消えていく星の流線を

デフォで重め

魔法みたいな音楽の旅に出かけよう ~斉藤壮馬さん『quantum stranger』雑記

 

皆さまこの年末年始をいかがお過ごしですか。

わたしは、この度発売された斉藤壮馬さんの1stフルアルバム『quantum stranger』を吟味することで忙しいです。

 

前回の「そまみ考察」から1ヶ月強。

このアルバムは、これまでのそまみからまた大きく進化したように感じた。

今回はこの『quantum stranger』という贅沢なアルバムについて、可能な限り考えてみた。

 

 

※この記事について※

 

・ネタバレありきの感想・考察です。アルバム未視聴の方は視聴後の閲覧をおすすめします。

 

・この記事には、アルバムや楽曲に対する「正しい解釈」を追究しようという意図はありません。それよりも無駄に深読みすることで、斉藤壮馬さんの音楽を勝手に、より楽しんでやろう、また、それにより壮馬さんの音楽の深化に寄与できれば、というおこがましい目的があります。

・今回、壮馬さんが音楽にも歌詞にもかなりのこだわりを詰めてきて、改めて自分の不勉強さを知りました。本、読みます。

・この記事公開後も追記していく可能性があります。

・この記事と別に、曲ごとの考察を上げたいと思っています。いつになることやら目処が立ちませんが、そちらも参考になれば。

 

 

 

 

 

 

 

アルバム制作面について 

 

魔法みたいな旅に出かけよう

 

はじめに断言します。

このアルバムは名盤です。

え?推しだから贔屓目が入ってるって?

 

しらん!かまうもんか!

良いもんは良い!

今すぐ蔦谷好位置さんにこのアルバムを聴いてもらって関ジャムで激推ししてほしい。

贔屓万歳!

 

 

このパッケージには、音楽に対する「意欲」と「貪欲」しか詰まっていなかった。

 

収録内容は既存シングル4曲・既存曲リアレンジ1曲に加え、

6曲の作詞作曲(シークレット・トラック含む)、

1曲の作詞、そしてYoumentbayさん提供による1曲。

 

そのなかに似ている曲はひとつもなくて、音たちはくるくると違った表情を見せていく。

壮馬さんはこのアルバムを「全部乗せ」と言っていたけど確かにそのとおりだ。

曲が替わるごとに、世界中のさまざまな土地に連れて行かれるような感覚に陥る。

 

 

歌い方の振り幅がとにかく大きいことも、このアルバムの特徴。

とくに作詞のみの『光は水のよう』・Youmentbayさん提供曲の『Incense』に顕著だと感じた。

『Incense』は史上最高に息多めのウィスパーだし、

『光は水のよう』のラップ部分には、『ヒプノシスマイク』での経験が少なくとも生かされていることだろう。

 

今年だけでも、『BANANA FISH』のラオから『ダメプリ』のリュゼまで、幅広すぎる声色を演じてみせた「声優・斉藤壮馬」。

ここまでさまざまな歌の表情を魅せられるのは、声優としての声の土台あってこそのはず。だからこのアルバムは、声優によるアートワークとしてある種大正解であり、これ以上なく贅沢なのだ。

 

再生ボタンを押したら、そこからは音楽の世界一周旅行。

さあ、魔法みたいな旅に出かけよう。

 

 

 

パッケージングについて

 

今回壮馬さんは、各所で「最近は配信で1曲ずつ手軽に買えるけど、ぜひCDを手にしてもらえたら」というようなことを仰っていた。

 

初回限定盤AのLPサイズ紙ジャケや、その名の通り「カード」のような歌詞カード……そしてサプライズとして仕組まれた『ペンギン・サナトリウム』、『デラシネ』のMV。

CDというパッケージを買うことでしか味わえない楽しみが、その5センチの厚みの中にいくつも詰め込まれていた。

 

要するにこのアルバムで壮馬さんは、「円盤を買う」ことの楽しさをリスナーに再認識させたかったのかな、と思う。

 

それは、先のエッセイ『健康で文化的な最低限度の生活』の「in the meantime」にて語られた、電子書籍によるリハビリを経て、紙の本の良さを再認識した壮馬さん自身の体験の再現とも言えるかもしれない。

 

 

 

 

世界観について

 

カタストロフィ 素敵だね 

 

以前、例のエッセイの感想の記事で

「『廃れゆくものに惹かれてしまう』という部分が、斉藤壮馬さんの根幹なのかもしれない」

と書いた。

 

今回の『quantum stranger』でも、退廃・終末への傾倒はよく見てとれる。

 

・catastrophe

──『sunday mornings(catastrophe)』

 【カタストロフィ】大惨事・世界の破滅

 

・最後のメシアはきみの前に現れない

・最後には失うだけです

──『レミング、愛、オベリスク

 

・降り積もる 雪のように

みんな そう 灰になる

・壊れゆく マテリアル

吸い込まれ 風になる

──『結晶世界』

『結晶世界』はJ.G.バラードSF小説『結晶世界』が元ネタだと思われる。

『健康で文化的な最低限度の生活』にも、同名の書き下ろしが収録されていた。

この小説は、徐々に世界が宝石のように結晶化していき、やがて永遠に時間が停止する……という話。

 

また、『るつぼ』の元ネタ「迷い家(まよいが)」は、迷い込んだ者に富をもたらすという山奥の家についての伝承。

おそらく柳田國男遠野物語』の影響。以下の63・64。

https://www.aozora.gr.jp/cards/001566/files/52504_49667.html#midashi6400

 

『光は水のよう』の元ネタは、ガブリエル・ガルシア・マルケスの『十二の遍歴の物語』内「光は水のよう」という短編。

この中で主人公の子供たちは、水のように溢れた光に溺れ、時間が止まってしまう(≒死)。

 

 

 

斉藤壮馬」というアーティストの作風として、退廃、終末感、諦念、箱庭感……そういうものはたしかに含まれていると感じた。

 

 

 

「うつろいでいる世界」と「完璧な世界」

 

エッセイ記事:「変化と不変のいとおしさ」でも述べたとおり、壮馬さんは「時間の流れ」についてある明確なイメージを持っているように見受けられる。
それは、「世界のすべては移ろいゆくもの」という考え方だ。

 

うつろいでいる世界から
次にさすらえる季節(とき)までは そう おやすみ
──『デラシネ

 

すべてのモノ・ヒト・生物は変わり、そして廃れゆくのだから、そこにしがみついても仕方ない。流れに身を任せるしかない。
デラシネ』に歌われている「うつろいでいる世界」とはつまりこういう意味だろう。

 

そんな風に、時間の経過というものに対してある種の「諦念」をもって、「退廃」を受け入れている。
それが、このアルバムに「退廃」の雰囲気が漂っている理由ではなかろうか。

 

 

以上の概念を「時間の流動性」と呼ぶことにしよう。
壮馬さんの作風の根底には「時間の流動性」があるが、
それと相反する「時間の停止」を思わせるモチーフもたびたび登場していた。

 


たとえば『結晶世界』。
ここでは、元ネタとなったバラードの小説における「結晶化」をそのまま反映していると考える。
小説における「結晶化」を噛み砕いて表すと「時間の停止」といえる。

 

「生きているのでもなく、死んでいるのでもないああいう状態」
──J.G.バラード・中村保男訳『結晶世界』P.117

 

「(結晶化の)直接の結果として、不死性という贈り物がすぐに手に入るのです。」
──同上 P.232

 

また結晶化は、しばしば「凍りつく」などとも表現されている。
結晶化した森や人間はその変化を停止し、美しい姿のままでいられる。そのため、自ら結晶化を望む者も現れる。

 


『光は水のよう』の元ネタの短編について。
光に溺れた子どもたちが「死んでしまった」という記述は実はなく、「永遠に停止していた」と表現されている。

 


『ペンギン・サナトリウム
わたしはこの曲の設定について、全体を通して「僕」がサナトリウムのベッドの上で見ている夢の内容を表している、と考えている。
そしてその夢の中で僕が見た景色は、「氷の街 眠っているみたいさ」。

 

小説『結晶世界』で、ヒトや植物が「凍りつく」とされたように、この点は『結晶世界』と通じる。
つまり、『ペンギン・サナトリウム』の街も結晶化(=時間が停止)しているのでは?ということだ。

 


時間の流動=万物が移ろう・死にゆく世界。
デラシネ』ではこれを「うつろいでいる世界」とした。

 

時間の停止=万物がそのままの姿を維持する・死なない世界。
『結晶世界』の歌詞ではこれを「完璧な世界」とした。

 

以上の2つの時間軸を同時に内包するこのアルバムは、一見アンビバレントなようにも見える。
だが実際には、わたしたちは時間の流れを止めることも、自らの老いを止めることもできない──「時間の流動性」を覆せないからこそ、「時間の停止」への憧れ、のようなものが生まれたのだろう。
壮馬さんの「時間」についての世界観は、「すべてのものは移ろい、廃れゆく」ところから端を発しているようだ。

 

 

 

つながる「quantum」と「stranger」

 

「SSSS.GRIDMANラジオ とりあえずUNION」の斉藤壮馬さんゲスト回にて、アルバムについてこう語っていた。

「“quantum”は“量子”、“stranger”は“迷子”とか“その土地に不案内な人”みたいな意味。

『量子的な旅人たち』ということで、いろいろな物語が交錯していくみたいな感じ」

 

また、ダメラジ11/21放送回にて

壮「曲ごとじゃなく、アルバム全体で意味をもつコンセプトアルバム的な感じにしたい」

界「曲順とかにも意味があるような」

というやり取りも見られた。

 

 

その言葉の通り、多くのアルバム曲には「量子的なもの」、そして「旅」に関する要素を見つけることができ、アルバム全体に共通したイメージが浮かぶ。

 

・「quantum」(量子的)

・元素(エレメント)

エーテル相対性理論以前、光を伝える媒質とされていた物質)

・風になって揺蕩っていたったっていいんだ

──『デラシネ

 

シナプス神経伝達物質を放出する)

──『sunday mornings(catastrophe)』

 

・指の隙間から さらって

零れ落ちてんだ 宇宙へさ(モチーフは砂?)

