消えていく星の流線を

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デフォで重め

【ネタバレ】映画『ミッドサマー』感想 ~狂っているのは、どっち?

 

アリ・アスター監督の 『ミッドサマー(原題:MIDSOMMAR) を鑑賞しました。

観終わった今はとにかく「スゴいものを見たな」という感じ。

今回は ネタバレありで 『ミッドサマー』の感想を書いていきます。

未見の方はブラウザバック推奨。

 

セリフの引用などはうろ覚えなのでニュアンスです。

 

 

 

 

◆ 映画『ミッドサマー』とは

 

 

 

 

家族を不慮の事故で失ったダニーは、大学で民俗学を研究する恋人や友人と共にスウェーデンの奥地で開かれる“90年に一度の祝祭”を訪れる。

美しい花々が咲き乱れ、太陽が沈まないその村は、優しい住人が陽気に歌い踊る楽園のように思えた。

 

しかし、次第に不穏な空気が漂い始め、ダニーの心はかき乱されていく。妄想、トラウマ、不安、恐怖……それは想像を絶する悪夢の始まりだった。

 

──公式サイト「STORY」より

 

主人公の女の子・ダニーらは、ペレという友人から招かれ、アメリカからスウェーデンの奥地へと向かう。そこにある共同体──「ホルガ」で9日間生活し、祝祭を体験することになる。

ホルガは太陽を絶対神として崇める文化であるようだ。それゆえ、太陽が沈まない白夜──「ミッドサマー」の時期にこの祝祭をおこなう。

しかし、1人、また1人と仲間たちが消えていき……?

 

 

 

もう、この公式サイトからして怖い。

よく見てほしい。

見えなければ画面を拡大してほしい。

 

サイト全体に砂嵐がかかっている。

なんなんだ、このサイトは……。言いようのない気持ち悪さに襲われる。

 

 

 

映画の総じた印象としては、頑張ってR15にとどめたんだなという感じ。

エロ、グロ、ドラッグ、カルト、全部入ってます。

 

なかでも強烈だったのはエロ。シーン自体は長くないけど一番ショッキングだったかもしれない。

ダニーの恋人クリスチャンは、ホルガの一員である赤毛の少女・マヤに誘惑される。

ホルガには生殖行為に対して厳格な規定があるようで、族長的な人に承認された男女でなければセックスを許されない。

 

クリスチャンは言われる。

「あなたとマヤのセックスを許可します。あなたは占星術的にも理想の相手だわ」

 

そしてなんやかんやあってクリスチャンとマヤはまじでヤる。

といっても、この前に飲まされた謎のお茶と嗅がされた謎のお香によって、このときのクリスチャンは正気ではないのだが。

 

このときの画面がもう……すごかった。

2人がヤッているところを、全裸の成人女性十数人が取り囲んで、なんか不気味な歌を歌っている。たぶん、孕みやすくなる儀式かまじないみたいなものだろう。

女の陰部は丸出しでも大丈夫で、セックス時の結合部がダメなのは当然いいとして、暗いところのちんちんは大丈夫で、明るいところのちんちんはダメってよくわからん。R指定

 

 

グロは個人的にはそうでもないかなと思った。

飛び降りて死んだおじいさんおばあさんの死体とか、神への生贄とするために飾り付けられた死体は、ショッキングな見た目ではあるが、明らかな「人形」感があるからそんなに怖くもなかった。

生贄とされる死体は、木や花を植えられるなどして飾り付けられている。ここで『PSYCHO-PASS』の標本事件を思い出した。あれをクリアした人にとっては『ミッドサマー』の死体は楽勝。

 

いや、でも人間に熊の生皮を被せるのはしっかり驚いた。

「あああ!その発想はなかった!」って思わず言ってしまったよ……その発想はなかった。

 

血もほとんど出ないからスプラッターでもない。ドミネーターのほうがグロとしては強烈。

 

 

 

「ホルガ」について

『ミッドサマー』で大きなテーマとなっている架空の共同体「ホルガ」。

ホルガは、人間の生と死について確固とした考えをもっている。

その基本は、人間の一生を四季としてとらえていること。

 

・子供時代は「春」

・青年期は「夏」で旅に出る

・大人は「秋」で労働をする

・老年期(~72歳)は「冬」

 

そしてアメリカから来た彼らのひとりは聞く。「72歳を過ぎたらどうなる?」と。

ホルガの人たちはその問いに答えを濁す。

そこで大体わかるだろう!と。察しが悪いやつらだなあ!

