消えていく星の流線を

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デフォで重め

旅は続くよ世界の果てまで ~斉藤壮馬さん『my blue vacation』考察&雑記

 

さる令和元年12月18日──斉藤壮馬さんの1st EPmy blue vacationが発売されました!! おめでとうございます!!

前回のアルバム『quantum stranger』(またの名を最高の名盤)から1年。

今回も、待った甲斐があるとしか言いようのない、素晴らしいプロダクトでした。

 

このブログでも1年ぶりに斉藤壮馬さんの曲を語りちらかすことができ、うれしい限りです。

ささやかながら、インターネットを通じて出会えたどこかの誰かにとって、壮馬さんの世界をより楽しめる手助けができれば幸いです。

 

例のごとく前置きから!この考察が正しいなんて!まったく思っていません!ので!!

ここに書いてある全ての内容はあくまでいち個人の解釈です。

 

リリースイベントについて、不特定多数の方のレポを参考にさせていただきました。ありがとうございます!

 

後日、全曲考察記事を更新予定です。

この記事も何か気づいたことなどがあれば随時追記予定です。

追記:全曲考察記事、公開しました!こちらも併せてどうぞ!

 

 

 

 

まず、斉藤壮馬さん本人が語っていた内容を要約したので見てくれ。

 

「EP」っていう言い方がしたかった。『サマーバケーションEP』って小説のタイトルも内容もすごい好きだから、何とかバケーションEPってタイトルにしたかった。

 

自分の曲って 終末感、世界の終わり感 みたいなものがあるなと。もし世界が終わるなら、それまでの時間って「最後のバケーション」じゃない?みたいなテーマで作った。

「blue」はなんかオシャレだから。

全体的にくすんだブルーみたいなイメージ。歌詞にも青系の単語が入っていたり。

MV(「memento」)も暗いトーンのブルーの色調で統一した。

 

歌詞がけっこう難産だった。

今まではメロディーと歌詞が同時に思いつくパターンが多かった。今回は完全に曲先行が多い。歌詞ハマらないな~みたいな。歌詞は時間をかけて書いた。

 

ファーストアルバムで第1章がまとまって、第2章に行くかなと思ってたけど、今回は1.5章みたいな。OVA的な感じ。今までと同じようなテーマだけどアプローチが違う。

今までにないような楽曲もある。ダークっぽい曲とか、賛美歌っぽい曲とか。

 

──ダメラジ 2019/11/21放送

 

 

 

◆ タイトルについて

まず「my blue vacation」というタイトルについて。

 

『サマーバケーションEP』古川日出男による小説。

この小説について、2019年1月に出版された『本にまつわるエトセトラ』にて、壮馬さんはこのように語っている。

 

神田川沿いをひたすら海に向かって歩いて行くお話なんですが、その着想と大胆な文体だけで大勝利確定っていう作品ですね。この本に影響されて、大学時代は友達といっしょに作中と同じルートを実際に歩いたことが何回もあります。

 

タイトルもとびきり秀逸だと思っています。“サマーバケーション”というパワーワードに、さらに“EP”を加えるなんて、そんなのありかと。

──『本にまつわるエトセトラ』より

 

 

この小説のあらすじはじつに単純明快。

井の頭公園神田川源流からその河口まで、主人公がさまざまな人と出会い、そして別れながら、歩いて東京湾を目指す。それだけのお話だ。

 

しかし、神田川の流れは「時間」の流れに置き換えることもできる。この川に沿って人との出会いと別れを繰り返す様子は、まるで人生の縮図のようにも思える。

 

神田川は、早稲田大学に近い高田馬場にも流れており、作中にも高田馬場駅周辺が出てくる。

このルートを実際に、一度ならず何度も歩いたという壮馬さん。この本が相当好きなのだろうなと、このエピソードからもわかる。

 

この小説へのオマージュから、「何とかバケーションEP」というタイトルにしたかったようだ。実際にはタイトルから「EP」が取れ、1st EP『my blue vacation』というかたちになったようだが。

 

