消えていく星の流線を

消えていく星の流線を

デフォで重め

オタク、スマホ1つでうちわを作る。

 

ただの人は(この記事に)興味ありません。

この中に、アイドルオタク、ジャニーズヲタク、声優オタク、俳優オタク、その他諸々のオタクがいれば、この記事にアクセスしなさい。以上!

 

オタクの踏み絵のようなリードから始まりました。おわかりですね?

今回はオタクハック記事です。

 

オタク三大神器といえば?

そう!

チケット、ペンライト、そして うちわ ですね!(そうなの?)

 

わたくし、人生で初めてうちわ文字を自分で作りました(恥)

な、なんだこれ、恥ずかしい(恥)

 

ここから経緯を語るんですが、そんなん知らねーよさっさと作り方教えろや!って人は見出しまで飛ばそうね!

 

もじパラさんに頼りまくって十ウン年のオタク人生を歩んできたわたくし。

年末に自担の現場決まった。

今のうちわ、もう5年くらい使ってるな。しかも超適当に2重フチで作ったやつ。さすがにダサいと思い始めた。うちわ、作るか~。

3重フチくらいにしたい。するともじパラだとデザインも貼るのもめんどいな。あと今回使いたいテクスチャ(後で説明します)がもじパラだとできない。

minneかメルカリでうちわ屋さんに頼もう。うちわ屋さんにデザイン案を送る。

 

……うちわ屋さん、ガン無視を決め込むの巻。

忙しかったのかな???年末は現場たくさんあるもんねー!??

 

やべーーーーーこのままだとクソダサうちわで自担と年越しじゃ!!Thank you 2021じゃねえ!Hello 2022も迎えられねえよ!こんなクソダサうちわじゃ!!

 

つまり自分で作るしかねえ。

作った。

作れた。

今やっと真のオタクとして生まれた気がする。真のオタクとはうちわを作れるオタク!

 

はい、ここから作り方の説明です。

 

 

スマホでうちわをデザインしよう

 

こちらのブログを参考にしつつ、

わたしなりに試行錯誤しながら作ってますので温かい目で見ていただければ幸いです。

 

 

1. デザインを決める

まずはうちわの大体のデザインを決めます。

使ったアプリは「ファンもじ」です。

ファンもじ

ファンもじ

  • Yuki Takeda
  • グラフィック/デザイン
  • 無料

 

 

今回はこんな感じのファンサうちわを例に進めていきます。

実際にファンもじでデザインしたものです。

ハートマークは、ファンもじの文字入れ機能でiPhoneの絵文字を入れただけ。

ちなみにこれはうちわ屋さんにオーダーしたデザイン。ガン無視されたけど!

(でもそのおかげでうちわ作るの楽しかったからゆるす)

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2. お絵描きアプリでキャンバスを設定する

続いては実際に印刷するためのデータを作っていきます。

使うアプリはibisPaint Xです。お絵描きアプリとして有名。

アイビスペイントX

アイビスペイントX

  • ibis inc.
  • グラフィック/デザイン
  • 無料

 

「マイギャラリー」→「+」で新しい作品を追加。

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キャンバス設定が出るのでサイズを設定します。

うちわの最大サイズは「297mm×297mm」と言われているので、大体「300mm×300mm」で設定しました。

dpiはたしかデフォルトが「300dpi」だったのでそのままにしています。特に支障はなかったのでこれで大丈夫だと思う。

300mm×300mmの正方形のキャンバスができました。

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まずレイヤーをいくつか増やしておきます。

やらなくてもいいけど、どうせレイヤーは追加していくので先にやっといたほうが楽。

レイヤーアイコンの「+」をタップするとどんどんレイヤーが増やせる。

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3. 文字を入れる

次にうちわの文字を入れます。

 

アイビスにも文字入れ機能があるので、それを使ってもいいんですが(名前うちわはアイビスのフォントを使いました)

ファンもじでデザインしたのと似たフォントがアイビスになかったので、アイビスでは文字入れしません。

ちなみにファンもじにあったのは「ハート」部分が「みんとキッス」、「つくろ?」部分が「コーポレート・ロゴ(ラウンド)」というフォントでした。

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ファンもじを開き、文字だけ打ったものをカメラロールに保存。

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アイビスにこの文字を反映させていきます。

レイヤーはどれでもいいんですが、フチを付けていく関係で、真ん中あたりのレイヤーにしとくと楽です。

アイビスのレイヤーアイコンを選び、カメラアイコンで「フォトライブラリから読み込み」。

ファンもじから保存した文字を取り込みます。

線画抽出はしなくて大丈夫です。

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文字に色を付けます。

今回は「ハート」の文字を黄色でデザインしました。

ツールアイコン「自動選択」で文字部分をタップ。

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ツールアイコン「塗りつぶし」。

色アイコンで黄色を選択。色相環かカラーコードでも指定できます。

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そのまま塗りつぶすと……なんということだ。

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元画像が荒かったせいで塗りつぶしが汚くなった。

でも大丈夫!そんなときは……

 

文字のレイヤーを消せば

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自動選択の部分だけが残る。

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そこを塗り潰せばきれいにできるよ!

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「選択解除」で自動選択を解除。

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4. 文字にフチを付ける

次に文字にフチを付けていくよ。

 

ベースとなる文字の1つ下のレイヤーを選択。

ツールアイコン「フィルター」→「ふちどり(外側)」を選択。

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黄色の外側は黒フチでデザインしたので、色は黒を設定。

太さをいい感じに調節します。

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同じ要領で1つ下のレイヤーを選択し、さらにフチを付けていきます。

今回は白フチ→ピンクフチです。

 

白フチを付ける時は白いキャンバスだと見えないので、レイヤーの背景を暗めに設定します。

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3重フチの文字ができました。

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この文字をサイズ調整します。

同じ文字のレイヤーを全て統合します。

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ツールアイコン「移動変形」でレイヤーのサイズを自由に変えて、いい感じのサイズにします。

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同じ要領で、「つくろ?」もデザインに沿って作ります。

レイヤーは「ハート」の上でも下でもどっちでも大丈夫です。

 

2重フチの「つくろ?」ができました。

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5. イラストを入れる

次に手のイラストを入れます。

元は黒い手のフリーイラストだったんですが、これを「フォトライブラリから読み込み」でレイヤーに取り込み。

白い手にしたいので、レイヤーの「白黒反転」機能を使います。

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「移動変形」でサイズと角度を調整。いい感じに配置しました。

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最後に飾りのハートを入れます。

これは全てアイビスにある素材で完結できます。

 

一番上のレイヤーを選択し、右上の写真アイコンをタップ。

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幾何学パターン(モノクロ)」にハートとか星とかかわいい素材かいっぱいあります。

今回はハートを選択。

サイズ調整してレイヤーに取り込みます。

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「自動選択」でハート柄を1つだけ選択したら、ハートの素材を取り込んだレイヤーは削除してOKです。

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次に、ハートをラメっぽい柄に塗ります。

写真アイコン→「素材パターン(カラー)」を選択。ラメテクスチャがいっぱいあります。今回は「ラメテクスチャー10」を使用。

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冒頭で言ってた「使いたかったテクスチャ」がこのラメテクスチャです!!

うちわにホログラムを使うのは反射でタレントが眩しいのでNGとされてますが、このラメっぽい柄なら反射しないので使用OKです。

 

素材を取り込んでOKすると、ハートの形にラメテクスチャが乗りました。

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自動選択を解除して、「移動変形」して、ハートの位置を調整。

「パース変形」を使えばハートを縦長や横長にできます。

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6. サイズを確認

最後に、うちわサイズに収まっているか確認します。

うちわの画像は検索すれば出てくるので、それを保存して、一番下のレイヤーに画像を取り込み、キャンバスギリギリのサイズに拡大します。

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だいぶはみ出してるので、文字やイラストのレイヤーをそれぞれ「移動変形」して最終調整します。

これでうちわデザインは完成!

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うちわ文字を印刷しよう

 

次に、アイビスで作ったデザインを印刷します。

 

 

7. キンコーズさんへGo

先ほどのブログを参考に、今回は「キンコーズ」を利用しました。

 

12/28とかいうド年末に来店してしまったのでお店は混んでるみたいでした(ちなみに現場は12/30。ギリギリでいつも生きすぎだからAh~)

 

まずセルフPCを借りようとしたら全部使用中とのことで、番号札を渡されて15分くらい待ちました。

待つところには1人ずつコンセントがあったのでマイノートPCで作業もできる。充電器持ってくれば良かった。

セルフPCというのはキンコーズで借りられるPCのことです。セルフと言いつつキンコーズのPCです。お店に備え付けのデスクトップを借ります。

 

まずはセルフPCに作っておいた画像データをダウンロードします。

アイビスに直接ログインしてダウンロードしようと思ったら、クラウド保存をするのを忘れていた……おまけにアイビス無料プランだと64KBしか保存できないらしく、うちわデータ3枚分くらいしかアップロードできなかった。

なので、iPhoneに直接保存する計画に変更。

iPhoneに落としてOneDriveに上げて、セルフPCからOneDriveにログインしてダウンロード。

 

Photoshopで解像度を上げる。どれくらいにしたらいいのか分かんなかったから、とりあえず800dpiにした。ちなみにアイビスの元データは300dpi。

(よく分かんなかったけどこの作業はいらないかも……)

 

解像度を上げた画像データをPDF変換します。

画像ファイルを右クリック→「Adobe PDFに変換」をクリック。

最近キンコーズのルールが変わったようで、普通紙以外に印刷する場合はPDFデータしかダメみたいです。

 

前傾のブログでおすすめされるまま「OKマットポスト」に印刷。

用紙変更用のカードに記入して店員さんに渡し、PCの前で待ちます。

 

そして仕上がったものが出てきた。

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う~ん……?

やっぱり蛍光は発色しませんでした。

印刷するとかなり彩度が落ちた印象。データの時点でゴリゴリに彩度上げないとダメかも?

 

あと、ラミネートしようと思ってフイルムまで持ってきてたんだけど、OKマットポストの紙見本を触ったらかなりしっかりしてて反射もなさそうだったので、とりあえずラミネートしないことにしました。

ちなみにラミネートは片面マットのものを使おうと思ってました。どこまでも反射を嫌がるオタクなので(?)

 

彩度に関しては対策を考えます。

コンビニでカラープリントしてラミネートした方が意外ときれいかもしれない。今度試してみます。

使わなかったラミネートフィルムも有効活用できるしな!!ハハハハ!!(やけくそ)

 

とりあえず今回は年末の現場まで時間がなかったので、もともと蛍光色で作ってた部分を蛍光マーカーで塗りつぶすという超アナログな応急処置に出ました。

だから!うちわを作るときは余裕をもってって!!おかーさん何度も言うとったやろ!?!!?

 

 

最後にお会計します。

値段に驚愕しましたよね。だって見てくださいよ?

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2451円……!?

ジャニヲタ(というか元KinKi担)にとって2451といえばツヨコーイチ

しかも何の因果か、この日は堂本兄弟2021放送の翌日で、「地上波で恋涙が!?銀色 暗号が!?」(堂本兄弟2021にて歌唱された。どちらも剛・光一の合作曲。テレビでは滅多に歌われない)とさんざん興奮していたというのに。

そう2451円のお会計を見たわたしは絶句したのだった……ってそんなことはどうでもいい

 

安い!!

 

今回8枚作ったので、1枚あたり約300円という計算(PC使用料が時間加算なので単純には割れないけど)。

 

 

8. 切ってうちわに貼る

印刷された紙の文字とイラストの部分を切ります。

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切ったうちわ文字をうちわに貼りました。

ちなみにわたしはいつもハンズのうちわを使ってる。100均のうちわは骨がペラッペラですぐ折れるからおすすめしません。

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ヤマトの液体のりで貼ったら、OKマットポストの紙がしっかりしすぎててちょっと浮いてしまった。

でも普通に使う分には気にならないレベルです。

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ただこれ蛍光色が出てないので、目立つかというとかなり微妙ですね。

やっぱり蛍光部分はカッティングシート貼るしかなさそう。

白い部分には夜光シートがいいかなと考えております。

このへんはどんどん工夫できて楽しいところですね!まだまだ改良の余地があるので、次は

コンビニプリント+カッティングシート+夜光シート+ラミネート

で試してみようと思います。

 

 

ありがとうもじパラ。

この前もじパラ見てみたらカラーボードが販売休止で嘘だろってなりました。カラーボード再開したら買いたい。

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Twitter@SSSS_myu

質問・感想など:こちら にいただけるとうれしいです。

 

 

 

斉藤壮馬さん『carpool』で創作してみた。

 

スノードームの内側

 

  inside D

 

 運転席はいつだって、ぼくだけの専用席だった。

 だからぼくは細心の注意を払い、でき得る限りの集中力を発揮しながら、慎重にアクセルを踏み、おもむろにハンドルを切らなければならなかった。

 なぜなら、隣の席にはいつだって、きみがいたからだった。

 そこは一般的に助手席と呼ばれる場所だろうが、ぼくが憶えている限り、運転中にきみがぼくの手を助けてくれることはなかった。

 思うにきみは、青いビートルのフロントガラスに向かって運転席の右側の席を、映画館の中間列あたりに位置するラグジュアリー・シートとでも勘違いしていたのだろう。一般料金にプラスされるべき何千円かを支払うこともなく、きみはその座席に居座り続けた。

 だがぼくはまさか、何千円を毎回ツケておいて、いつかまた飲んだ時にきみにおごらせてやろうなんて思っていなかったし、むしろ、きみの赤外線的とでもいえる温かさを心臓側に感じられることが、心地よくもあった。

 ぼくは、ビートルをどこへでも走らせた。あらかじめ行き先を決めていることもあったし、先に二人ぶんの体だけを車に押し込んでから、適当に目的地を決めることもあった。

 決め方といったら、幼稚園児のおあそびみたいなものだ。二人で「あっちむいてホイ」をして、どちらかが上を向いて負けたら北、下を向いて負けたら南、右なら東、左なら西を目指す……とか。

 どこへでも、というより、どこまででも、といったほうが近かったかもしれない。

 方角だけを決めて行けるところまで行く、という遊びをぼくらはよくした。つまり道路がなくなるところまでということで、大抵、見えないゴールテープの役割を果たしたのは海だった。

 大抵、と言ったのは、海まで辿り着けない場合もしばしばあったからだ。大抵のうちの大抵の場合、それはガス欠のためだった。

 

 まったくきみときたら、一体何歳になったんだ? と問いたくなるようなはしゃぎぶりだった。ぼくは長時間のドライビングで疲れ果てているし、ルーフは開けておくから、きみ一人で勝手に波と戯れていてくれと言いたくもなったが、きみはそうもさせてくれず、ぼくの腕を引っ張るのだった。

 だから、あくまでも仕方なく、ぼくはきみに付き合った。

 ある時は引っ張られるまま海に突っ込んで、ジーンズを信じられないくらい重くして帰った。

 ある時は「海の家の代わり」などと言って、徒歩10分のコンビニでペヤングソース焼きそばを買ってきて、テトラポッドに並んで座って食べた。復路10分を経た焼きそばは、自身の熱でぶくぶくに伸びきっていた。そんなことはお構いなしに、「でも、このほうが腹に溜まりそうじゃん」ときみは言った。

 

 その頃はるか都の西北では、顔とLINEのアカウントくらいしか知らないぼくらのクラスメイトたちが、ホールのような馬鹿でかい教室で長机にプリントとスマホを広げ、ホワイトボードと向かい合うか、こくりこくりと舟を漕いでいるに違いなかった。

 ぼくらは時に、学生という自分たちの身分すらも本気で忘れて、ぼくらだけの遊びに興じていた。

 当然のことながら、単位は自らすすんでするすると落ちていった。まるでテフロン加工を施したフライパンにバターを敷いた時のように。必修、選択、一限、七限。それらがどんな意味を持つのかぼくらは知っていたけれど、自分たちが単位よりもこのランデヴーの誘惑に勝てないということも、一年の留年を経てよく知っていた。

 ビートルの外側から見たら、ぼくらは間違いなく、ただの悪い学生でしかなかった。

 

 きみとは、なんだか沢山のことをした気がする。そうだな、茶碗一杯ぶんの米粒の数くらい。だけど、なぜか、思い出せるものは片手で数えるほどしかなかった。

 こうして言葉にして、おぼろげな記憶を形のある記録に変換することは簡単だ。けれど、きみに関するぼくの記憶を、全てソリッドな形式でのこしておくことは、限りなく不可能に近いのだと思う。例えば、トランスヒューマニズムが究極的に実用化されて、ぼくの海馬に収まっている全情報が、正確なニュアンスでもって何らかの外部デバイスに記録され得るのであれば、話は別だけど。

 では、ここで一つの疑問が生まれる。

 なぜ、ぼくはこれを書いているのか。

 きみとの記憶を全て書き記しておくことは、ぼくにはできない。きっと脳内のどこかの抽斗にはしまってあるであろうきみとの記憶の全てを、ぼくはしかし、引き出すことができない。

 

 

  another D

 

【Aの失踪に関する追跡的検証】

検証対象:友人Aと車体B

対象日時:20XX年5月23日 午前5時前後

検証目的:対象の突如とした失踪に関して、その事実と行方の解明

 

以下、対象日時における詳細。

対象日時において、筆者と友人Aは車体Bを利用し千葉県沖九十九里浜へ到着。それ以上の場所の仔細に関しては不明。

Aは車体を浜辺の中ほどに停車。波打ち際からの距離は約12メートル。

筆者はAとともに下車後、食料品調達のためAと車体のもとを離れる。その後、徒歩2分に位置する酒屋にて食料品と飲料を購入。内容は、アサヒスーパードライ1缶、瓶の三ツ矢サイダー2本、ミックスナッツ1袋。購入に要した時間は3分。

再度、徒歩で2分の距離を戻ったところ、Aと車体Bの姿を捕捉できず。

停車位置より、波打ち際からの距離10メートル地点までタイヤ痕を確認。

以上の事由により、友人Aと車体Bの失踪にかかる事実と詳細を把握したい。

 

──

 

 ここまでレポートを書き留め、ぼくはキーボードから手を離した。

 彼の失踪については、不明点が多すぎる。それらをすべて体系化し、言語化してレポートにまとめるほどまで、ぼくの脳内は整理されていなかった。

 だから一旦、頭を切り替えておきたかった。

 本当はビールでもあおりたいところだが、今アルコホールを胃に流しこもうものなら、ぼくは間違いなくフローリングに倒れ込む自信がある。

 レム睡眠へ向かいたがる脳をしゃきっとさせてくれる存在──ビールの感覚に近くて、しかしアルコホールを含まない飲料──を求めて冷蔵庫を開ける。

 今ここにその条件を満たすものは、ウィルキンソンしかなかった。いつもであれば、ウイスキーやリキュールを割るために利用される、脇役でしかない。それは500mlペットボトルの半分ほどの量が残っていた。仕方がないから、ぼくはウィルキンソンをグラスに注いだ。

 無色透明な液体をあおると、舌の上、上あごの内側、そして喉を、痛いくらいの刺激が駆けぬける。

 

 そういえば、あいつはよくサイダーを飲んでいた。

 正確には、旅先でともに酒を酌み交わしたかったのだが、帰りの運転も務めなければならないという脚本上、あいつの胃に酒を注ぎこむわけにはいかなかった。そこで炭酸を含む手軽な飲料、という理由で、サイダーに白羽の矢が立ったというわけだ。

 しかし、ぼくは薄々わかっていた。あいつはビールをあおるぼくを尻目に苦々しくサイダーを流しこんでいたわけではなく、自ら好んで口にしていたのだと。

 それは、あいつが瓶の口から唇を離したときに漏れる、うるさいほどの擬音から明らかだった。文字にすれば「ぷはっ」とでも表せるだろうか。

 あいつはよく、ぼくが子どもっぽいだの、青春バカだのと言ったが、そんなハジける青春の代名詞のようなものばかり飲んでいるくせに、どの口が言えたものだ、とぼくは思っていた。

 あれ、これって、いつのことだっけな……。

 たしか、やたらと雲が見当たらなくて、すこしだけ暑くて、でも、そよ風がなけなしの暑さすらすぐに冷ましてくれる。そんな梅雨の前だった。

 たしかあの朝も、あいつは起き抜けに角のないペットボトルを、勢いづいた音を立てながら開け、一気に体内へと流しこんでいた。

 細かい泡の粒が次から次へと上っていく液体を見て、ぼくはたしか、水族館の水槽みたいだな、と思った。

 あり得ないほど透き通ったブルー。人工的な酸素の泡。プリズム色に反射する夢の粒。自由と引き換えに、まやかしの安全を手に入れた海洋生物たち。彼らが水平線を目にすることは、たぶん死ぬまでない。

 ぼくらも同じだ。ぼくらがいたのは、狭い水槽のなかか、あるいは、サイダーみたいな空気で満たされている空間。

 そこは安全圏で、かつ適度な刺激もあり、心地よかった。

 だが、代償としてぼくらから呼吸を奪っていった。

 あいつだって、ほんとうは気づいていたはずだ。炭酸ガスの別名は二酸化炭素──そいつで満たされた空間にいて、ぼくらは息ができない。

 

 あの朝、泡を上げ続けるサイダー越しのあいつの眼は、なにを見ていたんだろう。

 それはあまりにも透き通っていて、純度の高いビイドロ玉のようだった。透明なサイダーとの境目がなくなってしまうのではないか、とぼくは思った。

 ぼくはそれを、きれいだな、と思うばかりで、あいつがもっともっと遠くを見ていたことなんか、知らなかった。

 たとえば、世界の終わり、とか。

 

 瓶のサイダーなんて、今ではすっかり出会うこともなくなった。ウィルキンソンは辛すぎるし、ぼくには炭酸が強すぎる。

 

 

  inside D

 

 ぼくが子どもだった頃──で始まる文章に名文はないとわかってはいるが、それでも話をさせてほしい──ぼくが子どもだった頃、大人は世界の全てを知っているんだ、と思っていた。

 実際、ぼくの母親はそういった意味合いの言葉を、事あるごとにぼくに告げた。

 例えば、勉強なんてどうしてやらなきゃいけないんだ、と駄々をこねた時。大人になれば、あなたにも意味が分かるようになるわ、と彼女は言った。

 例えば、最新のゲーム機を買ってほしいとねだった時。ママは大人だから、ママの言うことはいつでも正しいのよ、と彼女は言った。

 例えば、ぼくのパパはどこにいるの、と訊いた時。あなたは子どもだから、何も知らなくていいのよ、と彼女は言った。

 ぼくはそういった言葉たちを、丸呑みにして信じた。訳あり品に回されるべき不自然にへこんだ蜜柑も、選別せずに、全部を信じて皮ごと食べた。

 白いキャンバスに黒い絵の具を一滴ずつ垂らしていくが如く、母はぼくを染めていったのだ。

 いつかぼくも、全てを知っている大人になるんだ。そう、掴みどころのないままに思っていた。

 そうして、ぼくは二十歳になった。

 ぼくは法的に「大人」の権利を得た。

 

 あの頃から今日までの間に、ぼくが知ったことはいくつかある。

 一つ。母はぼくに嘘を吐いていたということ。

 一つ。ぼくは大人になんてなれていない。骨が伸び肉が付いただけの、子どもだということ。

 そして、ぼくはこの先永遠に、子どものままだということ。

 

 しかし前提として、ぼくは大人になりたいなどと思っていない、ということは明記しておかねばなるまい。大人と子どもの違いを定義するなら、大人は働くもの、子どもは遊ぶもの、だとぼくは思う。それなら遊んでいたいに決まっている。働く阿呆に遊ぶ阿呆、同じ阿呆なら遊ばにゃ損なのだ。

 だが聞いた話によると、世間一般的には、二十二歳になると強制的に大人として出荷されてしまうらしい。一度どろどろに溶かされ、鋳型に流しこまれて、冷やし固めた後、ぴかぴかに磨かれるらしい。

 しかし、そんなことはぼくにとって、遠い国の知らない名前の大統領が語る政治の話くらい、ぼんやりとして聞こえた。

 そうだな。数年先はいつだって、空想の話みたいだ。

 今というものは、0カンマ1秒前の過去と、0カンマ1秒後の未来がせめぎ合った末の生成物として生まれ、流れていく。それだけだ。

 ぼくらは数年先はおろか、数分あとのことだって、わかっちゃいないんだ。

 きみだってそうだろ?

 いや、いつだか、2秒後の未来を見ることができる映画の主人公がいたな。

 もし、ぼくにその能力があったとしたら。

 ぼくは、きみが歩み進むであろう数歩を先読みして、立ちはだかろう。

 あるいは、きみの行く先を先導しよう。

 そしてきみは驚くんだ。「なぜこいつは、自分と全く同じ行動をとるんだ?」とね。

 ぼくは数歩先回りしてからすぐさま後ろを振り向いて、その顔を写真に撮ってやろう。

 ぼくは言おう。「ぼくは未来を予知できるんだ」と。

 きみは言う。「嘘を吐け」と。

 嘘じゃないんだ、残念ながら。

 ぼくはきみの全てを知っているのだから。

 

 世界の全てを知る必要なんて、ぼくにはきっとなかった。

 ぼくは、ぼくに見えている視界だけを、世界と呼ぶ。

 

 

  another D

 

【Aの失踪に関する追跡的検証】

千葉県沖九十九里浜、某地点、波打ち際からの距離10メートル地点で確認したことを最後に、友人Aならびに車体Bが消息を絶つ。

2者の失踪後、車体Bの停車場所にて1冊のノートを発見。以下、発見物の特徴の詳細。

ツバメノート製大学ノート。表紙の色はグレー。背表紙は黒。海風の湿気のためか、紙束がややうねっている。以下、これをノートTとする。

以下、ノートTに記載の内容の詳細。

1ページ目は白紙。2ページ目より43ページ目まで、日記のようなものが書きこまれている。筆者が保有する友人Aの創作物と照合し、筆跡は友人Aのものと確認。

 

──

 

 あいつが遺したノートは、およそ誰に読ませようとしたんだか、あるいは読ませるつもりはなくとも誰のことを描いていたのか、一読してはっきりと分かった。

 あいつと無茶苦茶なドライブに耽っていたのも、あいつと伸びきったペヤングを食べたのも、あいつと連れ立って留年したのも。

 ぜんぶ、ぼくだ。

 ただただ楽しいまるで架空のような日々が、このノートの隅々まで詰め込まれていた。

 しかし、そいつがけっして架空などではないことを、証明できるのはこの地球上でもうぼくしかいない。

 そう、このノートはさながら、ぼくらだけの秘密の日記だった。

 だけどあいつは、肝心なものを忘れている。

 だってあいつは、自分がこうして記憶を記録に遺すだけで、ぼくには何も伝えさせてはくれなかった。

 とんだ一方通行の片側一車線だ。

 ふざけるなよ。

 あんなにぼくの話を聞いて、聞くばかりで、自分は何も言わなかったくせに。

 最後だけはぼくの話を聞かずに、自分勝手に言いたいこと言って。

 ふざけるなよ。

 どうして?