 

その後、彼らはホルガの「儀式」を目の当たりにすることになる。

72歳を迎えた2人の老人が、崖から飛び降りて自死するのである。

うち、おばあさんはすんなり死ぬことができったが、おじいさんはそうはいかなかった。足を骨折したのみで死ぬことができなかったのである。

そのときのホルガの人々のブーイングときたら……。

仕方がないから、係の者が長いハンマーを取り出しておじいさんを殴り、殺すのである。

 

ちなみにこのおじいちゃん(ビョルン・アンドレセン)が『ベニスに死す』のあの美少年だと知ってびっくり。セーラー服の少年おいしいもぐもぐ。

そういえば『ミッドサマー』でもどこか高貴な雰囲気があった。

 

あまりに衝撃的な光景に、取り乱すアメリカからのご一行。

彼らに、ホルガの女性は改めて説明する。

「ここでは72歳になると、次の世代へ命を譲るのよ。そして次に生まれた子どもに、彼ら自死した老人ら)と同じ名前を付けるの」

 

冬が終われば、また春がくる。

次の春を迎えるために、72歳を過ぎたホルガの者はよろこんで命を捧げる。

 

 

 

また別の話。論文を書くために、アメリカ人の一人は質問する。

「ここは小さい共同体です。近親相姦の心配はないのですか?」

ホルガの男性は説明する。

「ここでは意図的に近親交配をして、聖なる力をもつ者をつくり出しているんだ。しかし外部からの血も混ぜてバランスをとっている」

ここでもまた、察しの悪いやつらだなあ!と思うのである。

なぜなら、彼らアメリカ人こそがホルガが求めている「外部の血」なのだから。

そのために、マヤに誘惑されたクリスチャンが「種」を採られてしまうのだ。

 

 

 

しかし、この共同体にはどうも違和感を覚えるところが多い。

彼らホルガは「自然と調和する」といいながら、自然の理に反することばかりしている。

自死、意図的な近親交配、ドラッグでトリップする、など……。

 

彼らはそのすべての行為を「聖典」によって意味付けしている。

先述のように、自死は「次の世代へ命を譲る」ため、近親交配は「聖なる力をもつ者をつくり出す」ため、トリップは「自然と一体化する」ため……。

 

明らかに矛盾した行動であっても、上手いことばで言ってしまえばどうとでもとらえられる。

正当化の怖さを感じた。

 

 

 

また、この共同体は皆が一になることを絶対的な善としている。

ホルガの者は「ここの者はみんな家族だ」という。

当然のこととして「四季」に沿った生き方をする。

女王となったダニーが耐え切れず泣き出したときは、他の女たちも協調するように、こぞって泣き、咽ぶ。そしてその泣き声すらも最後にはぴったりと合っていく。これも物凄い光景であった。

 

つまりここでは多様性が皆無である。

多様性という概念すらないのだと思う。

人種のるつぼたるアメリカからここを訪れた彼らにとっては、なるほど理解の範疇を超えていたはずである。

 

 

 

 

伏線について

ダニーたちは、スウェーデン現地でサイモンとコニーというイギリス人のカップルと合流する。その2人も当たり前に死ぬ。というか最終的にはダニー以外全員死ぬ。

サイモンは鳥小屋の中で床と平行になるように吊るされ、生きたまま内臓を鳥たちにつつかれている。

 

これはギリシャ神話に登場する神「プロメテウス」がモデルか?