 

・みんな そう 灰になる

──『結晶世界』

 

 

・「stranger」(迷子・旅人)

・そんな魔法みたいな旅に出かけよう

──『フィッシュストーリー』

 

・海まで歩いていこうよ(これも一応「旅」かな、と)

まだ名前も知らないけれど(stranger=見知らぬ人)

──『デート』

 

・エトランゼ(英語で“stranger”)

──『デラシネ

 

・さあお次はフランスへ

 

・ゆるいステップから上海へ

そのまま行って冥王星

──『光は水のよう』

 

・終わりのない旅に出ようよ

──『結晶世界』

 

 

これによって、

 

・量子的・粒子的イメージ=空気中に舞うダイヤモンドダストのような輝き

・旅人のイメージ=根無し草(デラシネ)感

 

のイメージがアルバム全体から感じられた。

 

 

12(+1)でつくる1つの物語 

 

「アルバム全体で意味をもつコンセプトアルバム的な感じにしたい」と言っていた壮馬さん。

それを踏まえてアルバムを丸々聴くと、流れのある1本の映画のように感じる。

具体的にいうと、わたしはアルバム全体が「起承転結」に沿っている?と考えた。

これについては壮馬さんもラジオで触れていたが(こむちゃっとカウントダウン12/22放送)、案の定、煙に巻かれてしまった……(笑)

 

 

まずこのアルバムは、全体の構成が3分割されている。

 

-------------------------------------------

①メジャーパート1

・フィッシュストーリー

デラシネ

sunday morning(catastorophe)

 

②マイナーパート

レミング、愛、オベリスク

・るつぼ

・ヒカリ断ツ雨

・レミニセンス-unplugged-

 

③メジャーパート2

・デート

・光は水のよう

・夜明けはまだ

・Incense

・結晶世界

・(ペンギン・サナトリウム

 -------------------------------------------

 

 

そしてこのメジャー・マイナーパートの分割が、起承転結っぽくもあるのかな、と。

 

-------------------------------------------

「起」(OPテーマ的)

メジャーパート1:

『フィッシュストーリー』~『sunday morning(catastorophe)』

 

「承」(マイナーによる王道のそまみ)

マイナーパート:

レミング、愛、オベリスク』~『レミニセンス-unplugged-』

 

「転」(急にメジャーに)

『デート』

 

「結」(しっとり、エンドロール的)

『結晶世界』

-------------------------------------------

 

 

「結」の部分が『“結”晶世界』なのは偶然か意図してのことか、どちらにせよ締めの曲として相応しいのではなかろうか。

 

シークレット・トラックの『ペンギン・サナトリウム』ははじめに聞いた時、デザート的な感じがした。

本人いわく、この曲は1曲目の『フィッシュストーリー』へと繋がるイメージでこの位置に入れたそう。それを知ってから、メジャーパート2→再びメジャーパート1へ繋ぐ、橋渡し的楽曲なのかと思いました。

 

1曲1曲が短編映画のようになっていて、しかも全体が「量子」「旅」のテーマで繋がっている。

アルバム全体を見れば、さながらオムニバス・ムービーといったところか。

 

 

 

「夜」と「雨」

 

「俺の曲、夜か雨の曲しかない」と言っていた壮馬さん(ダメラジ12/19放送)。

「夜」が「そまみ」の重要な要素であることは、以前の記事でも述べたとおり。

 

そちらの記事はアルバムリリース前だったので、

改めて今作の「夜」要素をまとめるとともに、本人の分析による「雨」要素も抜き出してみた。

 

「夜」

・七色のを君と渡ろう

 

・全然眠れない そんな夜更けには

ちょっと抜け出して 屋上に咲く声ふたつ

 

・散々 小馬鹿にされた作り話も

なぜか君だけは涙ぐんで聞いてくれる月夜

──『フィッシュストーリー』

 

・しゃれこむ晩餐

──『レミング、愛、オベリスク

 

くらがり

──『るつぼ』

 

・毒におかされた 溶けてゆくはなんかもう うつくしくて

──『レミニセンス-unplugged-』

 

終電間際高田馬場でぼくらは出会って

・もうやっぱデートにしたいこの夜

レイトショー観にいきませんか?

──『デート』

 

ネオンの街泳ぎ

・ビルの隙間 夜の狭間

──『光は水のよう』

 

真夜中 明日のことは また今度

たったいま 夢中で浮かれて

 

・まわれ まわれ まわってオールナイト

ひと夜 ひと世

 

・ほんとうは芝居打ち

を永遠(とわ)にみせかけた

──『夜明けはまだ』

 

 

・「雨」

・あの日もこんなふうに 雨粒がおれの頬を濡らしていた

にはのかたちが

・こので 満たしてよ ねえ

──『レミニセンス-unplugged-』

 

『ヒカリ断ツ雨』

全体的に雨

 

がしとしと降ってるね

──『ペンギン・サナトリウム

 

 

夜の曲は相変わらず多い。これに『スタンドアローン』『C』を加え、夜が舞台の曲は既存曲17曲中9曲になった。

 

雨の曲は意外と少ない……?

ただ、以上の3曲では曲中ずっと雨が降り続いているので、「雨降ってる~」という印象が強いのかもしれない。

 

 

 

最後のメシアは……?

 

このアルバムには、ところどころキリスト教要素が含まれている。

 

壮馬さんってクリスチャン……?っていうのはちょっと前から思ってたこと。いや本当失礼なんだけど違ったらごめんね……

そう思ったのは「オラクル」の話から。学食を食べていてオラクル(神託)が降ってきて声優を目指す覚悟を決めた、という話を聞いたときだ。

 

さらにキリスト教はもともと終末思想からきているが、壮馬さんの作家性の大きな特徴である「終末感」「退廃」に通じるものがある。

また、「アセンション」は「世界の終末」──「カタストロフィ」と関連づけて考えられることもままある。

 

そう考えると、「アセンション」しかりエッセイしかり、壮馬さんの思考と嗜好はおおかた「終末論」から端を発していると考えていいかもしれない。

 

 

・オクトパス(devil fish・キリスト教一部宗派では食べてはいけない)

リヴァイアサン旧約聖書に登場する怪物レヴィアタン

エピファニー(イエス公現祭)

──『sunday morning(catastrophe)』

sunday morning(catastrophe)』はクトゥルフ神話、およびクトゥルフ神話がモチーフのゲームをもとにした曲だが、キリスト教にも通じる用語が散見される。

 

・メシア(救世主=イエス・キリスト

・晩餐(最後の晩餐)

・供物(神への捧げ物)

・方舟(ノアの大洪水と方舟)

・パライソ(キリシタン用語で「楽園」)

──『レミング、愛、オベリスク

 

キリスト教用語によってゴシック・ロックっぽさが出ているような気がしなくもない。

マリリン・マンソンの影響という可能性もある。

 

 

それからこれは邪推中の邪推なんだけど、13曲目『ペンギン・サナトリウム』が隠されているのもキリスト教と関係あり?かもしれない。

 

ご存じのとおり、「13」はキリスト教圏の忌み数。 その理由は、イエスを裏切ったユダが、最後の晩餐のときに13番目に席に着いたからとか、 イエスの処刑が13日の金曜日だったとか……諸説あり。

 

また、壮馬さん本人がクトゥルフ神話の話をしていた。

ギリシア神話北欧神話では、神は「12柱」とされる。

北欧神話において、はみ出した13番目の神「ロキ」が、ヘズを利用して光の神バルドルを殺したことは、アイナナ:エッダのバルドルの記事で述べたとおり。

 

 

「13」という数をシークレット・トラックとして隠したのは、こうした宗教的意味合いがあったのか?

 

 

 

 

その他歌詞について

 

(s)の必要性

 

壮馬さんの言葉には、複数形の使い方にこだわりを感じた。

 

・わたしはわたしたちになる

──『sunday morning(catastrophe)』

 

・僕はいつでもひとりだね

・君はいつでもひとりだね

・僕らいつでもひとりだね

・僕らいつでもふたりだね

──『ペンギン・サナトリウム

 

それから、ライブのタイトル「quantum stranger(s)」。

 

また、紀伊國屋書店での選書フェアにて、『悪童日記』という本に付けられたコメントがこちらだった。

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なんだろう、すごい……素敵だよね(語彙力)

 

とくに『ペンギン・サナトリウム』。

わたしは「君」=「僕の見ている夢に出てきたペンギン」だと思っている。

「I」と「You」がいて、「You&I」になって、最後には「We」になる。

僕とペンギンが少しずつ、友達になっていく様子が微笑ましく、パセティックでもある。

 

 

 

曲を「感じる」こと

 

さて、さんざんここまで考察を書きなぐってきたものの、このアルバムの中にはどうも言葉では上手く表せない曲がいくつかある。

(語彙力がないと言ってしまえばそれまでだし、実際そうでもあるが……)

 

だが、そんな風にもはや言語化を諦めて「曲を感じる」という楽しみ方も、一種の正解なのかなと思っている。

なぜなら、恐らく音のハマりや雰囲気のみを意識して入れ込まれた、意味はあまりないような歌詞が多く存在しているからだ。

 

・深度 増すテレパス 裸足で歩いたっけ

・あわい ミーム 虹 芥すら エトランゼ

──『デラシネ

 

sunday morning(catastorophe)』

全編通してクトゥルフ神話モチーフの歌詞。

だが全体的な世界観としてははじめから終わりまで抽象的で、いまいち掴みきれない。

 

・でもふらっとなダンスで

這い寄って 逃げ去って 気づいたらまた浮かれちゃって

ちょこっと濡れだす肌と肌

 

・ゆるいステップから上海へ

そのまま行って冥王星

 

・まじめにフリック&タップして

 

・その場しのぎでまかせのトリック

しがない口先のリリック 意味のないレトリック

 

・つられてフリット&ディップしてる

 

・輪廻の果て見たって

そんなものいらないって

──『光は水のよう』

 小さい「っ」の多用により、跳ねるようなリズムをこれでもか!というほど繰り返す。

このリズムのほうに重点を置いているため、言葉自体に深い意味はないように思う。

 

 

 

 

音楽面について

 

オクターブユニゾン

 

コーラスがオクターブ上または下を歌う、オクターブユニゾンが何曲か見られた。

 

・『sunday morning(catastrophe)』 Bメロ

・『レミング、愛、オベリスク』 サビ

・『Incense』 Bメロ・サビ

・『結晶世界』 Aメロ・Dメロ

 

オクターブユニゾンを使うと、倍音による浮遊感が生まれる。ような気がする。

これはぜひ裏付けを見つけたいところ……

このオクターブが、アルバム全体に通じるテーマである、「量子的なもの」が空中に舞う浮遊感を増幅させている。

 

 

『Incense』では、「Incense=香り」が立ち昇る様子。 

・ゆるく立ち昇って

鼻先まで届いてくる煙

 

・Incense 焚き付けるこの感情

潜り込んでは浮かび上がって

 

・この夜はどんな香りに包まれたい?