リリイベ談によると、最初は「blue vacation EP」というタイトルにしたかった様子。

だが「BLUE VACATION」がすでに版権を取られていたということで(おそらくBOØWYの楽曲)、

myを付けて「my blue vacation EP」となり、

長いからEPを取って「my blue vacation」となったようだ。

 

 

余談だが、『デート』では主人公が女の子を「高田馬場から海まで歩いていこうよ」と誘う。

今考えると、これも『サマーバケーションEP』の影響だったのだろうなと思う。

 

 

「EP」はExtended Playの略で、もとは収録時間がシングルより長く、アルバムより短いレコード盤のことを指していた。現在では、3~6曲ほどが収録されたミニアルバムととらえて良いだろう。

 

ところで、『quantum stranger』発売時、壮馬さんは「映画を観るような感覚で聴いてもらえたらいいなというのは、ずっとあります」と語っていた(Ani-PASS #02)。

またこのEP発表前には、こんなツイートもされていた。

 

今回の「EP」という言い方の中には、ミニアルバムとしてのEPという意味と、「 Episode = 物語 」としての意味があるのだと、というかあったらカッケーなと、わたしは勝手に思っている。

 

 

あとアルバムのときも思ったんだが、なんで頭を大文字にしないんだろうか? かわいいから? それとももっとほかの意味があるのだろうか。

◆ quantum stranger

◆ my blue vacation

 

 

 

 

◆ パッケージについて

前回は初回盤がLPサイズという仕掛けがあったが、今回もパッケージングに並々ならぬこだわりが感じられる。

 

初回盤は、紙製の箱を後ろから開けるつくりになっている。前面にはプラスチックの板がはめ込まれている。まるで、絵を額縁に入れて飾るときのようだ……

……って言おうとしたら公式によると横から開けるらしいです!ありがとうございました(泣)

 

 

さらに後述もするが、この板は青みを帯びていて、ブックレットに被せると表紙の写真が青い空気を纏ったようになる、という仕掛けも。

 

また、箱の前面は上下に数センチずつ黒くマスキングされている。これは、映画のスクリーンやテレビ画面を見ているような錯覚を覚えさせる(画面上のこの黒帯は「レターボックス」と呼ばれる)。

一般的なデジタル放送は、画面アスペクト比が横16:縦9。ワイド比と呼ばれる。

このジャケットのレターボックスを除いた部分を測ってみたところ、横14.5センチ:縦9.0センチだった。まあいろいろあってワイド比にはならなかったのだろう。

 

 

また、今回も『デート』や『quantum stranger』と同じようにシークレット・トラックが仕込まれていた。

 

しかも『quantum stranger』における「ペンギン・サナトリウム」は各サービスから配信されていたのに対し、今回のシークレット・トラックは配信されていない。

正真正銘CDを買った人だけの、とっておきのお楽しみなのだ。

 

音楽を楽しむかたちは今や移り変わり、データのうえだけでそれを享受することもできるけれど、あえて「モノ」としての盤を手に取ってほしい。

その想いがひしひしと伝わってくる。

 

 

すごい脱線するけど、この前『つつんで、ひらいて』というドキュメンタリー映画を見た。

1万5,000冊の本の装幀を手掛けた装幀家菊地信義さんに密着したものだ。

ここで菊地さんは、紙の本の存在意義について、「小説の“身体”が、モノとしての紙の本」なのだと言っていた。

わたしはものの見事に目から鱗が落ちた。紙の本は小説の“身体”。

本の内容は脳みそで、中身と読者を媒介するのが“身体”である本。

壮馬さんもよく電子書籍と紙の本の違いの話をするけれど、よくある「紙の本は必要か」論争、この一言で決着してまうぞ。

 

これと同じことで、CDのパッケージはやっぱり、音楽の“身体”なのだろうなと思う。

音楽それ自体は脳みそで、そこで生み出された物語たちを伝えるためには、“身体”であるCDの盤が必要なのだろう、と。

 

偶然見た映画からつながった余談でした。ことばや本が好きな人ならすごく面白い映画だと思うから、ぜひ見てみてくれ。

 

 

 

◆ 1年前の追体験

今回、意図的なものかは不明だが、さまざまなものの日程が1年前のちょうど同時期の『quantum stranger』と同じであった。これは、昨年の追体験をさせようとしているものなのだろうか?