 どうしてぼくを置いていくんだよ。

 あのころのあいつには、はやすぎて追いつけやしない。

 あいつはいつだって、思考のロケットにたったひとりで乗っかって、ぼくなんか置いて、ぴゅっと音速で飛んで行ってしまう。

 だからぼくはその腕を引っ張った。

 必死で袖を引っ張った。

 それでも、あいつはぼくの手を振り切って、行ってしまった。

 あいつが抱えていた闇は、たとえば「オープンセサミ」と唱えなければ絶対に動かない、重く冷たい岩のようなものだった。

 そしてぼくは、たとえばせいぜいその岩に這い上るアリだ。

 あいつのガラスの瞳を前にして、ぼくはあまりにも無力だった。

 

 このノートを読んでいると、注射器で脳に直接注入されるがごとく、流れ込んでくる。

 あいつの思念が。情動が。世界が。

 もういいよと、思わず堰き止めたくなるほどに。

 ほんとうは、ノートを背表紙からまっぷたつに破ってしまいたい衝動に駆られるのを、なだめるのに必死だった。

 ぼくは怒っていた。そして気づいたのだ。

 きっと、ぼくはあいつに会いたくてたまらなかった。

 

 

  inside D

 

 例えば、恋人からもらったレコード。

 例えば、卒業祝いの万年筆。

 例えば、輝かしい経歴。

 例えば、美しさ。

 

 失くしたくないものって、誰にでもあると思う。

 当然ぼくにだって、失くしたくないものくらいあるさ。

 それは「世界」だ。

 ここにはいろんな意味がある。

 時間、距離、海風、灰色の光……

 だけど、とりわけ重要なのは、その世界の中に「きみがいる」ということなんだ。

 

 ぼくの頭上には、ぼくらがいる世界を俯瞰で見つめる、もう一人のぼくがいる。ちょうど、スノードームで遊ぶみたいに。

 もう一人のぼくは、非科学的な力で以って、しかしぼくに伝えてくるんだ。

 それは警報だった。

 ──お前がいる世界は永遠ではない

 ──そこは、もうすぐにでも壊れてしまう

 ──逃げろ、外へ飛び出すんだ

 ──さもなくば、肉体に拠らない死が待つのみ

 ぼくは外へ出てみようか、と思ってみなくもなかった。

 だけどなぜだ? この世界から一歩出た瞬間に、ぼくは息ができなくなる。

 そして気付くんだ。ここは無菌室だったのだと。

 だから、あらゆる病から守られ、免疫を付けずにのうのうと生きてきたぼくは、無菌室から出るが最後、あっという間に淘汰されてしまう、とね。

 きっときみは強いから、ぼくのようなこともないんだろう。

 いや、正確には、そうあってほしい。

 

 話を戻そう。

 ものを失くさないためには、どうすればいい?

 簡単だ。保存しておけばいい。

 そこでぼくは試みることにした。この世界を保存するんだ。

 それは、ぼくの記憶をプラスティネーションして、きれいなままの状態に留まらせるに過ぎない。

 もし、きみがこれを読んでいれば、ぼくがすることはプラスティネーション作業の一環だと思ってほしい。

 つまり、ぼくは、この自己中心的な事実を、きみだけに遺すことにした。

 

 一つ分かってほしいことがある。

 これからきみが知るであろうことは、ぼくが望んでしたことだ。

 だから悲しむ必要なんてない。

 重要なのは、手段ではなく目的なんだ。

 でも、できれば、水平線の先なんて知りたくもなかったよ。

 ぼくらを、スノードームの中にだけ、ずっと閉じ込めていてほしかった。

 可能であれば、それが一番良かったんだ。

 少なくともぼくはね。

 

 

  another D

 

【ノートTに拠る友人Aの心理状態に関する考察】

対象:筆者の友人A

参照:Aの遺留物ノートT

目的:20XX年5月23日午前5時前後、千葉県沖九十九里沖にて失踪したAに関し、事実究明を最終目的とし、その心理状態を考察したい。

 

Tの13ページの内容より、Aは幼少時より母親と2人暮らしであったことが判明。ならびに母親はAを少なからず抑圧していたことが読み取れる。Aは「大人」という存在自体を忌避していたようである。母親との因果関係は明言できないものの、Aがピーターパン・シンドロームであった可能性も大いに認められる。また、28ページの内容から、Aは自身の年齢が二十歳に達した際、彼自身の成長に強い嫌悪感を覚えていたと考えられる。

 

結果としてAは、彼いわく「プラスティネーション」──つまり彼自身の保存を望んだ。「保存」に際して具体的な手段は未だ不明であるが、現時点で1点の予測を立てることができた。

・Aの愛車である車体Bのタイヤ痕が、停車位置より波打ち際からの距離10メートル地点まで確認されたこと。

・37ページの内容から、「死」「息ができない」「遺す」といった文言が見受けられること。

以上の点から、Aが

 

──

 

 ブルーライトカット眼鏡を外す。乾ききった両眼に目薬をさした。およそいまの気分とは似ても似つかない爽快な冷たさが、眼球のなかを駆けぬけ、毛様体をゆるませた。それだけだった。

 ウィルキンソンに懲りたぼくは、今度は梅酒ロックを片手にレポートを書いている。

 しかし、ここまで思考をまとめておきながら、結論などとっくに導き出しておきながら、最後の一文を書ききる気にはどうしてもなれなかった。

 その答えだけが、キーボードに打ち込まれることなく、いつまでも指先に留まっていた。右手人差し指、中指、左手薬指、小指、中指、右手人差し指。

 わらえる。

 ここまで追いかけておきながら、限りなくゴールテープに近づいたあげく、ぼくはみずからそれを手放す。

 きっと、ただ認めたくないだけだった。

 その事実を認めたくないという事実すら、ぼくは認めたくはなかった。

 

 どうだい?

 おまえが言っていた、目的とやらは果たせそうかい?

 おまえはこうすることが最善だったんだって、思っていいんだな?

 たとえおまえが今ごろ後悔していたって、ぼくは知らねえよ。

 これでいい。これでよかったんだって、勝手に思い続けてやる。

 ほんとうの結果がどうであれ、そう思い込むくらいの権利は、ぼくにもある。

 

 聞いて驚くな。ぼくの生活はいま、信じられないくらい平和だ。

 ぼくはきっと、前期の授業をフル単でパスするだろう。

 まるで「ふつうの大学生」みたいに。

 まるでついこの前までのぼくとは別人みたいに。

 レポートも出して、テストも受けて、一限にも、七限にもちゃんと出て、「あの人がうわさの留年の」なんて後ろ指をさされても、ちゃんと出て、講義が終わったら、夜はやたら暗い公園を通って新大久保手前の築35年のアパートまで歩いて帰って、そうだ、どうせ暇なのだからバイトも始めよう、無難に家庭教師がいいか、アパートから大学までの通り道のカフェバーか、馬場寄りの古着屋もありだな。馬場なら、バイト帰りに飲み会に参加することもたやすい。

 これでよかったんだ。

 今までがおかしかったんだ。

 青春なんてそんなもの。いつかは消えてしまう、しょせんうたかたの日々だ。だからこそ、そこには価値がある。

 遅かれ早かれ、きっとこうなる運命だったんだ。

 

 だけど、寝ても覚めても。食べても吐いても歩いても風呂入っても小便しても歯磨いても、

 なんか、いるんだよな。おまえが、ちょうど右肩の後ろあたりに。

 そして、寝ても覚めても食べても吐いても歩いても風呂入っても小便しても歯磨いても、ぼくはきっちり、一回ずつ振り返る。

 そこにおまえがいないことは、振り返る前から知っているにもかかわらず。

 今の生活をたとえるとすれば、甘ったるいだけの砂糖水といったところか。フタを閉め忘れて、すっかり炭酸の抜けた三ツ矢サイダーのような。

 だけどすこしの炭酸がほしいなと、ぼくはやっぱり思うんだよ。強すぎず、弱すぎもしない微炭酸が。

 甘いだけの液体なんて、すぐ飽きるに決まっている。たしかに、最低限生きていくための水分補給くらいはできるかもしれないけど。

 それじゃつまらないんだよ。

 つまらないんじゃ、死んでるのと同じだ。

 どうすればよかった?

 ぼくがどうすればおまえはここにいてくれた?

 運命とかいうくそ野郎がいたのなら、そんな運命なんて捨てよう、ってぼくが言えばよかった?

 そんなくそつまらない世界、こっちから願い下げだって、もっと、もっとおまえの腕を引っ張るべきだった?

 だけどあのとき、言えなかったな……。

 それどころか、あいつが見ていたものすら、ぼくには見えていなかったんだ。

 今さらどうのこうのと逡巡したところで、ぼくは時間がもつ不可逆性の強靭さをすでに知ってしまっていた。

 海へ注ぐ川が逆流しないように。時間もその流れに逆らうことはない。

 世には、軽々と時間を跳躍し過去現在未来を行き来する物語ジャンルがあるが、あれはフィクションの中だけの話なのだ。

 それはぼくにとって、「無意味」あるいは「絶望」と同義だった。

 あいつがいないということ。

 不在だけがここにあるということ。

 それが全てで、何もないこと。

 かりそめの生活の中で、「何もない」だけがリアルだ。

 

 

  outside D

 

 とくに得たい情報があるわけでもないが、なんとなく毎朝つけているテレビに、しかし今日は関心を引かれざるを得なかった。

 肌が発光しているのではないかと思うほどツヤを放ち、前髪をかき上げまゆ毛をくっきりと描いた女性アナウンサーは、いかにも悲痛といった芝居めいた表情を浮かべ、手元の原稿を読み上げた。

 いわく、こうである。

〈昨夜、千葉県九十九里沖で、行方不明となっていたW大学3年生のAさんと思われる遺体が発見されました。Aさんは所有する自身の車の運転席に乗っており、シートベルトを締めた状態だったとのことです。Aさんは先月23日未明、九十九里浜付近へ車で出かけたことが判明しており、その後、車とともに行方が分からなくなっていました。なお、警察の調べによると、Aさんはこの日、友人一人と一緒にいたとのことで──〉

 そこまで耳にして、頭に痛みが走った。先ほどから周期的に、頭蓋骨が締めつけられるような感覚に襲われる。孫悟空が強制された痛みは、きっとこれに似ていたに違いない、と意味もなく思った。

 きれいなアナウンサーさんが言うところの、「Aさんの友人」。まさしくぼくのことである。

 

 実際、あの後は警察が何人もぼくのところへ来て、根掘り葉掘り聞いていった。ぼく自身のことも、あいつのことも、ごった煮といったていだった。

 そのいくつもの眼球たちは、同情と猜疑をちょうど50%ずつ湛えたいろをしていた。「目の前で友人に死なれた可哀想な大学生」と「自死に見せかけ友人を殺した計算高い大学生」という、ふたつのフィルターを代わるがわる通して、ぼくは見られていた。当然のことだ。仮に逆の立場だとしても、ぼくはぼくをそう見る。

〈Aさんが亡くなられた理由をご存じですか? お友だちなら何か聞いているんじゃないですか?〉

《いや、知りません》

 知るか、んなもん。ぼくが聞きたいくらいだったのだ。そう、このときはまだことが起こった直後で、あのノートを開いてみる気すらしなかった。

〈あの日あの時間、Aさんと一緒にいらっしゃったのはあなただけですね。つまり、あなたにはアリバイがないんです。これが何を意味するか、わかりますね?〉

《……ああ》

 意味するところとは、あなたたちがその場の状況だけを判断材料に憶測を立て、ぼくから何かそれらしい言質がとれさえすれば、すぐにでも逮捕状をこさえてぼくを収監し、「大学生どうしが金か女で揉めて自死に見せかけ友人を殺した」という、考えうる最上級にきれいな(というのは、クソ面白みがないというニュアンスを含む)ストーリーのプロットを作ることですよね。

 という具合に、いくらでも反駁できないことはなかったのだが、皮肉なぞという高尚な言語文化がこの人たちに通じるとも思えなかったので、面倒くさくなり《ぼくは殺してなんかいませんよ》とだけ答えた。

 その後も何度か警察官はぼくをたずねてきた。ぼくは、あのときあの場にあいつの遺書らしきものがあったことを、言いたくなかった。

 ぼく自身が検証を終えるまでは、ノートTはぼくの手元になければならなかったからだ。

 だが今となっては、あいつの所在も明らかになり、検証の必要もなくなった。つまり、ノートTも用無しなのだ。

 ぼくは、ぼく自身の潔白のためにも、間もなくこれを警察へ引き渡しにゆくだろう。

 このノートの隅で眠り続けるストーリーは、ぼくの頭の中だけに留めなければならない。

 ああ、夢をかなえてドラ○もん、ア○キパンがあればいいのにな、と思った。ぼくは大真面目だ。

 

 一応、あいつの母親にも血も涙もあったようで、すでに焼け焦げた骨になったあいつにぼくは対面することができた。

 水死体がどんなふうになるか、ぼく自身も知識としては知っていた。だから、あいつも先に火葬がおこなわれ骨だけの状態で式をすることになったらしいと聞いても、何も思うところはなかった。

 そしてあいつの骨を拾ってやるのは、母親一人だけらしかった。それで、どんなにかこの女があいつに、そしてあいつ自身がこの女に傾倒していたのか、察するには十分だったのだ。

 独りは心許なかったのか、母親はぼくにも骨を拾わないかと持ちかけてきた。一人息子を失った寂しい婦人のSOSを無下にできるほど、ぼくも鬼ではなかった。

 ぼくたちはたったふたり、ばかでかい鉄のトングをひたすらに開閉させた。ヒトの骨は思ったより多く、また、あいつの身体はぼくが記憶しているよりもずっと大きかった。

 肋骨や骨盤、大腿骨などの大きい骨は母親が拾うべきだろうとぼくは思ったが、拾われないままのそういう骨がひとつ、黒い灰に交じっていつまでも転がっていた。母親はあえてそれを拾わずにいたのだ。だから、これはぼくが拾うべきであった。

 ぼくは左の大腿骨を拾うと、このまま壺に放り投げてしまうのはなんとなくもったいない気がして、素手で持ってみた。

 先ほど燃やされたばかりとは思えないほど骨は冷えていて、表面はざらついていた。重くはないものの、しっかりとした感触があった。その冷たいだけの質量が、残酷にぼくに告げる。

 もう、皮膚の弾力も、36度を切る不健康な体温も、あいつは持たない。これは生体なんかじゃない、元・生体なのだ。あいつは今はもう、ただの物体になってしまったのだ。これは夢じゃないんだって、そう告げていた。

 ぼくはあいつの脚を、こっそりスーツのポケットに忍ばせた。

 

 

  another D

 

【Aの失踪に関する追跡的検証】──結論

20XX年5月23日午前5時前後、千葉県沖九十九里沖にて失踪した友人Aに関しては、これを死亡したとする判断が警察より伝えられる。

状況から、Aによる自死と見られた。また、ノートTは極めて重要な遺留品として押収される。

よって、当検証もこれにて終了とする。

 

──

 

 ビートルは中古車なら思いのほか安く仕入れることができた。

 そうそう、これだ。この色。独特の丸みを帯びたフォルム。そしてオープンルーフ。

 このルーフを全開にして、風を真正面から受けるのが好きだった。自然とオールバックになった髪、潮くささ、右隣の横顔。潮のにおいはどちらかというと苦手だったが、それもいいと思った。

 ビートルの車内は狭かった。そういえば、大の男二人が乗り込んだ時点で、ひじとひじがすこし触れ合ってしまうほどだったな、とぼくは思いだす。

 ただひとつ、違うのは、右側に座るのがぼくであることだった。

 助手席のシートに、かっぱらってきたカルシウムの塊を置く。

 ほかの誰も乗せるつもりなどない。隣の席はいつだって、おまえだけに空けておくのだ。

 ぼくはこいつをあの場所へ捨てにいく。

 そうすべきだとぼくは確信していた。

 あいつは十分すぎるくらい、狭い世界に押し込められていたのだ。それなのになぜ、まだ土の下などに埋められなければいけない?

 せめて、すこしだけでも、あの海にいさせてやってもいいじゃないか。ぼくらがいた、そしてあいつが選んだ海に。

 

 西早稲田から浜辺までは2時間弱で到着した。

 あのときも、そうだこんな景色を通りかかった、と考えていればそれほど長い時間でもなかったが、やはり話し相手がいたときよりは長く感じた。というよりも、あの頃の時間の流れの速さは異常なほどだった。なにも生み出さない怠惰な日々は、ただ矢のように過ぎていった。

 右ドアから降りるのはどこか変な感覚だった。

 あの塊を波間へ投げつけた。

 小さな白塊が波にもまれ行きつ戻りつしているのを、ぼくはしばらく目で追っていた。

 それはやがて沖のほうへと流され、見えなくなった。

 終わった。

 これにて、ぼくの自己満足なミッションは終わったのだ。あっという間だった。

 やはり右ドアから運転席に乗りこむ。が、すぐに回れ右というのも味気なく、ぼくは動けなかった。

 

 どのくらいそのままでいたのだろう? わからないが、空が赤みはじめていることが、それなりの経過を教えていた。

 波が鳴いている。夜が近づき、風が強まり、海は時化てきていた。

 ふと、ペヤングを食べたときのテトラポッドの硬さを、瓶サイダーを喉へ流しこんだときの海特有のべたつく空気を感じた。途轍もないノスタルジアがぼくを襲う。

 あれ……息が、うまくできない。うまく、呼気を吐きだすことが、できない。

 同時に、しょっぱい味が、ぼくの舌を、占拠しはじめた。

 それに、頬が濡れて、冷たく感じる。

 やっぱり、うまく、息ができない。

 もうむりだ。

 思考の過程とか、途中計算式とか、そういうものをすっ飛ばして、むりだ、とぼくはそう思った。

 おまえが呼んでいる。

 さざなみのあいだから、おまえが呼んでいる……

 そういや、おまえ、おれ以外に友だち、いたか? あんまり見たことねえなあ。

 わかった。

 さみしいんだろ?

 だからおれを呼んでいるんだな?

 なんだよ。

 意外と素直なやつじゃないか。

 しかたないな。

 じゃ、おれもいまから、そっちに行くからさ。

 すぐ追いつくから、

 その場所で待ってて。

 

 

  inside D

 

 気づけば、このノートも最後のページまで来てしまったね。少しお喋りが過ぎたかな。

 きみは、ぼくがこんな風に講釈垂れるのをひどく嫌がったから、きっと呆れた顔でこれを読んでいるに違いない。

 もしかしたらこれを読むのも、だいぶ序盤で放棄しているかもしれないな。(笑)

 だからこの記録に2冊目はない。

 正真正銘、ここで終わりにするよ。

 でも最後に、一番大事なことを、一番手短に記そう。

 

 隣の席はいつだって、きみだけに空けてあるよ

 それじゃ、また 会おう

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今回は斉藤壮馬さんの楽曲『carpool』をお借りして二次創作をしてみました!

一人称のダイアリーが交互につながる構成にしました。一人称が好きです。

今回も歌詞をばらばらとちりばめております。

また、『carpool』のモチーフになったというスピッツ『冷たい頬』の歌詞もちょっとだけ使わせてもらいました(青字部分)。

あと『エピローグ』とか『BOOKMARK』の歌詞も引用しています。他にもなんかあったかもしれない。(雑)見つけてみてください。

 

タイトルは何の気なしに付けたら、早瀬耕さん『プラネタリウムの外側』オマージュみたいになってしまいました。結果良かったような?ともかく好きです。

 

同じものをpixivにもアップしました。


こっちだと縦組で読めます!それに合わせ数字を漢字にしたりしております。今回は横書きの日記設定なので、横組でも縦組でも合いそう。

感想とかいただけたらめっちゃうれしいです。クリームソーダが飲みたい。あと桃が食べたい。

 

 

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【沼に】ディア‪‪‪‪♥ヴォーカリストが凄くて怖い【来た】

 

拝啓

Rejet株式会社怖い。

 

 

~~~~~イメージ映像~~~~~

 

皆さ~ん! リポーターのみゅぱすたで~~す!

こちらはディア‪‪‪‪♥ヴォーカリストの沼に来ておりま~す!

見てください! このおお~~きな沼! 今からわたしがここに、入って、みたいと、思い、ま~~~す!!

 

~~~~~イメージ映像~~~~~

 

 

というわけで ディア‪‪‪‪♥ヴォーカリスト の沼に来ました。

理由は簡単です。単独イベント第2弾が決まったら履修すると決めていて、単独イベが決まったからです。

 

そもそも前回の「CR69Fes. Dead or Alive」のときはというと、わたしがまだ声優のオタクになりたてで、何だろうこれ?と思っているうちに終わってました……。

あと、会場だった赤坂BLITZは閉鎖が決まっています。赤坂BLITZは入ったことなかったので、入ってみたかった。

わたしはあまりオタ活で後悔することはないんですが(やらずに後悔よりやって後悔のスタンス)、これは行っておけば良かったと後悔している数少ないイベントのひとつです。

 

進捗はジュダ・エーダッシュ・レオード・ヨシュアの順番で履修済み。

推しは(中の人の大幅な贔屓目が入って)ジュダさんです。

あとわたしも希死念慮を持ってたりするので結婚したいのはエーダッシュです。

各方面に申し訳ないんですが、モモチとユゥは聴ける自信がない。誰かダイマしてくれたら聴きますのでよろしくお願いします。

 

いや、もうわたしはディア‪‪‪‪♥ヴォーカリスト好きよ。大好きになってしまったよ。

パンダは皆のことクズクズって言うけど、皆いいこじゃんわたしは大好きだよ。

それに曲がすごく良い。各バンド好きな曲はありますが、全体で言ったらNSFWの曲がめちゃめちゃ好き。っていう話はTwitterでしたので詳しくはこちらのツリーで。

 

5年続くコンテンツには続くだけの理由があるなと思った。

このタイミングでディアヴォの沼へ来られたことに意味を感じております。

今回は沼記念で(?)、ディア‪‪‪‪♥ヴォーカリストが凄い話と、凄すぎて怖い話をします。

 

 

ディア♥ヴォーカリストが凄い

♡ ♡ ♡

 

何これ? 現実? ヴォーカリスト現実なの?

いや、クライマックスレコード……実在してるし……。

 

シチュCDの設定で「資本金」とか「事業内容」とか書かれてるの初めて見たよ。

従業員60名で資本金1億って多くないか。海外支社があるから、とかそういう関係なのだろうか。

調べたらポニキャやSMEも資本金1億だった。好きな企業の会社情報と採用情報ってつい見てしまいませんか。

会社概要|株式会社ポニーキャニオン

会社概要|ソニーミュージックグループ コーポレートサイト

  

♡ ♡ ♡

 

ディア♥ヴォーカリストの全貌を、わたしはヴォーカリストTwitterを見て初めて把握できたと思っている。

サバイバル期間中、ヴォーカリストたちは毎日ツイートしなければならない、ということになっている。

このTwitterにこそRejet株式会社の凄さが詰まっている。

 

特にエーたんがスゲエ。エーたんのTwitterじゃん。いや当たり前なんだけど。

これが「エーたんのTwitterだよね」って何の疑いもなく受け入れてしまえるような、物凄いリアルさがある。うるさい。エーたんのTwitterやる仕事で一生暮らしたい。

 

エーだけでなく、他のヴォーカリストも口調や絵文字、顔文字の使い方が完全に解釈一致。

さらに、そこらへんの運営と違うのは、ヴォーカリスト同士やオーディエンスとリアルタイムでリプをしていくことだと思う。

つまり明らかに予約投稿ではない。「彼らが今この瞬間、Twitterをしている」と思わせる完璧なリアルさ。できれば投稿元がスマホクライアントだったらなお完璧。

これを毎日運営しているのが、もちろんRejet株式会社なのだ。

彼らのTwitterは平日のみ稼働しているが(Rejetが完全週休二日制のため?)、そのホワイト具合も含めて好感がもてる。

 

個人的にジュダとヨシュアのリプが好きです。よしゅは誰とでも分け隔てなく仲良くできてえらいね。

 

Twitterを見ているとお昼休憩の話が多い気がする。それもリアル。

しかもちょくちょく事件が起きたりする。

 

例えばAKB48は、総選挙やじゃんけん大会で意図的にサプライズを作り出しているけど、ディアヴォはそれを日常レベルでやってる。

  

♡ ♡ ♡

 

わたしの元々の推しジャンルである「アイドリッシュセブン」も、リアルさを打ち出したコンテンツである。

>ライバルは三次元 ゲームと二次を超える「アイドリッシュセブン

女性向けゲーム新時代の先駆け「アイドリッシュセブン」ゲームや次元を超えた新しいアイドルの形へ 2ページ目 | アニメ!アニメ!

 

ディアヴォとアイナナって両方とも2015年スタートですね。現実推しムーブメントでもあったのだろうか。

 

でもアイナナのほうはまだ、オタク側もあくまで虚構だと分かって受け取っている気がする。

なぜなら彼らは「アイドル=偶像」だから。バンドのヴォーカリストと違って、アイドルは元々フィクション的な売り出し方をされる存在だから。

 

また、アイナナはどちらかというと、ストーリーを小説のように俯瞰で読んでいくコンテンツである(若干の乙女ゲー要素はあるが)。

一方でディアヴォは、メインがシチュエーション CDであるという特性上、ユーザーはほぼ強制的にコンテンツに没入せざるを得ない。CDを聴いている間は、「わたし」はヴォーカリストの「彼女」になりきることになる。

(中には客観的にヴォーカリストと彼女のやり取りを捉えるユーザーもいるかもしれないが……たぶんかなり高度な精神力が必要なのでは)

 

ディア♥ヴォーカリストのオタクは、基本的には「オーディエンス」の1人でありながら、シチュパートを聴くことでヴォーカリストの「彼女」にもなれる。

彼らのプライベートの素顔や、オーディエンスには見せない苦しみを知っているという特別感。それがディアヴォの特長であり、他と差別化されている点だとわたしは考える。

 

同時に、「彼女」と「オーディエンス」という2つの役割を使い分けなければならない、高いリテラシーが要求されるコンテンツだと思う。

例えば、「彼女」としてシチュパートを聴いていたとしても、Twitterでヴォーカリストにリプするときや、ファンレターを送るときは「オーディエンス」になる、という具合に。

これについては後ほど語ります。

 

♡ ♡ ♡

 

あとは2曲ずつ入ってるのがシンプルに凄い。

なぜ2曲ずつなのかというと、恐らく一般的なシングルCDに寄せている。

シチュエーションCDではあるんだけど、形態としてはシングルCDのようになっている。その証拠に、ジャケ写にはそれぞれA面の曲のタイトルが入っている。

 

これも、彼らがヴォーカリストであり、あくまでバンドが出すシングルというリアルさを追求したためと思われる。

全てが、音楽ありきで進んでいく。

だからディア♥ヴォーカリストが好きだ。

 

シチュCDとかドラマCDに曲が入る場合って大体1曲じゃないですか?

ディアヴォだって1曲でもいいんだよ別に。でも、あえて2倍の労力をかけて、2曲入れている。今回の「Raving Beats!!!」に至っては各バンド新曲3曲ずつである。

そこが、徹底的なリアルへのこだわりをもち、オーディエンスを楽しませたいというRejet株式会社の凄さだと思う。

 

 

ディア♥ヴォーカリストが怖い

ここからは、ディア♥ヴォーカリストはその徹底的なリアルさ故に危険もはらんでいる、という話をします。

 

 

ディアヴォのシチュパートは重い。

ディアヴォの、というかエーダッシュヨシュアが重い。

エーダッシュ自傷・自殺未遂のあげく、彼女に自殺幇助させようとしたりする。過呼吸も起こす。ODもする。

ヨシュア自傷癖あり。

 

個人的には、エーダッシュはまだ現実離れしていてファンタジーに近いと思ったので、そこまできつくなかった。

ヨシュアはやばかったな。精神ボロボロで10分くらいずっと叫んでたりとか……。信長さんの芝居が上手すぎるのもある。自傷経験がある人はフラッシュバックしてしまうレベルでやばいのでは、と思った。

 

ある時、この2人のオタクの方のブログをそれぞれ読んだ。

一人は「救われた」と言っていて、もう一人は「死にたくなった」と言っていた。

同じコンテンツのはずなのに、ここまで対照的な感想が出てくるとは。

正直、これを同時期に読んできつかった。

特に「死にたくなった」と書かれていたほうは衝撃だった。シチュエーションCDに命を左右される人がいるなんて、わたしは思いもしなかったから。

 

ここまでのめり込んでいる人を見てしまって、わたしはここまでは行けないと思った。

わたしはディアヴォの沼には来たけど、ここまで浸かりきれない。

そこで初めて、「ディア♥ヴォーカリスト怖い」と思った。

 

なんでこういうことが起こるかというと、ディアヴォが徹底的な「現実推し」をしているために、現実と虚構を混同してしまうからではないだろうか。

CRが実在するって、本気でそういう感覚でいるオタクが多くないか?