 

 

『結晶世界』では、「愛の欠片」が砂になり漂っている様子、

また、「マテリアル」が壊れ「灰」になり、「風」に溶けていく様子。

・閉ざされた愛の欠片

見つけたふりして 本当は

指の隙間から さらって

零れ落ちてんだ 宇宙へさ

 

・降り積もる 雪のように

みんな そう 灰になる

 

・壊れゆく マテリアル

吸い込まれ 風になる

 

 

以下、オクターブユニゾンが含まれる曲を思い付くだけ挙げてみたら結構あった。

 

YUI『CHE.R.RY』Aメロがオクターブ上のコーラス。

これによって恋の始まりのふわふわした気持ちを描くことができる。

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コブクロ『流星』、サビの「こころがふたつ」。

流れ星の神秘的な雰囲気が出ている。

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パッと思い出したのが、access『Doubt&Trust』だった。懐かしい……。サビ前のコーラスがオクターブ下の音程になっている。

youtu.be

 

あと、ORANGERANGEとか。

『*~アスタリスク~』はじめ、ORANGERANGEの曲のサビは、とにかくずっとYAMATOさんのオクターブ下をRYOさんが歌ってる感じ。

youtu.be

 

髭男とか。

『Tell Me Baby』サビ

『ノーダウト』「イェェエエ~ウォウウォウ」・サビ

youtu.be

 

youtu.be

 

洋楽だとエド・シーラン『Shape of you』Bメロ~サビ

youtu.be

 

シティ・ポップにはオクターブユニゾンが多い気がする。街を歩く、軽い足取りを表すことができるからかな?

Suchmos『STAY TUNE』Bメロ

youtu.be

 

星野源の新曲『Pop Virus』は、全編にオクターブユニゾンのコーラスが入っている。

この曲とても良いよね……!この曲の音、壮馬さんすごい好きそう。都会的サウンドだし、どことなく『Incense』っぽい。

youtu.be

 

 

 

リード2曲の調

 

デラシネ』と『結晶世界』は、同じBメジャーキー。

リード曲である2曲が同じ調であることで、アルバム全体にも統一感が生まれているように思う。

デラシネ』は『結晶世界』のレコーディングの直後に書いたらしいから、キーが似たのかも?

 

 

サビ前のブレイク

 

サビ前のアウフタクトにブレイクが入る曲が多い。

 

デラシネ』:「仮に

sunday morning(catastrophe)』:「あら」「わたし

『デート』:「これって」「もうやっぱ

『結晶世界』:「きみは

 

要するに、上に書いた歌詞のところ(サビのはじまり)ではバンドの音が消えている、ということだ。

 

作曲の癖かな?リリイベでも、このブレイク部分の歌詞についてはこだわっていて、結構書き直した……というようなことを仰っていたらしい。

 

サビ前のブレイク良いよね!

ここで音が一瞬消えることで、サビがより盛り上がるんだよー!要するに音の「焦らし」ですね。

 

 

 

 

 

よっしゃ。

まとめますよ。

 

「映画を観るように曲を聴いてほしい」と言っていた壮馬さん。わたしはそれにすごいグッときて、目を輝かせてしまった。

この人は音楽を作っているようで、実はあまたの「物語」を作っていたのだ。

 

とくに歌詞は、練りに練って書いたものが多いんだろうなと思った。そのぶん頭でっかちな印象も受けなくはないけど。

つまりこのアルバム『quantum stranger』では、斉藤壮馬の脳内を端々まで覗き見ることができる。

出し惜しみ一切なしの、やっぱり贅沢なアルバムなのだ。

 

わたしは斉藤壮馬さんが好きなのと同時に、

その音楽や言葉をきっかけに、いろいろなことを吸収できる過程が好きだ。

次はどんな世界を教えてくれるんだろう?

そして得た地図をもとに、今よりもっと自分の世界を広げられたら。

そんなことを考えている。

 

これからまだまだ、終わりのない旅に出ようよ。

七色の夜はまだ始まったばかり。

 

 

 

 

 

 

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恋文は寝かせておけない ~斉藤壮馬さんエッセイに関するよしなしごと

 

ショートケーキの苺は先に食べますか、最後に食べますか、とは定番の質問だが、わたしは昔から後者だった。

 

シーザーサラダの温玉はなるべく後半に取っておくように。

チャーシューメンのチャーシューは必ず最後まで1枚残しておくように。

 

好きなものは終わりまで最高に楽しめるように、

大切に、大切に食べる。

 

 

斉藤壮馬さんのエッセイ『健康で文化的な最低限度の生活』も、わたしはそんな風に読んでいた。

 

毎日「今日はここまで」と決めて、少しずつ。

例えるなら、お猪口で日本酒をちびちび飲むように。

ゆっくり、じっくり、読み終えたのは、本書を入手した発売日から2週間後のことだった。

 

 

 

大切に、大切に読みたいと思う本だった。

読み終わってはいけないような感覚があった。

 

この文字たちを紡いだ人がたまらなく好きだと思ったけれど、

読み終わってしまったら、もうこの新鮮な「好き」の感覚を味わうことはできないんだ。

それがあまりにももったいなかった。

 

 

 

殊にわたしは、斉藤壮馬さんの書く文章が好きだと改めて思った。

 

それこそ以前から、手短なところではお仕事ブログの文章がとても好きだなあと思っていた。

しかし、スマホの画面で横書き・ゴシック体で読むのと、

紙で縦書き・明朝体で読むというだけでも全く印象が違う。

 

うん、違うな。

所詮わたしは体裁に左右される人間でしかないのか。

 

とはいえそう、「紙・縦書き・明朝体」で壮馬さんが綴った文章を読める。

それだけで既にこの本の価値はあったように思う。

 

 

 

文章の内容でいえば……

あの、少し小難しいカタカナを交ぜて、脳の中の知識を端から端まで総動員している感じ。

どこかふわふわとして、地に足が着いていない感じ。

エッセイなのに、本当と嘘の、フィクションとノンフィクションの間をぐらぐらと不安定に、行き来している感じ。

 

「きれい」「面白い」「かわいい」「深い」

そのどれを発してみても一口では表せないような、複雑な味わいが、そこにはある。

だから何度も何度も、噛んでみたくなった。

 

カタカナが多いのはとくに、リズムよく読めるようにとの意図もあるのだろう。

壮馬さんは耳がいいから、こういうワードを難なくチョイスできるのだ。

という風にわたしも適宜カタカナを交ぜてみる。

 

 

 

わたしもこんなブログを書いているくらいだから、文章を書くのが好きだということは薄々おわかりかもしれない。

 

だけどこの人には敵わない、そう悟った。

 

ああこの人みたいな文章は、

こんなにも美しく、ノイジーで、粒ぞろいで、危うい文章は、

この言葉の海をどれだけ泳いでも、きっとわたしには書けないと、脳がヒリヒリするほど思い知る。

 

完全敗北。

けれども、それさえ心地よく感じた。

これはいささか魔性の本だ。

 

 

 

 

よわいひと

 

昔から「文化人」が好きだった。

今まで推してきた人はだいたい頭が良いか、本や映画が好きな人だった。

斉藤壮馬さんはその両方というふうに認識している。

 

 

 

人はなぜ本を読むのだろうか?

なぜ映画を観るのだろうか?

 

そんな究極に近い議題について、わたしはよく考えていた。

学校では映画について勉強していたから、そして全然優秀じゃなかったから、半ば自暴自棄のような感じで「そもそもなぜ人は映画を観るのか」よく煩悶としていたのだ。

 

その自分なりの答えをやっとやっと見つけたのは、愚かかな、学校を卒業してからのことだった。

 

卒業したわたしは、就職の面で周りから遅れをとる事情があり、数ヵ月の間を毎日死んだような目で過ごした。(その期間はこのブログの記事をたくさん書いた。この場所にはおおいに救われた)

そんな折、急に「映画を観なければ」という津波のような衝動に駆られて、毎日あちこちの名画座をわたった。

 

その時に気づいたのだ。

人は、わたしはなぜ映画を観るのだろうか?

なぜ本を読むのだろうか?——

 

 

 

——それは、劣等感があるからだ。

自分はぜんぜん完璧な人間じゃないと、自覚しているからだ。

 

映画や本はいろいろなものをわたしたちに教えてくれる。

それまで自分になかった「誰か」の考えを、自分の中に取り込むことができる。

だからわたしは映画を観たり、本を読み終わったりすると、「ひとつ強くなった」と感じる。わたしは元々弱かったから、それを取り込むことで少しだけ強くなる。

 

人は、自分に足りないものを埋めようとして、映画を観る。本を読む。

これが、わたしがたどり着いたひとつの結論だった。

 

 

 

そしていつも映画や本を好きな人を好きになってしまう。

つまり、劣等感を持っている人にどうしても惹かれてしまう。

それは、わたし自身が劣等感にまみれて生きているからに他ならなかった。

 

 

 

さて、このエッセイのいたるところで、壮馬さんは「自分の弱さ」を告白していた。

 

眠るのが下手なこと。

「なにも考えない」ということが苦手なこと。

指輪やネックレス、タートルネックが苦手だったこと。

自分の言動で、家族とぎくしゃくしてしまったこと。

 

自分をごまかしたり、うまくかわしたりするのが得意だったこと……。

 

なんなら、この本の書き出しは「痛みに弱い人間なのです。」だ。

 

そうだ。どうやらこの人は、弱い人らしい。

 

 

 

ここではじめて、わたしの中で、壮馬さんが「本や映画を好きなこと」と「よわいこと」が繋がった。

 

この人は弱いから、まったく不完全な人だから、そしてそれを埋めたいと思っているから、

だから本を読み、映画を観るのだ。

 

それは恐らく、わたしが抱えているものとよく似ていた。

こういうのを一般的には「同族意識」とか「同気相求める」とか言うんだろうか。まあそれはどうでもいいんだが。

 