 

以下全て、上が『my blue vacation』、下が『quantum stranger』である。

 

●発売日 

2019/12/18

2018/12/19

 

●詳細解禁 

2019/11/23

 

2018/11/23

 

リリイベ日程 

2019/12/22

 

2018/12/23

 

しかもダブルピースまで一緒でちょっとじわる

 

こむちゃっとカウントダウン」出演 

2019/12/21

 

2018/12/22

 

いやまたダブルピースだよかわいいなまったく

 

 

◆「青」の要素

「blue」はなんかオシャレだから(付けた)。

全体的にくすんだブルーみたいなイメージ。歌詞にも青系の単語が入っていたり。

MV(「memento」)も暗いトーンのブルーの色調で統一した。

──ダメラジ 2019/11/21放送

 

「なんかオシャレだから」と、本人はざっくりした理由を語っていた。

しかしここでは、敢えてその先の根拠について語ってみることにする。なぜならそのほうが面白いから。

ただし大前提として、壮馬さんをはじめとする制作サイドがこれを意図しているかどうかは不明である。

 

「終末感とセンチメンタリズム」というこのEPのテーマを考えたとき、タイトルに「blue」を冠している意味は、きっと 「空の色」 からきているのだろうなと思った。

 

後で語るが、個人的にはこのEPは、「終末のときを世界のあちこちですごす人たちのアンソロジー」だと思っている。

地球上において、海が見えない土地や木々がない土地はたくさんあるが、たぶん、空が見えない場所というのはほとんどない。

また、もしも破滅が訪れたら、海や山はやはり汚れてしまいそうだが、空はその干渉を受けづらい。

つまり、地球が滅んで街全体が灰色と化しても、空の青さだけは普遍的で、変わらないものなのだと思う。

 

EPに収録されている5曲の世界はすべて空が見える場所だから、青い世界観が共通している。と考えてはどうだろうか。

 

 

さて、なんとなく核心に触れられたような気がするところで、このEPにちりばめられた「青」の要素をまとめてみる。

 

 

初回盤のパッケージ

初回盤の表紙の上にはプラスチック製の板(フィルム?)が重ねられている。このフィルムは青みがかっていて、ブックレットの上に載せて見ると、写真が青い空気を纏ったようになる。

 

歌詞のなかの「青」

・緑の指

──memento

昔の人は緑のことも「青」と言った。

 

無人の気球 空を泳いで

──memento

夜でも曇っていても気球は飛べるが、なんとなく晴れている青空がイメージできる。

 

・水底へ沈んだ

──memento

 

・彼女は 宙 見失って

・いつもこの青に溶けてゆくだけさ

──ワルツ

 

・夜のどん底

──Tonight

 

歌詞に出てくる「青」の要素は、思ったより少ない印象?

ただし憂鬱な気分を表す意味での「ブルー」を含めると、何かに対して虚勢を張っている「Paper Tigers」や、ギャンブルに踊らされている「林檎」も、これに当てはまるといえそうだ。

 

 

 

◆『my blue vacation』楽曲について──全体的所感

「もしも世界が終わるなら、それまでの時間は最高のバケーション」

これをキーワードとして、EP全体を読み解いていく。

 

 

眠る人々

登場人物たちが眠っている描写がいくつかの曲で見られた。

彼らは、世界が終わるまでの最後のバケーションを眠って過ごそうと考えているのか。

そしてそのまま永遠に眠ってしまうのだろう。

 

・しょうがないからお昼寝しよう

──Paper Tigers

 

・また眠ろう 深いところまでいって

──Tonight

 

・きっと少し長めに眠るだけさ

──エピローグ

 

 

別れゆく人々

「別れ」に関する語が多く見られた。

幾度も描かれる、何かと別れ、何かを失う人たちの姿。

こんなの、あまりにわかりやすく刹那的で退廃的じゃないか。こんなの、こんなの……! 好き。

 

・理からはじまって わかれてゆく病なら

──memento

 

・いつも失うこと 忘れるだけさ

──ワルツ

 

・オルヴォワール(フランス語で「さようなら」)

・ばい ばい

──林檎

 

・それじゃばいばいかな

──エピローグ

 

 

5曲の関連は……?