 

虚構は虚構であるということを念頭に置いて、現実世界としっかり区別して受け止めないと、時に危険だと思う。

ディアヴォはキャラが自殺未遂するような、命に関わるコンテンツだ。だからこそ、現実との線引きをしっかりしないといけない。

じゃないと、「エーたん死ぬならわたしも死のう」って思っちゃう人がいても、おかしくないんだよ。

 

でもディアヴォは、特にTwitterのリアルさのクオリティーが非常に高く、毎日ツイートされるというように供給も多いため、現実世界との線引きが難しいと思う。

これが、先ほど「高いリテラシーが要求されるコンテンツ」と言った理由です。

 

こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、彼らはあくまで2次元であって、その裏側には生身の人間がいる。作りものなんだよ。

シチュパートはシナリオライターが書いたものだし、TwitterはRejetが運営しているものだし、ヴォーカリストには中の人がいる。

 

わたしはやっぱり声優のオタクで、あくまでも生身の人間が好きだから、そこまでキャラにのめり込める感覚がどうしてもわからない。

声優のオタクだから、推しがやるいろんなキャラが好きだし、推しがいるいろんなコンテンツが好き。推しであるその人にはのめり込めるけど、1つのコンテンツにのめり込むということができない。

だからディア♥ヴォーカリストも、わたしはどこか俯瞰でとらえている。ひとつのフィクションである物語として、適切な距離をとりながら楽しんでいる。これからもきっとそうしていくと思う。

 

 

誤解がないように言うと、わたしはRejetを批判したいわけではないです。むしろ凄い。すごく凄い。Rejetに転職したいまである。

凄すぎるからこそ、受け取る側もある程度は注意が必要、と言いたいのです。心のどこかで「これは虚構なんだ」と一線を引いておく注意が。

 

 

最近、生死の話しかしてない気がするが大丈夫なのか。

なんか暗い感じになっちゃったけど(通常運転)、これだけは言います。

ディア♥ヴォーカリスト、好き。

フェスも超たのしみです。

オーディエンスの皆さんに交じってこれから楽しめたらなあと思っております。

 

 

 

Rejet株式会社凄い。

敬具

 

 

 

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斉藤壮馬さん 2nd フルアルバム『in bloom』勝手に全曲考察

 

ソイヤッ!今年もがんばって書きましたYo!

もう多くは語りません。このブログが、壮馬さんの音楽を楽しむ手助けになればうれしいです。

 

恒例の(?)文字数カウント、今回は4万字です。ちなみにわたしのリアルガチ卒論字数超えました。昨年が5曲で2万5000字だったことを考えると至極妥当な量やな。

 

なんか今回種明かしが多くなかった? ということでインタビューの引用多めかも。

しかもね……発売前に読んじゃったんだよね、大体……。今回はヒントがいっぱいあったかもしれません。その上で自分なりに考えていきます。

 

こちら↓で言っていた仮タイトルはいくつか『in bloom』に収録されたと思われるので、最初に挙げておきます。

>タイトルでいうと、『オアシスミス』『ボサノバ』『VW』『マリリンマンソン』『くじら』などなど……

 

声優、斉藤壮馬が語る3曲連続リリース『in bloom』と、最新第一弾デジタルシングル「ペトリコール」について。 | HARAJUKU POP WEB

 

 

 この記事はいち個人の感想・考察・(in bloom的に言うなら)妄想によるものであり、正解を追求する意図はありません。

 リリースイベント(オンライントーク会)についてはレポを参考にさせていただきました。ありがとうございます。

 今回からコードの話をしてみています。頑張ってます。絶賛鍛え中なのでミスもあると思う。大目に見ていただけるとうれしい。質問箱かTwitterでご指摘ください。

 昨年末に上げたアルバム全体の考察もあわせて読んでいただくと楽しいと思います。たぶん。

 

 M5.ペトリコール、M6.Summerholic! についてはそれぞれ別記事に。

ちなみに『パレット』は「言葉で表せない曲」との結論に至り(という逃げ)未だに書けていません。


 

 

 

M1.carpool

今作のリード・トラック。

【carpool】(英)相乗り。1台の乗り物に複数人の他人が乗り合わせること。

 

 

◆世界観について 

アゴタ・クリストフ悪童日記的なイメージ。男の子にとって悪友は、もうひとりの自分のようだった。でもその悪友が海で死んでしまったことで、彼のその後は惰性で生きているような気持ちだったんです。そして彼が青年くらいの歳になって、悪友が亡くなった海にドライブに来た。(略)最後は、“すぐ追いつくから その場所で待ってて”と終わる

──「Ani-PASS」#10

 

これをね先行配信の前に読んだのでね……ほぼこの通りに聴こえました。

「男の子にとって悪友は、もうひとりの自分のようだった」。もうひとりの自分を失った「ぼく」は、まるで自分の半身を失ったような気持ちだった。

さらにわたしは、「ぼく」は「きみ」を連れて死のうとしていたのでは?と考えている。無理心中のようなシチュエーション。

 

悪童日記』は、戦時中、双子の男の子がほとんど縁のなかった祖母の家に疎開し、ふたりで賢くしぶとく生き抜いていく……みたいな話。

双子が交互に日記を綴っていく形式で書かれている。けっこう生々しいけど、双子がどんどん状況を解決していくのが痛快。

 

ここで『悪童日記』が出てくるのは意外だった。なぜなら以上のとおり、双子は狡猾で、何をしても生き抜くというしぶとさを持っていたから。この主人公像が、『carpool』の儚さや喪失感といった印象とは結びつかなかった。

なので『carpool』の物語そのものというより、「ぼく」と「きみ」の深い関係性がこの双子っぽい、ということだと思った。

 

ちなみに2018年のエッセイ発売時に行われた選書フェアにて、壮馬さんは『悪童日記』を選んでいた。そこでは「ぼくでもわたしでもない、『ぼくら』の物語。」とコメントしていた。

 

 

◆歌詞について 

まだ暗いうちにこっそり

待ち合わせて 海へ行こう

心中するなら人目につきづらい時間が好都合。「こっそり」なのも説明がつく。

 

ぼくら いつか遺した

悪い秘密の日記を持って

「残した」ではなく「遺した」。【遺す】は亡くなった人が何かをのこす、という意。

悪い秘密の日記」は悪童日記オマージュ。ぼくときみは何らかの秘密を日記にしたためていた。それは大事なものだから、死ぬときまで持ってきている。

 

サイダーみたいな空気で

満たされている 朝の中

サイダーみたいな空気」のサイダーの炭酸と、「うたかたの日々」がかかっている。

「うたかた」は儚いものの喩え。サイダーの炭酸も放っておけばそのうち消えてしまう儚いもの。

 

きみがいる日々は炭酸みたいに刺激的だけれど、炭酸はいつまでも続かない。ここでは、ぼくがきみを失ってしまうことが暗示されている。

炭酸が抜けたサイダーはただの甘いだけの水で、とてもつまらない。=きみがいない日々は刺激がなくてとてもつまらない。

 

まだ暗いうち」に待ち合わせていたふたり。これは時間にすると未明になる。

ここでは数時間がたち、「」になっている。車ですでに数時間走ってきたということ。

 

眠たそうに前を向いた

きみの眼はなにを見ていたんだい

きみは「なにを見ていた」のか分からず、虚空を見つめている状態。つまり何かに迷っていて、すでに自殺を決心しているのでは? でもぼくはそれに気づけなかった。

また、『エピローグ』の「永めに眠る」のように、「眠たそう」それ自体が死を暗示しているように思う。

 

運転席はいつだって

きみだけの専用席で

オープンカーに飛び乗って

海沿い だらり 走る

隣の席はいつだって

ぼくだけの特等席で

 

いつのことだっけな

ここはほとんどそのまんまな気がします。ふたりでよく相乗り(=carpool)して海沿いを走っていた回想。

また、きみがハンドルを握っていたのは車だけではなく、ぼくの人生に関してもそうだった。きみはぼくの人生を牽引する存在だった、という暗喩である。

 

いつのことだっけな」と唐突に出てきたことで、『carpool』の詞は現在のぼくの回想であることが分かる。

 

あのころのきみには

はやすぎて 追いつけないや

はやすぎて」=きみが死に急ぎすぎて。

追いつけないや」はラストの「すぐ追いつくから」とつながっている。

 

ここのみ、シンセを逆再生した音?が入っている。

ここでは過去の回想をしているため、「戻る」という意味合いで使われているのだと思う。

逆再生音は『林檎』でも使われていた。

 

ガラスの瞳で

ぼくを見て 迷子みたいで

ここは「あのころのきみ」のことなので、ふたりでこっそり待ち合わせた未明よりも前のきみのことを言っている。

 

きみの眼はなにを見ていたんだい」と同じで、「ガラスの瞳」には感情がこもっていない。

ガラスは透明できれいだけど、すこしの刺激ですぐに割れてしまう。同じように、きみの瞳も無垢できれいだけど、割れてしまいそうな危なっかしさもある。

 

迷子みたいで」については、きみは人生の迷子だったから、死を決意した。

 

数年先はいつだって

空想の話みたいで

数分あとのことだって

わかっちゃいなかったんだな

ふたりは数年先のことなんて考えず、今を謳歌していた。MVに出てくるふたりが悪ふざけを繰り返していたように。

 

しかし実際には数分後、きみはぼくを連れたまま海に突っ込んだ。

ぼくはそれを「わかっちゃいなかった」、予測できなかった。きみの自殺願望に気づけなかった。

 

冷たいだけの質量が

残酷にぼくに告げる

 

夢じゃないんだってさ

結局、ぼくだけ生き残ってしまったのではないか。

冷たいだけの質量」はきみの遺体だと考える。

冷たくなってしまった「質量」をもつ何らかのものから、「夢じゃない」ことを「残酷に」思い知らされるぼく。この何らかのものは、もともと温かかったはずである。すると、きみの身体なのでは?と考えられる。

 

さざなみのあいだから

きみが呼んでいる

さざなみのあいだ」は、きみが海に突っ込んで死んだので。

ぼくは、きみが海中から自分を呼んでいるように感じている。きみの声のほうに向かっていくことは、ぼくにとって自然な行動だったに違いない。

 

うたかたの日々はさ

ぼくらだけのものだよ

先述。「うたかた」と「サイダーみたいな空気」のサイダーの炭酸が掛かっている。

 

水平線の先なんて

知りたくもなかったよ

黒田Dが泣いたところ。(笑)わたしも何回かここで泣いた。良すぎるね。

 

水平線」は海の果てのように見える。だけど地球はまるくて、実際の海は水平線の先までずっと続いている。水平線は「見かけ上の」世界の果てでしかない。

『in bloom』が内省的であることを踏まえると、ここで言う世界は地球全体のことではなく、ぼくに見えている世界のことを指す。ぼくに見えている世界とはつまり、きみとぼくふたりの世界のこと。

きみとぼくふたりの世界と、その外側との境界線のことを、ふたりの思い出の場所である海に掛けて「水平線」と言っている。

 

ぼくは、ぼくときみふたりの世界の外側にも、世界が広がっていることは当然知っていた。

だけどきみとふたりだけの世界が心地よかったから、「水平線の先なんて 知りたくもなかった」。

ぼくは、ぼくときみふたりの世界にいたかったが、その外側に連れていかれてしまう何らかの理由(ぼくいわく「運命」)があった。

それはふたりが望んだものではなく、結果としてきみの死につながっていった。

 

運命なんて捨てよう、って

あのとき 言えなかったな

ぼくは、そんな「運命なんて捨てよう」って言えればよかった。捨ててしまって、ずっとふたりでいればよかった。それならきみが死ぬ必要はなかった。

ぼくは「数分あとのことだって わかっちゃいなかった」ように、きみの自殺願望に気づけなかった。だからぼくは後悔している。

 

曲とは関係ない話だが、ここでわたしは思う。「運命なんて捨てよう」って言えていたとしても、いつかは外の世界に出なければならなかったんじゃないか。ふたりだけで生きていくなど、現代社会では無理なことだ。

遅かれ早かれ「きみ」は死を選んでいたんじゃないか。そんな気がする。

 

ここで『悪童日記』訳者解説より引用する。

>「個」として生きる「ぼくら」とは、実は二人ではないか。彼らは二つの主体で一つの「個」(「外からは絶対に測り知れない」「彼らだけの世界」……)を形成しているのだ。それなら、彼らが分かれて別々の「個」となるとき、つまり他者を、より正確には間主観性を内部に含まない孤独な「個」となるとき、彼らは果たして外界に抵抗し、勝利し続けることができるだろうか。

──アゴタ・クリストフ堀茂樹訳『悪童日記』ハヤカワepi文庫 P.300

これを『carpool』に当てはめると、ぼくときみは外界に抵抗し、勝利することができなかったのだと言える。

 

運転席はいつだって

ぼくだけの専用席で

オープンカーに飛び乗って

海沿い ひとり 走る

きみがいなくなったので、ぼくが運転せざるを得ない。

そしてきみが死んだ海にひとりで来た。

 

隣の席はいつだって

きみだけに空けてあるよ

ぼくはきみと再会できると信じている。

 

すぐ追いつくから

その場所で待ってて

きみが死に急ぎすぎて「追いつけないや」と言っていたぼく。しかし、ここでぼくはきみの後を追って同じ海で死のうとしている。だから「すぐ追いつく」。

 

 

本当は、この曲は壮馬さんのすごくパーソナルな感情が含まれているかもしれないと感じていたので、ここまで具体的に書くのはやめようかとも思っていた。

でも壮馬さん自身も「それぞれに読み解いてほしい」とおっしゃっていたので、自分の解釈を書かせていただいた、ということは記しておく。

 

 

◆過去の楽曲との関連 

今回、壮馬さんは「好きなものを好きなように作った」と確か言っていた(何で言っていたか忘れた……)。リリイベなどで「アルバム全体のコンセプトは決めていなかった」とも。

さらに『carpool』はMV撮影が差し迫っていたときにポンとできたらしいので、過去の楽曲とはつながっていない、とわたし自身は思っている。

しかし、それこそ潜在的に過去の楽曲とも世界観が通じていると感じた。ここは補足程度だと思ってください。

 

●『memento』との関連 

『memento』の歌詞より

・その日を摘みな カープール

「carpool」が登場。『memento』は主人公たちが車でドライブしている状況。

 

・水底へ沈んだ

『memento』では、世界は大洪水によって滅びるか、あるいは『西瓜糖の日々』における川をオマージュしているのではないか、と考えた。

 

>車の色は青で、それにもいろいろ元ネタというか、引用元はあるんですけど。

──「声優グランプリ」2020年2月号

このときの元ネタはスピッツの『青い車』?

青い車』の歌詞を読むと、主人公と「君」が車で海に行き心中しようとしている? とわかる。

https://j-lyric.net/artist/a000603/l000038.html

 

君の青い車で海へ行こう

おいてきた何かを見に行こう

もう何も恐れないよ

そして輪廻の果てへ飛び下りよう

終わりなき夢に落ちて行こう

今 変わっていくよ

海へ行って、もう何も恐れない、輪廻の果てへ飛び下りよう、今変わっていくよ……。

ふたりで心中して、「輪廻」のその先で再会しよう、と言っているように見える。『エピローグ』かよ。

 

車と死と海。この3つが結びついている点で、『青い車』と『carpool』はよく似ている。

ちなみに壮馬さん本人も「リード曲はちょっとダークな、スピッツさんとかART-SCHOOLさんのような邦楽ギターバンドらしい構造を持っている曲がやりたかった」(「Ani-PASS」#10)とスピッツの名前を挙げている。

 

※ 2021.5 追記

『carpool』はスピッツ『冷たい頬』をイメージしていたらしいというエビデンスが出てきたので(わたし大興奮)補足します。

>実は最近作った「carpool」という曲は「冷たい頬」をイメージしたんです。

デジナタ連載 岩井勇気(ハライチ)×斉藤壮馬 インタビュー|Technicsのターンテーブルでジブリ作品のレコード体験 - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

 

https://j-lyric.net/artist/a000603/l000116.html

 

冷たいだけの質量」はここからきていたのか、とわかる。

わたしとしては『冷たい頬』も人死んでると思う。プラスティネーションで恋人の遺体を保存していて愛でてる……みたいなイメージ。

 

 

●『結晶世界』と『エピローグ』との対比 

この2曲はともに、登場人物たちが死(ないし死に限りなく近い結晶化)に向かっている。

 

結晶世界:きみはどうしてこんなふうに 完璧な世界に舞い降りていく?」とあることから、ぼくはきみを追う側。

エピローグ:ふたりは 共にこの身朽ちかけ」とあることから、ふたりは一緒に死ぬ。 

 

『carpool』はぼくがきみの後を追っているので、『結晶世界』的なニュアンスを踏襲していると言える。

 

 

◆音楽面について 

この曲は『memento』ほどアッパーではなく、『結晶世界』ほどダウナーでもない。その中間をいく。ニュートラルでシンプル。

壮馬さんいわく「スタンダードなギターバンド曲(「Ani-PASS」#10)」。だけど、スタンダードだからこそ今までのリード曲にはなかった曲調だと思う。

 

また、以前 『ユーリ!!! on ICE』の記事 で「E♭メジャーに水や氷のようなイメージ、色でいうと青を感じる」と書いた。

『carpool』のA♭メジャーはE♭メジャーに♭を1つ足した調で、同じように透明感と青みを感じる。

 

 

●スタンダードなギターバンド曲 

構造は【A・A・サビ・A・サビ・C・落ちサビ・大サビ】で、よくあるJ-POP的。

リードギター・バックギター・シンセ・ベース・ドラム、というバンド構成も典型的。

 

また、全体的に音圧が薄め。

デラシネは『carpool』のシンセがピアノに代わった構成で似た印象を受けるが、聴き比べてみると音圧が結構違う。

デラシネ』のギターにはディストーションがかかっていて、ベースも大きく鳴っている。ドラムはシンバル多め。

『carpool』は音がもっとミニマルで、やはり内省的なイメージをもたせる。

 

 

●ヴォーカル 

声帯の上のほうを絞って使っているのか、明るめの声だなと感じた。キャラでいうと2Winkとかそっちの声。若めな印象である。

この曲では過去の回想をしているので、幼い声にしているのかもしれない。

 

また、イントロ・サビをはじめ、ダブルトラックが多用されている。ダブルトラックは浮遊感や透明感を与える。

なのに、落ちサビ「水平線の先なんて~運命なんて捨てよう、って」だけヴォーカルが1本になる。その後の大サビではまたダブルトラックに戻る。そのため、落ちサビだけいきなり現実に引き戻されるように感じられる。

 

 

『carpool』について、壮馬さんはこう語っていた。

 

最近、バズったものの良さが分からないことが多くて、世間についていけない、やっぱりわたしはおかしい、欠けているんだ、そんなことを突きつけられたように感じていた。

そんなとき、『carpool』という曲に出会った。

MVが公開されたときから、この曲がすごく好きだと思った。多分、ぼんやりとだけど、わたしを救ってくれる曲だと思った。

そして壮馬さんも「救われた」と、黒田Dも「泣いた」と、そう言っていた。

同じ曲を同じように、好きになれた。

それでわたしは、わたしの感性を認めてもいいんだ、と思えた。

この曲はたぶん、これからわたしにとって大事な曲になる。そう感じている。

 

 

 

M2.シュレディンガー・ガール

春に「北欧(仮)」としてデモが出されていたやつ。

 

「北欧どこいったんだろう」って皆めっちゃ言っていたのを思い出す。じっくり8か月熟成ソング。

 

 

◆世界観について 

>ぼくのなかでは珍しく“明確なストーリー”を描きながら紡いだので、ぜひ皆さんも考察してみてください。

──「声優グランプリ」2020年12月号

はぁ……そう言われたらさ……やるよ……ってなるよね。(笑)

 

 

●「シュレディンガーの猫」について 

タイトルの元ネタであるシュレディンガーの猫シュレディンガーは人名。「シュレディンガーの猫」はシュレディンガーさんが提唱した思考実験のこと。ざっくり要約します。

 

まず、「シュレディンガーの猫」は量子力学の思考実験である。実際に猫をどうこうしたわけではなく、思考の上でのみ進められる。

 

量子の世界(ミクロ)では、粒子は「観測されていない時と観測されている時で状態が変わる」という特性をもっている。これは目に見える世界(マクロ)ではあり得ないこと。

量子力学では、このときの不可思議な粒子の状態を、複数の状態が「重なり合っている」と表現する。複数の状態が重なり合った粒子は、観測者が観測してはじめてどんな状態か確定される。これが「コペンハーゲン解釈」。

 

しかし、ミクロの世界では通用しても、マクロの世界に置き換えて考えるとおかしくない?と異を唱えたのがシュレディンガーさん。シュレディンガーさんは量子を猫に置き換えて考える。

「箱の中に猫を入れ1時間以内に50%の確率で死ぬ」状態を作ったとき、1時間後には「生きている猫」と「死んでいる猫」が重なり合っているのか?箱を開けて、観測者が観測してはじめて猫の生死が確定するのか?いや、そんなことはない、箱を開けて観測する前に猫の生死は確定している。だから「コペンハーゲン解釈」はおかしい。とシュレディンガーさんは言った。これが「シュレディンガーの猫」。

 

わたしの要約ではこれが限界だ。詳しくは参考サイトまで飛んでください(放棄)。このへんが分かりやすかったです。

シュレディンガーの猫の話の流れを分かりやすく解説。量子の世界の不可思議な話|アタリマエ!

コペンハーゲン解釈は間違い!?― 猫でもわかる「ウィグナーの友人」 - 誰が得するんだよこの書評

 

余談。

壮馬さんがエッセイ『健康で文化的な最低限度の生活』の「結晶世界」で綴っていた、「誰もいない森の中で木が倒れた。果たしてそのとき、音はしたのだろうか?」のはなし。

これも「コペンハーゲン解釈」が正か否か、という話だったのだと今さら気づく。

 

壮馬さんは最初、「音はしなかった」=「自分の認識できないものは存在してもしなくても意味がない」と考えていた。これは物事が観測されてはじめて状態が確定されるという、コペンハーゲン解釈に沿った思考である。

しかし最後には「たぶん、(音は)したのだろう」と言い、アインシュタインの「神はサイコロを振らない」の立場に立つ。

 

こうしていろいろなことが何年かの時を経てつながっていく。これだから「知る」ということは面白い。フィロソフィア──知るを愛する姿勢を、わたしもずっともっていたいと思う。

 

 

●世界観について 

壮馬さんいわく「虚構と現実の狭間の曲」。

また、リリイベによると「妄想の曲」。

ヒントは割と少なかったかもしれない。

 

まず、この曲には「彼」「彼女」「きみ」という3つの人称が出てくる。「きみ」は「無数の分岐こえて きみを呼ぶから」の一度のみ。

ここでは「彼女」と「きみ」を同一として考える。これを別の人物とするとかなりごちゃごちゃしてくるので。

 

 

わたしはこの歌詞を、量子コンピュータ量子テレポーテーションの話だと考えている。

この曲を聴いて、最初は「ネット世界の話」と考えた。

0と1の狭間へ

消えさっていく

「0と1」といえば、デジタル情報を処理するときの2進数、とはじめに思い浮かんだ。

「彼女(きみ)」はネット上だけにいる存在?

仮に具体的な彼女像を考えるなら、バーチャルアイドルVTuber、VRMMOゲームの中のヒロイン……など。 

ネット世界の解釈は供養。

@SSSS_myuさんの伏せ字ツイート | fusetter(ふせったー)

 

これが他の箇所も考えていくと、「量子コンピュータ量子テレポーテーションの話」と考えると大体つじつまが合う。たぶん物理学の人なら一瞬で分かるのかもしれない。我……ド文系のセンター生物選択……。

 

これに気づいたのは「量子のたなごころ」という詞からだ。そもそも「シュレディンガーの猫」は量子力学の話だった。

 

無数の分岐こえて」から、量子力学における「多世界解釈」の考えが見えてくる。彼女はここではない別の平行世界にいる。 

多世界解釈量子の世界ではさまざまな状態が重なり合っている。

コペンハーゲン解釈」では、これを観測することによって1つの状態に確定される。

このコペンハーゲン解釈に対して「多世界解釈」では、観測によって世界が1つに確定されるのではなく、重ね合わされた状態の数だけ世界が分岐しており、並行世界として存在すると考える。

 

そして「0と1」は最初の解釈と変わらず2進数だが、さらに限定して量子ビットのことだと考える。すると、彼女は量子コンピュータの中にいる存在(あるいは、極端に考えれば量子コンピュータそのもの)というところまで分かる。

量子ビットとは - コトバンク

 

「彼」は量子コンピュータの中の「彼女」に心酔しているが、彼女が実在する人物なのかは不明。

 

彼女は

 ・実在している状態(=現実に存在する人物)

 ・実在していない状態(=量子コンピュータの中に存在し、現実には存在しない人物)

 

この2つが重なった、矛盾した状態にある。ここが「シュレディンガーの猫」と掛かっている。

 

 

これを前提に、以下からは歌詞の流れ通りに読んでみる。わたしはもう息切れしてますが(笑)

また、一応つらつら書いていきますが、この物語がすべて「彼」の妄想という可能性は高いと思う。壮馬さんも「妄想の曲」と言っている。「彼は幻想の虜」という歌詞がそのまま正と考えると、そういうことになる。

 

 

◆歌詞について 

彼女はまるで蝶のよう

」はバタフライ・エフェクトから?

バタフライ・エフェクトは、「蝶の羽が起こす風が影響し、遠距離で竜巻が発生するかもしれない」ということから、小さな出来事が遠い場所や未来に大きな影響を及ぼす可能性があることを指す。

彼女は世界・未来に大きな影響をもたらす存在。

 

また、「プシュケー」とつながっていることは後述。

 

蠢く街のスクランブル

【scramble】(英)ごちゃ混ぜ、奪い合い

和製英語(?)で「暗号化された通信」のような意味がある。NHKの問題でスクランブル放送が~ってよく聞くのはこれ。

スクランブル通信 | 通信コンサルのアシストネットナビゲーション

 

関係ないが、ヒプマイの帝統の『SCRAMBLE GAMBLE』は「奪い合う」の意味。

 

ここではコンピュータ世界の話であることもあり、「暗号化された通信」の意味ととる。

街にはスクランブル化された通信が溢れている。

 

瞼の裏の残像

気づけはしないサブリミナル

彼は瞼を閉じている状態。眠っている?