自分と同じような影を感じてしまったから、抗うことさえできず、こんなにもよわいひとを好きになってしまったんだな。

 

  

 

 

in the meantime

 

そんな風に、まったく不健康な理由で斉藤壮馬さんを好きなわたしだったが、

同時に、壮馬さん自身に対してもコンプレックスを持っていた。

それも、とんでもなく大きな。

 

わたしは映画のほかにもアニメや漫画が好きで、音楽も好きで、文章も好きで、本はやっと最近面白さがわかった。

 

だけどその全部、この人には敵わない。

わたしは好きなものを「好き」というなんとなくの感情だけは持っているが、それを大っぴらに語れるほどの知識がないのだ。圧倒的に。

好きな作品は?と聞かれても、映画も本もこれ!という自信をもって答えられない。死ぬほど好きな作品にまだ出会っていないのかもしれない。

 

だが、斉藤壮馬さんは違う。

 

この人には、熱く語れる作品がいくつもある。

胸を張って「大好きだ」と言える作家がいる。

貪るようにハマったものがある。

 

それが心底うらやましい。

わたしのなかで、壮馬さんは天上人みたいな存在だった。

 

この人が持っている知識が、その情熱が欲しい。

わたしの壮馬さんへの「好き」のなかには、こういう、嫉妬とか、羨望とかが含まれているのだった。

そして、これは裏を返せば「尊敬」になる。

 

だからわたしは壮馬さんを「尊敬」していて「嫉妬」していて「好き」なのだ。

 

と、ここまでがわたしの身の上話。

 

 

 

さて、そんな壮馬さんにも、好きなものへの「好き」が途切れた時期があった。

ということがわかったのが「in the meantime」だった。

そこにいたのは「物心ついた時からずっと本が好きな斉藤壮馬」じゃなかった。

 

本や映画、音楽を好きな人は皆、一度くらいは考えたことがあるかもしれない。

「純粋にそれが好き」なのか、

「それを好きな自分が好き」なのか。

 

そして少しでも後者が過ってしまったら、少なからず罪悪感に襲われるに違いない。

 

わたしが映画を観る理由も後者に近い。

なぜならわたしは「好きだから」ではなく、「強くなるために」映画を観るのだから。

 

 

 

わたしは、壮馬さんはひたすら脇目もふらずに本が好きな前者だと思っていた。

だがわたしと同じように後者だった時期があったらしい。

そのことに、とても安心したのだ。

 

天上の人だった壮馬さんがスッと地上に降りてきて、わたしと同じ人間なのだと思えた。

嫉妬の感情を捨てられそうな、糸口が見つかった。

そういう気づきを与えてくれた「in the meantime」は、わたしにとって特別な章になった。

 

 

 

 

変化と不変のいとおしさ

 

壮馬さん本人が意識しているかはわからないが、

この本全編の端々から感じられたものは

「変わりゆくもの」そして「変わらないもの」へのいとおしさ

だったなあと思う。

 

 

S is for subculture」では、すごい速度で変化していく世界を、そして指の隙間から溢れていってしまう、S君との思い出を。

夏の予感」では得意じゃなかった蕎麦を、うにを、わさびを、そしてお酒を好きになったことを。

我が愛しのバードランド」では、青春時代を過ごした街の、消えゆく面影を。

ささやかだけれど、大切な寿司」では苦手だったお寿司のネタが、今では大好物になったことを。

マウントフジ」では、自分を肯定するという考え方ができるようになった自分自身を。

ミルクボーイ、ミルクガール」では、大好きな牛乳でお腹を下すようになってしまった体を。

 

 

変わってしまったもの、変わっていくものたちを。

そういうものをただ淡々と、そこにしがみつくこともなく、この本は記録していく。

 

 

一方、

ポカリ」では子どもの頃から変わらず好きなポカリスエットを。

さんま」でも同じく、昔から好物のさんまを。

ミルクボーイ、ミルクガール」ではお腹を下すようになってしまった一方で、変わらず飲み続けている牛乳を。

健康で文化的な最低限度の生活」では学生時代からずっと仲のいい友人たちを。

 

 

絶対に廃れゆくものの中にあって、それでもなお変わらないものたちを。

そういうものをただいとおしそうに見つめ、言葉のかたちで紡いでいた。

 

 

イメージとして例えるならそう……

死期を悟ったおじいさんが安楽椅子に揺られながら、子どもたちに昔話をするみたいに。

 

 

 

この理由は本書内でも明かされている。

ヒラエス、ヒラエス」にあった、「廃れゆくものにどうしようもなく惹かれてしまう」という言葉。

 

これがもしかすると、壮馬さんの根っこの部分を形づくるゲノムのようなものなのかもしれない。

壮馬さんは「時間」というものをある種すごく達観してとらえていて、万物は移り変わり、そして廃れゆくことを知っている。

 

ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

 

だからこそ、無論「変わりゆくもの」の上に成り立つ「変わらないもの」の存在を、より尊く感じているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

本書を読みながら、この人には勝てないなあ、と常々思った。

この人の脳みそにある世界が好きで、この人の文章を通して見る世界が好きで、もちろん声も好きで話し方も好きだ。

この人が生み出す全てが好きだ。

ああ、わたしはこの人に勝てない。

 

結局は惚れた方が負け、なのかもしれない。

 

「恋文はしっかり寝かせておきましょう」

ときみは言ったけど、

ごめんなさい。

その約束は守れなさそうだ。

 

なぜならわたしは、君への「好きだ」をここに書かずにはいられない。

あとからあとから溢れる気持ちを叫びたくて仕方がない。

 

 

 

同じ憲法でいうなら、第21条「表現の自由」に則って、わたしはインターネット上に或る記録を残そうと思う。

まったく誰が読むわけでもないけれど、寝かせておけない恋文を。

 

 

 

 

 

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「そまみ」って結局なに? ~アーティスト・斉藤壮馬らしさについて

 

こんにちは!!

今回は声優・斉藤壮馬さんがよく言っている「そまみ」についてです。

 

 

斉藤さんがよく使う「そまみ」という言葉。

斉藤壮馬っぽさ」を指して本人が発信した造語である。

 

twitter.com

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しかし「そまみ」とは何をもってして「そまみ」たるのか?

わたしたちはどういう状態を「そまみがある」と感じるのか?

本人の口から具体的に語られたことはあまりないと記憶している。だがここらでひとつ、「そまみ」の正体を追究してみようではないか。

 

 

12月19日にファーストアルバムの発売も決まった斉藤壮馬さん。なんかこの記事書いてる途中でアルバムが決まった。なんかちょうどよかった。ちなみに今、アルバム&ライブ決定の興奮のなかクソみたいな勢いで書いてる。

 

 

さてこのアルバムをより一層楽しむためにも、アーティストとしての斉藤壮馬における「そまみ」とは結局何なのか?ひも解いていきたい。

 

 

 

 

 

 

まず今回は、声優よりも「アーティスト」としての斉藤壮馬について考えたい、ということを前提とする。

 

アーティスト・斉藤壮馬らしさを多分に反映しているものは言わずもがな、現在までリリースされたシングル3枚の表題曲であると考える。つまり、

 

『フィッシュストーリー』

『夜明けはまだ』

『デート』

 

この3曲に共通点が見つかれば、それを「そまみ」と呼べるに違いない。

 

自作でない『フィッシュストーリー』『夜明けはまだ』についても、曲の方向性などについて本人からわりと具体的なオーダーをしていたそうなので、

この2曲も「そまみ」を反映していると考えていいだろう。

 

(『ヒカリ断つ雨』はタイアップの影響がかなり強いと考え、今回は除外)

 

それを踏まえ、わたしは以上の3曲に共通する要素──「そまみ」の要素を3つ見つけることができた。

以下にその要素をひとつずつ挙げていく。

 

 

 

 

そまみ要素1:夜

 

「夜」は『フィッシュストーリー』『夜明けはまだ』『デート』3曲に共通するテーマ。

 

・七色のを君と渡ろう

 

・全然眠れない そんな夜更けには

ちょっと抜け出して 屋上に咲く声ふたつ

 

・散々 小馬鹿にされた作り話も

なぜか君だけは涙ぐんで聞いてくれる月夜

──フィッシュストーリー

 

真夜中 明日のことは また今度

たったいま 夢中で浮かれて

 

・まわれ まわれ まわってオールナイト

ひと夜 ひと世

 

・ほんとうは芝居打ち

を永遠(とわ)にみせかけた

──夜明けはまだ

 

終電間際高田馬場でぼくらは出会って

 

・もうやっぱデートにしたいこの夜

 

レイトショー観にいきませんか?

──デート

 

 

以上のように、この3曲はすべて「夜」が舞台となっていることがわかる。

 

 

斉藤壮馬さんってやっぱり昼よりは夜行性なイメージがあるよね。

いつかのブログで「好きな時間は午前4時」っていってたし。

午前4時ってそりゃもう夜じゃなくて夜明けじゃねーか、とも思いますが……

ameblo.jp

 

 

 

他にも……

以下の曲も「夜」が舞台となっている。

 

・眠ろう 月と太陽の狭間

 

今夜ぐらいは電話も眠らせて

──スタンドアローン

 

・毒におかされた 溶けてゆくはなんかもう うつくしくて

──レミニセンス

 

・きらびやか ネオンサイン

──C

 

 

こうして見ると、6曲が「夜」を描いた歌詞だとわかる。

カップリングを含めた斉藤壮馬さんの既存曲は9曲。じつに2/3もの曲で「夜」が舞台となっているのだ。

 

スタンドアローン』の「月と太陽の狭間」って表現めっちゃ好き。

twitter.com 

 

 

 

 

そまみ要素2:酒

 

「お酒」は『夜明けはまだ』『デート』の2曲に共通。

 

よっぱらっちゃったな

うそだろ

嘘 ウソよ

またそうやって茶化す ねえどっち

──夜明けはまだ

 

・そんなもんビールハイボール飲んでりゃ

大抵 どうでもいいでしょ?

 

・信号待ちしてなくなって 避けられない停滞

 

・家で飲みなおそっかな またね

──デート

 

 

ご存じですね、

斉藤さんはお酒を飲むのが大好きです!

