でいられるから。

 あの陽炎を思い出さずにいられるから。

 だから、晴れはまだこなくていいから

 

  *

 

 それは、世界の汚れた表面だけをうまく洗い流してくれそうな、霧雨の日だった。

 弱いシャワーのような雨は、朝から絶え間なく降り続いている。うるさすぎない水音が耳に心地いい。

 あれから数日。

 東雲さんはぼくのベッドで眠っていた……はずだった。しかし翌朝、部屋をのぞくと、ベッドはもぬけの殻と化していた。

 無事に帰れただろうか。また体調を崩してはいないだろうか。知りたいことは山ほどあった。メールした。返信はない。電話もした。出ない。どんなに長くコールしても、決して。

 家にも……行こうと思ったが、ぼくは東雲さんの家を知らなかったことに、そこで気づいた。

 ぼくは何もできない。

 ひとりで生きているくせに、ひとりでは何もできない。

 ペトリコールがする。

 東雲さんと最後に会った日──すなわちあのひとが熱を出した日──から、今日は初めての雨だ。

 こんな日は決まって、東雲さんからの招集がかかるはずだった。

 もっとも、今日はわからない。おおよそ連絡はないだろう、とぼくは踏んでいた。

「実験をやめないのか」と問うたのは、他でもないぼくである。

 こうなったのは、ぼくのせいだ。

「東雲さん。今日は雨ですよ。実験、するんでしょう」

 つぶやいても、その声があのひとに届くわけもない。

 ぼくの部屋のベッドの端に腰掛け、窓の外、半透明の空気を眺める。

 夜は明けかけていた。

 

 しばらくベッドから立ち上がれずにいると、突然、ドアチャイムが鳴った。

 ──誰だ?

 両親か? こんなときに、なんてタイミングの悪い。あの人たちが家にいては、実験のために抜け出すことは困難だ。いや、でももう〈ペトリコール〉に参加しないのだとしたら、関係ないのかも……。いい加減、ひとりでいるのにも飽きてきた頃だ。

 ぼくは一階に下り、ドアの覗き穴を見る。

 と、そこにあったのは両親の顔ではなかった。

 立っていたのは、いま一番望んでいて、しかし手に入らないと思っていた人だった。

「東雲さん……」

 ビニール傘の向こう側に見えた顔は、水滴によってすこし歪んでいた。

「よ。あの日は、何も言わずに帰ってゴメンな」

 相変わらずフォルクスワーゲンが佇むガレージに入り、傘を畳みながら言う。

「返信……してくださいよ」

「あーだからゴメンて。それより、今日の実験は特別版だ。ある場所に行こうと思う。おれとおまえだけでな」

 やけに明るい。憑き物が落ちたとでもいうような。ゆで卵の殻がつるんと向けたときみたいな。

「東雲さん。ぼくはやめますよ」

 ずっと考えていたことを、もう一度、ぼくは切り出した。

「だから……。なんでまた」

 東雲さんは問う。

「言ったでしょう。ぼくがいると、東雲さんに悪い影響を与えてしまう。なんと言えばいいのか、とにかく、確実に悪いもの」

「そんなこと」

「いいです、フォローなんて。ぼくはこれきり、あなたに会いません。日比木にも、月美にも」

「ちょっと待てって」

 東雲さんの声を遮り、勝手に続ける。

「そのほうがいいんです。ぼくがいなくなって困る人なんか、いないから」

「いるんだよ!」

 いかずちのような声がしたのは、まさに青天の霹靂だった。

 東雲さんは、ガレージからぼくの立つ玄関まで歩み寄る。

「いるだろ、ここに。おまえがいなくなって困る奴。おまえに出会ってよかったと思う奴が」

 両の二の腕をがしりと掴まれる。

「いるだろ、ほかにひとりもいなくても、ここにひとり! それじゃおまえには不十分かよ。それなら今から行こうか? 日比木に、月美に会いに。ふたりともおれと同じことを言う、きっと」

 東雲さんの掌に、徐々に力がこもっていく。そろそろ痛い。

「あとな、」

 それから力が抜けていって、二の腕が放された。

「あとな。人は簡単に死ぬぞ。お前も、おれも。簡単に死ぬんだ。ぬいぐるみみたいにな。それだけは、覚えておいてほしい……。おれはもう、あんな思い、したくない」

 東雲さんの唇が歪む。

 BGMはミストに近い雨の静音。

 長引く梅雨が、ぼくらの心に、重い影を落としていた。

 