 

【サブリミナル】潜在意識に働きかけること。「サブリミナル効果」でよく聞く。例えば、映画の予告映像に目で認識できない程度の長さでポップコーンの写真を入れ込んだところ、ポップコーンの売上が伸びた、というデータもある。

 

コンピュータの中にいる彼女が、スクランブル通信を使って彼にサブリミナル的に働きかけている。彼は寝ている状態なのか、潜在意識下のことなのでそれに「気づけはしない」。

 

彼女の存在が彼の妄想とすると、彼女は彼の見ている夢に出てくるだけ、という可能性もある。

彼は起きるとその夢を覚えていないので、サブリミナルに働きかけられているのと同じ。

 

スクランブルサブリミナル」で韻。

 

欲望という名の

鱗粉を撒き散らし

戯曲・映画の『欲望という名の電車』から?

観たことはないが、レイプ・同性愛などを含む性に関するセンセーショナルな内容らしい。

 

彼女は蝶にたとえられていたので、「鱗粉」と掛かっている。また、「鱗粉」は量子的なイメージをもつ。

 

プシュケー 空洞だけが

その胸に棲みついた

とり憑かれてしまった

【プシュケー】古代ギリシア語で心・魂・蝶。もとはギリシア神話に登場する、美しい人間の娘の名前。英語の「psyche(サイケ)」の語源。

 

プシュケー」と「」はつながっている。

蝶は、世界各地で「魂(特に死者の魂)」や「再生・不死・輪廻転生」のシンボルとされているという。蝶がイモムシからサナギを経て成虫へとドラマチックに変化する完全変態の昆虫だから、という説が多い。

蝶のスピリチュアルな意味とその理由 | 開運日和

 

「再生・不死・輪廻転生」は、後述の「袖振り合うも多生の縁」や「ウロボロス」ともつながる。

 

彼は彼女の魅力に「とり憑かれてしまった」が、まだ彼女像はぼんやりとしているし、触れられない。

そのため彼は、胸に空洞が空いたようなもどかしさを抱いている。

 

袖振り合って

多生の縁でいいって

元は「袖振り合うも多生の縁」という故事成語

【袖振り合うも多生の縁】道で人と袖を触れ合うようなちょっとしたことでも、前世からの因縁によるものだ

 

興奮した歌詞(毎度恒例)。ここはあんまり深い意味はない気がする。

袖が触れ合うくらいちょっとでいいから、彼は彼女に触れたい。

プシュケーと蝶は「再生・不死・輪廻転生」のシンボル。彼女はコンピュータの中にいるが、前世からの輪廻転生によるつながりがある、と彼は思っている。

 

無数の分岐こえて

きみを呼ぶから

ここで「多世界解釈」にたどり着く(先述)。

重ね合わされた状態の数だけ世界は無数に分岐しているが、彼はその無数の平行世界から彼女(きみ)を見つけ出そうとしている。

 

また「無数の分岐」については「バタフライ・エフェクト」とのつながりも考えられる。ちょっとした分岐の選択によって、未来は大きく変わってしまう可能性をはらんでいる。

 

映画『バタフライ・エフェクト』では、死んでしまった女の子を生き返らせる(生きている未来を取り戻す)ために、主人公が過去に戻って何度もやり直す。その際、分岐における選択のわずかな違いによって未来は大きく変わってしまう。

現在放送中のドラマ『知ってるワイフ』にもこのようなシーンがある。

 

でも本当は知らない

彼女の名前も声も

どんなふうに笑うのかさえも

彼は彼女の名前や声、顔を知らず、概念しか把握できていない。彼女は量子コンピュータの中からサブリミナルに働きかけていたので、当然である。

 

彼女は彼の妄想によって作り出され、夢に出てくるだけの幻想とすると、もともと顔や声をもたないと考えられる。

 

彼は幻想の虜

嘲笑う衆愚をものともせず

数えるのをやめたころ

周囲から見れば、コンピュータの中にいて、彼の夢に出てくる彼女は「幻想」でしかない。コンピュータの中の人の虜になるなんてバカ?……という嘲笑が彼に向けられている。

が、彼はそれをものともしないほど彼女に夢中。

数えていたのは、彼を嘲笑う愚衆の数かな。もはや数えきれないほどバカにされている。

 

彼女が囁きかけたような

サブリミナルだった彼女からの通信に、彼が気づき始める。

≒彼女が出てくる夢の内容がはっきりとしてくる。

 

交わるはずなかった

それぞれの点と点が

触れた利那 生まれた

ウロボロス

ウロボロス自身の尾を噛んで輪の状態になった竜の図。象徴するものは「死と再生」「不老不死」「永遠性」「始まりと終わりがない完全性」など。

中世の錬金術においては「真理」の象徴。そ……!そういえばハガレンホムンクルスたちの身体にはウロボロスの紋章がある。一は全……全は一……。エド錬金術の際に両手を合わせるのは、自分の身体で輪を作ることで力を循環させるため……。

壮馬さんよくハガレンの話するよね。わたしもリザさんが好きです。

 

そして、プシュケーと蝶も「再生・不死・輪廻転生」のシンボル。

ユングも「ウロボロスはプシュケーの象徴」と考えていた。

 

現実世界にいる彼と、コンピュータの中にいる彼女は本来、「交わるはずなかった」。

しかし、彼がコンピュータの中に飛ぶことでふたりが触れ合う。これがシュレガにおける量子テレポーテーション

 

もしかしたら彼は、コンピュータの世界で生きることを選んで、生と死すら超越するのかもしれない。だからウロボロスやプシュケーが象徴する「不老不死」になり「永遠性」が生まれる。

 

量子テレポーテーションはまじでちゃんと理解できなかった。我、ド文系の(略)

量子力学が創り出す不思議な世界ー量子テレポーテーション!ー | サイエンス&テクノロジー | 研究・社会連携 | 京都産業大学

 

表面だけかいつまんで引用する。

>光の粒子(光子)がもっている情報を遠く離れた場所に瞬時に伝送できることが、実験で裏付けられた。この方法は「量子テレポーテーション」と呼ばれ、SF小説でおなじみの“瞬間移動”も単純な原子や分子なら夢ではない。この原理を超高速通信や量子コンピュータに応用する展望も開けてきた。

 

アインシュタイン相対性理論では、光の速度より速く情報を伝送することはできない。(略)しかし、量子テレポーテーション相対性理論不確定性原理に反することなく,光子の状態に関する情報を瞬時に遠くまで伝送できる。

 

https://www.nikkei-science.com/page/magazine/0006/ryoushi.html

 

量子のたなごころで

彼を包み込み

生存線の先へと

qunatum!!(大声)『quantum stranger』で量子的、量子的って言ってたのが懐かしい。

量子コンピュータの中に入り込むので、彼は無数の量子ビットに包み込まれる。

 

生存線」は【オブジェクト生存線】というプログラミング用語しかヒットしなかった(これこそ本当に1ミリも理解できない)。彼はコンピュータ世界へ行くので。

また、生死を超越するので、「生存線の先へと」行く、という意味もありそう。

 

異空間へ行って

たぶんこっちって解って

彼女のかおりがして

手を伸ばすから

彼はコンピュータの中という「異空間」へ行った。

そこで、彼女の手掛かりをつかむ。

香りは五感のなかでも記憶と強く結びついていると言われる(プルースト効果)。

彼がもつ前世からの記憶が、「彼女のかおり」によって喚起されている。

 

ていうかまた『グリフォンズ・ガーデン』の話していい?いいよ

>「あのね、わたしの記憶って、香りに支配されているのよ。(略)映像でも音でもなく、香りなの。よく、デジャ・ビュっていうでしょ。見たことなんかないはずの光景を懐かしく感じるときのこと。(略)香りが似ていると、わたしはデジャ・ビュの扉の鍵を見つけられるの」(略)

「どうして、神様は、香りだけは情報としての確かな記号を与えてくれなかったのかな。(略)香りだけは、確かな記号にできない。映像も音楽も、磁気テープや光ディスクに記憶してネットワークで伝えられるのに、香りだけは保存手段も伝達手段も与えられていないじゃない」(略)

「きっと、香りだけは新しい情報じゃないからだ。(略)香りの分子は、地球が誕生したときからある元素で構成されている。(略)光や音っていうのは、基本的にその構成物質に拠らないんだよ。その形態っていうか、状態に拠っている情報だけれども、香りは、百パーセント、その構成物質に依存している。何も新しくならない」

──早瀬耕『グリフォンズ・ガーデン』ハヤカワ文庫 P.173

 

「香りだけは情報としての確かな記号がない」。

彼が飛んだ量子コンピュータの世界は、量子ビットによって処理されているはずである。

しかし、香りは(0,1)による符号化ができない。

つまり、ここで彼が嗅いでいる彼女のかおりは、コンピュータにプログラムされたものではない。彼自身が勝手にかおりを感じている、と考えるのが妥当。

彼女のかおり」の情報は、彼自身がもともともっている記憶である。すると、彼女は彼の妄想が作り出した存在、という筋が説得力をもってくる。

 

でも本当はもはや

身体 解き放たれたの

彼はコンピュータの中で生きることを選び、肉体的な生死を超越したので「身体 解き放たれた」。

 

光よりはやく飛ぶから

 量子テレポーテーションでは「光よりはやく飛ぶ」ことが可能になる。

アインシュタイン相対性理論では、光の速度より速く情報を伝送することはできない。(略)しかし、量子テレポーテーション相対性理論不確定性原理に反することなく,光子の状態に関する情報を瞬時に遠くまで伝送できる。

 

https://www.nikkei-science.com/page/magazine/0006/ryoushi.html

この歌詞は、彼が量子テレポーテーションをしている裏づけになり得る、とわたしは考えている。

 

ユーレカ 狂ったように笑って

【ユーレカ】Eureka(ギリシア語):「分かった」「見つけた」というときに使われる感嘆詞。「ユリイカ」とか「エウレカ」と言ったほうが日本ではポピュラーな気がする。

ユーレカ」としているのは、「幽霊か」と掛かっている? 彼女は彼の妄想が作り出した存在=幽霊、ともとれる。

 

彼は「何かが分かった」or「何かを見つけた」。

彼はコンピュータの中で彼女を捜していたので、ここでは「彼女を見つけた」と考えるのが自然。

彼はついに彼女を見つけ、「狂ったように笑って」いる。

 

暗い部屋で踊って 彼はわからない

彼女は彼が眠っている間に見ている夢に出てくる、妄想で作り出された存在なので、彼の部屋は暗いのだと予想できる。

彼は眠りながら踊っている、夢遊病のような状態。

しかし「彼はわからない」、彼自身は自分が妄想を作り出していることに気づくことができない。

 

ああ 本当は シャングリラ

すべてが解き明かされて

眠るように 空を見上げた

【シャングリラ】Shangri-La(英):もとはジェームズ・ヒルトンの小説『失われた地平線』に登場するユートピア。そこから、ユートピアそのものの代名詞のようになった。

ドラマーが絶対通る(知らんけど)チャットモンチーの名イントロ。

 

量子コンピュータの中は彼にとって理想郷(=シャングリラ)ではあるけれど、「シャングリラ」自体は架空の地。

彼女は妄想の中の、実際には出会えない架空の存在であることが「解き明かされて」しまった?

彼はそのまま踊るのをやめ、眠りにつく。

というバドエンではないか、とわたしは思っている。

 

 

はあ長かった。読むほうも疲れるよねごめんね(?)

 

 

●「妄想」要素について 

古い由来をもつ語が目立つ。

プシュケー:ギリシア神話

袖振り合うも多生の縁:故事成語

ウロボロス古代ギリシア

ユーレカ:もともとはアルキメデスが発した感嘆詞とされる

シャングリラ:1933年のジェームズ・ヒルトンの小説『失われた地平線』

 

シュレディンガー・ガール』自体はSF的なのに、古代ギリシアにはじまり古典の要素がちりばめられている。

時代が倒錯していて彼の頭がヤバイ状態なのがわかる。

 

 

◆音楽面について 

>北欧のギターロックバンドっぽいからという仮タイトルで。

──「声優グランプリ」2020年12月号

>スウェーディッシュポップのコード進行を意識した曲だったので“北欧“という仮タイトルだったんですけど

──「Ani-PASS」#10

 

ギターロックとポップ全然違うやん。サウンドはロック、メロとコード進行はポップということかな。

 

カーディガンズから始まった、90'sスウェディッシュ・ポップ! - Middle Edge(ミドルエッジ)

え、聞いたことある!?ていう曲が非常に多くて驚いたの極み乙女。スウェディッシュポップは知らないだけで身近にあった。

女性ヴォーカルが多くて、透明感がありキラキラしてる。

 

「ばらっぼー」の部分、シュレガの「でも本当はァッァー知らなァッァーい」と似てる気がしなくもない。

 

 

編成は【リードギター・バックギター・ベース・ドラム】の王道オルタナサウンド

個人的にはアニメ『覆面系ノイズ』のオルタナ・バンド、イノハリっぽいなと思った。

 

>声優だから今までは声を前面に出したミックスをお願いしていた。

でも、もともと好きな音楽はボーカルがそこまで前に出ていないことが多い。

今回は声を加工したり、声を奥のほうに引っ込めたミックスバランスになっていたりする。

──ダメラジ 2020年12月16日放送

>音がシュワシュワ揺れるようなエフェクトもふんだんに使っている

──「声優グランプリ」2020年12月号

 

シュレディンガー・ガール』はヴォーカルがバンドに埋もれていて、奥まっている。

主人公が情報・量子ビットの波に呑まれているような印象。

 

 

あと、ベースだけチューニングが低めに聴こえる(耳が悪いだけかもしれないからこれはあんまり気にしないでほしい)。

歪(ゆが)み、ちぐはぐ感がある。

 

 

イントロは2段階になっている。

ド頭の、コードではなく単音で鳴っているほうのリフは、蝶が鱗粉を撒き散らしながら舞う様子。

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このリフはサビでも鳴っている。これがどこか「サブリミナル」的である。

 

似たもので、きゃりーぱみゅぱみゅ『最&高』では、サビのメロディーがA・Bメロの後ろで鳴っている。

 

中田ヤスタカは「Aメロからサビのメロディーを印象付け、サビになった時に聞き馴染み感を出している」としている。

中田ヤスタカ、Perfume&きゃりー楽曲の秘密明かす「フレーズが成長していく」 - Real Sound|リアルサウンド

 

 

 

M3.Vampire Weekend

 

◆タイトルについて 

恐らく仮タイトル「VW」だったやつ。

 

ヴァンパイア・ウィークエンドは実在するイギリスのバンド名。代表的な曲をざっと聴いてみた。

Vampire Weekendのおすすめ人気曲、代表曲、アルバム

 

脈絡のない曲が多い印象がある。分断されてたり、急にホイッスルボイスが入ったり。

『Vampire Weekend』は【A・B・C・D・サビ・サビ・F】というめちゃくちゃな展開。

それがヴァンパイア・ウィークエンド(バンド)っぽいから仮タイトル「VW」にして、そのまま残ったのかな。

A類稀なる称賛~

Bさまよえる影の~

Cシャイに グラス傾けては~

Dレゾンデートル~

サビ何千年生きていたって~

サビそんなに見つめないで~

F招待状 送りましょう~

(間に「ヴァンパイア・ウィークエンド」が挿入)

 

とはいえ、バンド名に由来するだけでなく、この曲はヴァンパイアを主人公としている。

>ヴァンパイアは逸脱したものを否定せず、自分の要素として持ちながら、人間になりすまして生きている。

──「Ani-PASS」#10

 

・週末の闇にロづけをした

・来週もこの街で

さらに、これらの詞から、週末が舞台となっている。

つまり「ヴァンパイア」の「ウィークエンド」がそのまま描かれている、直球なタイトルでもある。

 

 

壮馬さんはアプリゲーム『イケメンヴァンパイア』でヴラドを演じている。ヴラド本編ストーリーはアルバム発売の翌日に配信が開始された。こんな偶然あんのかと思った。ヴラドめっちゃ良いのでおすすめです。

 

 

◆音楽面について 

>同じコードが繰り返されていく中でメロをどんどん変化させて、グルーヴを出していく洋楽的発想

──「Ani-PASS」#10

 

グルーヴを意識したブラックミュージックベースのシティ・ポップ。ネオンサインが似合う。

ヴァンパイアが主人公という変化球な曲だけど、ポップさがちゃんとある。

同じ「ヴァンパイア・ウィークエンド」のフレーズが繰り返されるのも洋楽っぽい。

 

レミング、愛、オベリスクもグルーヴ感があり、2小節ずつのコード進行がループしていた。

 

ギターは Awesome City Club のモリシーさん。壮馬さんは3年前くらいからAwesome City Clubのファンを公言していた。

ACCにも『Vampire』という曲がある。かわいい曲だーーー

 

壮馬さんはラジオ(「TS ONE UNITED 斉藤壮馬アセンションプリーズ」1週目)にてこの曲を流していた。

さらにアセプリ3週目ではACCのアタギさんと生電話してた。すげー。「曲書いてください!」とか言ってたのに、逆に自分の曲に参加してもらってる。すげー。すげー……(心からの感嘆)。

 

『Vampire Weekend』のアレンジャー ESME MORIさん はACCのアレンジャー。

ヒプマイのFling Posse『Stella』や夢野ソロ曲『蕚』のアレンジも担当していた。お世話になりまくっている。2曲とも最高です。

 

 

『Vampire Weekend』はACCサウンド斉藤壮馬テイストの詞が乗るハイブリッド。すごい新感覚だった。

 

発声がセクシー。気だるげというか。「騙しあいされたい」の部分はウィスパーなコーラスが重ねられている。

 

この曲はメジャー・マイナーを行ったり来たりする。調性はG♭メジャー・E♭マイナー(変ト長調変イ短調)。

もっとも黒鍵が多い調。奏者からするとふざけんなと言いたくなる調でもある(笑)

もっともひねくれている、一筋縄ではいかない調とも言える。この曲があと半音低くても、あるいは高くても、あの特有の妖しさは出なかったと思う。

 

 

●曲構造について 

この曲の構造は【A・B・C・D・サビ・サビ・F】。

サビまでが長いので、期待感が高まっていく。やっと「何千年生きていたって~」が聴こえるとサビキタコレ!感がある。

 

・Aメロ

頭はアウフタクト×ブレイクで、歌詞がかなり印象的に入ってくる。

アウフタクトは「弱起」と呼ばれるやつで、決まった拍数に満たない小節(不完全小節、4拍子なら4拍に満たない小節)の音のこと。アウフタクトの音は次の完全小節の1拍目に付随するような形になる。

 

なんかパッと浮かんだのがオーイシさんだった。

「めをさませ」がアウフタクト。この曲もアウフタクト部分がかつブレイクとなっているので、「目を覚ませ!」が印象的に聞こえる。

 

「きみとまた」がアウフタクト

 

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譜面は小さくてごめん……スマホで見やすい楽譜の打ち方が知りたい

 

類稀なる称賛」では、「しょう」の音が1拍目になるので、その前の「たぐいまれなる」がアウフタクト部分となる。

さらにバンドの音がなくブレイクとなっている。

歌詞に「類稀なる」なんて言葉を使うだけでも印象的なのに、アウフタクト×ブレイクがさらにそれを助長する。

ちなみに『Vampire Weekend』でアウフタクトは「類稀なる」と「彼は道化の」という2か所のみ(ピンクの部分)。

 

1stアルバム時のリリイベで、アウフタクトもブレイクも好きと言っていた、と見た記憶がある。

 

さらに次の「受け取るまでもなくね」「週末の闇に」はE♭とG♭が行き来する(青い部分)。

細かい話だけど、この2音が繰り返すことで、「彼」が白なのか黒なのか、良い存在なのか悪い存在なのか交錯しているように思わされる。

 

・Bメロ

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1拍1音。歌詞の情報量が少なく、ゆったりしている部分。どこか「彼」の余裕が感じられる。

 

・Cメロ

ループするグルーヴがここだけ消える。さらにヴォーカルにエフェクトもかかっている。この曲でもっとも幻惑的な部分。

 

・Dメロ

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今度はB♭とA♭が行き来する(青い部分)。

ここもAメロのE♭・G♭と同じ効果。

 

・サビ

マイナー→メジャーに転調。

サビのメロは【ソ♭・ラ♭・シ♭・レ♭・ミ♭】のペンタトニック。

『Summerholic!』記事 でも語ったが、ペンタトニックには売れ線のメロの曲が多い。

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・Fメロ

Bメロと同じく1拍1音で余裕がある。

 

 

◆歌詞について 

類稀なる称賛

受け取るまでもなくね

彼は道化のようで

週末の闇にロづけをした

週末=Weekendの夜が舞台であることが分かる。

ヴァンパイアは日光が苦手で、夜に行動するとされる。

 

さまよえる影の

外套がひらり

おしゃれか??? ヴァンパイアといえばマントを着ているイメージ。

 

見えざる世界の

理の外側

ヴァンパイアは、ここではない別世界から、週末になるとこちらの世界に現れる。

彼は「」から外れた存在である。

 

シャイに グラス傾けては

そっと ほくそ笑むような

ここたまらん。おそらく女性と酒を交わして引っ掛けようとしている(=騙しあい)場面。

彼は「シャイ」に見えるが、裏では「ほくそ笑む」。つまりシャイを演じている。罪なやつ。

 

今日と明日のあいだから

手招くよ

彼は24時を超えて、引っ掛けた女性を夜通しどうこうしようとしている。

 

Web連載「斉藤壮馬のつれづれなるままに」の「夜が終わる」というエッセイに、「24時と0時のあいだに」という表現があった。

斉藤壮馬のつれづれなるままに|番外編|夜が終わる | JOURNAL 連載 | KIKI by VOICE Newtype

大好きなやつです。無料会員登録で読めるからぜひ読んでほしい。

今日と明日のあいだ」はこれと同じ匂いがする。

 

レゾンデートル

空いたままの穴

埋めるより妖しく舐めて 

壮馬さんによると「ヴァンパイアは逸脱したものを否定せず、自分の要素として持ちながら、人間になりすまして生きている」。

普通から逸脱している状態は、おそらくものすごい疎外感があって孤独。それを「レゾンデートル(存在意義)に穴が空いている」と表現している。

 

しかし、彼は逸脱を否定しない。

レゾンデートルに空いた穴を埋める気はなく、むしろ舐めて(=愛しささえ覚えている)認めて共存している。穴は空いたままでいい。

つまり「完全性に興味なんてない」ということとつながる。

 

何千年生きていたって

完全性に興味なんて

ないのだよ 彼は

ヴァンパイアは永遠の命をもつので、「何千年」も生きている。

何千年完全性」で韻。

 

ヴァンパイア なりすまして

あいまいな指づかいで

夜に溶けていく

ヴァンパイアである彼が、(人間に)なりすましている。ということ?

 

そんなに見つめないで

淫靡に触らないで

銀色の八重歯

八重歯は英語で「Vampire teeth」と言うことがある。

八重歯(牙)は彼がヴァンパイアであること(=彼にとって逸脱)の象徴。かつ、ウィークポイントでもあるので、あまり「見つめないで触らないで」ということ。

 

来週もこの街で

平穏の片隅で

騙しあいされたい

壮馬さんによると「騙し合いされたい」「騙し愛されたい」のダブルミーニング(「Ani-PASS」#10)。

彼が一方的に女性を騙しているのかと思いきや、彼も相手に騙されて遊ばれている。しかも、それを楽しんでいるようである。

 

招待状 送りましょう

宛名はもちろん そう

宛名」はリスナーのこと?メタ演出?

いいですか?これがイケメンヴァンパイア課金ユーザーの思考回路ですよ。とにかくヴラドはくそかっこいいのでおすすめです(n回目)

 

 

 

M4.キッチン

この曲は語るところねえよ。考えるな感じろの曲。語るけど。

キッチン→ぺトリコールの流れはサイコパスメドレーだと思ってる。

 

◆タイトルについて 

恐らく仮タイトル「ボサノバ」だったやつ?

 

●「魔女」がいる場所 

(違う声優の話をして申し訳ないが)木村良平さんが以前、料理にハマったきっかけについて、「食材が自分の手にかかることできれいな料理になる。それって魔法みたいだと思ったから」と語っていたことが印象に残っている。

 

料理とはたしかに、硬かったり苦かったり毒があったりする食材を、切って刻んで粉を振って熱して、まったく異なる形にメタモルフォーゼさせる業と言えるだろう。

料理という行為が魔法なら、キッチンに立つとき、料理をする当人は「魔女」になるのかもしれない。

 

『キッチン』という曲はどこか突拍子もなく、幻惑的ですらある。

それは、キッチンが人を惑わせる魔力を秘めた特別な場所であるからだ、と考えると、わたしは腑に落ちるのである。

 

 

●「生活」との密接 

>「生活」は『in bloom』シリーズのさらに先にとってとても重要なキーワードです。といっても、まだ構想段階なのでどうなるのかはわかりませんが……。世界が終わっても、生活は続く(のだろうか?)。頭の片隅においていていただけたら、いつか繋がる日がくると思います。

 

声優、斉藤壮馬が語る3曲連続リリース『in bloom』と、最新第一弾デジタルシングル「ペトリコール」について。 | HARAJUKU POP WEB

 

『キッチン』はもっとも生活感があり内省的な曲だと思う。

曲自体も3分ちょっとしかなく、一番ミニマルにまとまっている。秒で終わる。

 

>自分の経験から、キッチンドランカー的な妄想を膨らませたのがコレ

──「Ani-PASS」#10

全体像としては、料理しながら歌っている鼻唄か独り言みたいなイメージ。

キッチンドランカーなので、飲み食いしながら料理している。

 

 

◆音楽面について 

●サビがない?

一応、「サビはちょっと疾走感のあるギターロックみたいな~」と語られていた(「声優グランプリ」2020年12月号)。

恐らくここで言われているサビは「世界を救うのは たぶんわたしじゃない」の部分。

急に4つ打ちでバスドラが入ってくるのが「疾走感のあるギターロック」っぽいということだと思う。

 

16小節あるが、そのうち8小節は「u~u~」というハミング。情報が極端に少ない上に秒で終わる。それがどうもサビっぽくない。

 

 

●キッチン用品 

リズム隊にキッチン用品が使われている。おたま・はさみ・ミル。

学生時代にはトイミュージック的発想がすでにあったようで、そこが源流なのかもしれない。

>100円ショップとかに行って、小さいフライパンを5個買えば、これをドラムにできるみたいな、たいそうなものではなかったけどそういうDIYミュージック的なことをやってみようとしたり。

 

斉藤壮馬の音楽はなぜこれほど深い没入感を生むのか? 自身のルーツから新作『in bloom』までを語る!(2020/12/28)邦楽インタビュー|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム)

 

 

◆『デート』との類似 

>「デート」(3rdシングル)の発想で料理をしたらこうなりました、みたいな。それは「キッチン(仮)」という曲なのですが、ぜひ楽しみにしていてほしいです。

 

斉藤壮馬インタビュー 第2章からは「自分を解き放つ」ことにした理由 & 『Summerholic!』・9月新曲『パレット』の楽しみ方 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

ということで、『デート』との類似点が多少ある。

 

壮馬さんに言わせると、「in bloom」という言葉には、頭がお花畑みたいな(注:意訳)意味も含まれている。

>曲の主人公にとってはまさに今“in bloom”しているんだけど、それを第三者が見ると、ただハッピーなだけではないという違和感がある曲になっています。

 

斉藤壮馬【インタビュー】自分でも想定していない部分を大事にしながら作り上げた、2ndフルアルバム『in bloom』 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

つまり「in bloom」は「アセンション」と同じような意味をもつのだと思う。

 

 

これなら やわやわになるっ♡

壮馬さんそういうとこだぞ。

表記について。このハートマークは、『デート』における「ああ、なんか酔っちゃいそう♡」と同じである。

 

 

●コード進行の類似 

コード全体が半音下行する3音が多用。

Aメロなどでは以下のコード進行が4小節ごとに出てくる。

たぶんわたしじゃない」直後・「オーケストラ」・「ナツメグ 入れすぎて

【Am→A♭m→Gmadd4】?