 

なんたって『デート』のシークレットトラックが『ビール』だからね。あのガヤガヤしたわけわからん曲!ビール飲みながらレコーディングしてたね。

 

よくお酒飲みながら仕事してる印象があるんだけど気のせいかな?気のせいじゃないな?

www.tokyosmart.jp

 

 

ちなみにわたしはカルアミルクが好きです。飲み放題にカルアミルクがあったら6~7杯煽ります。斉藤さんからも前、カルアミルクの話があったね。岡村靖幸さんの曲のほうだけど。

ameblo.jp

 

 

 

他にも……

以下の曲に「酒」が登場する。

 

・束の間の孤独と Smokyなボトル

 

・このまま 今日だけは このまま

傾くグラスに身をまかせ

──スタンドアローン

 

 

 

 

そまみ要素3:嘘

 

「嘘」は『フィッシュストーリー』『夜明けはまだ』に共通のテーマ。

 

・汚い言葉を 綺麗なに変えて

君をまた騙すよ

 

・七色ので君と笑おう

そんな馬鹿みたいな旅にしよう

──フィッシュストーリー

 

また、この曲については「フィッシュストーリー」という言葉自体が「嘘・ほら話」という意味。

 

・くだらない ばかしあい

僕は踊らされていたい

 

・よっぱらっちゃったな

うそだろ

嘘 ウソ

またそうやって茶化す ねえどっち

 

・意味不明 それがいい

もっと欺いてほしい

──夜明けはまだ

 

 

 

他にも……

以下の曲に「嘘」が登場する。

 

・ハウメニーライズ?(How many lies?)

──レミニセンス

 

 

 

 

おまけ1◆夢野幻太郎と『フィッシュストーリー』について 

 

声優ラップバトルコンテンツ『ヒプノシスマイク』において斉藤壮馬さんが演じるキャラクター、夢野幻太郎。

hypnosismic.com

 

 

説得力のある嘘をつくので、気づかれないことが多いが、 相手が信じ込んだところで、「まぁ嘘だけどね」とからかう(公式プロフィールより)。

 

「嘘ですよ」が口癖で、言うことのほとんどが本当なのか嘘なのか、ハッキリしないという役どころだ。

 

夢野幻太郎は、斉藤壮馬さん本人との共通点が非常に多いと感じている。

以前、こんな表を作っていた。

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このとおり斉藤壮馬さんと夢野幻太郎については、少なくとも3つの共通点を見つけることができた。

夢野幻太郎は「そまみ」がかなり強いキャラクターだと言えそうだ(オーディションではなくオファーなんじゃないかな?)。

 

 

 

また、『フィッシュストーリー』は特に夢野幻太郎みが強い歌詞だ。

 

夢野のソロ曲『シナリオライアー』では、彼の半生を知ることができる(もちろん、全て嘘かもしれないという前提を踏まえて)。

youtu.be

 

『シナリオライアー』によると夢野幻太郎は、

入院中の友人に聞かせるために物語を作っている

とされている。

 

では『フィッシュストーリー』はというと、

入院中の友人に聞かせるために物語を作っている」。

 

そう、夢野幻太郎がとった行動とまったく同じなのだ。

これは偶然?

 

いや、一概にそうとは言えない。

 

『フィッシュストーリー』にも「夢野幻太郎」にも、「そまみ」が多分に反映されているからこそ、このような類似点が見つかるのだ。

 

つまりこの2つの「嘘」という共通点は、「そまみ」の重要な要素と言えそうだ。

 

 

 

 

おまけ2◆『夜明けはまだ』と『デート』の類似について

 

シングル表題3曲の歌詞について、

とくに『夜明けはまだ』と『デート』はよく似ている。

 

・よっぱらっちゃったな

──夜明けはまだ

 

・ああ、なんか酔っちゃいそう

──デート

 

・交わった視線がほつれ 絡まって

──夜明けはまだ

 

・視線 からまっても 心は平行線で

──デート

 

・ほんとうは芝居打ち

夜を永遠(とわ)にみせかけた

──夜明けはまだ

 

・このときを閉じ込めて 永遠に仕立てあげたい

──デート

 

 

壮馬さん作詞・作曲の『デート』は……

・『夜明けはまだ』の世界観を踏襲している?

・『夜明けはまだ』の歌詞をサンプリングして入れ込んでる?

という可能性がある。

 

 

 

 

 

以上、今回はアーティスト・斉藤壮馬さんのシングル表題3曲の世界観の共通点を探り、「そまみ」の正体を追究した。その結果、

 

 「そまみ」は

「夜」

「酒」

「嘘」

という3つの要素から成る

 

と予想することができた。

 

これはもちろん既存シングル3枚時点での考察なので、アルバムが出ればさらに要素が増える可能性もある。

 

さて先に発表された1stアルバム『quantum stranger』には、どれくらい「そまみ」が反映されるのだろうか?リリースを楽しみに待ちたいと思います!!

 

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 サムネかわいいキャンペーン!!

  

 

 

 

 

me-msc-u.hatenablog.com

 

 

 

 

 

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BUMP OF CHICKEN『話がしたいよ』に仕組まれた妙

 

BUMP OF CHICKENの新曲、『話がしたいよ』


BUMP OF CHICKEN「話がしたいよ」

 

先日、彼らが4年ぶり2度目の出演を果たしたMステでも披露され、「やばい」「良曲すぎ」「めっちゃ名曲」との反響を呼んだ(筆者調べ)。

 

この曲は特に歌詞が稀代の素晴らしさではないかと思った。まるで一篇の短編小説を読んでいるような、淡々とした流麗さがあると。
https://www.uta-net.com/movie/257209/

 

『話がしたいよ』という曲には、3つの「妙」が仕組まれていると感じた。

ここではそのポイントごとに考察していく。

 

 

 

 

 

 


① バスを待つ時間だけで完結する物語

 

この曲は最初から最後まで、「主人公がバス停でバスを待っている時間に考えたこと」だけが描かれている。

 

はじめの一節では「バスが来るまでの間の おまけみたいな時間」という状況が説明されているし、最後は

バスが止まりドアが開く」と、主人公がバスに乗ろうとする描写で締めくくられる。

 

曲の最初と最後を「バスを待つ描写」と「バスが到着した描写」でサンドイッチすることで、主人公はこの曲中ずっとバスを待っていた、ということがわかる。

 

『話がしたいよ』は、バスが来るまでのほんの5~6分(もしかしたら1時間くらい待つ地域もあるだろうけど)の時間を、膨らみに膨らませた曲ということだ。

 

 

 

実際の歌詞は次のように進行していく。

  

────────────────────────


主人公はバスを待ちながらガムを噛み始める。

するとふと、君の苦手だった味 だなあと、「君」のことを思い出す。
ガムをきっかけに主人公は「君」の空想を始める。

 

ちなみに主人公は曲の最後で ガムを紙にぺって するまで、ガムを噛んでいる間ずっと「君」のことを考え続ける。
主人公の中で、「ガムの味」と「君」の記憶は密接に結びついているということだ。


主人公はガムを噛みながら、
この瞬間にどんな顔をしていただろう
一体どんな言葉をいくつ見つけただろう
ああ 君がここにいたら ……
と、「君」について考えを広げていく。

 

 

主人公の空想がピークに達するのは、2番
ボイジャーは太陽系外に飛び出した今も
秒速10何キロだっけ ずっと旅を続けている
というところ。
ここでは一旦「君」のことを考えるのはやめて、いきなり宇宙規模の話が始まる。
BUMPは宇宙や星に関する曲が多いので、ここはいかにもBUMP的。

宇宙や星の描写が多いことは藤原基央の作家性と言える。

 

その後、
急に 自分の呼吸の音に 耳澄まして確かめた
体と心のどっちに ここまで連れて来られたんだろう
どっちもくたびれているけど
と自分自身のことについて振り返る。

 

その次の2番サビ
どうやったって戻れないのは一緒だよ

から

今までのなんだかんだとか これからがどうとか
心からどうでもいいんだ そんな事は
いや どうでもってそりゃ言い過ぎかも いや 言い過ぎだけど
そう言ってやりたいんだ 大丈夫 分かっている
まで、再び「君」の話に戻る。

 

そして残った一番最後の1行は
ガムを紙にぺってして バスが止まりドアが開く 

 

「ガムを紙にぺって」したことで、主人公の「君」の空想は終わる。
そしてここまで散々「君」のことを考えて、宇宙まで空想を広げていたにもかかわらず、最後にはバス停まで意識を引き戻される。
この終わり方については後述。

 

─────────────────────

 

 

 

『話がしたいよ』の歌詞の構成をまとめると以下のようになる。

 

バスを待つ主人公

ガムを噛むと同時に空想(おもに君について)スタート

宇宙規模まで空想が広がる

ガムを噛み終わり空想終了、バスに乗る

 

 

風景描写と主人公の空想とを組み合わせて淡々と描かれていくのは、一人の男がバスを待っている、ほんの短い他愛もない時間。

 

「バス停でバスを待つ」時間というものは、きっとほとんどの人が体験したことがあるだろう。
そうやって誰もが想像できる場所を舞台にしたことで、聴く方はバス停の景色をまざまざと思い浮かべることができ、歌詞のストーリーに没入できる。

 

【誰もが経験したことがある場面を用いることで、リスナーが感情移入しやすくする】


これは歌詞を書くうえでのひとつのテクニックだが、恐らく藤原さんはこれを計算してやっている。

 

 

 


② 五感をすべて用いた詞

 

人の記憶と五感は深く結びついていると言われている(特に嗅覚と記憶の結びつきが一番強いという)。

主人公が、ガムの味をスイッチに「君」のことを思い出したのは先述のとおり。
だが実は味覚だけでなく、この曲の中には人の五感を表した歌詞がすべて含まれている。

 

街が立てる生活の音自分の呼吸の音 =聴覚
ガム君の苦手だった味 =味覚
信号機底の抜けた空 =視覚
肌を撫でた今の風 =触覚
夏の終わる匂い =嗅覚


【歌詞に五感を用いることで、シーンをより具体的に、より高精彩に聴き手に伝えることができる】


これも作詞のテクニックのひとつ。

 

 


作詞家・音楽プロデューサーのいしわたり淳治さんによると、Whiteberryの『夏祭り』でもこの手法が使われている。

https://tvtopic.goo.ne.jp/kansai/program/abc/56318/740717/

 