  ◆

 

 これで実験は最後。

 そう言ってなかば無理矢理、アカツキを連れてきた。

 もとより、今日で終わりにするつもりだった。

 

 おれたちの眼前には、一日も忘れたことなどない、あの横断歩道の画が広がる。

「ここで、死んだんだ。おれの大事な奴が」

 おれはアカツキを残して、横断歩道の真ん中へと歩を進める。

「こーやって、動かなくなった」

 ちょうどあいつが吹っ飛ばされたあたりで、おれは仰向けになった。

 あいつが最後に見た空を、おれは見た。あのときみたいに青くない、灰色の雨と雲。

「しばらくは血が残ってた。道路の真ん中にな。だけど、いつの間にか消えてった」

 雨が、洗い流していった。あいつが生きていたしるしを、死んだ証を。

 そしてそいつは今も、おれの顔に、全身に降り注いでいる。

 この緻密な雨に打たれていれば、ここにあったしるしみたいに、おれの記憶まで、洗い流されてしまうだろうか。

「おまえはさ、あいつに似てるんだ。なぜだか……。顔がそっくりってわけでもないんだけどな」

 おれは目蓋を下ろす。完全な黒ではない黒が、瞳を支配する。

 アカツキが黙ったまま、おれをじっと見ているのを、おれは感じていた。

「あいつは、おれがいないと何もできなかった。たぶん、そういうところが似てる」

 呼吸を深くして、ペトリコールを吸い込む。

 まだ夜が明けきらない、あけぼのの時間。車の走行音すらも聞こえず、それどころか、人っ子ひとり歩いてやしない。

 おれとアカツキしかいない世界のなかで、おれは雨を浴び続けた。

 やがて、肌をつつかれる感覚が弱まっていった。

 雨が上がろうとしている。

 アカツキが道路の真ん中まで来て、おれの顔を見下ろした。その顔はやっぱり、葉月にすこし似ていた。

「虹、出るかな」

 寝転んだまま、おれはつぶやいた。

 

 おれは立ち上がった。そして来た道をUターンする。

「このまま帰るか。それとも朝メシでも食ってくか」

「ぼく、朝メシ食べたいです。だから、もうすこし寄り道していきましょうよ」

 雲は空の三割を占めているといったところだろうか。朗々たる青空が広がっていた。これなら、びしょ濡れの身体もすぐに乾きそうだ。

 遠くでアブラゼミの独唱も聞こえる。

 紫陽花は、花びらをすでに閉じかけていた。

 

  *

 

 これは、露出を上げすぎた写真みたいに、景色のあらゆる部分が緑色の残像を残す、強烈な日差しの日のこと。

 東雲さんと最後に会ったのは、今でもよく覚えている、ちょうど今日みたいな日だった。

 なぜかぼくにアイスキャンディーをおごってくれたことも。アイスを袋から出すとすぐに下のほうが溶け始めて、手がべたべたになったことも。それを食べるぼくを見る、東雲さんの眉がひどく下がっていたことも。その背後に咲いていた向日葵が、やけに胸を張っていたことも。

 あのひとの目のなかの、闇と光。特有の高揚感。それらはもう、あの匂いがする瞬間にしか思い出すことはできない。

 ここ最近はどうもぴーかん晴れの日が続いて、辟易しはじめていたところだ。

 だから、たまには雨を待ってもいいだろう。

 今日はひとつ、腕に長傘ぶら下げて、知らない路地裏でも探検してみようか。

 ふらふらりと、歩きながら

 

 

──シーユー、ハイドランジア

 

 

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 あっついっすね~。太陽から殺意を感じる。

 

今回は斉藤壮馬さんの最新曲『ペトリコール』で創作してみました!

 ちょっと概念的なお話になった気がする。ボーイミーツボーイですね(?)

今回も作中に歌詞をちりばめております。

 

支部にもアップしました!

 

 やっぱり創作は楽しいですね! 折にふれて続けていきたいと思っています。

では! 冷たい飲み物いっぱい飲もう!

 

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