プロメテウスは人間に火の概念を教え、人間は武器を作り戦争をするようになった。それに起こったゼウスはプロメテウスを山に磔にして、生きたまま鳥に内臓をつつかれるという苦行を課す。

 

ホルガで最終的に生贄に選ばれた9人は、「聖堂のような場所」で火に包まれて死ぬ、というか生贄としての役目を果たす。

プロメテウスを模し、「火」という伏線をすでに仕込んでいたのかもしれない。

 

 

 

また、ホルガに着いたばかりの頃「これはラブストーリーだよ」と教えられた絵。

女性が陰毛を剃っているコマがあるが、実際にクリスチャンはマヤの陰毛を食べさせられる。この絵はのちのクリスチャンの行く末を描いていたのである。

 

『ミッドサマー』にはこういう伏線がたくさん仕込まれていて、それを考えるのも楽しい。

とくに絵はとっても重要で、のちの展開を物語っているものが多い。

ディズニーリゾートなんかでよく見られる手法だと思う。つまり、アトラクションのスタンバイエリアに壁画やオブジェなどがあり、アトラクションのストーリーを予測できるものが多い。シリキ・ウトゥンドゥクリスタルスカル……。

 

なお、公式サイトには「観た人限定 完全解析ページ」というコーナーがあり、かなり詳細に考察されていて読み応えがある。

ここでは『ミッドサマー』を2回鑑賞することが推奨されている。

 

 

 

絶妙な気持ち悪さが画面を支配する

ホルガに車で向かうシーン、カメラが上から車を追い越し、画面全体が逆さまになる。

まるで、彼らがこれから向かう世界は、今までの世界とはまったくあべこべである、とでも言いたげな。

こんな映像は初めて見た。まさに「映像体験」としか言い得ないだろう。

 

 

 

さらに、ラストにいくにつれて画面に歪んだエフェクトがかけられていく。

とくにダニーが女王に選ばれた直後の食事シーンでは、肉がゆらゆら動いている。

また、このときダニーの頭にかぶせられたでかい花冠の、右眼のすぐ上にある花。じつはよく見ると花蕊が開いたり閉じたりしていて、これがまた最高に気持ち悪い。

 

動くはずのないものが動いているのである。まるで幻覚を見ているかのように。

これはたぶん、あの謎のお茶を飲んで彼らがラリってるからなのだと思う。

 

 

 

この揺らぎはたしかに気持ち悪いんだけど、なぜか同時に心地よさも覚える。なんとも不思議だった。

恐らくだが、このゆらぎの周期が「1/fゆらぎ」の法則に従っているのだと思っている。

薪が燃えるようすや、雲が空を流れるようすには「1/fゆらぎ」のリズムが含まれるのだという。

 

その心地よさこそが怖かった。

観終わったときのわたしは本当に、なぜか清々しい気持ちになっていたのだ。

『ミッドサマー』という映画に洗脳されてしまった、とわたしは思った。

 

ダニーは最後、燃え続ける聖堂と生贄たちを見ながら微笑みを見せ、ホルガを受け入れたように見える。

それと同じようにわたしも、この奇妙な世界を受け入れてしまったのである。

殺人やグロテスクな死体よりなにより、その事実が一番怖かった。

 

 

 

◆ 総評

ホルガの自死の風習を見たアメリカ人、イギリス人たちは言った。

「お前たちは狂ってるよ」と。

 

だが、彼らにとってはあれが「普通」で、彼らから見たらわたしたちが「異常」なのだ。

 

何をもって普通といえるのか。それは神のみぞ知るところでしかない。

所詮わたしたちは、生まれた瞬間からの環境による「教育」によって刷り込まれた「常識」という色眼鏡を通してしか、世界を見られないのである。

 

アインシュタインいわく、「常識とは18歳までに集めた偏見のコレクションである」。

 

 

 

そして、「生きる」とは何なのか。

彼らは72歳を超えると「次の世代へ命を譲る」が、これが正しくないことだと、いったい誰が断定できようか?

 

ちなみに、これは突き詰めれば「輪廻転生」の考え方にもつながる。

つまり仏教の色が濃い日本にとって、ホルガの思想はまったく他人事ではないはずなのだ。

 

 

 

テレビアニメ『バビロン』において、正崎善は言った。

「『善』とは続くことである。『悪』とは終わらせることである」

 

ならば、“輪廻転生を続けている”ホルガの世界は「悪」といえるのだろうか?

 

遠くない未来、自殺法はいきすぎにしても、安楽死が合法化される可能性はおおいにある。

そのとき、ホルガの思考を否定できる権利はわたしたちにはないのかもしれない。

 

 

 

◆映画『ミッドサマー』:公式サイト

 

 

 

今後、気が向いたらこのブログで映画の感想を書いていこうかなと思っています。

なお予定は未定。

 

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エモで生きてる声優オタク

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