 

半音下行の3音はデートにも出てきていた。

イントロ・間奏の【Em→E♭m→Dm】

アウトロの【Gm→G♭m→Fm】

参考:「デート」 斉藤壮馬 (ギターコード / ピアノコード) | 楽器.me

 

 

◆歌詞について 

語ることない。語るけど。

 

まずはそうだ

洗い物しちゃわなきゃ

壮馬さんは料理が趣味だが、洗い物が苦手(ダメラジなどでの発言)。

 

空の瓶が

お利口さんに並んだ

酒か調味料の瓶? 並んでいるので、空の瓶は複数本ある状態。

キッチンドランカーなので酒の可能性は高いがヤバい。1升以上空けてたらどうしようwwwwww

調味料でもヤバい。タバスコ丸々3本とか入れてる可能性もある。

 

捨てるなら

まとめてから 旅に出る

旅に出る」は妄想にトリップする、の意。

「る~」のファルセットがトリップ感を助長する。

 

ここからの思考が飛躍するので、酒1升空けてる可能性は高そう。酔っててもごみをまとめるのはえらい。

 

世界を救うのは

たぶんわたしじゃない

『in bloom』および『キッチン』の世界観は「世界が終わっても、生活は続く(のだろうか?)」だった。

『in bloom』の曲における主人公たちは、世界の終わりを一度経験した、ポスト世界の終わり世代である。ノアの方舟で言えば、ノア本人あるいはその子孫たちにあたる。

そのため、わたしたちからすれば突飛と思われる「世界を救うのは……」という思考も、彼らにとっては普通のことなのかもしれない。

わたしたちが世界大戦を経験していないにもかかわらず、ずっと「戦後」を生きているのと同じだ。

 

また、ミクロな「キッチン」というスペースから、マクロな「世界」へと思考が飛躍している。

 

ああ そうだ

アボカド もう限界だわ

それにコーラ

炭酸抜けきってるから

まてよ そうか

アレにしてしまおうか

魔女のサイダー

レシピに沿って歌っている。

アボカドは腐っているから「もう限界」?

オムレツを作っていたはずのフライパンに、アボカドとコーラを投入。コーラが入るので黒いはず。

おぞましい見た目が容易に想像でき……ない。『白雪姫』の魔女とかがよく大鍋で煮ている薬、みたいなイメージ。

 

神さまのレシピを盗んで

魔女のサイダー」だったはずなのに、「神さまのレシピ」を作っている気になっているという矛盾。このあたりから主人公はかなり倒錯してくる。

 

桃源郷

シュレディンガー・ガール』の「シャングリラ」はそのまま桃源郷のことを指す。

『いさな』の「まほろ」も「理想郷」といった意味の古語。

今回、曲をまたいだつながりはないと思っていたが、アルバム全体で「世界の終わりのその先」が通底している可能性は高い。そこで、世界の終わりの先に「桃源郷」を見つけた主人公が多いのかもしれない。

 

オーケストラ 神秘で

なんだかもう シンフォニー

キッチンで「オーケストラ」ができていて「シンフォニー」が鳴っているということは、曲中のおたま・はさみ・ミルなどの音をまじで主人公が鳴らしている可能性が高い。

 

ああ ナツメグ 入れすぎてしまったかも!

ミステイク……

はじめましてのとき声出して笑った。笑うところらしいので良かった。

 

ナツメグ」を入れすぎると、めまい・幻覚・吐き気などの症状が出ることがある。

主人公はこれによって幻覚が加速していく。

ナツメグ中毒の恐怖とは? 食べる時は分量に注意が必要【UPDATE】 | ハフポスト

 

あー 今日は

なに食べようかな そんで

あああ 今日は

なに食べようとしてたっけ

オムレツはもはや「魔女のサイダー」になってしまったので、原型をとどめていない。

しかし、オムレツ作ってたのに「なに食べようとしてたっけ」はまじでやばい人。

Cメロからさらに倒錯が進み、記憶が飛んでいる。

 

 

『キッチン』には「あー」「あああ」という感嘆詞が多用されていて、感覚的な歌詞と言える。

 

シュレガのところで全然関係ないけど名前を挙げた(偶然)チャットモンチー『シャングリラ』には、「あぁあ」がいくつか挿入されている。

笹舟のように流れてったよ あぁあ

僕らどこへ向かおうか? あぁあ

 

歌詞 「シャングリラ」チャットモンチー (無料) | オリコンミュージックストア

 

神山羊『Child Beat』には「あああああああああ」「あああああ」という詞が出てくる。

神山羊は壮馬さんも出ていたアニメ『空挺ドラゴンズ』の主題歌『群青』を歌っていた。良い曲。ついでに良いアニメ。

https://j-lyric.net/artist/a05f5f3/l04e349.html

 

これらの曲かはもちろん分からないが、「あー」「あああ」などが何らかの曲による影響という可能性はありそう。

 

 

 

M8.BOOKMARK

唯一、ゲストヴォーカルのJさんを迎えた曲。

 

◆タイトルについて 

過去の作品では、sunday morning(catastrophe)』『memento』『quantum stranger』『my blue vacation』など、全て小文字表記のタイトルが多かった。

今回も『in bloom』というアルバム名と『carpool』がそれ。

全て大文字表記の曲は初。

 

>我々のかつてあった物語、これから紡がれていく物語にしおりを挟むという意味で「BOOKMARK」になった。青春を描いているので、最初は「ブルー○○」というタイトルにしようと思っていた。

(リリイベ談)

前回のEPじゃん。あれでしょ。『ブルーピリオド』からでしょ(私信)。わたしは八雲くんがめっちゃ好きです。

 

 

◆音楽面について 

イントロのトゥルットゥルッフェイクが好き。『BOOKMARK』のフェイクもシティ・ポップっぽい。ヒップホップが融合したザ・ネオ・シティポップって感じがする。

トゥルトゥルとはちょっと違うけど、こういうイントロ。

 

 

「BOOKMARK」というタイトルに掛けて、本をめくる「ペラッ」という音がリズムに入っている。ラストの「ぱたん」という音は本を閉じる音。その本ハードカバーだったんか。

 

「in bloom」シリーズではRapを試みている?と考えた。

ペトリコール:思い通りにいかない足取りどうかこのまま踊らせて

Summerholic!:明日の準備と摂生倫理と睡眠不足と正気もそこそこ保っているからいいよね?

ちなみに壮馬さんによると、これら↑はRapというより「語り」らしい。ポエトリーリーディングとは区別してるのかな。

今回の『BOOKMARK』で、このシリーズでの試みがひとつ結実されたように思う。

ちなみに、歌詞カードではRap部分がゴシック体になっている。

ペトリコールやサマホリは確かに全て明朝体だったので、Rapとは位置づけていないようである。

 

 

◆歌詞について 

>学生がオールして、朝4時ぐらいに周りを見渡すともう空が青くなっていて、「時間を無駄にしてしまったな」という気持ちもありつつ決して悪い気もしない、みたいな感覚を描いた曲です。もしかしたらアルバムの中では一番ストレートな青春っぽい楽曲なのかなという気がします。

 

斉藤壮馬「in bloom」インタビュー|アーティスト活動第2章で描く世界の終わりのその先 - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

 

『my blue vacation』までのように難解な言葉がちょいちょいある。イキってる大学時代の曲だから?

何を話していたのか全然覚えてないけど、なんかすごい楽しかったことだけは覚えてる、あの頃たしかに存在していた学生時代の飲み会。そういう曲。

逸れるけど、今の大学生ってこの曲みたいな体験ができないってことだよね。コロナで。本当になんだかなあ。

 

 

・アルコホール なにも生み出さない 怠惰な夜

・いつまでこんな 贅沢な 無駄を過ごせる?

Jさんパートに出てくる「モラトリアム」とつながる。

「大学時代は人生の夏休み」って言った人、おねえさん怒らないから出てこい?

 

あとどれくらい水飲んだら

細胞まるごと入れ替わるかな

テセウスの船】の概念。もしわたしの身体を構成する細胞が全て入れ替わったとして、それは以前と同じ「わたし」だと言えるのか? という話だ。

 

また、水は流転するもの、無限に流れるもので、後述する「アウフヘーベン」に通ずる。

 

ペンの続きが途切れたから

黙りあった 午前4時

登場人物は主人公と友人(≒壮馬さんとJさん)の2人。

飲みながら2人で書き物をしている?

 

ターンテーブル乗っかって

ターンテーブルDJ機材のレコードを載せる部分。中華料理屋さんの円卓や、電子レンジの回る板もターンテーブルと呼ぶが、DJ機材のほうがかっこいいのでそう思っておく。

 

対話がぐるぐる回って、終わりがない。アウフヘーベンでは無限に論を展開していく。でも「内容なんもなし」だし「くだらない話」である。

 

ちなみに、「ターンテーブル乗っかって」はカフカ(のちにKFK)の『Ice Candy』のオマージュ?(こちら質問箱で教えていただきました。激アツすぎて震えた。ありがとうございます!)

https://j-lyric.net/artist/a0597c1/l03c0f3.html

壮馬さんは、この曲をラジオ(「TS ONE UNITED 斉藤壮馬アセンションプリーズ」3週目)で流していた。

 

カフカ ペレーヴィン ディック ヴォネガット」のカフカは、作家とこのバンドのダブルミーニングという可能性がある。

 

 アウフヘーベンの果て

アウフヘーベン哲学における思考法のひとつで、「止揚」とも言う。

ヘーゲル弁証法において、事物や命題を「否定」を通じて、より高次のものへと再生成していくプロセスのこと。

「正(テーゼ)」と「反(アンチテーゼ)」を調停し、「合(ジンテーゼ)」を生み出すことで、より高次の命題へたどり着く。

分かりやすい例を引用する。

>A「昼飯何にする? おれはカツが食べたい」←テーゼ

B「俺はカレーが食べたいぞ」←アンチテーゼ

A「そっか、じゃあカツカレーを食べにいこうぜ」←ジンテーゼ

 

弁証法とは (ベンショウホウとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

 

弁証法では、「正→反→合、正→反→合……」を繰り返すことで、アウフヘーベンによって無限に論を高めていき、真理に近づくことができるとしている。

『BOOKMARK』の「」(=無限に流れるもの)はこの「アウフヘーベン」にも通ずる、とわたしは考えている。

 

この歌詞では、対話によりアウフヘーベンを行っている。つまり、主人公と友人の2人で議論をしている。

議論をしながら書き物をしている。

 

千鳥っちゃった足で

元のことばは、酔っ払った人がふらつきながら歩く様子である「千鳥足」。

「千鳥」を動詞化し「千鳥っちゃった」としている。天才か?忘れてた、天才だったわ。

酔っ払って歩くテーマは『デート』『Tonight』に通ずる。

 

すいへいりーべで

まだいけんだろ

すいへいりーべ」は元素記号を覚えるときに習う語呂合わせ「水平リーベぼくの船……」から。

 

カフカ ペレーヴィン ディック ヴォネガット」の歌詞にはこのような由来がある。

>JさんにSF小説のオススメを聞かれて、まずはディックとヴォネガットじゃない?と答えた思い出があったからですね。

──「Ani-PASS」#10

2人はSFの議論をしているので、理系的に元素について話している。

 

たった1R 狭い部屋で一晩中

金麦?プレモル?ウィスキーに焼酎

Jさんパート。宅飲みであることが分かる。

 

醒めたらきっと

落とした灰の数も忘れていく

あのとき 交わしたさかずきも

どっかいっちゃったな

壮馬さんの曲によく出てくる「レーテー(忘却)」の概念。

落とした灰」はタバコ。

翌朝になると2人は何を話していたのか、一体どれくらいタバコを吸ったのか、酒を飲んだのか、すっかり忘れてしまう。なんか楽しかったな、という感覚だけがぼんやりと残っている。

 

カフカ ペレーヴィン

ディック ヴォネガット

すべて作家の名前。

カフカフランツ・カフカ(現在のチェコ)。作風は不条理文学。『変身』など。

ペレーヴィンヴィクトル・ペレーヴィン(ロシア)。この人は知らなかったすまん。

【ディック】フィリップ・K・ディックアメリカ)。SF作家。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』など。

ヴォネガットカート・ヴォネガットアメリカ)。SF作家。『猫のゆりかご』など。

壮馬さんの初作詞曲スプートニクの「ナイス・ナイス・ヴェリ・ナイス」は『猫のゆりかご』の引用。

 

めくるページに 文字がばらけて

ずっと覚えていたいのにな

泡になって 弾けていく

タイトル「BOOKMARK」と掛けて本が出てくる。ここもレーテーの話。

泡になって 弾けていく」のは、『carpool』の「サイダーみたいな空気」「うたかたの日々」のニュアンスに近い。

 

これが俗に言う「大人になる」?

なら俺は子供のままでいいし

ピーターパン・シンドローム?に近いもの。

 

忘れたくない記憶

弾に込めてWalking

灰皿代わりの空き缶にHS(バーン)

次はおまえの番

【HS(ヘッドショット)】銃などで頭を狙い撃ちすること。

弾に込めて」から「バーン」と空き缶に命中させる。

 

次はおまえの番」はメタになっていて、Jさんから壮馬さんにRapパートを交代するよ、と示す。

バーンばばーん」の韻がかわいい。

 

ばばーんと登場 すでにへべれけ

まるで妖怪 つまりテケテケ

【へべれけ】非常に酔っ払った状態。

主人公、遅れて来たのにすでにどこかで飲んできている。

 

【テケテケ】都市伝説でいわれる、脚がない少女の亡霊。結構こわい。多くは語らないので参考サイトを見てください。ざわ…。

激コワ妖怪「テケテケ」-ちぎれた上半身だけで這ってくる⁉都市伝説あらすじ・まとめ | 怪談NEWS怪談NEWS

 

主人公たちは「千鳥っちゃった足」だったが、ここではもっとひどくて、歩けないくらいへべれけになっている。

 

へべれけテケテケ」は【e・e・e・e】で韻。

 

魔法が解ける午前零時

よりもちょっとだけ延長 はは クレイジー

魔法が解ける午前零時」はシンデレラから。

0時から4時って全然「ちょっとだけ延長」じゃないだろ!ってツッコむところ。

 

酔う 何万光年離れたところで

また揃って馬鹿みたいに笑って

1R」(ミクロ)から「何万光年離れたところ」(マクロ)への思考の飛躍。

 

大体まあオーキードーキー

そろそろここらへんが起きどきかい?

【オーキードーキー】Okay-dokey(英):「OK」のくだけた言い方。ここでは「Alright」のような意味かな。大体まあうまくいくでしょ!みたいなニュアンス。

オーキードーキー起きどき」は良すぎる。

 

全体的に壮馬さんパートは不気味さもありトリッキーで、Jさんパートは素直。って感じがする。

 

 

 

M9.カナリア

 

◆音楽面について 

仮タイトル「オアシスミス」だったやつ?

エリオット・スミスみたいに、ささやくように歌う暗めの曲がやりたくて。

──「声優グランプリ」2020年12月号

 

「Togay is gonna~って歌い出すかと思った」って言ってる人何人かいて笑った。

 

元ネタ

よくCMとかで使われてる有名な曲。

MVではチェロが映っていて『カナリア』と同じかと思いそうだが、実際に鳴っているのはメロトロンだそう。メロトロンについては後述。

 

リリイベによると、壮馬さんが好きなバンドのコード進行を入れているという。それが↑の曲かな?と思った。

壮馬さんはオアシスのファン(ラジオ「U-nite! 81Wednesday 斉藤壮馬 の空想サマーフェス」で流した『Live Forever』や、FCのtoday’s choiceなど)。

 

特に前半が『レミニセンス』に似ている。コード進行、テンポ、リズム。

高音で鳴る印象的なピアノも、『quantum stranger』収録のレミニセンスunpluggedバージョンに似ている。

 

 

●『レミニセンス』と比較──コード進行 

カナリアだんまりかい」:Em7 D Cadd9

レミニセンスああ面倒くせえ」:Em D CM7(カナリアに合わせキー+1として考える) 

この部分はリズムも同じ。

カナリア』は最後がアドナインスでまとまり、また3つのコードには構成音Dが共通しているので、どこか安定感がある。ちなみにイントロもこのコード進行のリフ。

Em7:E G B D

D:D F# A

Cadd9:C D E G

 

『レミニセンス』はメジャーセブンスで終わり短2度の不協和音が長く響くので、この曲においては焦燥感を残す効果があると思う。

 

好きなコード進行なのだろうな、という感じ。

ただし、上に乗るメロが『レミニセンス』はマイナーであるのに対して『カナリア』はメジャーである。

「暗い曲、悲しい曲」(リリイベ談)って言ってるのに、キーはメジャーなのが良い。

 

 

●楽器編成について 

音数が少ないから一つひとつの楽器が際立って聴こえる。さらに、楽器ごとにL-Rに振られていて立体的。

カナリアが飛ぶ動物だから空間を意識しているのかな?

 

わたしは【ヴォーカル・アコギ・ピアノ・ストリングス】この4つがメインの曲を聴くと、頭の中で四角形の空間を描くイメージが浮かぶ。ミスチル『僕らの音』落ちサビとか。

 

 

さらに、メロトロンが入ってる? 1:18~のぽわぽわしてて3音ずつリフレインしてる音。

【FAQ】メロトロン ( Mellotron )とは? – Digiland (デジランド) 島村楽器のデジタル楽器情報サイト

 

テープを内蔵していて、鍵盤を押すとテープに入っている音が鳴る。テープを入れ替えることで色んな楽器の音色が出せる。なんともアナログで健気なエモ楽器。

今ではシンセを使って「メロトロン風」の音を目指すことが多いと思うが……。

 

オアシスも何曲かメロトロンを使っているという。先ほどの『Wonderwall』の他に、

1:17~

 

1:15~。滝沢朗……けっこんしよ……ってなる曲

 

 

◆世界観について 

モチーフは映画『カッコーの巣の上で』。鬱映画が多いアメリカン・ニューシネマの代表作のひとつ。

 

この映画観ていないので語る資格がない気がしなくもない。面白そうなので映画館でやったら観る(DVDで映画観るの苦手)。観たらおそらく追記します。

 

カナリアがモチーフである意味は、「籠の中の鳥」と「炭鉱のカナリア」だと思う。

 

・籠の中の鳥

鳥籠に捕われた鳥のように自由がきかない状態。

カナリア』においては、主人公がどこかに監禁されているイメージ。

ペトリコールリリックブックの、白いパジャマみたいな衣装で室内にいるカットみたいな(わたしはあれを、精神病院に入院している患者だと思っている)。

『C』もどこかに監禁されている(している)雰囲気を感じるが、似たモチーフである。

 

・炭鉱のカナリア

昔の鉱山労働者は、毒ガスが発生することがある炭鉱に入る際、毒ガス検知のためにカナリアを籠に入れ連れて行ったという。カナリアは常にさえずっているが、毒ガスを検知すると鳴き止む。

そこから金融業界では「危機が近づいているシグナル」のことを指すようになった。

 

なお、この曲には「カナリア」や「」が出てくるが、本物のカナリアがそこにいたり、毒物に直接犯されていたりするとはわたしは考えていない。これらは主人公の幻覚、かつ何かのメタファーであると考える。

カナリア』の主人公が、『カッコーの巣の上で』の主人公だとすると、ロボトミー手術を受け廃人化していった男である。であれば、脳機能が損傷されていることから、幻覚を見るのも腑に落ちる。

 

 

カットアップっぽい、断片的な歌詞

 

斉藤壮馬【インタビュー】自分でも想定していない部分を大事にしながら作り上げた、2ndフルアルバム『in bloom』 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

朦朧としている主人公は、もはや的確な文法で文章を組み立てることができない。

カナリア』の歌詞は(特に後半にいくにつれ)、言葉を覚えたばかりの幼児のように、単語で構成されていく。「ちかちか 眩しいな」なんか特にそう。

 

カットアップ」参考

カットアップ | 現代美術用語辞典ver.2.0

ART-SCHOOL(壮馬さんがファンである)の歌詞にもカットアップの技法が用いられているという。

 

壮馬さんの楽曲では、『ペトリコール』『memento』『デラシネの歌詞で、体言止めが多く見られた。これもカットアップに近いものがある。

・流し目

・灰色の雨街

・レインコート 透けた ほほえみ

・6月のフレイバー

・しゃぼん玉

──ペトリコール

 

・塔 絡みついた 緑の指

・打ち捨てられた都市

・ひび割れているアスファルト

・まるでそうアースガルド

──memento

 

・ゆりかご

・繭

ミーム

・虹

──デラシネ

 

 

◆歌詞について 

この毒は すこしぬるいから

ぼやけていく わからなくなっていく

「籠の中の鳥」のイメージから、主人公はどこかに監禁されている。

さらに「炭鉱のカナリア」から、カナリアは誰よりも敏感に毒に気づく。主人公がいる部屋には毒ガスが満ちている(ように主人公は知覚している)。

 

しかし、毒は「すこしぬるい」程度なので、すぐに呼吸が止まるほど濃くはない。遅効性であり、ゆっくりと死んでいく。

この曲のテーマは「ゆるやかな死」だとわたしは思っている。

 

>思考がぼやけている感じ、朦朧とした雰囲気

 

斉藤壮馬【インタビュー】自分でも想定していない部分を大事にしながら作り上げた、2ndフルアルバム『in bloom』 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

というのも、じわじわと毒に犯されているためである。

 

ごらんカナリア

だんまりかい?

「炭鉱のカナリア」によると、毒ガスを検知するとカナリアは鳴き止む。

カナリアが「だんまり」であるこの状況下では、やはり毒ガスが満ちていることになる。

 

笑ったような からかっているような

カナリア(幻覚)が笑っているように聞こえ(幻聴)、主人公はからかわれているように感じる(被害妄想)。

 

水はいいな いずれさよなら

元ネタ映画と関係ある?

主人公は自身がいずれ「さよなら」する=死ぬことは分かっている。

 

全体考察でもちょこっと書いたが、水には「無限に流転する」イメージがある。死んだあとに転生できる水を「いいな」と、主人公はどこかで感じている。

 

ごらんカナリア

囀った

つまりは

あんまりだ

鳴き止んでいたはずのカナリアが再び囀った(幻聴)。

そのため、毒ガスは「あんまり」満ちていないと考えている主人公。実際にはそれも幻覚であり、死は着実に近づいてきている。

 

砂を噛んだ ちかちか 眩しいな

ロボトミーが 昨日を失くした

【砂を噛む】砂を噛んでも味がしないことから、面白みがなくつまらないこと。

ロボトミーロボトミー手術。かつて精神疾患患者の治療を目的に行われていた、前頭葉の一部を切除する手術。

 

このへんも元ネタ映画と関係が深い。『カッコーの巣の上で』の主人公はロボトミー手術を受けさせられる。

また、カナリアは実験動物として扱われることもある。主人公は人体実験の被験体?

 

ごらんカナリア

かなしいかい?

カナリアかなしいかい」【ka・na・i・a】。

 

これ以降は主人公の死・崩壊がいよいよ近づいてくるので、脈絡がなくなっていく。

音的にもフォルテが続き、クライマックスといったていを見せる。ほとんどアコ楽器なのにここまでカオスを表現できるものか。

 

うつろな

人形の眼だね

きれいなもんさ

燐光の中

くすぐったいよ

うつろなきれいなもんさ」後ろ2音が【o・a】。

人形の燐光の」【i・n・o・u・no】。

 

【燐光】「生物の死骸が腐敗・酸化するときに生じる光」を指す場合がある。

 

ああ

もう息も 

もう息も(できなくなっていく)」=死んでいく。

 

この毒は すこしぬるいから

ぼやけていく わからなくなっていく

最後は最初と同じ2行が繰り返される。

主人公はもはや前後不覚なので、まるまる同じフレーズを繰り返してしまう。

 

 

 

M10.いさな

おそらく仮タイトルが「くじら」だったやつ。

【いさな】鯨の古語。

 

>10曲目の「いさな」という曲が実質的にはラストトラックにあたる立ち位置で、11曲目の「最後の花火」はエンドロールのようなイメージでこの位置に置きました。

 

斉藤壮馬【インタビュー】自分でも想定していない部分を大事にしながら作り上げた、2ndフルアルバム『in bloom』 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

個人的には『いさな』がエンドロール、『最後の花火』が次回予告、というイメージがあった。

 

>「いさな」で終わるプランもあったのですが、それだとどうしても「結晶世界」を聴き終わった後の雰囲気と似てしまうので、もう一曲「最後の花火」をプラスすることで、その先に行けたかなと。

 

斉藤壮馬【インタビュー】自分でも想定していない部分を大事にしながら作り上げた、2ndフルアルバム『in bloom』 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

『いさな』はシューゲイザー・バンドThe Floristをフィーチャーした曲。

『quantum stranger』のラスト・トラックである『結晶世界』シューゲイザーを押し出していた。

しかし、『in bloom』は2年前とは意識的に差別化されている。

 

 

◆音楽面について 

2年前までのわたしは本当に音楽のジャンルについての知識が乏しくて、「シューゲイザー」の概念を知ったのは『結晶世界』という曲からだった。

その頃に抱いたシューゲイザーのイメージは、「音数が多い、爆音、うるさい」というものだった。思い出すに「パチンコ屋にいる気分になる」とか書いてた。ごめん。ごめんすぎる。

しかし、『いさな』はそんなシューゲイザー観をくつがえすサウンドをもつ曲だった。

 

ピアノが前面に出ていてアコギもいるので、アコースティックでもある。声にはリバーブがかかっているけど、ギターはそこまで歪んでいない。

ネオ・シューゲイザー、ドリーム・ポップに入ると思っている。

 

実際、The Floristは過去にこう語っている。

>轟音で作られるシューゲイザーは、僕たちがやらなくてもいいなと思うので、歪みや圧ではなくて、フレーズの積み重ね、もう少しクリーンな感じと透明感。そういうもので構成していきたいなと

 

【インタビュー】The Florist。彼らのシューゲイザー観から、これからの未来が見える | Qetic

フレーズの積み重ね、クリーンな感じと透明感。まさに『いさな』に感じられる世界観である。

ところで、「in bloom(満開)」に「The Florist(花屋)」をフィーチャーしたあたり、いとをかしとは思わぬか。

 

 

●鯨・水的な音 

「いさな」が鯨を意味するところから、この曲は海がイメージされている。

 


The Floristのアレンジによる透明感は、この海のイメージに大きく寄与している。

 


ド頭・落ちサビ・アウトロで「ごぽごぽ」っていう、(おそらく鯨が)水に潜るようなSEが入っているのは直接的。

 


ピアノが目立っている。特に16分音符のリフが印象的。

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波や、水面に反射する光を表しているように思う。

逆に落ちサビはエレキ楽器(とドラム)だけで展開されるのが意外だった。

 

似たものとして、デラシネでは8分音符のピアノの音が風のそよぎを表していた。

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デラシネ』 イントロ

 


冒頭・間奏・サビ前・アウトロの、鳴き声?汽笛?みたいな音はチェロだと思ったが、「Ani-PASS」#10によるとギターのチョーキング。ギターであの音が出せるのか。