君の髪の香りはじけた =嗅覚
空に消えてった打ち上げ花火浴衣姿がまぶしすぎて =視覚
金魚すくいに夢中になって袖がぬれてる =触覚
君の好きな綿菓子買って =味覚
ざわめきが少し遠く聞こえた =聴覚

http://j-lyric.net/artist/a002952/l000ac9.html

 

 


この2曲の歌詞が何も考えずただ感覚的に書かれたもので、五感にまつわる表現がたまたま揃ってしまった、なんてことはまさかないだろう。
そんなことがあったとしたら本当の天才だ(いや藤原さんは天才かもしれないけど)。

 

だから恐らく、この五感の描写は計算されたものだと思っている。

 

 

 

 

③ ドラマチックすぎない終わり方

 

J-POPの曲は以下のような構成で進んでいくことが多く、もちろんBUMP OF CHICKENの曲も例外ではない。

 

イントロ→(頭サビ)→
〈1番〉Aメロ→Bメロ→サビ→
〈2番〉Aメロ→Bメロ→サビ→
Dメロ→(落ちサビ)→大サビ

 

1曲の中で最も盛り上がるのはふつう、一番最後の大サビの部分。
頭サビや落ちサビは入らない曲も多い。

 


では『話がしたいよ』の構成はというと、以下のようになっている。

 

〈1番〉Aメロ「持て余した手を~」→Bメロ「だめだよ、と~」→サビ「この瞬間にどんな顔を~」→
〈2番〉Aメロ「ボイジャーは~」→Bメロ「体と心のどっちに~」→サビ「どうやったって戻れないのは~」→
Aメロ(アレンジ)「今までのなんだかんだ~ドアが開く

 


見比べてみるとわかるが、
『話がしたいよ』にはDメロと大サビがない。
こういうJ-POPの曲はかなり珍しい。

 

ちなみにAメロで終わる曲はしばしばある(Ex.コブクロ『桜』・Mr.Children『ギフト』など)。
J-POPの曲はだいたいAメロからサビに向かって音量が上がったり楽器が増えたりして、盛り上がっていくことが多い。つまりAメロは曲の中で最も抑えめな部分ということだ。
そんなAメロで終わることで、しんみりと曲を締める効果があるように思う。


『話がしたいよ』では、普通の曲なら一番盛り上がる大サビ(と、そこまで繋ぐDメロ)がカットされている。さらにAメロが最後に再現することで、静かに曲を締めている。

 

 

こういう終わり方にすることで、曲が盛り上がりすぎないようにした。恐らく意図的に。
この曲は「あえて過度なドラマチックさを排除した」のだ。
そろそろ口が酸っぱくなりそうだが、これも聴き手が感情移入しやすくするためだ。

 

 

 

『話がしたいよ』という曲は……

 

①  バス停という誰もが知る場所を舞台にすることで場面を想像しやすくした


②  人の五感すべての描写を入れ、より具体的かつ親近感がわくように場面を伝えた


③  大サビとDメロをカットし、Aメロで終わることであえて盛り上がりを抑えた

 

この3つの要素によって、聴き手は曲のストーリーを生々しいほどリアルに感じられる。

だから多くの人が風景を想像しやすく、感動しやすいというわけです。

 

 

 


【ついでに】個人的なツボ

 

ここからは余談だが、『話がしたいよ』の歌詞で個人的にツボだったところを抜き出してみた。

 

頬を撫でた今の風が 底の抜けた空が あの日と似てるのに

 今なんかちょうど風も気持ちいいし、秋晴れがきれいだから、ぴったりハマるな~

 

ちなみに、同じく大好きな歌詞なんだけど、コブクロの『蕾』の2番サビがこんな感じになっている。

風のない線路道 五月の美空は青く寂しく
動かないちぎれ雲 いつまでも浮かべてた
どこにも もう戻れない
僕のようだと ささやく風に
キラリ舞い落ちてく 涙

 

初めて聴いた小学5年生の時から大好きな歌詞……

青くて美しい空、そこに吹いた風。
さらに、ここにいない相手を思い浮かべている寂しさ。
『話がしたいよ』の先ほどのところと『蕾』のここには同じような感覚を覚える。

 

 

夏の終わる匂い

エモい……………もはや語彙力を放棄するがエモいという表現が一番合う……………
夏の終わりの曲はだいたいとても好き。

 

 

 

 

さて、『話がしたいよ』は誰もが感情移入しやすいように計算された歌詞が、エモさを醸し出していた。

 

11/14発売のシングルにはさらに、『シリウス』と『Spica』という名曲も入ってるらしいよ。
ちなみにわたしはこの中では『Spica』が一番好きだったりする。

 

またまたちなみにだけど、この2曲はこんなギミックが隠されていたりする。

 

シリウス』の終わりの歌詞「ただいま おかえり
『Spica』の終わりの歌詞「いってきます

 

つまりこの2曲は(アニメ『重神機パンドーラ』のOP・EDということもあり)セットになっているんだー!すごい!粋!

そう、これが捨て曲なしシングルだ!みんな買おう!(ダイレクトマーケティング

 

 

 

 

 

 

アイドリッシュセブンにおける「永遠」とは?

 

「12人は光を灯し、永遠への道へ。」

 

2018年夏、『アイドリッシュセブン』はリリース3周年を迎えた。
その特設サイトで打ち出されたのが、この言葉だ。

http://idolish7.com/3rd_anniversary/


このサイトからは、『アイドリッシュセブン』というコンテンツが今後、「永遠」をキーワードに展開されていくことが読み取れる。

 

じゃあその「永遠」ってのは、具体的にどうなることを言っているんだい?
まあそう思うでしょう。わたしも思ったよ。
だってものすごく抽象的でふわっとしてるじゃん。「永遠」なんて言葉は。

 

ということで今回は、アイドリッシュセブンが向かおうとしている「永遠」とはアイドルたちが具体的にどうなることを指すのか、推測する。

 

 

  

 

 

 


ストーリー中の「永遠」

 

アイドリッシュセブンのストーリー中では、「永遠のアイドル」というキーワードが出てくる。
今回の3周年のキャッチコピーは、このストーリーと関連づけたものである。

 

また「終わらないアイドル」という言葉も出てくるが、これと「永遠のアイドル」は使い分けられている。

具体的には

 

・九条天
・九条鷹匡
・姉鷺カオル

 

この3人のセリフなのだが、この3人の「永遠」のとらえ方に微妙な違いがあるということだ。

 

以下、そのセリフ。

 

 

 

天「一時代くらい誰でも名を残せる。難しいのは永遠だ。永遠になるには伝説が必要。ゼロみたいな」(1部11章2話)

 

「永遠になるには伝説が必要」
このセリフがすごい重要。

 

天は「アイドルの永遠=伝説になる」ことだととらえている。

 

 


そして次に「永遠」について語られるのは2部を飛ばして3部。

 

天「姉鷺さん、理想のアイドルってなんだと思いますか?」


姉鷺「決まってるじゃない。終わらないアイドルよ。アイドルは夢なの。夢の終わりなんて誰も見たくない。伝説なんて賞賛よりも、ある日突然姿を消したりしないアイドルの方がいい。日本一のトップスターじゃなくたって、顔に傷があったって、声が出なくたって、終わらせないでくれたらそれでいいのよ。だけどその夢を叶えるのが一番難しい」(3部14章2話)

 

姉鷺は「伝説なんて賞賛よりも~」と言っていて、「永遠になるには伝説が必要」という天の考えを、実は真っ向から否定していることがわかる。

 

姉鷺は「アイドルの永遠=ずっと活動を続けること」だととらえている。

 

そして作中では、


・伝説として語り継がれるアイドル = 永遠のアイドル
・活動を続けるアイドル = 終わらないアイドル


という風に言葉を使い分けている。

 

 


さらに九条鷹匡はというと。

 

九条「ファンを止めることはできないよ。それこそがファンの持つ力だからね。了も八乙女くんも、それが分からないまま世の中の人々をコントロールしようとしている。本当は真逆なのに。大衆が、アイドルを理想のアイドル──終わらないアイドルに近づけるためにコントロールしているんだ」(3部18章4話)

 

九条のセリフにも「終わらないアイドル」と出てきた。九条の「永遠のアイドル観」については、姉鷺的考えに近いと思う。

たとえば、九条はゼロの活動が終わったことを「ゼロに裏切られた」と言って憎んでいる。
これは裏を返せば、「アイドルは何があってもずっと活動するべき」という願望からくるものだ。

 


また、こんな天のセリフもあった。

 

天「隕石が落ちて世界が絶望している時にも、笑って歌うのがボクらの仕事。それを九条さんが教えてくれた」(2部5章2話)

 

九条は「アイドルはどんな時も活動を続けるべき」と考えており、天もそれを正しいとして受け入れた。
だが天は「永遠になるにはアイドル本人が活動し続けるだけではダメで、伝説にならなければ永遠にはなれない」と考えている。そこにおいて、天は九条より一段上だと言える。

 

 

 

よって、かなり簡略化すると次のような図式が見える。

 

姉鷺のアイドル観=九条のアイドル観【永遠とは活動し続けること】
≠天のアイドル観【永遠とは伝説になること】

 

 

 


「伝説」になるには?

 

じゃあ、天くんが言ってた「伝説になる」ってどういうこと?