『quantum stranger』では全ての曲がタテに繋がっていて、全体として物語になっていた。

 

しかし、今回は5曲がヨコに繋がっている のではないだろうか。

同じカタストロフィの時代を迎えていて、かつ、世界のさまざまな場所でその時を過ごしている、5者5様の風景を描いている、そんなイメージをわたしはもっている。

 

ここでいう「世界」とは概念としてのものであり、必ずしも地球のこととは限定しない。

彼らは、地球上の異なる国にいるのかもしれないし、あるいは平行世界に散らばっているのかもしれない。

 

memento

 どうせ世界が終わるなら行けるとこまでドライブしようぜ! 自分らで最高のハッピーエンドにしちゃおうぜ! な陽キャ

 

Paper Tigers

 世界の終わりを「悦楽日和」といって楽しんじゃう、ひねくれ開き直り曲

 

ワルツ

 「彼女」=自分にとっての世界の全て、をすでに失ってしまった或る子どもの諦観

 

林檎

 どうせ世界終わるんだし最後くらい好き勝手しましょ?ってことで欲望のままに酒とギャンブルに溺れている

 

Tonight

 ぼくときみふたりだけで、いい気分のままその時を迎える箱庭曲

 

つまりこの1曲1曲はそれぞれ独立した曲であり、「世界の終わり」をテーマとしたアンソロジーのような。そんな感じがするのだ。

 

 

リリイベでの本人談いわく、「『終末日和』(memento)と『悦楽日和』(Paper Tigers)のように、5曲がちょっとずつリンクしている」。

そこで、5曲のうち相互に関連していると思われるものを、気づいただけ挙げてみる。

 

 

▼「色」の要素について 

何らかの「色」に関する単語は全ての曲に登場する。

とくに「灰」の色あいが出てくるものが多い。世界全体が色褪せていて、灰色を帯びている……ということなのだろうか。

 

の指

──memento

 

・燃え尽きになったって

──Paper Tigers

 

・いつもこのに溶けてゆくだけさ

はいいろのはね

──ワルツ

 

・スタンダアルのルーレット

──林檎

スタンダールはフランスの作家で、代表作は『と黒』。

ギャンブルで用いるルーレットは一般的に、赤と黒の配色である。

 

灰色だから いろどりを食む

──Tonight

 

 

▼「酒」の要素 

・酌み交わすリキュール

──林檎

 

ウイスキー舐めあって

──Tonight

 

ちなみに以前から「酒」のモチーフはよく出てくる。

・よっぱらっちゃったな

──夜明けはまだ

 

・ビールかハイボール

・酒なくなって

・家で飲みなおそっかな

──デート

 

・Smokyなボトル

・傾くグラスに身をまかせ

──スタンドアローン

 

 

▼「文学」の要素 

西瓜糖(memento):『西瓜糖の日々』

スタンダアル(林檎):フランスの作家、前述。

残穢(林檎):『残穢

酔夢行(Tonight):『インド酔夢行』

銀河の向こうがわ(Tonight)『銀河ヒッチハイク・ガイド

 

『西瓜糖の日々』リチャード・ブローティガンによる小説。

先ごろ10月末から開催されていた、河出書房新社のフェアで壮馬さんが選んでいた5冊のうちの1冊。

であるから斉藤壮馬ファンのなかでもにわかに認知され、「memento」先行音源の発表時に「西瓜糖」の単語に反応(またの名を興奮)している人も多かった(無論わたしも含む)。

 

残穢』は小野不由美によるホラー小説。

2016年には橋本愛ちゃん主演で映画化されている。

 

『インド酔夢行』田村隆一による紀行文。

2018年のエッセイ『健康で文化的な最低限度の生活』刊行時、紀伊國屋書店で行われた選書フェアにて、壮馬さんはこの本を挙げていた。

エッセイらしい。わたしは未読で、電子書籍での試し読みもないようなので、雰囲気などまだつかみかねている。が、書評などを見るに中島らも的な、『水に似た感情』的な作品だろうか。