 

イントロの金属をこすってるみたいな音も、チェロの弦を弓の背でこすってるのか?と思ったが、ウォーターフォーンかも。

ウォーターフォーンはよくホラー映画のSEに使われる楽器で、中心の筒部分に水を入れることで音を響かせる。こする道具はコントラバスの弓。

ホラー映画の効果音を奏でる楽器「ウォーターフォーン」の音 | ギズモード・ジャパン

 

『いさな』は水のイメージをもつ曲。今までのこだわりからしてウォーターフォーン使うくらいのことはしてきそう。

 

 

◆世界観について 

前提として、この曲は「再び滅亡に向かう世界から、新しく再生する世界に向けたメッセージ」だとわたしは解釈している。

 

『いさな』は「前作のテーマに深く繋がる曲」。前作『my blue vacation』のテーマは「世界の終わり」「輪廻転生」「円環」など。

斉藤壮馬の音楽はなぜこれほど深い没入感を生むのか? 自身のルーツから新作『in bloom』までを語る!(2020/12/28)邦楽インタビュー|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム)

 

宇宙船地球号的な世界観

──「Ani-PASS」#10

さらにリリイベによると、「輪廻転生の曲」「全から全」「生命や存在に対する愛」の曲。

 

全体考察にも書いたが、『in bloom』は全体に「水」のイメージを含んでいる。

このうちもっとも「水」感が強いのが、海を舞台としている『carpool』そして『いさな』だと思っている。

 

海は「母なる海」と呼ばれることがある。地球上で最初の生物はアメーバのような単細胞生物で、海で生まれたという説が有力だ。

 

基本的に、『in bloom』における世界は「世界の終わりのその先」を踏襲している。

そして、この世界は再び滅亡、そして再生する可能性が見られる。

『キッチン』の主人公が、世界の終わりの再来を予測していたことに顕著だ。

その再生の際、生命はやはり「母なる海」から生まれてくるだろう。海は「輪廻転生」を象徴する存在でもある。

 

また、海がもつ「母」のイメージや「産声をあげた」「こもりうた」といった歌詞から、胎内回帰も思わせる。

世界が再び始まるとき、そこは赤ん坊のようにまっさらな状態ではないだろうか。

先に述べた水的な音作りも、羊水の中にいるような感覚を抱かせる。

『いさな』を聴くときの強烈なまでの心地よさは、この胎内回帰的イメージからきていると思う。

 

さらに、個人的には「水葬」を思い浮かべていた。

ヒンドゥー教は輪廻転生の死生観をもつことから、インドなどでは遺骨をガンジス川に流す水葬が行われているという。

インドのお墓ってどんなものなの?ガンジス川がお墓って本当?|DMMのお墓探し

 

そこに↑の胎児のイメージが重なり、子どもの水葬というイメージも。

わたしは、福永武彦『忘却の河』で描かれる、とある心象を思い出していた。

 

(注:わたしが幼い頃、寝ているときに父母の会話が聞こえ、自分の名前が出てきて)

>いっそ河に流して、と言うのが聞えた。その河という一言で私はぞっとする程怖くなった。何だかは知らないが、それは私にぼんやりとした不気味なものを感じさせた。(略)

(注:近所に住む子が)この河にはえなが流れて来る、と私に教えてくれた。えなって何か、と私は訊いた。その子もよくは知らなかった筈だが、その言葉の中には何か恐ろしいことがいっぱい詰っている感じだった。(略)えなの流れて来る河。私はそれから決して河のそばへ行こうともしなかった。

──福永武彦『忘却の河』新潮文庫 P.48

 

>そして私はその時また、子供の頃のあの河のことを思い出した。えなの流れて来る河。えなばかりではなく、恐らくは幼い命が、それも命という形を取る前に、流されたかもしれない河。ひょっとしたら私も亦、生れる前に、或いは生れた後に、流されたかもしれない河。

──同書 P.57

 

>あなた、賽の河原って知ってる。岩だらけの海岸に昔からの洞窟があって、そこにお地蔵様がまつってある。小さな無縁仏がたくさん並んで、小さな石が幾つも幾つも積み重ねられている。死んだ赤ちゃんたちをそうやって回向するのよ。

──同書 P.78

 

ちなみに「えな」というのは漢字だと「胞衣」と書き、胎児を包んでいた膜や胎盤、へその緒をまとめてこう呼ぶ。

『いさな』はここまで暗くないが(笑)、子どもの死と水とがつながっているイメージは共通している。

 

 

◆歌詞について 

歌詞は基本的に1音1文字。単語数が少ないので、曲は8分強と長いが情報量は少ない。

 

霧の中 きみは方舟のようで

おそらく鯨が潮を吹いているので霧がかっている。

きみ」は鯨のこととしてここでは考えていく。

方舟」はレミング、愛、オベリスクでもキーワードとなっていた、聖書における大洪水の際の「ノアの方舟」。

大洪水≒滅亡で、「方舟」は大洪水から唯一逃れ、再生の芽となった存在。

 

鯨は方舟のように、再び訪れる滅亡ののちに再生の鍵となる。形としても、鯨は大きな舟のようである。

 

まほろばを求め 産声をあげた

まほろば】「素晴らしい場所」「理想郷」といった意味の古語。「いさな」も古語なので合わせている。

 

シュレディンガー・ガール』の「シャングリラ

『キッチン』の「桃源郷

と同じ意味で用いられている可能性がある。

 

(『キッチン』でも述べたが)このアルバム全体で「世界の終わりのその先」が描かれている。世界が終わったその先に「理想郷」があるのかもしれない。

と考えるとやはり、堕落した人間・動物を一掃する目的があった、聖書の大洪水に近い設定である。

これは『レミング、愛、オベリスク』においてもほぼ同じで、大洪水を「素晴らしい世界の果て」、その後の世界を「パライソ(楽園)」と表していた。

 

方舟のような存在の鯨は、やはり大洪水のときと同じように、理想郷を求めて産まれた。

さらに言うと、地球が今まさに世界を終わらせんとし、その準備として方舟の役割をもつ鯨を産み落としたのかもしれない。

 

クオークの海を 歩くように泳ぐ

クオーク」については『グリフォンズ・ガーデン』を参考にした。

>「もしも、宇宙の中心となる電子なり中性子とか、あるいはクォークを見つけだしたとして、それを中心にものを見てみたら、その瞬間に宇宙のすべての電子の動きが、簡単な方程式で表せるかもしれないじゃない?」

──早瀬耕『グリフォンズ・ガーデン』ハヤカワ文庫 P.69

 

クォークquark(英):最小とされている素粒子で、3つずつ集まり陽子・中性子を構成する。

原子:原子核の周りを電子が回っている

原子核:陽子・中性子が集まっている

陽子・中性子クォークが3つずつ集まっている

 

素粒子って何? – HiggsTan

フラクタル」とつながるので、ここではこれくらいに留めておく。

 

こもりうた 吸い込まれていったね

鯨が産まれたばかりであることから。胎内回帰的な要素。

 

フラクタル どこか 似たもの同士で

フラクタルちょっとさすがに説明できん。参考サイト見て(放棄)

頭がボーっとしてくるフラクタル図形を見よう

 

図形の中に、自己相似図形を含む構造をしているので、「似たもの同士」。

 

クォークとのつながりで『グリフォンズ・ガーデン』を参考にする。

>「でも、ぼくは、世界がフラクタルみたいな構造だとは考えられない」

フラクタルって?」

「ぼくたちは宇宙を内包していて、そのぼくたちのいる宇宙も、より大きな宇宙に内包されていて、そのより大きな宇宙も、またより大きな宇宙に、……みたいなのが、無限に続くとする考え方」

「なるほどね。でも、どうして、宇宙がフラクタルだったら信じられないの?」

「初めと終わりがないじゃないか。『より大きな』と『より小さな』しかなくて、『最も大きな』と『最も小さな』 が存在しない」

──同書 P.209

 

この会話を要約すると、

原子核クォークの集まり)の周りを電子が回っている。それが太陽系に似ている。わたしたちの身体もたくさんの宇宙の集合体で、わたしたちは世界の一部で、その世界ももっと大きな世界にとっての一原子なのかもしれない。フラクタル構造だ」

という話。

このように、フラクタル構造はミクロからマクロの世界まで、無限に展開していく。

 

『いさな』はミクロからマクロ──クォークレベルから宇宙レベル──までの世界の全てと、無限に連なる輪廻転生に対して語りかけている曲。

 

刻まれた地層 化石の思い出

生物が化石になるには、1万年から短くても5000年程度かかる(ざっくりすぎるが)。

5000年以上前の記憶をもっているこの語り手は「地球」それ自身なのだとわかる。

 

だからわたしは、【再び滅亡に向かう世界から、新しく再生する世界に向けたメッセージ】を歌っていると考えた。

「全から全」と言っていたのはこういうことだ。

うわ……。思ってたよりだいぶ壮大。

 

きみはだれ? 問いかけるように

きみは そのままでいいよ

語り手である地球はこれから再び滅びていくが、「きみ」=鯨はその中にあって唯一滅亡を逃れられる、ノアの方舟的存在である。

だから鯨だけは「そのままでいい」、そのままの状態を保っていて、とりあえずの滅亡後に再生の礎となる役割をもっている。

 

ゆーあーいんぶるーむ

あいしてるってことだよ

ゆーあーいんぶるーむ

あいしてるってことだよ

あいしてる」は壮馬さんいわく「生命や存在に対する愛」。

 

全てひらがな表記で、子どもらしさを出している。

この曲において、鯨は産まれたばかり。このサビ部分は地球から鯨に歌っている「こもりうた」なのかもしれない。

あるいは、この曲が「全から全」であることを考えると、今まさに滅亡しようとする世界から、再生する世界に向けて、母から子への愛に近いものを歌っている。

 

『ワルツ』などでも一部のパラグラフを全てひらがな表記にし、登場人物が子どもであることを表していた。「はいいろのはねがおちてこのかぜのひだにとけたの

『パレット』の「えいえんって ここにあるよ」も、子どもである「きみ」のセリフかなと個人的には思っている。

 

たとえれば それは ながい映画のよう

壮馬さんの曲は常に物語であり、映画的である。

ここで地球が顧みる地球自身の運命も、「ながい映画のよう」だととらえられる。

 

いつかどこかで すれ違ったのかも

シュレガとすこしつながるが、「バタフライ・エフェクト」あるいは「多世界解釈」のようなものが読み取れる。

シュレガの概念の元ネタは「すれ違って振り返ったらもう雑踏に消えている」もの(リリイベ談)。

シュレガの項でもチラッと話した映画『バタフライ・エフェクト』にはこういうシーンがある。主人公とヒロインがすれ違って振り返ると……みたいな。ネタバレになるので詳しくは言えないが……。

 

世界が今、この世界として存在していられるのは、無数の分岐を超えて決定づけられた結果である。

そして次の新しい世界へと、もう一度分岐を経ることになる。

 

花に雨 いまならわかる

意味は この中にあるよ

そもそも、アルバム名・シリーズ名を「in bloom」とした意味はこういうことだった。

>なぜ花をテーマに選んだかというと、世界が終わって雨が降ったあとに、また草木が芽吹いていくというイメージがあったから。そこから『in bloom』という言葉に繋がりました。

 

斉藤壮馬【インタビュー】自分でも想定していない部分を大事にしながら作り上げた、2ndフルアルバム『in bloom』 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

 

花に雨。

世界の終わりには『エピローグ』のように雨が降って、再生のときには「in bloom」で花が咲く。

『いさな』はアルバムの集大成的な曲で、この部分がもっとも「in bloom」の意味を表していると思う。なぜなら、「意味は この中にある」のだから。

 

また「花に雨」の表現は「花に嵐」を連想させる。

「花に嵐」は、漢詩の『勧酒』を井伏鱒二が訳したものの一部。

花に嵐のたとえもあるぞ

「サヨナラ」だけが人生だ

 

(花が咲き誇ったと思ったら、嵐がそれを散らしてしまう。
人生に別れはつきものだ。) 

『いさな』においては、滅亡へ向かっていく現在の世界に、地球が別れを告げようとしているのではないだろうか。

 

言葉のないうたが

共鳴しているよ

全体考察のほうで、「情報量が少ないほど死に近い」というようなことを書いた。

言葉のないうた」にあるのはメロディーの情報のみで、言語的な情報がない。

ということは(おそらくは世界の)死が限りなく近い状態なのでは、と思う。

 

いま思えば、『memento』の「かすかな残像たちの ことばにならない歌」という部分も、同じような意味合いだったのだろう。

『memento』における世界は滅亡に瀕している。

そしてマイブルリリース時には、この部分は「水底へ沈んだ」死者たちが主人公に何かを伝えようと歌っている歌、と考えていた。図らずも『in bloom』の解釈と一貫性を感じられてうれしい。

 

種はいま 芽吹いて

ほら 呼吸をはじめた

「in bloom」の由来である草木が芽吹きはじめている。つまり、世界の再生が始まっている。

 

 

 

M11.最後の花火

『いさな』がエンドロールなら、『最後の花火』は次回予告。という個人的イメージ。

 

◆音楽面について 

メロはキャッチーなこの曲。アルバムの中で一番キャッチーだと思う。

アレンジ的にも【ヴォーカル・エレキギター・シンセ・ベース・ドラム】の5ピース編成+アコギ・ストリングスの、キラキラ売れ筋サウンド。大サビでウィンドチャイムも入ったりしている。

 

イントロなし歌始まりも、最近の売れる曲に多い特徴である。

最近はサブスクに加え、YouTubeTikTokなどで音楽を売る風向きがある。一聴して飛ばされないために、冒頭にフックを持ってきているのだろう。

Ex.米津玄師『Lemon』 LiSA『紅蓮華』 YOASOBI『夜に駆ける』 ひらめ『ポケットからキュンです!』

 

構造は王道と見せかけて変則的。

サビ・サビ最後の花火が 冬の空に~

Aマフラーにくるまって~

Bもし今日隕石が落ちたら~

サビ・サビ

Dゆれるキャンドル~

Eこんな夜だから~

大サビ・サビ

通常、2番A・Bメロが入るところがD・Eになっている。

 

さらに、壮馬さん自作曲で頭サビは珍しい。

提供曲であれば、『フィッシュストーリー』『スプートニク(作詞してるけど恐らく曲先?)『Incense』があった。

自作曲で頭サビは『最後の花火』と、その直後に入っているSt『逢瀬』くらいである。

 

頭サビにはなんかパチパチした音が入ってる。花火の音か、あるいは『エピローグ』(EP版)みたいなレコードっぽいエモさ・レトロさ。

 

大サビでキー上げも久々。『デート』以来だと思う。

 

 

◆世界観について 

>そういえば今年は花火を見たりやったりしなかったなと思って、冬にやる花火はあるのかな?と調べたら、あったんですよ。冬にやる花火ってすごくエモーショナルだなと思って掛けています。

──「皆藤愛子の窓café」2020年12月13日放送

 

●「天体」との結びつき 

天体・宇宙のことばが多数出てくる。

ベテルギウス

・月

・隕石

・星

ブラックホール

 

この曲では、「線香花火」と「ベテルギウス」が結びついている。

手元に持っている花火から宇宙の星へ、ミクロからマクロへと思考が飛躍する。

 

 

●主人公たちの状況 

・こんな日

・停電したような夜

・こんな夜

状況が分かりそうなキーワードはこんな感じ。「こんな日」「こんな夜」ということは、多少のマイナス要素があるようだ。

 

さらに、

・ゆれるキャンドル

・暗い階段

などが出てくると、「停電したような」というより本当に停電しているのでは?と読める。ニューヨーク大停電的な。

秋元康KinKi Kidsに『停電の夜には -On the night of a blackout-』という、確かニューヨーク大停電をモチーフにしている曲を書いていて、「ロウソク」が印象的に出てきた。

 

停電してしまったこんな夜だけど、せっかくだから「楽しんじゃおうかな」と花火を始める、というストーリーが見える。

 

 

さらにわたしは、この曲からもどこか死の匂いを感じる。

まず、生きていればこの先も花火をする機会はあるだろうに、ここで灯す線香花火は「最後の花火」なのである。

 

このアルバムのテーマは「世界の終わりのその先」で、登場人物たちがポスト世界の終わり世代であることは、この前にも何度か述べた。

そして『キッチン』『いさな』にも見られるように、世界は再び滅亡する可能性をはらんでいる。

ベテルギウスのようなエンド

・そしてすべてが無になっていく

といった歌詞はその暗示である。

 

・もし今日隕石が落ちたら

と主人公たちが議論していたのも、まったくのif話ではない。彼らは隕石が落ちてくる可能性があると、本気で考えているのだ。

壮馬さんも次のように語っている。

>それってある種荒唐無稽な考えじゃないですか。でも本当に隕石が落ちてくる可能性が、まったくないわけじゃない。(略)全部妄想かもしれないし、もしかしたら本当に今日が世界の終わりかもしれない。

──「Ani-PASS」#10

 

停電は世界が終わる前兆なのかもしれない。

 

しかし、この世界はまた再生するだろうことも先述した。

壮馬さんの描く世界観において、終わりは始まりとほとんど同義。なぜなら輪廻転生によって、死と生はつながっているから。

今ある世界は終わるけれど、同時に「そしてすべてがはじまっていく」のだ。

『memento』で言えば「幾度めかのダカーポ」、『エピローグ』で言えば「新しいプロローグへ」つながっていく。

「最後の花火」だけど、次につながる希望をもたせてくれる。

 

 

◆歌詞について 

最後の花火が 冬の空に

堕ちてゆくよ

初っ端からダブルミーニングだと思っている。

 


1サビで「バケツ」が出てくる。バケツの水に夜空が映っていて、そこに線香花火が落ちていく。

空に墜ちてゆ」は物理的に矛盾した表現だが、視界の上下が反転したような感覚をもたせる。これ言葉で言うの難しいな。

 


もし今日隕石が落ちたら」より、ここは隕石が落ちている描写。線香花火の光と隕石をオーバーラップしている。

何より、表記が「墜ちてゆく」である。「墜落」の墜。

 

ベテルギウスのようなエンド

悪くないね

ベテルギウスオリオン座の星で、間もなく消滅するとされている。

ベテルギウスはいつ爆発する? オリオン座の赤色超巨星を徹底解説(sorae 宇宙へのポータルサイト) - Yahoo!ニュース

 

この曲においては、世界が終わる暗示。

 

最後の花火が 消える

そしてすべてが無になっていく

先ほどの②の意味でとると、(花火=)隕石が消えるのは地球に落ちた瞬間、とも考えられる。「そしてすべてが無になっていく」……。

 

季節はずれの

螢火みたいだ

蛍には死者・生者の霊魂が宿ると言われることがある。

線香花火の光が蛍のように見える。そこには、もうすぐ死んでしまう自分たちの魂が宿っている。

 

マフラーにくるまって

窓をあけてみれば月

停電すると星がよく見えると言われる。わたしも体験してみたい。

主人公らは天体観測をしようと、防寒対策をしてベランダに出た。

ちなみに「」とあるが、ベランダに出るときのあのガラス戸は「掃き出し窓」というらしい。

掃き出し窓ってどんな窓?引き違い窓との違いは?サイズの種類やメリット・デメリットは? | 住まいのお役立ち記事

 

なんだか気分は

グレープフルーツみたい

黄色くてまるい満月がグレープフルーツのように見える。

後に出てくるように、彼らは「トリップしている」気分なので。また酒飲んでそう(笑)

 

オノ・ヨーコの『グレープフルーツ』からきてると思うんだけどう~ん。

『グレープフルーツ』は、ジョン・レノンに『Imagine』を書くインスピレーションを与えたと言われている詩集。

「想像してごらん」 オノ・ヨーコの、世界を力強く動かす言葉の力(tenki.jpサプリ 2017年02月19日) - 日本気象協会 tenki.jp

 

ジョンは自分が見初めたバンドに「グレープフルーツ」と付けるくらい影響を受けたらしい。

芽瑠璃堂 > グレープフルーツ 『アラウンド・グレープフルーツ』VSCD2697

 

この曲では、線香花火からベテルギウスへと思考が飛んでいたり、トランポリンで星とったり、想像・妄想によるところが大きい。

なんだか気分は『グレープフルーツ』に書いてあるように、イマジンが止まらない感じ。

 

また、オノ・ヨーコは『グレープフルーツ』というタイトルついて、「グレープフルーツはレモンとオレンジのあいの子。ちょうど私の頭がアジアと西洋のあいの子のように」と語っている。

『in bloom』には、生か死か、正気か狂気か、わからない曖昧さ──壮馬さんに言わせれば「狭間感」が通底している。「グレープフルーツ」も狭間感をもつので、そういう意味もあるかもしれない。

 

こんな日だからって

謎の論理的思考で

とっておき 悪ふざけ

主人公に言わせれば、冬に花火をするのは「とっておき」の「悪ふざけ」である。

夏の余りの花火を引っ張り出したのかな。

 

もし今日隕石が落ちたら

くだらない議論で転がりあって

停電したような夜だから

「●世界観について」で先述。

 

 

ゆれるキャンドル

トリップしている

花火に着火する用のキャンドル。

停電していたのでキャンドルで灯りをとっていた可能性も。

気分が「トリップしている」ので、キャンドルの火はもっと揺れて見えるのだろう。

 

すぐそこにあるようなブラックホール

暗い階段」の上のほうが見えず、吸い込まれそうな錯覚を覚え、ブラックホールのように見える。

 

また、彼らのすぐそこにあるものは、隕石の衝突による「破滅」である。

そして彼ら自身が、どこかしら破滅に惹かれているように思う。例の「タナトス感」というやつだ。

彼らは破滅・死といったものに、ブラックホールのように引き寄せられてしまっている。

 

暗い階段を

スキップしていく

屋上に移動している? 停電中につき、階段の電気も消えている。

トランポリンで星 とってあげる」という提案から、屋上に移動した。

 

燃える旋律の上で飛べたら

もし地球に隕石が落ちて、世界の終わりが近いなら、この辺り一帯も燃えている可能性がある。

 

旋律」はまたメタ演出で、『最後の花火』を歌っている?と考えられる。

 

運命かもしんないよな

壮馬さんの曲にたまに出てくる、運命に抗わない「諦念」のこころ。

彼らは世界の終わりと死を、運命として受け入れている。

 

最初の花火が 灯る

そしてすべてがはじまっていく

さよならはまだ

次にとっておくよ

ほら また 光るよ

世界の再生の暗示。

 

また、壮馬さんの作る物語はまだ続く、というメタ・メッセージ。

>メッセージというほどではないですが、アルバムを出させてくれてありがとうございます、次がまた必ずあるよ、という想いが伝わったらいいなと思ってます

──「Ani-PASS」#10

 

 

 

St.逢瀬

 

 

今回もシークレット・トラックありがとうございます!

そこでウクレレ……ハワイアンがくると思わないよ……めちゃくちゃ良い。世界観、アルバムの中で一番好きかもしれない。

 

 

◆音楽面について 

曲はピアノの話をしているのに、ピアノの音が入っていない。

その代わり、グロッケンがトイピアノのように聴こえる。

 

コードは【FM7 EonD Dm CM7】?がループ。

 

拍子は壮馬さんが好きな、もはや毎度おなじみの6/8拍子。

6/8拍子の曲には、今まで『C』『るつぼ』『ワルツ』があった(『ワルツ』は2拍子で1拍を3連符で割ってる気がするが)。

 

 

◆歌詞について 

結論から言うと、「『逢瀬』は『わたし』の走馬燈の話」というのがわたしの考えである。

 

・こもれびの中でふたり

・鍵盤の上 わたしの手 そっとなぞる 指先よ

・小さな棺のような この 箱庭で 踊りましょう

状況から、「わたし」と「あの人」の逢瀬であることは分かる。

 

 

●「あの人」の状態 

さっき見た 長い影法師

あの人のものかしら 

「あの人」は影だけの存在?

ここで『ちいちゃんのかげおくり』を思い出した。ちいちゃんも家族も最後には死んでしまうおはなし。

 

小さな棺のような この 箱庭

」。そのまんま。あの人は恐らく、すでにあの世にいるお方。

 

こもれびの中でふたり

並んでゆれる

こもれびの中でふたり

ゆらゆらめいている

この場所」は、この世とあの世の間にある境目の場所。

この場所にいる「わたし」と「あの人」は、生きているか死んでいるか微妙で、存在自体が不確かでゆらゆらしている。

 

 

●「この場所」「ここ」はどこ?

ずっとこのままこの場所で

ピアノが弾けたらいいのに

鍵盤」と併せて、「わたし」はピアノを弾いていることが分かる。

しかし「ずっとこのまま弾けたらいいのに」。「~のに」は逆接の接続助詞なので、この後には「それはできない」と続くはず。

わたしがずっとこの場所でピアノを弾くことはできない。

 

このままここに いてもいい?