 

 

伝説は語り継がれる

 

普段から、◯◯くんダンス上手いよね!とか、この前のライブのこの曲めっちゃ感動した~とか、アイドルへの褒め言葉を聞く機会はよくあると思う。

 

そういった他愛ない褒め言葉と「伝説」が異なる点として、
伝説は「語り継がれる」ということだ。

 

多くの人を感動させ社会現象となったアイドルは、活動を辞めても、失踪しても、死んだ後も、「こんなにすごい人がいたんだよ」と語り継がれる。
「百恵ちゃんが好きだった」とか、「光GENJIはすごい人気だったんだよ」とか、親から昔ファンだったアイドルやアーティストの話を聞いたことがある人は多いんじゃないだろうか。

 

まさしくそれが「伝説になる」ということだ。

 

生身の人間である限り、アイドル本人は必ず死んでいなくなる。だが伝説のアイドルは、親から子へ、子から孫へ……と語り継がれていく。

だから綿々と、永遠に、そのアイドルは生き続けることになる。

 

 

 

記憶と永遠

 

「人は二度死ぬ」とはよく言われたものだ。

一度目は命が尽きた時。
二度目は生きている人から忘れ去られた時。

 

これを題材にしたのが、日本では今年3月に公開されたピクサー作品『リメンバー・ミー』だった。

 

舞台は、死んだ人たちが骸骨の姿となって暮らす「死者の国」。
彼らは現世で死ぬと「死者の国」にやってくるが、現世で彼らのことを覚えている人が一人もいなくなると、「死者の国」からも消えていなくなる──つまり「二度死ぬ」のだ。

 

逆に言えば(これは映画劇中では指摘されていなかったが)、
語り継がれていき、誰かの脳に「その人がいた記憶」がある状態が続けば、死者の国では永遠に生きられる、という理屈になる。

 

 

 

アイドリッシュセブンにおける「永遠」も、これと同じことを言っているのではないか。

 

すごい功績を残したアイドルが伝説になる



次の世代へと語り継がれる

誰かしらの記憶に残る

次の世代へと語り継がれる

誰かしらの記憶に残る

次の世代へと語り継がれる…………

 

この円環的構造が生まれ、子世代や孫世代、さらにその下の世代……と、そのアイドルの記憶は延々受け継がれていく。

 

つまり肉体は死んでも、人々の記憶の中で永遠に生きられるというわけだ。

 

【次世代まで語り継がれ、そのアイドルの記憶が受け継がれてていくこと】

これが「永遠のアイドル」になるということだ。

 

 

 

 

 陸の願いとは?

 

一織「私にあなたをコントロールさせてください。私を嫌って、憎んでも構いません。だけど私を疑わないでください。あなたの願いを叶えるために」


陸「オレの願いがわかるんだ?」


一織「当然でしょう」
(3部18章5話)

 

3部で唐突に出てきた「陸の願い」。
わたしはこの「願い」こそ、先に説明した【永遠のアイドルになること】ではないかと思っている。

 

その根拠はIDOLiSH7の曲の歌詞にある。

 

 


以前の記事でも述べたとおり、アイナナの登場楽曲にはキャラたちの人生・背景が反映されている。

 

me-msc-u.hatenablog.com

 

me-msc-u.hatenablog.com

 

 

 

 

そして、「センター次第でそのグループのカラーが決まる」と一織が言っていたことから(1部3章2話)、
アイナナの曲の歌詞はそのままセンターである陸の考えや、人生を反映していると考えてよい。

 

 

Feel to the life!(Yeah!)
Feel to the live!(Go!)
──MONSTER GERATiON

 

「命を感じて ライブを感じて」
「live」はここでは名詞なので、音楽イベントの「ライブ」という意味になる。

 

 

生まれた意味を声に乗せるよ
──MEMORiES MELODiES

 

ここは陸のソロパート。

この歌詞こそ、陸の真意なのでは!?!?
なぜかというと、ここがメロディーも歌詞も、他のところに比べて切実すぎるから。

 


モンジェネの歌詞から、IDOLiSH7は 「歌うことに命を感じている」。
メモメロの歌詞から、陸は 「歌うことが自分の生まれた意味だと思っている」。

 

 


つまり七瀬陸は
「歌で自分の生きた証を残したい」
と考えているのでは?

 

そしてこれは、「伝説として人々の記憶に刻まれる」=「永遠になる」ことともほぼイコールだ。


【七瀬陸の「願い」とは、歌で自分の生きた証を残し、永遠になること】
だと考える。

 

 


陸は幼い頃から病気を持っており、入院生活を送っていた。
病院では幽霊を見ることもよくあったという。
陸にとって、「死」は昔から身近なものだったのだ。

 

だからこそ「生きている証を残したい」「自分のことを覚えていてほしい」という願望は人一倍強いのかもしれない。


「12人は光を灯し、永遠への道へ。」

 

「永遠」はあたかも「12人」の願いであるかのように謳われているが、実はこれを一番強く願っているのは七瀬陸だということだ。

 

 

 

 

虹と流星と永遠と

 

IDOLiSH7はストーリー中で虹・流れ星になぞらえられている。

 

「初めてのステージの上で、7人はのように、のように、きらきらと眩しく輝いていた」(1部2章5話)

 

「七色の光が束になってになるように、オレたちのハートが同じものを目指してひとつになっていく」(1部19章3話)

 

九条鷹匡「i7は今以上に売れるが長くは続かない。流星のように一瞬で燃え尽きる」(3部2章3話)

 

陸「オレたちの歌に誰かの楽しい思い出や、誰かが幸せな物語が繋がってるなら、オレたちが歌うたび、楽しい気持ちや幸せな気持ちをリフレインさせることができる。真っ暗な夜空に、流れ星を降らせるみたいに。オレたちは、にも、にもなれる」(3部15章2話)

 

一織「(陸に対し)流れ星を降らせて、を超えてください」(3部18章5話)

 

 

 

 

わたしたちは、虹や流れ星を永遠に見ていることはできない。
流れ星は一瞬で消えてしまうし、
虹が出てから消えるまで、ふつうは数分~数十分。世界で最も長く持続した虹でも約9時間だったそうだ。

台湾で記録された『8時間58分』の虹 その時、大気中では何が起こっていたのか? | Guinness World Records

 


だから、「虹・流れ星」とイコールで繋がれるIDOLiSH7自身も、物理的にはいつか消えてしまうはずなのだ。

 

 

だが、虹や流れ星を見ることができた人たちは、その美しさを忘れないだろう。
モノそれ自体は一瞬で消えてしまっても、素晴らしいものに出会えた「感動」「記憶」は永く残る。


IDOLiSH7もそんな風に「記憶」に刻まれるグループなのだろう。

そして「感動」「記憶」は語り継がれ、永遠になっていく……というわけだ。

 

 

 

 

余談。
このブログ名「消えていく星の流線を」はジャニーズのほうの自担のソロ曲の歌詞からいただいたものだ。

 

人間は儚い。たった100年足らずでみんな死んでしまうのだから。
アイドルはもっと儚い。彼らがいつステージから消えてしまうかなんて、誰にもわからないのだから。
つい先日も、タッキー&翼が解散を発表した。こんなこと誰が想像できた?

 

彼らが生きていて、芸能界に入って、オーディションに受かって、今ステージに立っている。それは天文学的確率だと思うのだ。

 

そんな儚さが「消えていく星の流線」に似てはいないか。
そう思って、この歌詞を取らせていただいた。

 

 

 

 

 

 

平成最後の夏とかいうエモエモのエモなタイミングで、「永遠」とかいうキング・オブ・エモなテーマを撃ち込んできたアイドリッシュセブン

 

今回の話に則れば、アイドリッシュセブンのアイドルたちはいつか必ず死んでしまうけれど、わたしたちが覚えていることで彼らは「永遠」になれる。

 

だからアイドリッシュセブンのこと、ずっと忘れないでいような。

 

こんなに楽しいゲームがあったってこと。推しがこんなにもかわいくてかっこいいってこと。アイドリッシュセブンが大好きだってこと。

 

忘れないでいような。

 

それこそが彼らを「永遠」にするのだから。

 

 

 

 

 

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Twitter@Alden_tenn

 

 

 

『JOYしたいキモチ』にまつわる個人的なハナシ

 

2018年8月29日、A.B.C-Z結成10周年のその日、シングル『JOYしたいキモチ』が発売された。

 

突然ですが誰得でもないわたしの『JOYしたいキモチ』実録を聞いてくれ。

 

 

 

 

 

その週のわたしは残業パラダイスだった。しかもそれは本当は必要ない残業のはずで、でも下っ端のわたしにはそんなことは口が裂けても言えず、ただただ山積みの仕事をこなす。

 

そんな1週間でした。

 

金曜日の夜。

残業上がりの電車で、ウォークマンに入れた『JOYしたいキモチ』を聴いていた。

 

ジョイポリスLBTツアーでもこの曲は聴いていて大体の雰囲気は知っていたんだけど、その時は「かわいい曲😆」って、ただそれだけのイメージだった。

 

だけどヘロヘロに疲れている時に聴くと、ただかわいいだけの曲じゃないと気づいた。

 

 

 

プレイボタンを押すと真っ先に飛び込んできたのは、

 

今しか出来ないこと 楽しんでこうよ まぁそんなんでOK

 

という歌詞だった。

 

思わず自分に問いかけたよ。

今しか出来ないこと、出来てるか?

 

この仕事は自分で選んだ好きなことだけど、終業は遅くて仕事終わりにコンサートも舞台も行けないし、翌日のことを考えると映画だって厳しい。帰ると疲れて、大好きな漫画を読む時間やアニメを見る時間も取れない。個人的に土日も仕事をしているので、ほぼ休みがない。

 

「今しか出来ないこと 楽しんでる?」

そう聞かれたわたしは、「うん!」と即答できなかった。

 

 

 

さらに聴いていくと、

 

辛いこと 不安なこと もう何も気にしないで

 

とも言ってくれた。

 

恥ずかしながら電車乗りながら顔が歪んだよ。人が少ない時間帯でよかった。

 

つらい。つらい。疲れた。そんなわたしのクソネガティブなキモチを、A.B.C-Zはたった1行の歌詞でふわっと包み込んで受け入れて、払拭してくれた。

 

 

 

それから、

 

昨日あった嫌な出来事だって

笑って話せるから

嫌なこと ひとつや ふたつは 必要なのかな?

 

この歌詞にすごく救われた気がした。

 

理不尽なことも、必要ないような仕事も、全部無駄じゃないんだよって、A.B.C-Zは言ってくれた。

 

まあこの残業が本当に必要だったのかどうかは置いといて、「嫌なことのひとつやふたつ、スパイスとして必要だよ」って、A.B.C-Zは正当化してくれたんだ。この世界の嫌なこと全部を。

 

就活失敗して、そこからやりたいことを模索して、つらくて1週間で辞めた職場もあってやっと合うと思った仕事を見つけたけどそこでも残業・残業・残業。

毎日床で寝落ちて腰がバキバキにやられる。風邪っぽい。疲れた。

だけどそれ全部無駄じゃないよって、A.B.C-Zが全肯定してくれた。

 

だからわたしは生きる。

今日もわたしを生きる。

A.B.C-Zがいるから生きられた。

 

 

 

 

 

日本人は真面目すぎる。

根を詰めすぎる。

そこから漏れることができないわたしも真面目すぎるんだけどな。

 

売上やら目標と言うけれど、それよりも大切なのはそれぞれの人生を生きたいように生きることなのでは?