 

銀河ヒッチハイク・ガイドはイギリスのダグラス・アダムスによるコメディー小説。

こちらも河出書房のフェアの選書5冊に含まれていた。

この本は新喜劇とかフルハウスみたいな感じで、声を出して笑ってしまった。

 

 

とくに「西瓜糖」「残穢」「酔夢行」はこの本らのタイトルでしかほとんど聞かない言葉だ。

実在の書名や作家名を入れることで、EP全体の「物語」感が強調されていると考える。

 

 

 

◆『quantum stranger』との関連

2018年12月18日、1年前の同時期に発売されたフルアルバム『quantum stranger』。

ここまでの部分でも今回のEPとの関連についてすこし触れたが、さらに関連性がないか見ていこう。

 

ファルセット(裏声)の使用

「ワルツ」のサビはオール裏声で歌われている。

『quantum stranger』における「レミング、愛、オベリスク」でもこれは同じだった。

 

オクターブ・ユニゾン

memento:Bメロ(打ち捨てられた都市~)

林檎:Aメロ(アップサイドダウン~)・Bメロ(企んだ裏側のひび~)・Rap部分・「ばい ばい

Tonight:サビ(ベイベー、今夜は~)・「風船の中 まどろみあい

 

これらの曲でオクターブのハモリが入っている。

なお、「林檎」と、「Tonight」の「風船の中」という部分はオクターブ下ハモ。

 

『quantum stranger』では、以下のような曲でオクターブのハモリが用いられていた。

sunday morning(catastrophe)』:Bメロ

レミング、愛、オベリスク:サビ

Incense:Bメロ・サビ

結晶世界:Aメロ・Dメロ

など

 

そして前回は、オクターブ・ユニゾンを用いるとある種の浮遊感が得られる、という考えに至った。

今回もこのふわふわとした──輪郭が曖昧ともいえる──世界観が踏襲されており、『quantum stranger』の延長線上にあるのだ、と感じられる。

 

 

宗教的要素

『quantum stranger』(特に「sunday morning(catastrophe)」と「レミング、愛、オベリスク」)にはキリスト教用語が多く出てきた。エピファニー、メシア、方舟……など。

今回はキリスト教だけでなく、いろんな宗教の世界観が混ぜられていて、前回よりカオスが増している。

 

アースガルド】(memento)北欧神話に登場する戦争の神、アース神族が住む王国

 

サクラメント】(memento)キリスト教において、神の恩寵にあずかるための儀式

 

【エデン】(Paper Tigers)エデンの園旧約聖書『創世記』に登場する理想郷。アダムとイブが住んでいたが、食べてはいけないと神から命じられた知恵の樹の実(禁断の果実)を食べたことで追放される。

 

【三千世界】(Paper Tigers)仏教における宇宙の単位。意味としては「全宇宙」「この世のすべて」というようなもの。

 

【天使】(ワルツ)ユダヤ教キリスト教イスラム教などにおける神の使い

 

【アヒンサー】(林檎)ジャイナ教ヒンドゥー教などインド発祥の宗教において、「不殺生・非暴力」を指す。

 

そもそも「世界の終わり」をテーマにしていること自体がやや宗教的。

ユダヤ教キリスト教などはもともと終末思想から始まっている。

 

 

 

◆ 進化するアーティスト・斉藤壮馬

さて、1stアルバムから1年、斉藤壮馬は、アーティストとして目をみはるべき進化を見せてくれた。

具体的にどのように進化したといえるのか、3つのポイントを押さえておく。

 

各曲の変則的な構造について

以下のように語っていた壮馬さん。

今後は、第1期で試していない音楽を提示できたら。

たとえば、今までは「AメロがあってBメロがあって、サビが来る」みたいなオーソドックスな曲を意図的に書いてきたのですが、そうじゃない曲のほうがもともと好きなんです。

 

テンプレを理解しつつ、そこから脱却した表現もお届けしたい ですし、可能であればそれを受け入れていただける存在になれたらいいなと思います。いびつだけど、耳と身体に馴染むような音楽を追求していきたい です。

 