答えずに くちづけを

このままここにいてもいい?」はわたしがあの人に訊いたものかな。

あの人は答えてくれない。なぜなら、わたしがこのままここにいることは好ましくないから。

でも、直接的にそれを伝えることもしたくない。本当はここにいてほしい。そのジレンマの中で唯一できることが「くちづけ」だった。

 

こもれびの中でふたり

歩いてゆける

こもれびの中でふたり

身を焦がしてゆく

木漏れ日とは、光と影が交ざった状態。

木漏れ日が当たっているここは、光か影か、わたしにとって良い場所なのか悪い場所なのか、分からない。

この場所」はそういう曖昧さをもっている。

 

「木漏れ日みたいな日本語にしかない表現が好き」みたいなことを、確か2019年の「こむちゃっとカウントダウン」などで言っていた。

 

【limbo】(英)辺獄。壮馬さんいわく「この世を去った人が天国の前に行く」(「Ani-PASS」#10)。

【be in limbo】中ぶらりんになっている、不安定な・中途半端な・どっちつかずな状態

 

この場所」は、この世とあの世の間にある境目の場所である。

 

 

●「この場所」は「わたし」の走馬燈

壊れたフィルム

とまらないで…… 

ここは「壊れたフィルム」で映し出された世界。つまり映画か、幻燈のようなものを見ている。

ここで筆者的には「走馬燈」か「夢」の2択が浮かんだ。

 

そこに「in limbo」から考えた、「『この場所』はこの世とあの世の間にある境目のような場所」という情報を加えると、「走馬燈」が近いと思う。

 

走馬燈だとすると、わたしは死にかけている状態ということになる。

しかし、わたしは「ずっとこのままこの場所で ピアノ」を弾くことはできない。

ここから、わたしはいずれ走馬燈から醒め、生き返るだろうと予測できる。

 

あの人と逢えるこの時間が心地よいので、わたしは「止まらないで」と願う。

しかし、わたしに生きてほしいから「あの人」が「わたし」をこの世に送り返した。

エモッッッ!! エモ死。

世界の終わりとその先(≒死と再生)ともつながりそうなストーリーである。

 

 

 

●『グリフォンズ・ガーデン』について 

『逢瀬』元ネタは『グリフォンズ・ガーデン』?と勝手に思っている。他の曲のところでもすでに触れているが。そろそろ正解が知りたい。

詳しい経緯は全体考察「『グリフォンズ・ガーデン』との類似」の項を参照。

 

まずわたしが『グリフォンズ・ガーデン』を思い出したのが、ここからだった。

>(今回収録を見送った曲について)この世を去った人が天国の前に行くLimbo=辺獄を描いていて。そこが最後の楽園だよ、始まりと終わりのガーデンなんだよ、と歌っている。

──「Ani-PASS」#10

なお、ここで言及されていた曲は『逢瀬』かどうか今のところ不明。だが先のTwitterで「Limbo」が出てきたことからこう考えた。

 

グリフォンズ・ガーデン』裏表紙にあるあらすじを引用する。

>東京の大学院で修士課程を終えたぼくは、就職のため、恋人の由美子とともに札幌の街を訪れた。勤務先の知能工学研究所は、グリフォンの石像が見守る深い森の中にあり、グリフォンズ・ガーデンと呼ばれていた。やがてぼくは、存在を公表されていないバイオ・コンピュータIDA-10の中に、ひとつの世界を構築するのだが……

 

グリフォンズ・ガーデン ハヤカワ文庫JA : 早瀬耕 | HMV&BOOKS online - 9784150313272

 

まず、この研究所は「グリフォンズ・ガーデン」と呼ばれる森の中にあり、木漏れ日が差しているはずである。

ぼくは、IDA-10(アイディーエーテン)の中にプログラミングによって、もう一つの世界「DWS(デュアル・ワールド・システム)」を作った。主人公のモデルはぼく自身。DWSの中ではぼくの半生をなぞるように、プログラムが進んでいく。

この本自体は、「ぼくのいる現実世界」「DWS内の世界」の章が交互に語られ、クロス・カッティングのような要領で進む。

 

『逢瀬』の舞台はこのDWS内部の世界、という可能性が考えられる。

 

 

▼「ゆめ」について 

壊れたフィルム とまらないで……」より、この場所はわたしが見ている「夢」ではないか、と示唆した。

グリフォンズ・ガーデン』では、「ゆめ」が大きなキーポイントとなっている。

 

>ゆめを見ていたのに気づいたのは、旅客機が北海道の上空に差し掛かってからだった。

──同書 P.5

同書の書き出し。この本は「ゆめ」からはじまる。

 

>ゆっくりと眠りの藻が近づいてくる。底なし沼に落ちるのを引き留めるように、眠りの藻が包み込む。

──同書 P.139

 

>実験室での何度目かの睡眠は、ゆめが徐々に遠のいていくのを感じながら終わった。ぼくは森の中を佳奈と手をつないで歩いている。(略)

睡眠のとりすぎなのかもしれない。ゆめとそうではない時間の区別が、眠りから覚めるたびに薄れていく。時間に対する意識も朦朧として、時間が止まってしまうのではないかと疑う。

──同書 P.150

佳奈というのは、ぼくが恋人の由美子をモデルとしてDWSの中にプログラミングした、DWS内のぼくの恋人。

 

>驚いて目を覚ますと、逆光の中でグリフォンがぼくを見下ろしていた。気分転換の散歩の途中、森の中に現れた芝生で、グリフォンの石像の日陰に誘われて、横になって微睡んでいたのだろう。(略)ゆめで見ていた世界の方が実感を伴って意識に残っている。

──同書 P.186

 

>「ただこうやって人気のない大学を見ていたら、ゆめの中に来てしまった気がしたんだ」

──同書 P.245

 

 

▼その他の歌詞との類似 

ピアノ

>翌日、佳奈の所属する室内楽サークルの演奏会に出掛けた。佳奈は、最後にひとりでピアノに向かい、彼女らしい演奏でドビュッシーの小曲を三曲ほど弾いた。(略)

閑静な住宅街の坂の途中に、時間の忘れ物のようにある音楽堂、雨上がりの宵の庭、ダンガリーシャツでピアノに向かうガールフレンド、微かな風、幾千という花びらを散らせたフラワープリントのフレアスカート、漆黒にきらめくピアノ、月の光、前奏曲集第一巻第十曲、パスピエ……

──早瀬耕『グリフォンズ・ガーデン』ハヤカワ文庫 P.27

 

箱庭

>『鍋島さんは、藻岩山の展望台は初めてだって聞いたんですけれど、札幌の夜景はどうですか?』

『ええ、きらびやかな箱庭を眺めているみたいな気分です』

ぼくは、ソファのクッションをTV画面に投げつけた。(略)

「それなら、ぼくは箱庭の人形か?」

──同書 P.236

 

 

 

 

スクロール地獄、お疲れ様でした。親指は無事ですか。

「コンセプトアルバムではない」と壮馬さんは言ってたが、ガチガチにコンセプトを見出して書いてしまった。すんません……たのしかった。

 

「虚構」という場所はわたしにとって無いと生きていけない、エッセンシャルなものだと、最近改めて感じる。

右足と右手と左手を虚構の沼に、左足だけは現実の土に着けておく、みたいな生き方をわたしは今までしてきたし、これからもそうやって生きていくんだと思う。

壮馬さんがつくる虚構を受け取っていくことは、食べることと同じ。わたしにとっては。

それを咀嚼し、消化して、成長できている。そういう実感がある。

 

こんなに好きな人が、こんなに好きなスタンスでいてくれることが、あってよいものだろうか。それとも、このスタンスでいてくれるから、こんなに好きなのだろうか。なんてチキン・アンド・エッグの話をしたいのではない。チキンかエッグか、はたまたどちらも混ぜて甘辛いたれをかけご飯に載せ残酷な名前の丼にするか、そんな曖昧なことは今はどうでもいい。

 

確かな事実は、(これも毎回言ってる気がするが)斉藤壮馬はまだまだ物語をつくり続けていくということ。

ここからまた「すべてがはじまっていく」こと。それだけだ。

でも、それだけあれば十分。

続編はもう約束されている。わたしたちはただ安心して待てばいい。

ここでは物語の続きと、願わくばツアーの無事開催を期待して、「さよなら」とは言わないでおこう。

相応しいことばはきっと、

「See you!」

こっちである。

 

 

 

~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~

Twitter@SSSS_myu

質問・感想など:こちら にいただけるとうれしいです。

 

 

 

【2020年】声優オタクの推し貯金覚え書き

 

2020年1月から「推し貯金」をしていました。

某声優のオタクさんがやっているのを見て、早い話がパクらせてもらいましたすみません。

 

やってみた感想としては、こんな点が良かったです。

・推しの仕事量を「貯金額」としてダイレクトに把握できる。

・貯金するため、推しの仕事を見逃しにくくなる。

 

金額が大きければ大きいほど、推しが活躍してることが肌でわかる。それはわたしにとっても大きな喜びでした。

また、前よりも推しの仕事をしっかり追うようになって、見逃し・買い逃しが減った気がします。

 

しかし、別記事にもちょろっと書きましたが、ストレスから散財し過ぎて11月に推し貯金、崩す。

断念。無念。

 

この記事には自戒の意味も込めて、2021年は完走するぞという意志のもと、「推し貯金」の方法と経過を記録します。

 

 

◆方法

推しの供給があれば、以下の金額を突っ込んでいく。

金額はTwitterのタグ「#斉藤壮馬さん推し貯金」および、家計簿アプリ「GirlyNote」に記録。

目標は「30万いけばいいな」くらいのテンションで設定。

 

*100円*

出演アニメ・ラジオ放送

出演映画公開

出演したニコ生・YouTube動画・試聴・その他番組アップ(音声のみ含む)

 

*200円*

推しが写っている写真アップ(1枚ごと)

 

*300円*

主演アニメ放送

主演映画公開

@SomaStaff がツイート

‪@81pro_official が壮馬さん関連のツイート

雑誌を買う

推しに手紙を書く

 

*500円*

@SomaStaff から本人がツイート(末尾にS)

斉藤壮馬のお仕事ブログ」更新

Web連載更新

雑誌を買う(表紙)

円盤リリース

イベントに行く(1公演ごと)

 

なお、コロナ禍によりイベントが激減し、まともに貯金ができなくなったため、3月頃より以下のように金額設定を変更。

*300円*

出演アニメ・ラジオ放送

出演映画公開

出演したニコ生・YouTube動画・試聴・その他番組アップ(音声のみ含む)

推しが写っている写真アップ(1枚ごと)

雑誌を買う

@SomaStaff がツイート

 

*500円*

主演アニメ放送

主演映画公開

‪推しに手紙を書く

@SomaStaff から本人がツイート(末尾にS)

斉藤壮馬のお仕事ブログ」更新

Web連載更新

雑誌を買う(表紙)

円盤リリース

イベントに行く(1公演ごと)

 

 

◆経過

貯金額(月ごと)の結果。

 

・1 月────1万9,200円

・2 月────2万2,000円

・3 月────2万2,600円

・4 月────1万7,400円(最低額

・5 月────2万2,000円

・6 月────2万1,500円

・7 月────2万100円

・8 月────2万7,500円

・9 月────4万6,300円(最高額

・10月────2万2,400円

・11月────3万700円

・12月────5万円(予測額)

 

先述のとおり11月に断念したため、12月のみ予測額。

12月は、FC設立・アルバムリリース・それに伴う雑誌や各メディアインタビュー・ツイートが増えたこと、秋クールアニメ出演作が多かったことから、5万円程度と予測。

 

結果

計:27万1,700円(11月まで)

予測計:32万1,700円(12月予測を加算)

 

最低額:4月・1万7,400円

要因:アーティスト活動のリリースもなし。

コロナ禍によりイベントが続々と中止決定。配信イベントもまだ少なかったため。

 

最高額:9月・4万6,300円

要因:配信シングル「パレット」リリース。

6~9月のアーティスト活動シリーズが完結したことに伴い、インタビューが増加。

配信イベントが多かった。

秋クール以降の主演アニメ関連の配信・インタビューが増加。

 

 

◆2021年の計画

2020年12月にFC「space」が設立されたことから、供給の場が格段に増えると予測され、2020年の貯蓄計画は大幅に見直す必要がある。

また、「写真1枚ごと:300円」が意外とキツかったため、こちらは100円に調整。

以下のように大枠を定める。

 

*100円*

【space】Today’s choice更新

推しが写っている写真アップ(1枚ごと)

@SomaStaff がツイート

 

*300円*

【space】personal space・special space等各コンテンツ更新

出演アニメ・ラジオ放送

出演映画公開

出演したニコ生・YouTube動画・試聴・その他コンテンツアップ(音声のみ含む)

雑誌を買う

各メディアインタビューアップ

@SomaStaff から本人がツイート(末尾にS)

斉藤壮馬のお仕事ブログ」更新

Web連載更新

 

*500円*

主演アニメ放送

主演映画公開

‪推しに手紙を書く

雑誌を買う(表紙)

円盤リリース

イベントに行く(1公演ごと)

 

 

 

推しのますますの活躍を願って。がんばりましょう。

 

 

 

タナトスとブールドネージュを食べれば ~斉藤壮馬さんアルバム『in bloom』考察&雑記

 

カチョ・エ・ぺぺというパスタを食べた。オリーブオイルと塩で味付けし、ペコリーノチーズと黒胡椒をのせたパスタである。具はない。これぞシンプル・オブ・シンプル。

そんなパスタが、大袈裟なくらい美味しいと思った。良い夜だった。

そう、わたしが今欲しているもの。それはきっと「シンプル」だった。

 

これ↑は、先行配信された『carpool』を聴いたときに感じたことだ。

 

6月『ぺトリコール』~8月『Summerholic!』~9月『パレット』の「in bloom」シリーズ。それに今回のリード・トラック『carpool』。

この4曲(特にぺトリコール以外)は比較的わかりやすい言葉で綴られていたし、王道のバンド・サウンドだった。

「in bloom」シリーズ配信後、シンプルさはもっとも感じたところだった。

 

そして今作も、音数の少なさやミニマリズムは踏襲しつつ、しかし、そこだけに留まることもなかった。

わたしは同時にこうも感じた。

おかえりなさい! と。

 

あるじゃん。

あるじゃん。

わけわからん曲!

ヤバい曲!

哲学用語、サイコパスみ、メタファーにまみれた物語!

 

ひねくれていて、突飛で、どこか普通じゃない。それが斉藤壮馬の最大の妙味なのではないか、とわたしは思う。

『in bloom』はそんなそまみを再び爆発させながら、なんだか泣きたくなるような心地よさもある、音楽とことばで心臓を鷲づかみにされる、ああもう最終的に「好き」しか言えなくなってしまう、そんなアルバムだった。

 

挨拶が遅れました。

斉藤壮馬さん 2ndフルアルバム『in bloom』リリースおめでとうございます!

やっぱり斉藤壮馬さんは信頼できる。最高。

ここでは、そんなことやこんなことを綴っていければと思います。

 

 この記事はいち個人の感想・考察・(in bloom的に言うなら)妄想によるものであり、正解を追求する意図はありません。

 リリースイベント(オンライントーク会)についてはレポを参考にさせていただきました。ありがとうございます。

 追記:全曲考察記事アップしました。こちらも併せてどうぞ~

 

 

 

 

◆世界観について

 

最小の混沌からはじまっていく

まず『in bloom』が内省的であるということは、本人からもよく語られていたし、実際に強く感じた。

>今までの作品は、世界の終わり的な、ちょっと退廃的なモチーフが一貫してあったんですけど、その先というか、世界が終わったあとのそれぞれの生活みたいなものを歌っていければいいなと思って。これまではアレンジとかも壮大な楽曲が多かったんですけど、今後はもうちょっと内省的な曲が増えてくるのかなと、なんとなく思っていますね。

──「CUT」2020年10月号 

 

第2章のテーマは「世界の終わりのその先」。

『quantum stranger』~『my blue vacation』までで、壮馬さんは「世界の終わり」を軸に据え、とことんまで退廃的な世界観を描き出してきた。

そんな終末を経て、世界はどうなったのだろうか。

そう考えたとき、「最小から始まるだろう」と想像できた。

ノアの方舟に乗せられた動物は1つがいずつだった。そんな風に、もっともミニマルな核の部分から、世界はまた始まる。

 

ちなみにこのミニマルさについては、『my blue vacation』リリース直後から意識していたようである。

>今度は“引き算”の作業が中心になっていくんじゃないかなと予想しています。“全部盛り”はさんざんやってきましたし(笑)、今度は隙間のグルーヴをみんなで追求していきたいです。

──「声優グランプリ」2020年2月 

 

 

王道の編成・音数の少なさ

典型的なバンド編成の曲はシンプルさ、音数の少ない曲はミニマルさを、それぞれ体現している。

 

①王道のバンド編成のもの

carpool

リードギター・バックギター・シンセ・ベース・ドラム

 

シュレディンガー・ガール

リードギター・バックギター・ベース・ドラム 

 

最後の花火

エレキギター・アコギ・シンセ・ベース・ドラム・ストリングス

『最後の花火』はゴリゴリのハンドサウンドではないけど、よく聴く売れ筋J-POPって感じで耳馴染みが良い。

 

②アコースティック、音数が少ないもの

キッチン

クラシックギター・アコギ・シンセ・ドラム

ミル・はさみ等キッチン用品

 

カナリア

アコギ・チェロ・ピアノ・メロトロン?

 

逢瀬

ウクレレ・アコギ・グロッケン・ギロなど打楽器

鳥のさえずり・風など環境音 

 

Ani-PASSのインタビュアーさんは「オーガニックな香りがする」と例えていた。これは恐らく『キッチン』や『カナリア』の印象が強いためでは?

 

 

シンプルな構造

『my blue vacation』では『Tonight』以外、J-POPの枠から外れた変則的な構造をもっていた。

し、壮馬さん本人も意図してそうしていたようである。

>今後は、第1期で試していない音楽を提示できたら。

たとえば、今までは「AメロがあってBメロがあって、サビが来る」みたいなオーソドックスな曲を意図的に書いてきたのですが、そうじゃない曲のほうがもともと好きなんです。

テンプレを理解しつつ、そこから脱却した表現もお届けしたいですし、可能であればそれを受け入れていただける存在になれたらいいなと思います。いびつだけど、耳と身体に馴染むような音楽を追求していきたいです。

 

【インタビュー】サブカル男子から、ひとりの表現者へ。斉藤壮馬に見えている世界は何色か? - ライブドアニュース 

 

比べて今回は、【A・B・サビ・A・B・サビ・D・落ちサビ・大サビ】のような、典型的な構造の曲が多かった。

また、メロの展開が少ないミニマルなものも見られる。全体的にBメロがないものが多いかな。

 

 carpool

A:まだ暗いうちにこっそり~

A:サイダーみたいな空気で~

サビ:運転席はいつだって~

A:あのころのきみには~

サビ:数年先はいつだって~

C:さざなみのあいだから~

落ちサビ:水平線の先なんて~

大サビ:運転席はいつだって~  

王道の構造。

 

シュレディンガー・ガール

A:彼女はまるで蝶のよう~

B:欲望という名の~

サビ:袖振り合って~

A:彼は幻想の虜~

B:交わるはずなかった~

サビ:異空間へ行って~

落ちサビ:ユーレカ 狂ったように笑って~

大サビ:ああ 本当は シャングリラ~ 

王道の構造。

 

キッチン

A:あー 今日は~

B:世界を救うのは~

A:ああ そうだ~

B:世界を救うのは~

C:神さまのレシピを盗んで~

A:あー 今日は~ 

サビがない? ミニマル。

 

パレット

A:どんな声だったかな~

B:意味の外側 訳知り顔で~

サビ:あの夏の日 指 かさねて~

A:こんなにもたくさんの~

落ちサビ:あの夏の日 えいえんって~

大サビ:あの夏の日 指 かさねて~ 

王道の構造。

 

カナリア

A:この毒は すこしぬるいから~

サビ:ごらん カナリア

A:笑ったような からかっているような~

サビ:ごらん カナリア

A:砂を噛んだ ちかちか 眩しいな~

大サビ:ごらん カナリア

A:この毒は すこしぬるいから~ 

Aメロとサビの2つのメロしかない。サビまでが極端に短い。ミニマル。

 

いさな

A:霧の中 きみは方舟のようで~

Aフラクタル どこか 似たもの同士で~

サビ:ゆーあーいんぶるーむ~

A:たとえれば それは ながい映画のよう~

サビ:ゆーあーいんぶるーむ~

C:言葉のないうたが~

サビ・サビ・サビ 

王道の構造。

 

最後の花火

頭サビ:最後の花火が 冬の空に~

A:マフラーにくるまって~

B:もし今日隕石が落ちたら~

サビ

D:ゆれるキャンドル~

E:こんな夜だから~

大サビ 

これはちょっと番外編。王道と見せかけて2番がA・BではなくD・Eメロになっている。

 

逢瀬

頭サビ:こもれびの中でふたり~

A:さっき見た 長い影法師~

サビ

A:小さな棺のような~

サビ

C:ずっとこのままこの場所で~

サビ

サビ 

王道の構造。

 

 

サビの歌詞リフレイン

全く同じサビがリフレインする曲が多い。

通常は1サビと大サビの詞を合わせるので、1曲に全く同じパラグラフが登場するのは2回であることが多い。

今回は3回以上出てくるものが目につく。

これは言い換えれば、歌詞の情報量が少ないということで、シンプルさにつながる。

 

BOOKMARK

ターンテーブル乗っかって

アウフヘーベンの果て

千鳥っちゃった足で

内容なんもなしで

ターンテーブル乗っかって

アウフヘーベンの果て

すいへいりーべで 

(3回)

 

いさな

ゆーあーいんぶるーむ

あいしてるってことだよ

ゆーあーいんぶるーむ

あいしてるってことだよ 

(4回)

 

最後の花火

最後の花火が 冬の空に

堕ちてゆくよ それは

ベテルギウスのようなエンド

悪くないね 

(3回)

 

逢瀬

こもれびの中でふたり

歩いてゆける

こもれびの中でふたり

身を焦がしてゆく 

(3回)

 

 

「生活」について

>「生活」は『in bloom』シリーズのさらに先にとってとても重要なキーワードです。といっても、まだ構想段階なのでどうなるのかはわかりませんが……。世界が終わっても、生活は続く(のだろうか?)。頭の片隅においていていただけたら、いつか繋がる日がくると思います。

 

声優、斉藤壮馬が語る3曲連続リリース『in bloom』と、最新第一弾デジタルシングル「ペトリコール」について。 | HARAJUKU POP WEB 

 そして生活はつづく。は、星野源か。

 

これを書いている今日は12月25日、クリスマスである。

なぜだか間違えて、日比谷で夕飯をとることになってしまった。どうしてクリスマス・ソングというものは、こうも幅をきかせるのだろう。嗚呼、聖夜だなんだと繰り返す歌と、わざとらしくきらめく街……。

 

そういえば昔から「ハレ」が苦手だったな、と思う。「ケ」と「ハレ」のハレである。

運動会はそれなりに楽しいけど、別になくてもいい。学園祭は部活の発表は頑張るけど、それ以外は別になくてもいい。

ハロウィーンもクリスマスも、それから誕生日も、特段何もしない。

 

『in bloom』で描かれていた物語には、「ケ」を舞台としたもの、あるいは主人公の妄想・脳内世界を描くものが多かった。

 

きみとの思い出を回顧する『carpool』。

ひたすら(妄想の中かもしれない)きみを追う『シュレディンガー・ガール』。

料理中の様子を描く『キッチン』。

文系大学生の何気ない日常である『BOOKMARK』。

夢または幻想の中であの人と逢う『逢瀬』。

 

特に『キッチン』の印象が強烈すぎる(笑)。料理は生活に密接した行為。

この世界観が、壮馬さんも今回「内省的」と言うひとつの大きな要因なのだろう。

アルバム全編を横断する「ケ」の世界は、ハレが苦手なわたしにとってひたすらに心地よかった。

 

実は壮馬さん、『my blue vacation』リリース時から「生活」については言及していて、すでに構想があったようだった。

>生活の一部に環境音として溶け込むような素朴な音楽が今の自分のやりたいことなんだと思います。

──「声優グランプリ」2020年2月号 

 

 それがさらに、2021年に入るとこうも語っている。

>自粛期間を通して「生活する」ということについてすごく考えたんです。(略)今回のアルバムは、世界の終わりの後にある、個々の「生」みたいなものを歌ってみたいと思いました。

──「月刊TVガイド」2021年2月号

これを読むと、今回は少なからず「世界の終わり」をコロナ禍のメタファーとしてもとらえられる。

「生活」のテーマはコロナによる自粛期間と繋がっていた。そして、その先に「生」があることで、コロナ禍を経たわたしたちに希望を抱かせてくれる。

 

 

※2021/1 追記

ミクロからマクロへの飛躍

ここまで語ったように、どこまでも内省的な今作。一方で、前作までは「世界の終わり」という壮大なテーマを扱っていた。

これが今回まったく無くなったわけではない。

内省的な世界から宇宙規模まで、ミクロからマクロへと思考が飛躍している曲が多い。

 

シュレディンガー・ガール

タイトルの元ネタ「シュレディンガーの猫」では、量子のミクロ世界を、猫を用いてマクロ世界に置き換えて思考している。

 

キッチン

キッチン」というスペース(ミクロ)から、「世界」(マクロ)へと思考が飛躍。

 

BOOKMARK

4時まで宅飲みしてる(ミクロ)のに「何万光年」先(マクロ)に想いをはせる。

 

いさな

フラクタル」はクォークレベル(ミクロ)から宇宙規模(マクロ)まで、無限に展開していく。

 

最後の花火

線香花火」(ミクロ)から「ベテルギウス」(マクロ)が重ねられている。

 

そう考えるとやはり2章も、1.5章までと完全に切り離されているわけではなく、物語としてはつながっている、と考える。

 

 

限りなく死に近い、だけど死ではない曖昧さ

アルバム各所にちりばめられたタナトス感。

タナトス感」という言葉は、こむちゃっとカウントダウン(2020/12/19)で櫻井さんと語られたものだった。圧倒的「 そ れ な 」である。

 

carpool

>悪友が海で死んでしまったことで、彼のその後は惰性で生きているような気持ちだった。青年くらいの歳になって、悪友が亡くなった海にドライブに来た。そして最後は“すぐ追いつくからその場所で待ってて”と終わる

──「Ani-PASS」#10 

 

カナリア

ぼやけていく わからなくなっていく:ゆるやかな死?

燐光:「生物の死骸が腐敗・酸化するときに生じる光」を指す場合がある。 

 

いさな

>この曲は前作のテーマに深く繋がる曲ですね。

 

斉藤壮馬の音楽はなぜこれほど深い没入感を生むのか? 自身のルーツから新作『in bloom』までを語る!(2020/12/28)邦楽インタビュー|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム) 

→前作『my blue vacation』のキーワードは「世界の終わり」や「輪廻転生」「円環」。

 

最後の花火

ベテルギウスのようなエンド:オリオン座の星で、間もなく消滅するとされている。

ベテルギウスはいつ爆発する? オリオン座の赤色超巨星を徹底解説(sorae 宇宙へのポータルサイト) - Yahoo!ニュース

 

すべてが無になっていく

螢火:蛍には死者(生者も)の霊魂が宿るとされる。 Ex.映画『火垂るの墓

 

逢瀬

・「輪廻転生の曲」(リリイベより)

さっき見た長い影法師 あの人のものかしら:「あの人」は影だけの存在?