 

まさに今の日本人に必要なのが『JOYしたいキモチ』精神だと思う。

 

ちょっとくらい適当にやってもいい。

 

「まぁ そんなんでOK」

「ムリしないでOK」

「だいたい Be Alright(なんとかなる)」

 

そのくらいのキモチで生きたほうが絶対にいい。長生きできる。

 

それを忘れかけていた。

力抜いていいんだって気づかされた。だから年甲斐もなく電車で泣きかけた。

 

 

 

A.B.C-Zの担当になって5年半が経った。

結構長い間、A.B.C-Zを見てきたつもりだけど、こんな風に「救われた」と思ったのは初めてだった。

 

『JOYしたいキモチ』という曲にはそれだけのパワーがあると思うし、

A.B.C-Zには人を救う力がある。それを身をもって知った。わたしが証人じゃ。

 

わたしは今日も働いています。

だけどちょっとくらい手を抜きます。

ありがとうA.B.C-Z。これからも少しだけ、わたしを救ってください。

 

どう足掻いてもA.B.C-Zが好きだ。

 

 

 

Mr.Children『君が好き』の歌詞を少しだけ深読みした。

 

昨年のクリスマス、某大型音楽特番でラブソング特集が組まれていた。

街にいた人たちにラブソングにまつわる思い出をインタビューする、という内容だった。

 

そこでわたしは、軽く衝撃的なものを目にした。

 

「毎年クリスマスには、ミスチルの『君が好き』を彼氏とイヤホン片耳ずつ聴いてますね」

というカップルだ。

 

……………はい。

……………はい?

 

『君が好き』……………?

 

めっちゃいい曲ですよね!君が好き!わたしも大好き。だけど、

この曲は一筋縄じゃいかないラブソングだと思う。

 

具体的には「不倫の曲だと思ってる。

 

どこがどうしてそういう曲なのか、テレビに解説垂れたい衝動に駆られ……

そしてカップルの行く末がめちゃめちゃ心配になった(笑)

 

そのカップルがあまりに気になったので(笑)、今回は『君が好き』という曲がいかに不倫の曲かということを読み解いていきます。

なんか前回の記事も不倫の曲について書いた気がするけど別にそういう性癖なわけではない。

 

読んでくれ!!なあ!!M○テのインタビューのカップル!!

 

 

 

 

 

 

『君が好き』のキーワード

 

この曲の歌詞には、陰に陽に不倫を示唆するキーワードがいくつか出てくる。

まずはそのキーワードを拾ってみていく。

 

 

① 「月」

 

『君が好き』の歌詞において、「月」は2回登場する。

それだけでなく、この曲のジャケットイラストにも月が印象的に描かれている。

 

君が好き

君が好き

 

 

 

 

女性のものらしき手が三日月を掴もうとしているこのイラスト。

ここで「月」は中央に配置されており、イラストの主役であることは、誰の目にも明らかだと思う。

これは、『君が好き』という曲のなかで「月」がとても重要な意味をもつことの証拠でもある。

 

 

 

この曲において「月」のモチーフが重要であるとわかったところで、歌詞に出てくる「月」がどのようなことを表すのか考えていく。

 

個人的解釈として、ラブソングの歌詞に「月」が出てきたら、まず「I Love You」と変換してみると、ストンと腑に落ちることが結構ある。

 

夏目漱石が「I Love You」を「月が綺麗ですね」と訳した逸話は有名だ。

じつはこの話は文献に残されているなどというわけではなく、都市伝説に近いものなのだが……

それでもこの話が語り継がれているのは、この美しく奥ゆかしい表現に共感・共鳴した日本人が、ある程度いたからだろう。

 

『君が好き』に出てくる「月」も、「I Love You」の隠喩であると考えてみると意外としっくりくる。

 

 

もしもまだ願いが一つ叶うとしたら…

そんな空想広げ

一日中ぼんやり過ごせば

月も濁る東京の夜だ

 

歌い出しで「月」が登場する。

この曲の中で「僕」が見る「月」は濁っている。

つまり、僕から君に対する「I Love You」の気持ちは、単にキレイなものではなく、濁ったもの。

 

初っぱなからすでに、「僕」と「君」の恋愛はいわゆる不純なものだということが仄めかされている。

 

 

歩道橋の上には 見慣れてしまった

濁った月が浮かんでいて

 

Dメロの部分で「月」が2回目の登場。

ここでも、僕から君への「I Love You」は濁っている。

 

 

 

「僕」は曲中で2回、「月」を見上げるシーンがあるが、そのいずれも月は濁って見えている。

 

「月」が、君への「I Love You」の隠喩であるとすれば、2人の恋愛は

【濁っている関係=不倫関係?】

と想像できる。

 

 

 

② 「夜の淵」

 

サビでは「僕」が君と待ち合わせしている様子が描かれる。

そのとき、時間帯描写として「夜の淵」という表現が用いられている。

 

夜の淵 アパートの脇

くたびれた自販機で二つ 缶コーヒーを買って

 

夜の淵 君を待ち

行き場のない 想いがまた夜空に浮かんで

 

二人は「夜の淵」にしか会えないような関係である。

これはただの夜ではなく、言い換えれば夜の「深淵」、つまり誰も出歩いていないような深夜ということだ。

 

しかも待ち合わせの場所は「アパートの脇」。

この「脇」っていうのもまた、素晴らしいワードチョイスだと思う……。2人が建物の壁面に沿うように、ひっそりと会っている情景がよく浮かぶ。

せっかく、僕または君どちらかのアパートまで来ているのに、部屋ではなくその「脇」……つまり建物の陰に隠れるようにして会わなければならない。

 

「僕」と「君」は深夜、誰にも見つからないアパートの陰でしか会うことができない。

つまりこの2人は、人目のある場所では会えない、人に見られるとマズイ関係だということだ。

 

 

 

③ 「汚れていってしまう僕ら」

 

ここで示したキーワードの中で、不倫関係が読み取れるものとしてこれが最も直接的でわかりやすいのではないかと思う。

 

歩道橋の上には 見慣れてしまった

濁った月が浮かんでいて

汚れていってしまう 僕らにそっと

あぁ 空しく何かを訴えている

 

「僕ら」(=「僕」と「君」)は汚れていってしまう。

 

これはもちろん物理的に、洋服が汚れるとか泥がハネるとか言っているわけではなく、彼らの「精神が」どんどん汚れていく、また彼らが「社会体裁的に見て」いわゆる汚らわしい関係である……ということ。

 

 

 

 

 

 

以上の3つのキーワードから、僕と君が不倫関係にあることがわかったかと思う。

その上で歌詞全体を見ていくと、『君が好き』という曲を、違った面から聴くことができるんじゃないだろうか?

 

 

 

君が好き

作詞・作曲:桜井和寿

 

 

もしもまだ願いが一つ叶うとしたら…

そんな空想広げ

一日中ぼんやり過ごせば

月も濁る東京の夜だ

 

もしもまだ願いが一つ叶うとしたら…

この「願い」とは何だろうか?

(まあ、『君が好き』というタイトルから君関連であることは想像できるが、どうせなら歌詞の前後から考えてみる)

 

この「願い」について、一日中ぼんやりと考えている「僕」。そして、その一日の終わりに見上げる「月」は濁っている。

「月」は「君へのI Love You」を表すので、僕が一日中考えていたのは「君」のことなのだと暗に表されている。

 

しかしこの二人の関係は濁った不倫関係。

つまり、君のことを一日中考えていたから、僕は月が濁って見えてしまう。

月が濁っているのではなく、実は濁っているのは「僕の心」の方ということだ。

 

 

そしてひねり出した答えは

 

君が好き

僕が生きるうえでこれ以上の意味はなくたっていい

 

一日中考えた僕は、「君が好き」だという答えを「ひねり出す」。

ひねり出すの!

なんか思わず急にブルゾンちえみ風になっちゃうけど!ひねり出すの!

君が好き!大好きー!じゃなくて、僕は、悩んで悩んで散々考えた末に「それでも君が好き」だと答えを出す。

なんでそんなに悩んでいるのかという理由が、「君は本当は好きになってはいけない人だから」だ。

 

 

夜の淵 アパートの脇

くたびれた自販機で二つ 缶コーヒーを買って

 

夜の淵 アパートの脇」については前述。

 

2人は、一緒にいる時でも缶コーヒーくらいしか飲めない。

何故かと言うと一緒にカフェにも入れないような関係だからだ。本当はカフェでお茶したり、レストランで普通にご飯を食べたりしたいけど、できない。

 

それは、2人が一緒にいるところを誰かに見られてはいけないから……

 

 

僕の手が君の涙拭えるとしたら

それは素敵だけど

君もまた僕と似たような

誰にも踏み込まれたくない

領域を隠し持っているんだろう

 

誰にも踏み込まれたくない領域

これを、それぞれの「家庭」と考えることができる。

 

君も、僕も、「誰にも踏み込まれたくない領域」=家庭を持っている。

つまりこの関係は W不倫 だということ!

 

 

君が好き

この響きに 潜んでる温い惰性の匂いがしても

繰り返し 繰り返し

煮え切らないメロディーに添って 思いを焦がして

 

君が好き」という響きに「温い惰性」が潜んでるということで、

僕は君に、飽きるほど「君が好き」と言ってきたらしい。

つまり僕と君の付き合いはある程度長いということがわかる。

 

 

歩道橋の上には 見慣れてしまった

濁った月が浮かんでいて

汚れていってしまう 僕らにそっと

あぁ 空しく何かを訴えている

 

前述。

 

 

君が好き

僕が生きるうえでこれ以上の意味はなくたっていい

夜の淵 君を待ち

行き場のない 想いがまた夜空に浮かんで

君が好き 君が好き

煮え切らない メロディーに添って 想いを焦がして

 

 

 

 

 

 

いかがでしたか?

結構ドロドロしてるでしょ?

これでもまだ、クリスマスにカップルで聴く気になれますか?(誰)

 

『君が好き』という、ど真ん中直球ストレートな、潔いとすら言えるタイトル。

しかしこの曲の本質は、きれいな恋愛などではない。

この、タイトルと歌詞との矛盾、ねじれ、ひねくれ。

Mr.Childrenのそういう部分が本当に好きだ。

 

歌詞はちゃんと読もうな!

間違ってもこの曲を結婚式で流しちゃだめだぞ!

 

 

 

 

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