【インタビュー】サブカル男子から、ひとりの表現者へ。斉藤壮馬に見えている世界は何色か? - ライブドアニュース

 

J-POPにおいて、一般的な曲の構造は以下のようなものだ。

Aメロ

Bメロ

サビ

 

Aメロ

Bメロ

サビ

 

Dメロ

(落ちサビ)

サビ

 

これを踏まえて、実際に今回の5曲を各部に分解・区分してみたら、ものすごく面白いものが見えてきた。

 

●memento

Aメロ:正解の果てまで~

Bメロ:打ち捨てられた都市~

サビ:いつかきっと この素晴らしい世界を~

Dメロ:夜の回廊の中で~

Bメロ:打ち捨てられた惑星~

サビ

 

●Paper Tigers

Aメロ:いつから時代は過ぎ去って~

サビ①:今日なんてもうね 完全に悦楽日和です~

サビ②サリエリみたいに器用なおれは~

Aメロ:イーアールサンスー~

Cメロ:うらぶれた そんな日は~

Dメロ:紙製のこの臓腑も~

サビ②:燃え尽き灰になったって おれは~

サビ①

サビ②

 

 ●ワルツ

Aメロ:彼女は 宙 見失って~

Bメロ:殻を剥いだ卵~

サビ:いつも失うこと 忘れるだけさ~

Dメロ:蘇る、ときみは言った~

Bメロ:そこかしこにいるよ~

サビ:いつもこの青に溶けてゆくだけさ~

Dメロ:はいいろのはねがおちて~

 

 ●林檎

Aメロ:アップサイドダウン この場所は~

Bメロ:企んだ裏側のひび~

Aメロ:降参は今のうち スタンダアルのルーレット~

サビ:なんで 惑わされて~

Rap:すかんぴんならオルヴォワール~

Dメロ:馬鹿な こんなはずないんだ~

落ちサビ:なんで 読み違えた~

サビ

 

 ●Tonight

Aメロ:夜のどん底は びろうどのようだ~

Bメロ:どうしてかな 明日は~

サビ:ベイベー、今夜は スナイパー気取って~

Aメロ:灰色だから いろどりを食む~

Bメロ:このまま目が覚めなきゃいいのに~

サビ

サビ:ねえねえ、今夜は ウイスキー舐めあって~

 

 

おわかりいただけただろうか……。

「Tonight」だけはJ-POPの基本に沿っているといえるが、他の4曲はほとんどその構造から脱しており、メチャメチャ自由なつくりだ。

やべえ。本物のカオスだ。そりゃ急に心霊番組みたいな口調にもなる。

 

『quantum stranger』ではほとんどの曲がAメロBメロサビ、と普通の(という表現が適切かはわからないが)J-POPの構造になっていた。

 

斉藤壮馬は今回、これまでよりもかなり自由に音楽を展開した。J-POPの檻から出ようとしている、と言ってもいいかもしれない。

 

 

韻がパワーアップ

もう聴いていて気づかざるを得ないと思うけど、韻を踏んでいる箇所がメチャクチャ多い(=楽しい)し、踏み方がハンパない。気持ち良すぎる。あほなの?(褒めてる)

 

・ひび割れているアスファルト

・まるでそうアースガルド

 

・いつかきっ

・西瓜糖

・サクラメン(語尾が“o”)

 

・祈っているはエゴイスト

・過去残滓 インストール

──memento

 

サリエリ(a・i・e・i)みたいに(i・a・i・i) → “i”が2・4文字目から、1・3文字目に入れ替わる

正解(e・i・a・i)ならもう暗記しているよ → “e”と“a”が「サリエリ(a・i・e・i)」と入れ替わる

 

イーアールサンスー

一切反芻

 

・囚われてたって

・できるわけないって

・お好きになさって

・閉ざされ

──Paper Tigers

 

・企んだ裏側のひび

・ねじこんだ二股の意味(んだ “u・a・a・a・o・i・i”)

 

ラップ部分は言わずもがななんですけどもうすげえ。以下の語は全てフランス語で統一されている。

オルヴォワール

フィルムノワール

ファム・ファタール

 

カタルシスならもう騙るに死す

 