ちいさな棺のような この箱庭

 

【limbo】(英)辺獄。壮馬さんいわく「この世を去った人が天国の前に行く」(「Ani-PASS」#10)。「忘却」という意味もあるらしい。

 

【be in limbo】中ぶらりんになっている、不安定な・中途半端な・どっちつかずな状態 

 

 

これらは限りなく「死」に近いものだが、しかしはっきりと「死」とは言い切れないファジーさを含んでいる。「in limbo」の意味がもっとも近いかもしれない。

 

>全曲そうなんですけど、夢と現実、妄想と現実の境目が分からない曲が多いですね。(略)狭間感みたいなものは全曲に横たわっていると思います。

──「Ani-PASS」#10 

 

この本についていい加減しつこいほど語ってしまうが、エッセイ『健康で文化的な最低限度の生活』の中に「虚構と現実のあわいにたゆたう遊び」という表現が出てきた(同書「結晶世界」P.154)。

これを読んだとき、なんて素敵な表現なんだ、と感銘を受けたことを覚えている。それは今でも変わらない。

白でも黒でもない、いろいろな色調のグレー。

どっちつかずで、宙に浮遊するように極限まで脱力した状態。

そういう心地よさが、『in bloom』という1枚をまとめ上げている。

 

今、『グリフォンズ・ガーデン』という本を読んでいる。

そこに「死というのは、情報の希薄さの度合い」という概念が出てきていた(早瀬耕『グリフォンズ・ガーデン』ハヤカワ文庫、P.153)。

>「死んでいくっていう感覚はこんなものかなって思ったのだけは覚えている。だんだん情報が減っていって、情報がなくなっちゃうんじゃないだろうか、って」

 ──同書 P.257

 

死は、もちろん今生きている人は死を想像することしかできないけれど、それでも考えてみるなら、死は「無」である。

つまり情報量が少ないということは、死に近いということなのではないだろうか。

先述のシンプルさも、なんとなく死と繋がるように感じる。

 

 

2020年のわたしの精神状態は、控えめに言って最悪だった。死について、そしてなぜ生きているのかについて、綿々と考えていた(詳しくは 1つ前の記事 に)。

そんなとき、「前を向け」と背中を叩かれるよりも、同じ大きさの気持ちがここにある、と感じられたことで、すこしだけ楽になれた。

このアルバムは、わたしの中の「死」にそっと寄り添ってくれた。

これを同調効果という。よく聞く例だと、「悲しい時は悲しい曲を聴いて泣いたほうがスッキリするよ」というやつだ。

 

前EPのリード・トラック『memento』では「メメント・モリ」が鍵になっていた。この思想はペストと深くつながっている。

今、ペストほどではないにしろ、コロナや芸能人の「極端な選択」から、多くの人が死を身近に感じている。

そんな時代にあって、死のにおいが濃いこのアルバムは、同調効果として抜群だと思う。

 

 

水はいいな

リード・トラックである『carpool』をはじめ、「水」のイメージをもつ曲がいくつかあった。

 

carpool

オープンカーに飛び乗って 海沿い だらり 走る

さざなみのあいだから きみが呼んでいる

水平線の先なんて 知りたくもなかったよ 

 

BOOKMARK

あとどれくらい水飲んだら 細胞まるごと入れ替わるかな

泡になって 弾けていく 

詳しくは別記事で話すと思うが、『BOOKMARK』の水(=無限に流れるもの)については弁証法の「アウフヘーベン」に通ずる。

弁証法では、アウフヘーベンによって無限に論を高めていけるとしている。

弁証法難しい、わたしも全然理解しきれてない、ゆるして)

 

カナリア

水はいいな いずれさよなら

 

いさな

・「いさな」は鯨の古語。

・歌詞も全体的に海

・水のようなSE

・ウォーターフォーン(水を使う楽器)を使っている?(自信ない)

ホラー映画の効果音を奏でる楽器「ウォーターフォーン」の音 | ギズモード・ジャパン 

 

水は流転するもので、無限に循環していく。

方丈記』の冒頭「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」は有名。

また、水は全てがそこからはじまっていくイメージももつ。

「母なる海」と言われるように、生命は海から誕生したとされる。タレースは「万物のアルケー(根源)は水である」と言った。

 

もともと輪廻転生的なモチーフは壮馬さんの曲によく入っていたが、「水」はこの今までの路線ともつながる、とわたしは考えている。

 

あとは、水に入れば浮力がはたらき、身体が浮く。

やはりここでも「あわいにたゆたう」感覚を味わわされるのだ。

 

 

神の視点から見て

歌詞については、三人称のものが目につき、語り部感が強くなっている。

 

以前の楽曲では、『エピローグ』には「ぼく」や「わたし」などの一人称が登場しないことや、「ふたりは 共にこの身朽ちかけ~」とあることから、三人称に近いと考えた。

>「エピローグを『観る』」の項を参照

 

『in bloom』には、もっと直接的に「彼」や「彼女」などの三人称がそのまま登場する。

シュレディンガー・ガール彼女

Vampire Weekend 

 

以前から、曲作りについて「物語を作っている」と公言していた壮馬さん。

 

>あくまで曲ごとの物語であったり、映像であったり、ということで作っています。

 

斉藤壮馬の音楽はなぜこれほど深い没入感を生むのか? 自身のルーツから新作『in bloom』までを語る!(2020/12/28)邦楽インタビュー|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム) 

 

>映画を観るような感覚で聴いてもらえたらいいな

──「Ani-PASS」#02 

 

今回は“ついに”ではないが、三人称の曲が出てきている。

作家、あるいは映画の脚本家やカメラマン、それらと同じように「物語を紡いでいる」という特徴がさらに直接的に感じられた。

 

 

※ 2021/1/5 追記

グリフォンズ・ガーデン』との類似

先ほどもちょろっと触れた『グリフォンズ・ガーデン』という本について。

そもそもなんでこの本が出てきたのか?という経緯からご説明しよう……。

 

Tweet in bloom」で壮馬さんが『逢瀬』について「in limbo」とツイート

 ⇨ 「Ani-PASS」#10で「今回収録を見送った曲で、Limbo=辺獄を描いている曲がある。そこが始まりと終わりのガーデン」と言っていたの、わたし思い出す

 ⇨ limboの曲、今回見送ったのでは……?いやでもシークレットでやっぱり入れたのか……?

 ⇨ 「始まりと終わりのガーデン」からふと『グリフォンズ・ガーデン』を思い出す

 ⇨ リリイベにて「『逢瀬』に元ネタがある」と言っていた。『逢瀬』の元ネタは『グリフォンズ・ガーデン』?

 ⇨ わたし読んだ

 ⇨ 『逢瀬』だけでなくアルバムのいろんな曲と繋がりがある?

 

ちなみにこの本を思い出したのは、壮馬さんが前に挙げていたからですね……。それで、わたしも買ってたので。すぐ影響される。

 

そんな流れ。本当にたまたま繋がりがたくさん目についただけで、せっかくだからまとめようと思いました。それ以上でも以下でもないです。

 

 

シュレディンガー・ガール

・蝶

>上昇気流に乗ったのか、一匹の揚羽蝶が、七階の部屋に迷い込んでしまう。ぼくは、居間のソファに寝転がって、優雅に飛ぶ揚羽蝶を眺めた。

(略)

「世界を成立させるためには、その内側に言葉がなくてはならない。君は、言葉を有していないから、そんなに優雅に舞っていられるんだ。ぼくが窓を閉めてしまえば、君には孤独と死しか残されないのに、君はそれを推測できない。上昇気流に乗って七階まで舞い上がろうとした気紛れの冒険心の代償としての絶望も知らずに死んでいけるんだ」

揚羽蝶は、ぼくの言葉に驚きもせず、ソファの背もたれに足場を作り、二枚の羽をぴったりとあわせる。

──早瀬耕『グリフォンズ・ガーデン』ハヤカワ文庫 P.232 

もしかしたら早瀬さんも、「プシュケー」のメタファーとして揚羽蝶を出したのかもしれない。

 

また、主人公「ぼく」はテレビに出るガールフレンドを見て、「ぼくがいま君と同じクラス(層)にいるなんて信じられない」と言う。それはテレビ画面の中が、ぼくのいる世界のさらに下層の世界、入れ子のように見えるからだ。これもシュレディンガー・ガールっぽいし、

今めちゃくちゃ詰めているところなんだけど、シュレガは量子コンピュータ量子テレポーテーションの話だと思う。これも『グリフォンズ・ガーデン』の設定と近い。まだざっくりとしか語れなくてごめん。

 

ぺトリコール

>瞬間のような短い時間で、抱えていた懐疑がぺトリコールのように消えていく。

──同書 P.10 

 

いさな

クオーク

>「もしも、宇宙の中心となる電子なり中性子とか、あるいはクォークを見つけだしたとして、それを中心にものを見てみたら、その瞬間に宇宙のすべての電子の動きが、簡単な方程式で表せるかもしれないじゃない?」

──同書 P.69 

 

フラクタル

>「でも、ぼくは、世界がフラクタルみたいな構造だとは考えられない」

フラクタルって?」

「ぼくたちは宇宙を内包していて、そのぼくたちのいる宇宙も、より大きな宇宙に内包されていて、そのより大きな宇宙も、またより大きな宇宙に、……みたいなのが、無限に続くとする考え方」

「なるほどね。でも、どうして、宇宙がフラクタルだったら信じられないの?」

「初めと終わりがないじゃないか。『より大きな』と『より小さな』しかなくて、『最も大きな』と『最も小さな』 が存在しない」

──同書 P.209 

 

この会話を要約すると、

原子核クォークの集まり)の周りを電子が回っている。それが太陽系に似ている。わたしたちの身体もたくさんの宇宙の集合体で、わたしたちの世界ももっと大きな世界にとっての一原子なのかもしれない、フラクタル構造だ」

という話。

フラクタル構造は無限に展開していくもの。

それは『いさな』の輪廻転生のテーマにも、『in bloom』全体がもつ水のイメージにも繋がる。

 

最後の花火

・線香花火

>「死んでいくっていう感覚はこんなものかなって思ったのだけは覚えている。だんだん情報が減っていって、情報がなくなっちゃうんじゃないだろうか、って」(略)

「もうすぐ何も考えられなくなりそうな恐怖感なんだ。線香花火の火花がだんだん小さくなっていくような感じ」

──同書 P.258 

 

逢瀬

・ピアノ

>翌日、佳奈の所属する室内楽サークルの演奏会に出掛けた。佳奈は、最後にひとりでピアノに向かい、彼女らしい演奏でドビュッシーの小曲を三曲ほど弾いた。(略)

閑静な住宅街の坂の途中に、時間の忘れ物のようにある音楽堂、雨上がりの宵の庭、ダンガリーシャツでピアノに向かうガールフレンド、微かな風、幾千という花びらを散らせたフラワープリントのフレアスカート、漆黒にきらめくピアノ、月の光、前奏曲集第一巻第十曲、パスピエ……

──同書 P.27 

 

この記事でドビュッシーを挙げていたのすら伏線じゃないかと思えてくる。もうだめだ。

 

・箱庭

>『鍋島さんは、藻岩山の展望台は初めてだって聞いたんですけれど、札幌の夜景はどうですか?』

『ええ、きらびやかな箱庭を眺めているみたいな気分です』

ぼくは、ソファのクッションをTV画面に投げつけた。(略)

「それなら、ぼくは箱庭の人形か?」

──同書 P.236 

 

 

各曲との関連で見つけられたのはこのくらい。

ちなみにネタバレになるので詳しくは言わないが、この本自体が、読み終わったらまた最初から読み返したくなるような円環構造となっている。

それもどこか輪廻転生的だと感じる。

 

 

『in bloom』のアートワークについて

ジャケットは「シュルレアリスムにしたい」というコンセプトがあったようである(リリイベ談)。これは壮馬さんからシュルレアリスムを提案したってことでいいのかな?

この話を聞いたとき、なんでいきなりシュルレアリスムが出てきたんだろう?って思った。

 

グリフォンズ・ガーデン』には、マグリットという画家の話が出てきている。

>「マグリットの描いた空みたいだね」

佳奈がそう言うと、ガラス越しの空はルネ・マグリットのキャンヴァスみたいに見えた。

──同書 P.65 

 

マグリットシュルレアリスムの画家。

空の柄が付いた鳥や、山高帽の男のモチーフが有名。

【美術解説】ルネ・マグリット「イメージの魔術師」 - Artpedia アートペディア/ 近現代美術の百科事典・データベース

 

アルバムのブックレットなどもよく見ると、マグリットっぽいモチーフがあったりする。

マグリットは「現実には有り得ないことを言葉なら簡単に言える」というメカニズムを絵に取り入れた。「自分の絵は思考の自由を表す記号」と言って、固定概念を崩そうとしていたらしい。

『in bloom』にもそういうメッセージは込められていそうだ。

 

 

◆音楽面について

 

「ほとんど全部にリバーブかけてるから!」

↑はSakuさんの発言らしいです(笑)

この言葉からも分かるとおり、ほぼ全曲でリバーブ・ダブルトラック・オクターブユニゾンが用いられている。

ここから得られるものは、強烈な「浮遊感」と「透明感」だ。

 

ダブルトラックは、アルバム以前だと『ペトリコール』サビで印象的な効果を残していた。

 

オクターブユニゾン『quantum stranger』『my blue vacation』でもよく使われていた。

sunday morning(catastrophe):Bメロ

レミング、愛、オベリスク:サビ

・Incense:Bメロ・サビ

・結晶世界:Aメロ・Dメロ

 

・memento:Bメロ

・林檎:Aメロ・Bメロ・Rap部分・「ばい ばい

・Tonight:サビ・「風船の中 まどろみあい」 

 

以下、『in bloom』を曲ごとに分析。たぶん抜けある。ゆるして。

 

carpool

ダブルトラック

イントロ・間奏・アウトロのフェイク(u~u~)

サビ・Cメロ・「あのとき言えなかったな」~大サビ

 

オクターブユニゾン

追いつけないや」「迷子みたいで」 

 

シュレディンガー・ガール

全編リバーブ

 

Vampire Weekend

ダブルトラック

イントロのフェイク

Aメロ・Dメロ・「ヴァンパイア・ウィークエンド」・サビ

 

オクターブユニゾン

Bメロ・「ヴァンパイア・ウィークエンド」・Fメロ

ないのだよ 彼は」「夜に溶けていく」「銀色の八重歯」「騙しあいされたい」 

 

キッチン

全編ダブルトラック?

コーラスも厚い。 

 

ペトリコール

ダブルトラック

サビ 

 

Summerholic!

全編ダブルトラック?

 

BOOKMARK

バーブ

サビ

 

ダブルトラック

Rap(Jさん含む)

 

オクターブユニゾン

イントロのフェイク・Bメロ・「何万光年馬鹿みたいに笑って」 

 

カナリア

バーブ

カナリアあんまりだ」「カナリアもう息も」 

 

いさな

全編リバーブ?(落ちサビ以外)

 

最後の花火

ダブルトラック

サビ

 

オクターブユニゾン

Dメロ 

 

逢瀬

ダブルトラック

Cメロ 

 

『in bloom』にはオルタナボサノヴァシューゲイザー、ポップス……と幅広いジャンルの楽曲が同居している。

だけど、ほぼ全ての曲にリバーブ・ダブルトラック・オクターブユニゾンがかかっていることで、「浮遊感」と「透明感」という統一が生まれる。

ジャンルはバラバラなのにどこか世界観が通底して感じられるのは、音の面から言えば、このためだろう。

ジャンルや音色(おんしょく)を揃えるのではなく、声に統一感をもたせるところは声優らしい。

歌詞についても曖昧さや水のイメージから、「あわいにたゆたう」世界観が作り出されていた。つまり、歌詞・音の両側面から浮遊感にアプローチしている。

 

 

満ちるメジャーの空気

『in bloom』に入っている曲はほぼ全てメジャーキー。

シュレディンガー・ガール』『Vampire Weekend』『パレット』はメジャー・マイナーを行ったり来たりしているので微妙だが……。

それでも完全にマイナーキーという曲はない。

 

『quantum stranger』であれば『るつぼ』『ヒカリ断ツ雨』『レミニセンス-unplugged-』

『my blue vacation』であれば『林檎』

のように、マイナーな曲、著しく暗い曲も入っていたことで、1曲ずつが際立っていたと思う。

 

『in bloom』はやはり、全ての曲のテイストは違うが、どこか全体で調和がとれているような感じがするのだ。

そういった意味で、壮馬さんは今回「コンセプトアルバムではない」と言っていたけれど、すごくコンセプトを感じた。

 

同じような感覚を、Mr.ChildrenSUPERMARKET FANTASY』を聴いたときにも抱いたことを思い出す。先行シングルだった「HANABI」を除き、メジャーキーの曲しか入っていなかった。

また、内省的という点でも『in bloom』と似ているかもしれない。『SUPERMARKET FANTASY』は「人々の生活に溶け込む音楽を作りたい」とのコンセプトのもと、「スーパーマーケット」をタイトルに掲げた。

Mr.Childrenはそれ以降、最新アルバム『SOUNDTRACKS』でも同じコンセプトを提示する。

 

わたしたちの生活に寄り添いながら、色濃いメジャーの空気によって、希望を抱かざるを得ない。

それは一見、「タナトス感」と矛盾するように感じるかもしれない。

しかし、タナトス感と希望を併せもつからこそ、『in bloom』には特有の心地よさがあるように感じるのだ。

 

 

キャッチー/コアとその調和

全体的には尖った曲が多いが、『carpool』や『最後の花火』のように、逆に『my blue vacation』にはなかったようなポップなメロ・典型的な構造の曲もある。

 

歌詞については、『Summerholic!』『パレット』『carpool』はシンプルで、本人も「難解な言葉は使わないようにした」と言っていたが、普通に難しめな詞も何曲かある。

シュレディンガー・ガール』『BOOKMARK』『カナリア』『いさな』あたり。

 

・キャッチーな曲:carpool、Summerholic!、パレット、最後の花火

 

・コアな曲シュレディンガー・ガール、Vampire Weekend、キッチン、BOOKMARK、カナリア、いさな 

 

……のようにコントラストがはっきり分かれている。『ペトリコール』はポップさもありつつどこか逸脱している、この中間って感じ。

だけど、リバーブ・ダブルトラック・オクターブユニゾンの方法や、メジャーキーという共通点から、アルバム全体として調和している。

 

 

 

 

これは以前、違う記事でも書いたことなのだが。

音楽は、その時代の人々が何を感じ、何を望んでいるのかを映し出す、鏡のようなものだとわたしは思う。

例えば、2011年の東日本大震災の少し後には、日本の未来をある種楽観視したような、未来への不安をかき消すような曲が増えた。

 

未来は そんな悪くないよ

──AKB48恋するフォーチュンクッキー』(2013) 

今という時代は 言うほど悪くはない

──Mr.Children『足音 〜Be Strong』(2014) 

 

そういえば、2020年3月に配信されたMr.Children『Birthday』を聴いたときは驚いた。終始ビートやベースが抑えめで、サビで開けるとか大サビで山がくるとか、そういう予想をとことん裏切られたからだ。

どこか決定的な盛り上がりに欠ける、しかし言い換えれば、穏やかな色に包まれた曲だった。

(ていうかミスチルの話多いなごめん。思い当たる節が多いあまりに……)

 

2020年はもちろんのこと、それ以前から不況や消費増税、老後2,000万円問題、政権への不信感など、未来への不安要素が増えてきた。

そこで求められる音楽は、肩の力を抜けるシンプルなものではないかと、やはり思う。

 

『in bloom』には、シンプルさとミニマリズム、浮遊感・透明感、メジャーコードが通底していた。そのやさしい空気が、12曲すべての物語を包み込んでいる。

かなしみ、喪失感、狂気、すこしの毒、大切な記憶……そして、あい。

それらさまざまな感情を全部丸めて焼いて、白いきらきらをまぶした砂糖菓子の詰め合わせ。そんなアルバムだと思った。

 

2020年は、しにたい、しにたいってたくさん言ってしまった。

実を言うとまだしにたいです。どうしたらこのトンネルから抜け出せるのかわからないです。しにたいけど生きる。

壮馬さん、わたしのタナトスに寄り添ってくれてありがとうございました。

『in bloom』は多分、わたしにとって大切なアルバムになると思います。

 

また全曲考察は書くと思いますが、影すらも見えません。なのでいつになるか未定ですが(通常運転)、頑張ります。

 

 

 

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推しとわたしとコロナの愉快な2020年

 

カフェに入る。BGMでは、去年のクリスマスにハートを君にあげたり、War がOverしていたりする。

年末年始は大体いつも東京ドームにいた。だからクリスマスソングを聴くと、わたしは水道橋の空気を思い出す。25ゲートか41ゲートか。ヱビスバーかデニーズか。

ということで気づけば年末。年末には年末らしく今年を振り返ってみよう。という記事です今回は。

そしたらす~っごい暗くなった。

あまりにも暗いので、せめてタイトルだけでも平穏な洋画の邦題みたいにしてみた。むだな足掻き。

繰り返しますが暗いです。忠告はしました。それではどうぞ。

 

 

 

2020年。

なんて特殊な年だったのだろう。わたしは「2020年」のことを、恐らく一生忘れない。初めて外国に行った年よりも、初めてジャニーズのコンサートに行った年よりも、大学を卒業した年よりも、つよく、忘れない。

現場が消えた。

推しの顔が(直接)見られなくなった。

それはわたしの人生のなかで、何を意味していたのだろう?

 

 

 

昨年まで、わたしはまあまあ幸せに暮らしていたと思う。

大した稼ぎもない、ペーペーの社会人。

推しがいるイベントやライブには大体参加して、ひとつ終わったらまた次のイベントのチケットを握りしめて、そこを楽しみに生きる。そんな、きれいなサイクルを繰り返して生きていた。

でっかい目標なんかも特にない、基本的に省エネな生活。だが、人生なんてそんなものだろうとも思っていた。なんとなく稼いで、エンタメを受け取るだけ。それで楽しいから良くない?ねえ良くない?

つまり、わたしはオタ活以外に生きる意味を見出していなかった。

そして当たり前にオタ活できていた2019年までは、そんなことに気づけるはずもなかった。

えてして、人は失って初めて気づくものだ。

そういう場所を失って初めて、推しがわたしの生きる意味であることを知った。

それがわたしの2020年だった。

 

 

では、生きる意味がなくなって(あるいは限りなく少なくなって)わたしがどう感じたか。

答えは簡単。

「死にたい」だった。

というか、たぶん、気づいていなかっただけで、「死にたさ」はもっと前から頭のどこかに抱えていた。
だけど常に手元にチケットがあり、追うべき対象が目の前にいたから、死にたさが紛れていたのだと思う。

 

最近のマイブームワードは「希死念慮」である。

ちなみに、「自殺願望」と「希死念慮」という言葉は意味的に使い分けられるらしい。

希死念慮

死にたいと願うこと。

[補説]自殺願望と同義ともされるが、疾病や人間関係などの解決しがたい問題から逃れるために死を選択しようとする状態を「自殺願望」、具体的な理由はないが漠然と死を願う状態を「希死念慮」と使い分けることがある。

──コトバンクより

 

これを見ると、わたしは明らかに後者である。

だから安心してください死にませんよ。

「死にたい」。「死にたくない」。

その2つが同居している奇妙な精神状態は、健康な人にはなかなか理解しがたいかもしれない。

 

すると、明らかな変化も感じられてきた。

わたしはグロ描写がすこぶる平気な類の女だった。どこまでも可愛くない。

秋、とある映画を見に行った。イギリスの辞書編集者の話で、そのあらすじからアカデミックな内容なのだろうと思った。それなら、こんな精神状態でも楽しめるだろう、と。

蓋を開けてみると、まあまあまあ結構なグロ描写が多かった。看板に偽りありだ。許すまじ……。

そこで、いつもなら平気なはずの血や吐瀉物の描写がとにかくしんどかった。何秒間か目をつぶった。

原因は思い当たった。思い当たりすぎたかもしれません。「死」を意識していたからだ。画面の中のグロを自分と重ねてしまってダメだった。

その時さすがに、かつてないレベルで精神が落ちていると感じた。

 

具体的な行動としては、買い物に走った。

特に鞄と化粧品を買ったかな。

鞄が一番ひどかった。通販で買っては、サイズ感が思ったのと違う、こっちの方が可愛いじゃん、といったように、買っては売り、あるいは捨てた。売るといっても古着屋でワンコイン程度になれば良いほうだった。つまり自らすすんで金をドブに投げていたのと同じ。

化粧品は、わかりやすく言うと昨年より28本リップが増えた。ちなみに美容ユーチューバーでもなんでもない。よりによってリップ。マスクするのに。これも金をドブに捨てていたのと同じだろう。リップ見えないもん。見えないからこそ、反動で欲しくなったのかもしれない。

それで買い物がかさみ、貯金ができなくなった。

わたしは今年、推しの供給があるとお金を入れていく「推し貯金」を実践していた。

……のだが。出費を抑制できず、11月には推し貯金を崩す事態になった。

情けない。

 

でも、それが、すごいの。

すごいんだよ。

何をどれだけ買っても全然満たされないの。笑える。

買ったものが届いて、開けて、うわあテンション上がる!早く使いたい!って思うの。

でも2日くらい経つと気づくの。

現場なんかないし、友だちにも会わないし、買っても意味なくない?って。

そうするとたまらなく死にたくなる。

本当には死なないよ、何回も言うけど。

でも、使う場所なんかないって、無意味ってわかってても、また新しいものを買ってしまう……ということを繰り返した。

それがわたしの2020年だった。

 

(この前推しが出した新グッズが可愛かったので(かはわからないが)、今はだいぶ買い物欲が収まっている気はする)

 

 

そんな自分の精神状態がヤバイなか。推しは2020年、めちゃくちゃ活躍していた。

アニメの主演は4本(2020年冬クールから2021年冬クールまで)。これは今までにない数である。ものすごくおめでたい。また、映画にもたくさん出演されていた。

そのなかで、もっともわたしの精神を支えてくれたのがアーティスト活動だった。もともとわたしは、推しの活動のうちアー活が一番好きだった。

推しは今年、コンスタントに新曲を発表してくれた。12月にはフルアルバムも出る。

その度にわたしが思ったのはこれだ。

「良かった、生きる意味ができた」。

リリースがあると、買って、聴いて、ブログを書くという流れが、いつしか自分の中でできていた。

ブログを書くまではなんとか生きていくぞ、と。そういう風に、重い腰をむりやり上げて歩いてきた。

それがわたしの2020年だった。

 

 

でも同時に感じてるわけ。

「わたし、推しを推す以外何もない」。

これいっこしかない。

じゃあその唯一である「推しを推す」がなくなったら、今度こそ何もなくなるよ。

そのとき、わたしはどうなっちゃうんだろう? 廃人になっちゃうのかな? ヤベー。重ね重ね言うが死にたくはない。

今は推しがたくさん活躍してくれているから良いものの、いつまでもそれが続くとは限らない。

あまりに愛が大きすぎると失うことを思ってしまうの。それって本当だったんだ。KinKi Kidsは偉大。

これ即ち完全なる依存。

「推しを推す以外何もない」。その無力感と情けなさに、抗えないまま目をつぶる。

 

 

そう、そして今年は推しの主演作が多かった。ということは、本来であれば主演声優として立てるステージがたくさんあったはずだ。

推しが立つべきだった0番は失われた。永遠に。それは何よりもやるせなかった。

 

 

でも。

でも、悔しいじゃないか。失ったものばかり考えるのは。

だからわたしはあえて、コロナから得たものを考える。

 

 

その1。

チケットにかけるはずのお金が浮いた。それで脱毛に行ったり化粧品を買ったりした。

こんな機会でもないと、脱毛いこ~って思わなかった気がする。化粧品は買いすぎ。おかげで金はない。

その、自分のなかで、ちょっとだけ美意識が高まったことは良かったと思う。

 

 

その2。

自分は何もない人間だと再認識できた。

今まで「推しを推す」が充実しすぎていたから、自分自身の生き方について見なくて済んだかもしれない。

だけど今年わかったじゃん。わたしには何もない。

もっと自己実現ができれば、死にたくなんてならないかもしれない。

推しが好き。大好き。世界で一番好き。

世界一好きな推しを、健康に推し続ける。そのために、自分に満足できる自分でいたい。

 

 

その3。

推しの「有り難さ」を再認識できた。

イベント制限が敷かれた2月から今までの10か月。推しがリアルイベントに参加したのは11月の1回だけだった。

わたしもその場にいた。そこで何より真っ先に感じたのは、「有り難い」ということだった。Thank youの意味ではなく、言葉そのものの意味で。

「ありがたい」とはもともと、「有る」が「難(かた)い」、つまり「なかなか存在することがない」という意味だ。

今までマシンガンのように行われていたイベントの数々。そこに有り難さなんて、あまり感じてこなかった。だけどコロナ禍の今は、文字通り「有る」が「難い」状態だ。

 

これって裏を返せば、1回1回の現場をもっと大切にできるということでは?

初めて推しと同じ空間にいられたときの感激を、また新鮮に味わえるということでは?

これからもっと、もっと推しを好きになっていけるということでは?

そう考えたら、オラむしろワクワクすっぞ。

 

わたしは大人だ。自分の機嫌のとり方くらい知っている。

わたしの心を決められるのはわたししかいない。

「人生は 心ひとつの 置きどころ」。

推しが好きな言葉のひとつである。

じゃあ視点、変えてやんよ。

視点、そのたったひとつを変えて、楽しんでやんよ、こんな人生なんか。

起こしてやんよ! コペルニクス的転回をよ!!

 

 

 

やば。変なテンションになってきた。

最後に。わたしが病んでるときに心配してくれた皆さん、ありがとうございました。

 

推しへ。たくさん心を支えてくれてありがとうございました。こちらからも、ほんのすこしでも何かを返せないかなっていつも考えています。そんな気持ちで、これからもお金を払って応援させていただきます。2021年もよろしくお願いします。

 

──ワクチンのすこしでも早い実用化を願って、2020年末

 

 

 

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