なんで 読み違え

噛んで含めてみ

残穢 逃したの(“a・n・e”、語尾が“a”)

──林檎

 

びろうど

ビイドロ

 

ビイドロ

シーソー(“i・i・o・o”)

 

ベイベー

メイベー

 

・こんな遊歩なら 悪くないかもな

・まるでUFOだな それもいいかもな

──Tonight

 

たぶんこれ以外にもあると思うけど、ひとまずこれくらいにして……。

 

韻については『デート』のときからとても巧みだったが、このEPを聴いたら進化しているというしかない……。

斉藤壮馬さんとラップといえば、ヒプノシスマイクの存在が語られて然るべきだが、同時期くらいから熱心なラップリスナーでもあったようだ。

これらから吸収したことがライミング熟達に大いにつながっているのだろう。

 

 

 

声の加工

『quantum stranger』以前、レコーディングした声に加工が施されることは少なかったと思う。思い当たるのは「スプートニク」くらいか。

しかし『my blue vacation』では、声を加工し、何らかの効果を得ようとしたものが何曲か見られた。

 

・memento「夜の回廊の中で~ことばにならない歌」

水中のイメージ

 

・林檎「アップサイドダウン~さかさまの線で賭けさせておくれ」・Rap部分

→ スクリーン越し、電話越しのようなノイズ二重録り による効果?

 

・Tonight「灰色だから いろどりを食む~それもいいかもな」

→ 「スプートニク」と似た 電子音っぽさ

 

・エピローグ

→ 全体的に フィルム映画の音(それも~1940年代くらいのかなり古いもの)、あるいは レコードをかけているようなノイズ

 

こうした手を加えるというか、声の上にフィルムを1枚張ることによって、ひとつ画面を隔てるような効果が狙える。

壮馬さんは曲を作るうえで「物語を作る」ということを強調してきた。以上のような加工をすることで、よりフィクション(=物語)感が増したように感じる。

 

 

ここからは完全に個人的な見解。

昨年までは、声優として声の素材を生かして歌っていたと考える。

しかし今回はその素材をさらにおいしく調理し、パワーアップさせたのではないだろうか。

そしてその調理師の役割を担ったのが恐らく、アレンジャーであるSakuさん、出羽良彰さん、rionosさんだったはずだ。

「今回は餅は餅屋というか、チームでモノを作るようになった」とは、ダメラジ(2019/12/18)やこむちゃっとカウントダウン(2019/12/21)で語られていたこと。

 

もとが超上質な食材なのだから、最高の調理師の手にかかれば、最高のフルコースになるに決まっている。

 

 

 

 

 

『my blue vacation』は、昨年までの軌跡を土台としつつ、アーティスト・斉藤壮馬の新たな面が見られるアートワークとして、無二の耀きを放っていた。

 

それは黄金比の美しさというよりも、いびつさや、アンバランスさからもたらされる耀きだったように思う。

わたしはそれが、完全形のものよりずっと魅力的だと感じる。

完結しない物語ほど、魅力的な物語はない。

 

1st LIVEの際、「旅は目的地に着いたら一旦終わるもの。1回目の旅は終わるけれど、また2回目の旅がはじまる」というようなことを言っていた壮馬さん。

 

そうだ、ここがゴールではないのだ。

ここからまだずっと先まで、旅は続いていく。目的地は──、きっとまだ見えない、うんと遠い場所だろう。

こんな景色を見られるなら、何回だって、世界の果てまでだって、ついて行こうじゃないか。

今はまだ、2回目の旅に期待を膨らませながら、1.5回目のバケーションを過ごすのだ。

 

 

 

と、今回はここまででした。

 

今回は5曲(+1曲)だけなので1記事でいけるやろ! と思ってたらみるみるうちにとんでもないボリュームになったので、今回も全体の所感・全曲考察で分けることに。

ちなみにここまでで1万字超えてます。あれ? なんでかな? 去年より曲数が少ないのにおかしいね???(笑)

 

曲ごとの考察記事をこれから書き上げる予定なので、その際はまた読んでやってください。それでは2020年も皆さまと推しとのご縁が結ばれますように!

 

 

 

 

 

 

 

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